1. はじめに
時代の転換期と多くの人が言う。しかし、その始まりはいつなのか、そしていつ転換期が終わるのか、私たちにはわからない。
転換期の続く大阪市建設土木行政の現場は、毎年のように体制が変わり、まるで朝令暮改のように、業務の方針を大転換することもある。
これは、職員の目標を失わせ、モチベーションを下げただけではない。度重なる業務改編のため、職員の憲法とも言うべき「建設局直営部門管理運営要綱」のいたるところが適用不能となった。指標を失った職員は混乱し、事業所によって市民や事業者に対する指示の内容、必要な提出書類や手続き方法が違うという、とても見過ごせない事態となっていた。
これは、法や規則を理解していないことが原因ではない。法や規則はわかっていても、みんな良かれと思って、地域の事情に沿った対応を繰り返し、それぞれに慣行・慣例ができあがった結果である。ただ、それは、度が過ぎると、市民や事業者にとっては大変困った事態となる。そして、実際に、再三再四、苦情が持ち込まれていたのだった。
この実態をどうにかしなければならないことはみんなわかっていた。そのため、ある担当業務(たとえば占用受託業務)では、繰り返し各事業所の担当者による調整会議を開いてきた。人事異動も活発に取り組んだ。
ところが、おもしろいことに、人事異動で別の事業所の担当になったら、ものの2~3ヶ月でその事業所の風土にどっぷり染まり、その事業所が行っている業務手法の正当性を頑迷に主張するようになる人が多い。調整会議は、いつも探りあいに始まり、やがて喧嘩になり、ため息とともに終わる。
しかも、昔のように、局の本課で強制的に業務要領を整理し、統一化を図ろうにも、IT技術の絶えざる革新によるデータ処理や書式の改正・変更、めまぐるしく変わる業務執行体制、さらには「職員数の削減」、これらの変化に追いつくことができず、誰も火中の栗を拾わないまま、年数だけが過ぎていった。
この状況下で、管理運営要綱を改正するなど、今までの手法が白紙になるほどの大きな業務改編がない限り、みんな不可能だと思っていた。
しかし、大きな業務改編が強制的に執行されるまでに、「建設局直営部門管理運営要綱」を整理し直す必要があった。
局・所属を横断した業務の一元化や、事業所の統廃合がいろいろとうわさされる中、新しい船に乗り換える前に、今まで直営土木として進めてきた業務について再点検・再整理し、業務スキルの向上が求められている状況だった。
以下の文章は、困難と知りつつも、「建設局工営所直営部門管理運営要綱」の改正作業に乗り出し、各職場や関係するセクションと血みどろの激論をくりかえしながら、1年半をかけて2009年6月にようやく完成を見た、わたしたち建設局工務担当の、ささやかな取り組みの報告である。
2. 業務執行体制変更の経過
大阪市建設局では、道路の管理にかかわる業務を行う出先事業所として、7つの工営所を配置している。
その工営所は、1994年10月に、大きな体制改編を行い、その際に建設局として「直営部門管理運営要綱」(以下、「管理運営要綱」)を全面改正するとともに、6部門に分かれた個別の業務についての「業務要領」を作成した。以降はそのマニュアルに沿って業務運営が行われることとなった。
それ以降の業務執行体制の変更の主なものを羅列すると以下のようになる。
① 1997年、「監督補助班」を「維持監督班」に改称し、技術系監督職員の補助業務から自立して、担当係長直轄で維持的要素の強い請負工事にかかる一連の監督業務を担うこととなった。
② 2000年、「占用受託班」における行政職員との業務分担の変更を行い、現業職員でありながら、よりいっそう責任ある公権力領域を担うこととなった。 ③ 2002年、行政区配置(24班体制)の「維持監督班」を、工営所配置(7班体制)に統合。 ④ 2005年、行政区配置(24班体制)の「維持修繕班」を工営所配置(7班体制)とするとともに、放置自転車対策業務・野宿生活者対策・放棄自動車対策の3業務を、行政区に配置した「管理班」(道路管理、道路不正使用担当)から分離し、「道路管理特別対策班」として、工営所配置(7班体制)にまとめた。 ⑤ 2007年、いちど工営所配置(7班体制)にまとめた「維持監督班」を、再度行政区配置に分離し、担当業務をボリュームアップして「調査監督班」に改称。また、「占用受託班」も行政区配置(24班体制)とした。 また、設備保全事務所の分散化で、「設備保全班」を工営所に配置(7班体制)、おなじように測量明示業務のうちの明示業務を本課から分離して「測量明示班」を工営所に配置(7班体制)した。 ⑥ 2008年、違反広告物対策を行う「道路適正化班」を新設(7班体制)。
