【要請レポート】

第33回愛知自治研集会
第2分科会 「新しい公共」を再構築する

 戦災・震災に耐えた小学校が廃校となったが、校舎は地域の声により地域活性化の拠点として整備されることとなった。ここでは、地域活性化のための事業とともに、震災を語り継ぐ事業が、地域主体で展開される。



新しい公共 ―― 神戸・長田から震災15年
―― 旧二葉小学校の活用と<震災>を伝えること ――

兵庫県本部/神戸市職員労働組合・長田支部・人・街・ながた震災資料室

1. はじめに

 1995年(平成7年)1月17日(火)午前5時46分、神戸の街は「震度7」の激震に見舞われ、長田区も未曾有の被害を受けた。全国の皆様には献身的なご支援をいただき「人と人とが支え合うこと」の大切さを学ばせていただいた。
 震災後も人口減が続く被災地で中心市街地活性化が可能か―児童数の減少により小学校の統廃合が行われた旧二葉小学校の転活用への地域・行政・地元大学そして震災資料室の取り組みを紹介する。

2. 学校は地域の拠点

 阪神・淡路大震災当時、被災した市民は仮設住宅が建設されるまでの数ヶ月を避難所での生活を余儀なくされた。
 自治労は、神戸市長田区において10ヶ所の避難所と物資配送センターを運営した。3,000人が避難していた長楽小学校(現・駒ヶ林小学校、東京本部)と真陽小学校(長野、鳥取、神奈川県本部)の概要は表のとおりである。

学 校 名
避難者数
就寝者数
小 学 校
33,395人
17,120人
中 学 校
6,080人
5,000人
朝鮮初中級学校
150人
80人
高   校
9,550人
7,050人
神戸常盤大学
300人
200人
学校合計
49,475人
29,450人
避難所全体
66,446人
40,487人

 
人 口
高齢化率
全棟数
全半壊
り災率
避難所運営組織
長楽小学校
3,761人
18%
1,750棟
1,163棟
66.46%
阪神大震災被災者運営委員会
真陽小学校
5,776人
20%
2,676棟
1,982棟
74.07%
真陽小学校避難所対策本部・真陽がんばろう会

 当時、長田区災害対策本部が掌握した避難所は84ヶ所で、この内、学校は31校、避難者は49,475人で75%を占めていた。大都市の場合、人家が密集しているので学校の校区は狭く僅かな時間で行き来ができる。地元テレビ局が小学校へ避難した人々に聞き取り調査をすると「子どもが通っている」「自分も勉強した」「PTA活動でよく学校へ行く」「近くにあるから」があげられた。この前提には学校は「安全な建物」の意識がある。
  自治労が運営した学校の避難所日誌やメモ等を分析すると、自治労の責任者が運営委員会の副会長ポストに名前があげられており、組織ボランティアとして評価されている。注目すべきは物資班である。どの避難所でも物資班担当は区職員か自治労が担っている。また、安否確認の問い合わせに必要な避難者名簿も各学校で徹夜でつくられている。
 2ヶ月になる避難所生活の中で、一つの転機が近づいてきた。それは卒業式である。「体育館を卒業式に空けよう」との話し合いが各学校で始められ、感動の卒業式が行われ、被災者も地域の一員であることが再確認された。各地域では「まちづくり会議」が始められていた。
  真陽小学校で第2班の班長をされた宮澤博文さん(長野県本部)は「住民自治」とは、字のごとく、住む民(人たち)が自ら治めることであり、そのことを実行するためには、「統率力」と「慈愛の心」が重要である。と言われ、統率力は、避難所で避難者をまとめながら避難者同士の協力体制を確立し、避難者自身が避難所運営をできる体制に導いていくために必要である。「慈愛の心」は他者を慈しむ心さえ持っていれば、かばい合い助け合う気持ちが生まれ、辛いことを皆で乗り切れる体制が自ずと築かれる。と述べている。各避難所では頻繁に役員会(リーダー会)が開かれ、意思統一がされていった。

