1. 十和田市職労の過去の自治研活動
自治労の「自治研活動」は通常の労働運動の経済的、身分の安定を求める活動と共にとても大切な活動であると認識しています。
今日、各産別の労働運動や地域の労働運動は時代の流れともいうべきか停滞を余儀なくされていると私どもは考えています。しかしながら、「眠れる獅子」といわれる自治労がこのような状況下であっても全国的にも地方的にも存在感のある所以には、「自治研活動」があったからではないかと思います。
自治労は昭和30年(1955年)に発足していますが、この自治研活動は2年後の昭和32年(1957年)からスタートしたことからも、いかに自治労が自治研活動を大切な運動体としてきたかが理解できます。
しかし、最近、この「自治研活動」も元気がなくなっているのではと気になるところですが、私ども十和田市職労は、いろんな分野、いろんな取り組み方で自治研活動を継続的に繰り広げてきたと考えます。
代表的なものとして広域行動の下で発生した「十和田食肉センターの身売り阻止と職員の身分を守るたたかい」「市土地開発公社を舞台とした不急不用の土地転がし事件」「学校給食センターの臨時職員正職員化のたたかい」、そして、「児童館の市直営化のたたかい」や「学校給食センターの民間委託阻止のたたかい」など、いずれも、自治体をめぐって利権や利害、不正や腐敗構造とたたかってきた経緯がある活動です。
最近では「市立中央病院再建への取り組み」もありますが、現在、地方公営企業法による全部適用に移行した状況であり、今後の報告としたいと思います。ただ一言触れると最近労働運動が停滞している中で、市職労と病院組合員の現場目線と市民目線を踏まえた運動で今後の新たなたたかい方の一方向を示しており、評価できる活動でもあります。
2. 奥入瀬クリーン作戦と究極のエコの社会貢献活動
さて、前置きが長くなりましたが、この度の自治研活動として「奥入瀬クリーン作戦」を報告させていただきます。
報告する私たちは、27年程前からのこの活動をどのように報告すべきか、多少ためらいもありましたが、内容的には、今でいう市民と共にあるエコ活動で、社会的貢献活動そのものであると考えます。
奥入瀬川とは、十和田湖を水源地とする「天下の渓流美」であります。しかも歌人―大町桂月先生によって全国的に紹介され、国立公園「十和田・八幡平」の一面をなす名川です。
私たちが毎年、奥入瀬川クリーン作戦として展開する場所は、水源地の十和田湖・子の口から太平洋の河口まで約70キロの内約30キロぐらいで、クリーン作戦は十和田市、六戸町及びおいらせ町の三市町地区で行われます。
渓流美の奥入瀬川部分の約13キロ程度は児童、生徒や、大人の皆さんによるごみ拾いなどのボランティア活動がいろんな諸団体により行われておりますが、中流や下流については、殆ど取り組みがありませんでした。
この奥入瀬川の上流はご承知のとおり観光地であって、中流下流はいってみれば農業のかんがい用水、水力発電並びに生活用水として利用され、川魚の宝庫として地域住民の「命の川」「母なる川」として親しまれている川です。
3. 困ったもの、奥入瀬川が不法投棄の場
この「命の川・母なる川」が汚れ、河川敷には多種多様のごみが不法投棄され、きれいな川に棲む川魚が少なくなっている現状でした。
川の汚れは、高度経済成長と共に目立つようになりました。水質は直接測定した訳ではありませんが、石ころにぬるぬる感があったり、ガラス破片、ブリキ缶、ビニール類等が水面や河川敷に散見されました。更には農薬等の影響もあったと考えられます。
このようなことに心ある市民は、「困ったものだ、何とかしなければならない。かつての清流を取り戻さなければならない」こうして一部市民が立ちあがり、クリーン運動がスタートしました。27年前のことです。
特に、この奥入瀬川の上流は渓流美で美しい自然美を誇っていますが、農業用水、生活用水の他に毎年、鮭や鱒が遡上する川で、流域住民の貴重な蛋白源としての食材も提供してきました。
4. 地域に密着している奥入瀬川