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これだけの変更が行われながら、「管理運営要綱」はなかなか改正されなかった。
しかし、先にも述べたように、業務実態は各所属において大きなばらつきが生じるとともに、その「質」においても問題点が指摘されるようになっていた。
現行業務執行体制に見合うよう要綱を改正するとともに、その改正作業を通じて、今日的な状況と、市民の視点から、道路管理者のあり方を検討し、業務の質をもっと上げること。これが、何よりも必要な状況にあった。
問題は、それを誰がやるかであった。
一部、先進的な工営所の職員は、工営所のマニュアルは工営所の職員が関ってつくるべきだと主張したが、ほとんどの職員は、局の業務執行体制の変更に関った本課の各セクションが調整し、人事担当が「管理運営要綱」をまとめてくれるのだろうと他人事のように考え、自ら作成に関ろうとする人は少なかった。
3. 工務担当の仕事(?)として
建設局には工務担当というポジションがある。そこに、直営職員が8人配置され、工営所の窓口としてさまざまな調整業務や、研修など技術向上に関る仕事をしている。
2007年、技術向上を図る目的から、工務担当としてさまざまな業務に対する検証を加えたところ、浮かび上がってきたのは、道路管理者としてのプロ意識の欠落による、業務の質の低下だった。たとえば、埋設企業体や民間企業による道路占用や道路工事などの調整・管理を行う「占用受託班」において、復旧面積の立会確認や竣工検査体制が不十分であり、そのために「継ぎ継ぎ道路」が多く形成され、管理瑕疵の増加の恐れや、将来にわたる維持費の増嵩が見込まれるなど、本市の道路行政の「致命傷」になりかねない要素を内包していた。
もはや逡巡している余地はなかった。業務改革に意欲的な行政職員に勇気付けられたことも後押しとなり、主管課の担当がやるべきではないかという不毛な議論はもうやめて、その必要性を痛感している工務担当として、越権行為の批判も各工営所の反発も恐れず、業務改革と、「管理運営要綱」の改正作業に着手することとなった。
業務改革を実行するためには、現場の職員が自主的に見直す契機を作らなければならない。そこで、選択した手法は、徹底したヒアリングと実態調査、そして、各セクションの担当による「担当者会議(『部会』とも言う)」の開催だった。
着手してみると、予想通り、実に困難な仕事だった。調整会議ではみんな自分の正しさを主張して譲らず、ひどいときは、「管理運営要綱」とは関係のない愚痴の言い合いになることもあった。また、ヒアリングはまるで工務担当に対する糾弾会になることも少なくなかった。
ただ、救いは、「このままではアカン」と感じている職員が結構いたこと。とにかく、問題意識のある職員の意見を聞くよう、照準を定めつつ、時には水面下で話をし、会議ではボコボコに打たれながらも、まず「占用受託班」の項、それから「調査監督班」の項と、少しずつだが、まとまりはじめたのだった。
こうして、約1年半をかけ、多くの職員の協力もあり、業務執行にかかる関係法令や規定、基準を一通り網羅し、仕事の進め方についての決まりごとを明確にした「管理運営要綱」ができあがった。
つくることはつくったが、これからはこれを「憲法」として仕事を進めてもらうようにしなければならない。
4. 成果と今後
(1) 成 果
「管理運営要綱」作成作業の成果については、次のとおりと考えている。
① 「このとおりにやれば、一定程度の仕事の質は保たれる」という基準ができたこと。
② 一応、みんなの意見を聞いて作ったので、みんなの関心が高く、以前の要綱よりも確実に読んでもらっている実態がある。押し付けられたのではなく、ボトム・アップになっている。
③ 「管理運営要綱」は精神であり、基本である。他に業務要領や、仕様書、例規集など、業務に必要な「教科書」があるが、この要綱をつくったことで、規則・規定を読んで勉強する習慣が少しばかり根づいた傾向があり、他の「教科書」も読むようになった。
④ ヒアリングの結果、みんなの顔が見えるようになった。
(2) 今 後
さて、今後については、建設局の「朝令暮改」は当分収まりそうになく、これからも、業務改編が連続するとの話である。せっかくの「管理運営要綱」もおそらく1年か2年で書き換える必要がありそうだが、改正するべきところを差し替えればいいように、製本せず、ファイルで編集している。
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