3. 人・街・ながた震災資料室と神戸学院大学の協働

 長田区役所職員は経験したことのない「場」で日夜震災復旧・復興業務に従事した。膨大な業務に対して市役所各方面からの応援はもとより、自治労ボランティアや各自治体からの行政派遣のお陰で何とか乗り切ることができた。この貴重な体験を風化させず後世に継承させるために1996年1月に職員記録誌「人・街・ながた1995.1.17」を発行し、1997年1月に「人・街・ながた震災資料室」を開設した。
 資料室は労使で運営協議会をつくり、日々の活動は震災を体験した職員らが中心になって行われてきた。主な活動は長田区関連の震災資料の収集・保存そして整理をして一般公開をしており、保存資料は避難所日誌をはじめ被災した夜間中学校の大時計や炊き出し用の釜、そして焼け出された遺品等30,000点以上にのぼる。また、語り部の活動として修学旅行生や見学者の受け入れ、各自治体の防災・危機管理の担当者との交流も行ってきた。1月17日には希望の灯りをともす「1・17神戸に灯りをinみくら」に参加している。
 そして特筆すべきは、2005年頃からこれらの取り組みに大学生・院生らがゼミ活動として加わっていることである。

4. 地域社会との共生をめざした大学の新しい役割

 神戸学院大学の水本浩典教授(人文学部)は「大学は学生をキャンパスに集めて、教師は黒板で教鞭を取る」のではなく、「実社会(地域)に送り出してこそ実力を高め優秀な人材になりうる場」と位置づけている。水本研究室はゼミ生に2003年度の授業のテーマを「阪神・淡路大震災」に設定し、授業の原則を教室での「学び」に重点をおいた。しかし、学生たちの学習行動は教室での「学び」を超えて被災地へ出かけて自分なりに「学び」を確認しだした。
 何人かの学生は区役所内にある震災資料室で調査・研究するようになり、併せて資料整理も手がけてくれた。(区役所内に学生がいることが常態となった)
 資料整理では、避難所資料と自治労資料の仮目録をつくり、各種刊行物も「所蔵目録」を作成し、神戸大学震災文庫の所蔵の有無をチェックできるようにした。
 これらの活動は、大学の中での学習という本来的に大学が指向する学習形態から、地域社会が大学の「学び」にとって大切なフィールドであり、地域社会そのものが教師としての役割を担える存在として位置づけることが可能であることを示したと言える。

5. 旧二葉小学校の活用・震災・地域活性化

(1) 旧二葉小学校の保存活用の取り組み
旧二葉小の校舎  
  旧二葉小学校は、阪神淡路大震災で大きな被害にあった長田区の南部にあり、震災当日は学校のすぐ際まで大火が接近したが、類焼することなく、最大約2,000人の方が避難生活を送った学校である。児童数の減少によって、2006年4月長楽小学校と合併され駒ケ林小となり、新校舎が長楽小用地に建設されることから、旧二葉小は廃校となり、校舎も解体される計画であった。
 二葉小は1929年に設立され、校舎も当時に建設されたもので、窓や廊下のアーチが印象的で、様々な箇所に工夫を凝らした意匠が残り当時としてはモダンな建築物である。建設当時、地域住民からの寄付や住居移転など地域の協力があり、また、戦災や震災を乗越えてきた建築物であり、地域のシンボル的建物として存在してきた。
 2007年6月に地域の自治会、婦人会、商店街、TMO,PTAなどによって、旧二葉小の保存活用に取り組む『旧二葉小学校の活用検討員会』が結成された。検討委員会は地域住民やNPOのメンバーなどの参加により2回のワークショップを開催、地域でのアンケート、活用方法の検討作業を行い、神戸市へ保存活用を要望する中で、市は校舎を耐震補強した上で保存活用する決定を行うに至った。その後、検討委員会は地域への報告会や3つの作業部会(「交流居場所作り」「地域文化・震災学習」「生涯学習」)などの取り組みの後、2008年4月には、検討委員会から市に対して、「地域の特色を活かすとともに、地域・社会・時代のニーズに即し、地域の活性化に寄与する活動」「旧二葉小学校にしか出来ないことの発信」「地域における多世代、多文化交流の拠点とするとともに情報の発信を行う」を活用の趣旨とする『活用提案』が提出された。検討委員会は、使われない校舎を掃除する「お掃除隊プロジェクト」や今後の事業の可能性を検討し、広く旧二葉小の活用事業を知ってもらうために、「旧二葉小まちの文化祭」をはじめ「全国路地サミット」「コスプレイベント」「ダンスパーティ」「キムチ作り講習会」「アート企画展」などを開催し、今年6月には、駒ケ林小4年生を対象に「震災体験学習」を行ってきた。

