【論文】

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり~災害から見えた自治体の役割~

 想定外を無くすために示されたとされる「南海トラフ巨大地震」の新たな想定において、全国最大の津波予想高さが示された高知県西部に位置する黒潮町。東日本大震災の被災地に学び、起こりうる事象にいかに「備え」、どう対処するかの「心構え」が問われている。多くの教訓の中から何を学び、どう向き合おうとしているのかを、漁業や観光など海と共に暮らしてきた町の現在の取り組みを交えて筆者の考えを述べる。



“最悪”想定とどう向き合うか
~「2つの災害観」と「関係性の再構築」によるアプローチ~

高知県本部/黒潮町職員労働組合 友永 公生

1. はじめに

 34.4m。これは、津波が谷などを遡ってたどり着く、いわゆる「遡上高」ではない。津波そのものの予想高さである。私たちの暮らす黒潮町はこの想定を受け、「存続の危機」にさらされている。ここでいう存続の危機とは、津波により物理的に町や集落が消滅してしまうという直接的な意味と、「震前過疎」という間接的な問題を意味している。「震前過疎」とは、筆者の造語で、被災前に「住民が転出」「観光客が減少」「企業が撤退」するなど地域に大きなインパクトを与える(すでに起き始めている)事象により、自治体としての機能が縮小または弱体化する現象をさす。
 最悪と呼ばれる想定と、予想されるあるいは進行している事象にどう向き合うか?が、大きな課題としてのしかかっている。この難題を打破する答えは、当事者意識を持ちつつ、あらゆる「関係性の再構築を講じる」ことに尽きる。以下、この結論に至った関係性にまつわる事例を追い、黒潮町の取り組みを紹介していくこととする。

2. 関係性の再構築

(1) 被災地でのヒアリング等から
 関係性の再構築の必要性は、筆者がこれまでに4回被災地を訪れた経験から得た結論である。市役所、市職労、教育委員会、住民、消防署員、消防団員、市議会議員、商工会、漁協、NPO、商店街の店主など様々な立場の方のお話しを伺う中で、この結論に至った。

【被災地調査等の期間】
期   間
主な訪問地
目   的
2011年3月17日~2011年3月23日 気仙沼市~陸前高田市 黒潮町関係者の安否確認、物資提供等被災地支援
2011年11月6日~2011年11月9日 仙台市~気仙沼市 ヒアリング等
2012年4月14日~2012年4月17日 仙台市~気仙沼市 ヒアリング等
2012年7月14日~2012年7月18日 南三陸町~気仙沼市~宮古市 ヒアリング等

(2) 関係性が問われる事例として
巨大な防潮堤を建造しつつも「避難に勝る防護なし」の文字が(岩手県釜石市唐丹小白浜)
① 自然と人間
  まずは、三陸海岸における津波防災の功罪(安易には使いたくない表現ではあるが)を考える必要がある。自然と人間の関係性の対照的事例として、特に代表的な田老(宮古市)の防潮堤と吉浜(大船渡市)の高所移転があげられる。
  この両地区の光景はあまりにも異なる。田老に代表される岩手県沿岸の特徴的な巨大防潮堤も、避難を原則とし、一定規模の流入を防ぐという意味で設けられ、津波を完全に防ぐという考えではなかったはずではあるが、自然と人間との関係性を考える上では、大きな壁として立ちはだかってしまったと言わざるを得ない。先人の意図がうまく作用しなかったという無念な事例である。
  一方で、吉浜に代表される先人の言い伝えを守って高所に生活の場を移し、いわば日常の利便性を犠牲にした暮らしを続けてきた地域の営みには敬服せざるを得ない。しかしながら、沿岸のすべての地域で受容される生活形態であるとは言い切れないのも事実である。
  こうした地域性による自然との向き合い方の相違を垣間見る中で、「浸水しても流失しない」などの許容範囲を持たせた関係性の構築が必要だと感じる。というよりも、その許容値こそが自然と人間との関係性そのものではないかという理解に至るのである。

防波堤(上)と沈下橋(下)

② ハードとソフト(2つの災害観)
  ハード対策とソフト対策の関係性も重要なテーマである。ここではハードとソフトの表現を少し変えた2つの災害観「防波堤的災害観」と「沈下橋(潜水橋)的災害観」を用いて検討したい。※いずれも筆者の造語である。

【災害観の比較表】
項   目
防波堤的災害観
沈下橋的災害観
機 能 外力を受け止める 外力を受け流す
効 果 備え(予防) 心構え(対応力)
自然との距離感 遠い 近い
利便性 高い 低い
安心感 高い 低い
災害に至った時のエネルギー 高い 低い
安全性 …… ……
※ヒアリング等から得た筆者の主観によるものである