このような状況で青森県では明治の後半、流域沿いの十和田市相坂字白上の湧水地に青森県内水面水産試験場を設けるなど、鮭、鱒の養殖孵化事業に力を入れ、今日も存続しています。
加えてこの清流奥入瀬川には、以前からウグイ、アユ、ニジマス、ヤマメ(サクラマス)、フナ、コイ、ウナギ、カジカ、カニなどが生息するなど川魚の宝庫で身近な川でした。
それらの証として、今では統一して「奥入瀬川」ですが、それまでは市町ごとに十和田市の部分は「相坂川」、六戸町では「六戸川」、旧百石町(おいらせ町)では百石川といわれておりました。
そして、大元の奥入瀬川鮭鱒漁業協同組合の他に十和田湖町漁業協同組合、藤坂漁業協同組合、奥入瀬漁業協同組合並びに六戸町漁業協同組合などが存在しておりました。(現在は一つの組合に統合)
このように奥入瀬川は地域住民の生活に密着し、将来に有形・無形の財産として、清澄な川として引継ぐためにもとの声が高まり、奥入瀬川のクリーン運動が始められました。
5. クリーン運動に立ち上がる
時は昭和59年(1984年)春でした。かつて青森県内水面漁連の会長でもあった大江勉氏(元市会副議長・故人)が恵みの川、母なる川、奥入瀬川の汚れ、ごみ捨て場になっていることを憂いてクリーン運動に立ち上がりました。
彼は市長を表敬訪問し、川の汚れを憂いこのままではいけないとして具体的な行動を起こすために、担当課での協議となりました。市は公益である河川の管理は県であるものの、川の汚れやごみ除去のため、どのような行動をすべきか、その方策を見いだせないでいました。
私たち環境衛生担当課の現場にいる市職員(自治労組合員)にとっては、川のごみ拾いや川の汚れを除去するということは並大抵のことではありません。継続的な運動と市民意識のモラルの向上を待つしかありません。
どうすれば、かつての清流を取り戻せるのか種々悩みました。どのようなことから活動するべきか、思い当りませんでした。しかし、クリーン運動を立ち上げた大江勉氏は官民一体で進め、民が主導する形で、実施できるものから行動を起こそうということでした。
そして、運動は単年度で終わることなく、継続をしていかなければなりません。いろんなイベント、アイディアを凝らし、広く市民や企業、団体、関係機関と共に進めていく必要性を説いてきました。
6. 第1回クリーン運動スタート
第1回目は昭和59年(1984年)10月、小雨が降る中、奥入瀬川浄化運動として、青森県内水面漁連主体の「愛魚週間」と併せて開催し、川の汚染状況を確認しながら、河川敷のごみ拾い活動を約200人の参加者と共に行いました。
終了後は鮭鍋をほおばりながら、ごみの量(12トン)に驚きながら、河川敷や川が心ない市民によって不法投棄の場になっていることを知りました。
翌年9月、2回目の活動が展開されました。この時も小雨でしたが実施し、約300人の参加者がありました。新しいイベントとして「鯉の稚魚」五千匹を放流しました。
ごみの量は1回目と同様の量で12トンで大変な量でした。ごみの種類はテレビ、自転車、冷蔵庫などの粗大ごみ、古タイヤ、堆肥等、古い農機具等の産廃など色々で、川や河川敷は正に人目につかない不法投棄の場といった状態でした。
3回目は、1~2回の反省として、子どもたちが参加できる夏休みに実施、子どもたちが楽しんで参加できるイベントで親と共に参加できる方策を検討しました。
ニジマスの掴み取り、淡水魚展示、焼肉等のサービス、水生生物入りの下敷きなどをとりいれました。この結果参加者数は500人程度程となりました。
7. 小中学生による環境標語の公募―応募標語数23回で10,000件
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【近年、親子連れで参加する市民が多くなっています】 |
そして、4年目の4回以降は流域市町の小中学生に、川や緑、自然に関わる「環境美化標語」を募集することとなりました。標語の審査は関係市町の教育委員会に依頼し、特選、準特選、入選者に対しては賞状と記念品を贈呈することとしました。