(2) 地域人材支援センターの開設と震災関連事業の展開
 市は、2009年4月に、地域の活用提案を踏まえて、旧二葉小を地域活性化の拠点として整備する「素案」を発表した。そのコンセプトとして、「交流・学び(震災体験学習の場・環境学習・生涯学習などの場、教育・地域連携センター)」、「歴史・文化(地域文化、食文化、音文化の拠点)、「ものづくり(ロボット・ものづくりの場)」が示された。更に6月になり公の施設としての「地域人材支援センター」として整備し、改修後2010年11月にオープンすることに決まった。
 「地域人材支援センター」は、「市民が行う地域活動に一層多くの市民が参加できるような支援を行うとともに、地域社会に関連する様々な交流、学び、歴史、文化及びものづくりに市民が触れる機会を設け、もっと地域の活性化を担う人材の育成に資する」(「神戸市立地域人材支援センター条例第1条」)ために設置されることとされている。
 このセンターには、震災体験の継承事業や生涯学習などのための会議室(7室)のほか、調理室、音楽室(2室)、多目的室(2室)、講堂などが設置される。また、地域の事業との連携を想定し神戸市が設置する事業(施設)として、神戸ロボットテクノロジー構想の推進拠点でロボット・ものづくり工作教室も行う「神戸ロボット工房」、地域の高齢者が元気で生き甲斐を持って暮らせるよう支援する「高齢者のふれあい・学びの場」、環境教育の場としての「エコエコひろば・KOBE環境大学」、学校のニーズに応じた支援を行う「教育・地域連携センター」、 地域の親子に心安らぐ居場所を提供する広場型子育て支援センターである「神戸常盤大学子育て支援センター」、地域との連携・交流を展開しようと神戸学院大がセンター内に拠点を置く「神戸学院大学地域研究長田センター」も併設される。

(3) 今後の課題

駒ケ林小での震災体験学習(今年6月)

 センターは、検討委員会が基礎となって設立された「NPO法人ふたば」が指定管理者となる予定で、センターの中心的事業の一つとして震災を語り継ぐ震災体験学習が準備されている。
 震災資料室では、地域人材支援センターのオープンに合わせて、センターで、震災資料展の開催を計画している。今後も同センターで行われる小中高生への震災体験学習事業や震災関連事業にも連携・協力しながら、震災で学んだことを多くの方に伝えていきたいと考えている。
 また、「神戸学院大学地域研究長田センター」は、長田区の食文化や二葉小学校に保存されていた郷土資料を基礎にした連携事業の他、震災資料の調査及び資料保存、震災の「記憶」を後生に伝えるための「聞き取り調査」、「地震・環境測定装置」を使った事業などが計画されている。このように、地域人材支援センターでは、重層的に震災に関する取り組みが行われることになり、これが、このセンターに集う様々な組織・グループと連携した形で展開されることができれば、これまで以上に、長田から<震災>を発信することが出来るのではないかと考えている。
 長田南部地域は、高齢化率が高く、震災後の商業者などの苦境も続いている。そのような地域の中で、「行政が主となり事業を推進することで、地域団体の地域活性化に対する取り組み、思いを活かせなくなるより、地道だが継続的な活性化を地域から主体的に進めていく」(「都市政策」2010・7月号、今西敏男『旧二葉小学校の転活用と活性化について』)旧二葉小学校での取り組みは、今後の地域活性化のモデルにもなるであろうし、市民の活動と行政の関係をとらえ直すきっかけともなるのではないだろうか。そして、そのような取り組みの核に多くの方の<震災>への思いがあることの意味は重要である。

6. むすびにかえて

 大震災の光景は生涯忘れ得ないことであり、全国からの支援は被災自治体職員に持続する力を与えてくれた。そして「人と人とが支え合う」ことの大切さを学んだ。
 被災地で働き、生活する私たちが「新しい公共」―旧・二葉小学校の活用が11月にスタートする。全国の皆さんにご報告をし、ご意見をいただきたい。あらためて当時のご支援にお礼を申し上げたい。