【自主レポート】 |
第34回兵庫自治研集会 第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~ |
神戸市職労は、17年前の阪神・淡路大震災において自治体職員をはじめ全国のみなさんに支援をいただきました。それ以降、神戸市職労は全国の災害被災地を支援しています。そして、支援に訪れた被災地のみなさんとの交流を積み重ね、全国初の「助け合い協定」を石川県穴水町職員互助会、山口市職労と締結しました。東日本大震災では、支援に訪れた仙台市立八軒中学校のみなさんと交流をすすめています。これらの活動を報告します。 |
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1. 被災地支援活動と「助け合い協定」 (1) 大切な出会いと心に残るできごと (2) 神戸市職労の被災地支援活動
また、私たちが被災地に行ったとき、役所の幹部の方や組合のみなさんに必ずお話しすることがあります。それは、職員の健康を守ってほしいということです。職員のみなさんは、いったん災害が発生すれば、自らが被災者であっても家族を残して、公務員としての役割を果たすため必死で頑張ります。しかし、そんな頑張りも長くは続かず、体を壊す職員も出てきます。そうならないように是非声を上げてほしい。職員が元気であればこそ、復旧、復興という長い道のりをすすめていくこともできます。そうしたお話をすると、必ず、「そんなことを言ってくれるのは神戸の方だけだ」「自分たちからはなかなか言い出せなかったが、その通りだと思う」とせきを切ったように言葉が返ってきます。 神戸市では、17年が経過し大震災を経験していない職員が半数となっています。私たちは、被災地支援活動に神戸の大震災を経験していない若い組合員に参加してもらい、被災地支援の体験を通して、大震災の経験を風化させない、若い職員に経験を伝えていくことも大切にしています。 |
(3) 穴水町のみなさんを元気にした神戸の高校生
市職労は、こうした状況を実際に町にお見舞いに訪れる中で知り、被災直後から、組合員のカンパによる義捐金の贈呈、避難所への支援物資を持ってのお見舞い、仮設住宅でのお月見会開催など支援活動をすすめてきました。特に、町で長年夏に開催してきた地元のまつり「長谷部まつり」を、震災からの復旧中であり開催すべきかどうか悩んでいた町のみなさんと相談し、市職労も協力し復興まつりとして開催することとなりました。そして、市職労より、まつりを盛り上げ被災者のみなさんを励ますため、神戸市立兵庫商業高校龍獅團、神戸市立神戸西高校和太鼓部(現須磨翔風高校和太鼓部)のみなさんに参加をお願いし、60人の高校生とともにまつりに参加しました。まつりの前日には、仮設住宅のみなさんを招いて中学校体育館で激励会を行いました。まつりのパレードでは小さな町にこんなにたくさんの人がいるのかと思うほど多くのみなさんが沿道に並ばれ、その一人ひとりに高校生が声をかけながら進みました。初めて見る中国の獅子舞や龍舞、神戸の大震災もほとんど記憶にない神戸の高校生が町のみなさんを励まそうとの一生懸命な演技に、町のみなさんは涙を流し、口々に「神戸から応援に来てくれてありがとう」「高校生に励まされた」と喜ばれていました。震災で沈んでいた町の雰囲気がいっきに明るくなったように思います。それ以来、毎年の長谷部まつりには、神戸の高校生が参加して、まつりを盛り上げています。 (4) 広がる被災地の絆、「助け合い協定」の締結
また、2007年7月に発生した新潟県中越地震の被災地、新潟県柏崎市西山町への支援ボランティアに、市職労からの呼びかけに応え穴水町役場から4人の職員が参加し、共同でボランティア活動を行いました。被災地が力を合わせ共同で新たな被災地を支援するという、新たな被災地間のネットワークができた瞬間です。そして、このような活動と交流を積み重ねるなかで、2008年1月26日、全国で初めて神戸市職労と穴水町職員互助会(労働組合がないため職員互助会と締結)との「助け合い協定」を結びました。 「助け合い協定」は、災害が起これば相互に支援するとともに、共同で全国の被災地を支援しようとするものです。また、困難を乗り越え相互に励まし助け合い地域の発展のために協力するという“友好と連帯”のネットワークです。2008年1月に発生した新型インフルエンザでは、この「助け合い協定」が大きな力を発揮しました。