  勝手な思想である点はお詫びすることとして、ここで着目したいのは、機能が違うため、どちらの考え方が安全性が高いとは断言できないという点である。
  今後の津波対策の基本となるハードでレベル1の津波(発生頻度=100年に1回)に備え、ソフトでレベル2の津波(発生頻度=1,000年に1回)に備えるという考え方に共通することであるが、要は自然と人間の関係性を断ち切らない仕組みが欠かせないということである。さもなくば、今後の科学的知見の進展や史実の確認作業により津波高さの想定が「フリー」になるということを“想定”すると、予想される“数値”にその都度左右され、対策の目標地点が定まらず対策が進まないという、それこそ“最悪”な結果を招きかねないのである。
  自然の力を意識しつつも、ここなら大丈夫とされた場所に避難したが、93人もが犠牲となってしまった気仙沼市の「杉ノ下高台」に代表される、「正しく行動したはずの住民が被害に遭った」という事実からすると、やはり防波堤のように一定の外力を抑える仕組み(備え)と、正しく行動する意識(心構え)の両機軸の関係性(バランス)が問われるのだと言えよう。
③ 自治体と自治体(あるいは公共団体)
  カツオの一本釣りで有名な私たちの町は、カツオの水揚げ拠点である気仙沼市と以前から交流があり、姉妹都市や応援協定を結んでいるという間柄ではなかったが、婚姻による血縁関係者も多数いるため、その住民や船員の親族の安否確認のため、2011年3月17日から3月22日までの間、気仙沼市で安否確認作業や若干の災害対応支援を行う機会を得た。
  しかし、被災後間もない時期に現地入りできたにもかかわらず、先に述べた姉妹都市や応援協定などの事前の関係性がなかったことから、できうる限りの支援に至らなかったとの反省がある。災害対応の専門家ではなくとも、同じ「行政マン」として、もっとできることはなかったか?と今でも反省する点である。もし、事前に自治体間レベルの関係性やルールがあれば、もう少し有機的な支援ができたであろうということである。これは、今後の自治体間のカウンターパート方式(対口支援)の分野で議論が深まることだろう。
④ 住民と行政
  残念ながら私たちの暮らす田舎の自治体ですら、住民と行政の顔の見える関係性が保たれていない。これは市町村合併という問題とも大きく関係している。土地勘もなく、住民の顔もわからない職員が増えるということが日常業務(住民側から言えば日常生活)に支障をきたしている(実務者からの感想)ことからすれば、現在も含め被災した自治体においてどれほど悪影響を及ぼしたのかは想像を超えているのかもしれない。このことから住民と行政の関係性を見直すことは大きな意味を持つと言えよう。→黒潮町の取り組みに発展する課題
⑤ 住民と住民
  住民同士のコミュニティが憂き目にあうという実情も、重要事項として考える必要がある。主にキャパシティの問題から、避難所で分断、仮設住宅入居で分断、高台移転先や復興住宅入居で分断されるということである。視点を変えると、その都度コミュニティを構築する必要があるということになる。論じるのはたやすいが、これはなかなかしんどい作業であり、被災者の孤立や孤独を生む主要因である。
  家を失い、家族を失い、職を失いつつも「みんなおんなじ状況だからやっていける」(南三陸町NPO関係者)この言葉の意味は重い。共同体としてのまとまりを大切にすることが重要であることを教えてくれる。
  また、大槌町吉里吉里のある地区では、仮設住宅建設用地の地主が「入居の順番は抽選でなく、元の集落の住民を優先する」という条件付きで土地を提供しているという例もある。住民同士の関係性を重んじ、守ったと言える特筆すべき例である。
⑥ 地域と地域(沿岸と内陸)
  岩手県遠野市における内陸部からの後方支援は日ごろの計画をうまく実行できた好事例として有名である。他にも消防団という単位で内陸部の分団が沿岸の分団の支援にあたった事例(気仙沼市消防団)、登米市の住民が南三陸町の支援(現在も現地ガイドや南三陸町のNPOのコーディネィト等を行っている)にあたるなど、さまざまな支援活動は枚挙にいとまがない。
  こうした事例を参考にすると、同じ自治体内における内陸部と沿岸部の支援体制の構図が容易に想像できる。この構図を実行可能なものとするため、沿岸と内陸の住民の交流の促進や、日常生活で公共サービスが利用しがたい環境にある中山間部への公共投資をどのように行うのかも再考すべきことである。沿岸部に集中投資されているという不満の出ない仕組み作りも必要となろう。生活圏が違うという壁を設けず、共同体であるという認識をもった関係性が必要不可欠であることを示している。
⑦ 行政と民間
  被災直後、気仙沼市から高知県庁へと被災地の状況を伝える中で民間の力が生かせていない場面に遭遇した。
  当時の物資提供は基本的には全国知事会で取りまとめ、自衛隊の輸送ルートに乗せるというものであった。道路事情や余震と津波が完全に収束していない状況下では当然のことではあったが、高知県庁に対して民間企業から多彩な物資提供の申し出がありながら、「指定品目」しか送れないという縛りがあったため、十分な提供ができなかったのである。被災地の多様性からすれば取りまとめも困難であったし、直後のタイミングでは大枠での対応が優先されて当然ではあったが、「民間活用」などと言われて久しいなか、民間との関係性がうまく機能しなかったという事例と言える。災害時における協定が各方面で結ばれているが、今一度関係性を見直しておくべきことを示唆している。
⑧ 行政と行政
  縦割り行政の弊害も関係性の再構築として触れる必要がある。一つ具体例を挙げるとすれば、高台への移転問題である。土地利用の各種規制という既知の問題の他、新たに土地を探し始めると「遺跡が出たので使えない」(南三陸町の例)という問題をもはらんでいる。
  この土地利用の規制について黒潮町で考えると「土地改良事業」により開拓した農地が高台に多数あるので、これらを農用地区域から除外するなど、被災前に特例を認めるという歩み寄りが必要になることが理解できる。農地のみではなく保安林や公園区域の他、文化財保護など多くの規制がある中で、予想される災害を踏まえた土地利用について、最低でも事前に区域設定をする作業は必要である。行政機関同士の積極的な歩み寄りが求められる。
  この歩み寄りの問題については、関東大震災の教訓からの「防火対策」、阪神・淡路大震災の教訓からの「耐震化対策」に代表されるように、大規模災害後は「予防」が重視されることから、東日本大震災の教訓は「事前津波対策」に傾注すると想像する。この事前対策実現のため、縦割り行政の関係性を見直した有効な土地利用計画の推進が期待される。