応募作品の最も多い時で8,750点程あり、現在も続けられ、23回目を数えており、これまでの応募件数は10,000件を超えております。
中心的事業である奥入瀬川クリーン作戦は本年で27回目を数えています。当十和田地区では、最も多数の参加によるボランティア活動ではないかと言われています。
27回(15回は雨のため中止)の合計参加数は約19,300人で1回当りの参加数は742人となっています。ごみの量の推定数量を把握していない回もあり総量は報告できません。
しかしながら、1回目~2回目頃の数量は1回当り12トンという大変な量でした。しかし、今日では1回当りのごみ量は1トンに満たない状況で、昨年は420キロ、今年も300キロ以下でした。 クリーン作戦した後のイベント若しくはアイディアもこの27年間の取り組みですから多種多様でありますが、参加者が期待するというか人気のあるものについては固定的な取り組みになっています。
固定的なイベントとしては、県内水面水産試験場による「淡水魚展示会」「虹鱒の掴み取り」「クリーン抽選会」「魚入り下敷配布」「焼肉サービス」です。
このクリーン作戦が今日まで継続し、平均して700人余りの市民参加が得られていることは、一つには、役員をはじめ市当局、県当局並びに関係企業、関係団体の惜しみない支援と協力体制があるからであろうと考えています。
8. 5年前から広葉樹の植樹活動
更に5年前から豊かな水源確保というか広葉樹を植え、鎮守の森を創ろうということでナラ、クリ、ブナ、ケヤキ、エンジュなどの広葉樹の植樹を毎年1,750本ずつ行いこれまで8,750本を数え、明年で10,000本を超える予定です。
こうした奥入瀬川のクリーン作戦、小中学生の環境標語の公募並びに植樹活動の三つの事業が毎年できるのは市の外郭団体の協力体制があること、事務的部分の大部分を支援してくれること、市の土木担当課や生活環境課並びに県の県土整備部や土地改良関係事業所そして、何よりも関係企業や関係団体が積極的に協力していただいているからです。
特に、関連企業からは毎年一定の会費のほかに、企業の製品である各賞品も数多く提供していただき、これらがクリーン抽選会で当選賞品として参加者に配布されていることもあります。
河川敷等の清掃活動(ごみ拾い)が終ると全員クリーン広場に集合しますが、その際、清涼飲料や焼肉等の準備についても食肉加工業者等の協力をいただくなど、いろんな協力で成り立っている事業です。
ちなみに、これら事業に対する市の補助金は年14~15万円ですが、企業や関係団体等からの支援金は市の補助金の十倍以上になります。
クリーン抽選会には数多くの企業から各賞品が提供されるが、それらを金銭換算させていただくと百万円を超えるだろうと考えられます。
奥入瀬川クリーン対策協議会には関係機関企業、団体、個人など合計で83団体が参加していますが、初代の会長は、「市民一丸となって奥入瀬川クリーン作戦を展開したい」と述べるとともに、「川まつり」にしたいものだと語っておりました。
それは、国立公園、奥入瀬川の渓流と美しい自然から湧き出る水源を元に、不毛の原野であった三本木原台地が開拓されて以来150年の歴史のなかで今日の十和田市があることを考えれば「川まつり」構想は「なる程」と考えます。
官と民が一体となったクリーン作戦、まだまだ未熟で一部の活動でしかないと考えますが、もっと視野を広げる活動を展望しているものです。
8月の第1日曜日はクリーン作戦の日と定めています。今年も700人程の参集がありました。市民の皆さんが喜んで積極的に参加していることが何よりです。最近、各企業、団体から自ら参加したいとの声も出てきており、運動の裾野が広がっていくことへの期待が高まるばかりです。
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【清掃が終わり、清流を取り戻す奥入瀬川】 |
【集められたごみ、今ではこんなに少なくなりました】 |
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