神戸で最初に患者が発見されたこともあり、市内から「マスク」が姿を消し、二つの市民病院でもマスクが不足するという事態となりました。こうした状況を知った穴水町より、町で備蓄していたマスクを7,000枚、緊急に神戸の市民病院に届けていただきました。このマスクを受け取った市民病院では、同じ被災地である穴水町からの温かい支援に感激していました。 また、2009年7月に中国地方を襲った集中豪雨による土砂災害に見舞われた山口市への支援をきっかけに、山口市職労のみなさんとも交流を深めてきました。2011年3月11日に発生した東日本大震災の支援ボランティアでは、神戸市職労の呼びかけに応えて17時間かけて5人のみなさんが山口から車で宮城県石巻市にきていただき、同じく穴水町から駆けつけた6人の役場職員のみなさんと共に瓦礫の撤去などの支援活動を行いました。さらに、2011年7月の集中豪雨の被害を受けた和歌山県新宮市への支援ボランティアにも5人の山口市職労の組合員のみなさんが私たち神戸市職労とともに支援活動を行いました。こうした取り組みを重ね交流を深め、穴水町職員互助会に続き、2011年8月4日、山口市職労との間で「助け合い協定」を結びました。 (5) 神戸市職員でよかった 2. 東日本大震災での神戸市職労の支援活動 (1) 感動の八軒中学校吹奏楽・合唱部のコンサート
2011年11月18日、神戸ポートアイランドにある国際会議場のホールは、700人の聴衆の感動に包まれました。仙台市立八軒中学校吹奏楽・合唱部のみなさんの「あすという日が」をはじめとした歌、演奏、歌と歌の合間に生徒が語る震災の時の恐怖と不安、ふるさとの復興への思い、避難所支援に訪れた神戸市職員への感謝の言葉に、多くの人が神戸の大震災を思いだし東北の被災地を思い、参加した全ての人が涙を流して聞き入りました。コンサートが終わり会場を去るどの顔も笑顔で、また、晴れ晴れとした顔で、口々に参加して良かったとの声が聞こえてきました。 このコンサートは、八軒中学校に支援に訪れた神戸市職員有志で結成した「八軒中学校を応援する会」が、2011年11月20日開催の神戸マラソンに招待された八軒中学校吹奏楽・合唱部を招いて「がんばろう東北被災地支援コンサート」として開催したものです。 (2) 被災直後からの神戸市の支援活動 (3) 八軒中学校との出会い (4) ありがとう神戸市のみなさん
ボランティア交流会で校長先生に読み上げられた生徒さんのメッセージを紹介します。 「もうすぐ、あの大震災から一年がたとうとしています。私にとってこの一年は様々なことを学び、考えさせられる一年となりました。3月11日、体育館にいた私達は大きなゆれにおそわれました。立っていられず泣きだす子もたくさんいました。そのときは、大きなゆれにただおどろき、この先どうなるのだろう、と不安な気持ちでいっぱいでした。電気が復旧し始めて数日後、学校へ行くと『神戸市』と書かれた服を着た方々が避難所の運営をして下さっていました。あの時は、まだ交通も不便でそんな中、支援に来て下さったのだと思うと感謝の気持ちでいっぱいです。また、玉津中学校のみなさんがチャリティーコンサートを開いて下さりました。心温まるお手紙を頂き、とてもうれしかったのを覚えています。秋に神戸にお招き頂いた際、神戸のマラソン大会の開会式に出させて頂きました。阪神淡路大震災から復興を成しとげた神戸の街並みを見て私は、一日でも早く東北の街がこのように美しい街に戻ればいいなと思いました。今なお、辛い思いをされている被災者の方々もいます。私達が今、自分に出来ることは何かを考え、小さなことでも実行に移していきたいです。『あすという日がある限り幸せを信じて』みなさんから頂いた温かい気持ちを胸に、これからも強く生きていきたいと思います。」(八軒中学校を卒業する生徒さんから神戸へのメッセージ 2012年3月6日「市職労ボランティア・神戸市東日本大震災被災地支援派遣者交流会」で紹介) 震災から1年たった2012年3月11日、八軒中学校において記念のコンサートが開催されました。参加した神戸市職労の代表より、学校に「がんばろう仙台」の横断幕をプレゼントし、校庭にさくらの記念植樹を行いました。私たち神戸市職労は、神戸がそうだったように、必ず東北の町が復興することを信じて、東北のみなさんと一緒に一日も早い復興のため支援を続けていきます。 |