3. 最悪想定と向き合う町として

 これまで関係性の再構築の必要性を述べた。では、日本最大の津波予想が出された私たちの暮らす黒潮町はどうか?を紹介し、結びとしたい。
 首長以下複数の職員が東日本大震災の被災地を訪れ、また、さまざまな情報を得る中で、行政だけで立ち向かえる相手でない、ましてや防災担当者だけではまともに向き合うことすらできない難題であるということを痛感したわが町。住民にこの町で暮らすことをあきらめなさせないため、行政も本気かつ住民と共に取り組む姿勢が必要との観点から、苦肉の策もしくは禁断の一手とも言える防災対策に特化した職員全員の「地域担当制」なる仕組みを取り入れた。
 この背景として、黒潮町には2007年度~2009年度において地域振興を主眼とした地域担当制という仕組みがあったことが特筆される。これも2006年3月20日の合併(旧大方町と旧佐賀町)を乗り越えたタイミングにおける住民と行政の関係性を再構築する試みであったが、一定の役割を終え、いったん終息した仕組みである。今回は防災対策というテーマに絞り、再構築された地域担当制と言える。


【新旧地域担当制の比較表】
区   分
旧地域担当制
新地域担当制
主目的 地域振興(集落の維持・活性化、地域のコーディネイト) 防災対策(地域課題の広聴・行政活動の広報、住民と協働できる職員の育成)
副次的目的 職員の地域課題解決力を養成 住民と行政の関係性の再構築
地域の単位 行政区(部落) 消防団(分団)の管轄単位
地域(ブロック)数 61(1部落ごと) 14(1部落~13部落まで多様)
職員以外の主な関係者 地区役員 地区役員、消防団等(内容により学校)
対象者 全職員 全職員
地区当り配置職員数 平均4人程度(人口規模による) 平均15人程度(人口規模による)
退職等人事異動による影響 大(配置職員数が少ないため) 小(配置職員数が多いため)

職員地域担当制の概念図(黒潮町職員研修資料より抜粋)

 実際のところ、防災担当者でない職員が防災をテーマに住民の皆さんと議論するのは厳しい側面があるし、少々無理もある。専門性を欠くことから住民の不満につながるリスクもあるかもしれない。だが、「不満」の声も顔の見える身近な関係性がなければ届きづらいし、顔が見えなければ「不信」が募り、「住民」対「行政」の構図ができてしまうため日常生活もうまく機能しない。日常の社会ですら心配されることは、非日常である被災社会においては、あらゆる場面で悪影響を及ぼすことは想像に足ろう。
 本来は行政の人間も「住民」であるのだから、同じ住民レベルで、相互に役割を担うフラットな関係性が求められるのである。
 ただし、当然ながら防災だけが町の営みではない。人々の日々の暮らしがあってこそ集落であり、自治体をなす。
 超高齢化、人口減少、産業の衰退、耕作放棄、企業の撤退、雇用問題……地域社会には様々な課題が山積しており、いずれも「喪失感」を漂わせる。これらの問題を放置すれば、それこそ大きな災害というイベントを迎えるまでもなく、集落あるいは自治体そのものが喪失の危機にさらされる。いや、すでにさらされている。こうした現状を、役場職員が地域に入ることで身近に捉えることができれば、日常業務に反映できるという効果が期待できる。それぞれの日常の役割の中で、この町の在り方を主体的に考える機会となろう。
 住民と行政の関係性が再構築されれば、自治体は活性化され、基礎体力も上がる。また、共に考え、悩み、共に暮らし続ける中で、“その時”の対応の質は大きく変わる。この営みが町を離れる「震前過疎」や、つきまとう「喪失感」を吹き飛ばし、この町の在り方、この町での住まい方を共に生み出せるのだと信じてやまない。

「日常の関係性を育むことが非日常の力になる」

 次に大きな災難が予想される西日本の自治体職員として、このことを肝に銘じ、東北をはじめとする東日本の無念に報いたい。