【自主レポート】 |
第33回愛知自治研集会 第2分科会 「新しい公共」を再構築する |
「新しい公共」。おそらくブレア政権時代に端を発するであろうこの言葉が、近年の日本では、自治体の財政再建の文脈中で語られることが多い。しかし、財政上の理由から、行政の業務を市民セクターに無理に委ねるのではなく、フレキシブルなNPOが行政の弱点を補完してきた側面を忘れてはならない。現場の実例から、市民、企業、NPO、公共の現場、それぞれの弱点と長所をつなぎ合わせる「新しい公共」について考えてみた。 |
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1. はじめに 少子高齢化の進行のため、今後の日本社会は人口減少時代に突入し、少ない納税人口で、増大傾向が著しい社会保障などを支えていかなければならなくなる。当然、いままでのように公共サービスの大部分を国や自治体などの第1セクターが賄うことは困難になる。 2. 「かたづけ・たい」の発足とその効果 「かたづけ・たい」が発足したのは2002年。大阪市では、不動産販売や風俗営業などの派手な色のチラシが、町中の電信柱や交通標識、道路標識の支柱に張られ、町の景観を著しく損なっていた。また、のぼりや店頭看板、パンフレットラック、置看板(交差点などに店頭から離れて掲出された看板)などが道路空間を占用し、通行の支障となっていた。 |
2002年から2004年にかけて、「かたづけ・たい」による撤去枚数が増えるにつれて、大阪市全体の撤去枚数が減少しているのが一目瞭然である。これは、「かたづけ・たい」の活動が活発になるにつれて、違反広告物そのものが減っていったことを示している。広告物を掲出していた業界が、次第にチラシを張らなくなってきたのだった。それも、グラフにある通り、約3年で除却広告物が半減するほどの目覚ましい効果となって表れている。 3. 「かたづけ・たい」の定着と発展 次に、「かたづけ・たい」が、どのていど地域に定着したかについてみてみたい。 |
認定団体数は、2007年、2008年ころをピークに横ばいだが、活動員数は増加し続け、市民団体、法人をあわせて5,000人に迫ろうとしている。 4. まとめとして 「かたづけ・たい」の成果は、「新しい公共」について、いくつかのヒントを与えてくれる。 |