【自主レポート】 |
第34回兵庫自治研集会 第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~ |
2011年3月11日に岩手県沖を震源として発生した東日本大震災では、津波によって沿岸部に壊滅的な被害をもたらした。また、内陸部である遠野市でも建物の被害や、停電といった財産やライフラインに大きな被害が発生した。遠野市では沿岸部に隣接しているという立地条件から、災害への対策として、様々な準備を整えていたことで迅速な対応を行い、大きな成果を上げることが出来た。本レポートでは遠野市の備えと果たした役割について報告する。 |
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1. はじめに 2011年3月11日午後2時46分に発生した東日本大震災は、岩手県沿岸部の広域に甚大な被害をもたらした。遠野市でも震度5強あったことから、市役所本庁舎1階の柱が折れて、崩壊の危機から使用不能となった。地震発生後、ただちに庁舎前の駐車場にテントを設置し、災害対策本部を立ち上げ、全職員総動員で市内全域の被害状況の調査に着手するとともに、各地域の区長、民生委員、消防団等から情報を収集した。 2. 遠野市役所の被害状況 激しい揺れに1963年建築の市役所中央館は全壊。南側の柱4本のコンクリートは崩れ、折れ曲がった鉄筋はむき出しになった。 |
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3. 東日本大震災発生前の遠野市の災害対策への取り組み (1) 遠野市の地理条件と歴史的経過 (2) 国、県、周辺自治体への提案内容(想定する後方支援拠点機能と備え) (3) 防災訓練の実施状況 |
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4. 震災直後の被災地の状況 職員の報告は「言葉になりません……」の一言 ~悲惨な状況と後方支援活動の本格化~ ラジオやテレビに流れる沿岸部の被災状況を目の当たりにしながら市内の被害状況調査にあたっていたところ、2011年3月12日午前1時40分、大槌町職員が遠野市災害対策本部に救助を求めに駆けつけた。「大槌高校に500人が避難している。水も食料も全くない。何とか手を貸して欲しい」と依頼を受け、すぐに食料と燃料をはじめとする物資をトラックに積み、午前4時50分に大槌町に向けて出発した。 |
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5. 後方支援活動の展開 陸上競技場、サッカー場、大型駐車場を車両基地や臨時ヘリポートとして開放。消防の救援隊や全国の医療隊も遠野市に結集した。 6. 稲荷下物資支援センターの開設と自治労の支援 4月から被災者を対象に物資の無料配布を開始した。持家で生活をしていて、物資を避難所から受け取ることのできない世帯の多くが利用。4月は遠野市職員と静岡県職員で対応をしていたが、職員は通常業務へ支障をきたしていたことから、遠野市職労は県本部及び他単組に対し、人的支援と物資の支援を要請し、多くの支援をいただいた。 ※自治労加盟単組職員仕分け作業従事者 延べ275人 利用世帯数 延べ20,355世帯 |
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7. まとめ これまでの訓練と準備から遠野市は即座に後方支援の役割を果たすことができた。官公署はもちろんであるが、民間も含め、多くの機関・団体・組織が遠野に拠点を置き、遠野市から沿岸部をバックアップすることができた。また、遠野市民も震災直後から炊き出し、物資の提供に尽力し遠野市全体で遠野の後方支援の役割を共有することができた。 |