【自主レポート】

第33回愛知自治研集会
第6分科会 自治体から子育ち支援を発信する

子どもたちの未来に、夢と希望を
小郡市の未来に、展望を

福岡県本部/小郡市職員労働組合 成冨 由弥

1. はじめに

 今年、保育の業務に携わり20年が過ぎました。
 この間、子どもたちの笑顔に包まれ健康に保育業務が遂行できたことを、幸せに思います。しかし反面、子どもたちは幸せだったのだろうかと考えると、反省と自責の念にかられることばかりです。子どもたちの生活は、大人の都合に振り回されてはいなかったでしょうか。
 子どもたちを取り巻く環境は20年前に比べ少しずつ変化し、個人主義的発想により食事、生活、遊びに至るまで、効率よくスマートに変わってきました。
 私の幼少期には、近所の子どもが異年齢の集団をつくり、群れとなって遊んだ記憶があります。また、隣のおじさんに魚捕りを教えてもらい、近所のおばさんには焼き芋をごちそうになり(もちろん叱られることもありましたが)、人情や自然の営みに触れ、心の豊かさを育んだように思います。
 2009年、今の時代はどうでしょうか。
 生活が便利になった半面、その事による影響が、社会全体のあちこちに歪となって出てきているように思います。子どもの育ちに、影響が出ていることも無視できない事実です。
 産まれたばかりの乳児の頬笑みは、昔も今も変わりありません。その笑顔を曇らせているのは私たち大人であることを自覚し、大人社会の責務についてもっと模索することが求められているように思います。

2. 少子化と地方分権

 近年、少子化が今後社会に及ぼす影響について重要視されはじめ、国の施策として様々な規制緩和措置や予算措置がなされてきました。しかし課題の解決にはつながらず、今後は子どもの育ち全体の環境を整える、幅広い保育施策への根本的転換が求められているように思います。
 2000年4月に「地方分権一括法」がスタートしました。これを受け、これまでの国庫補助金による公立保育所運営費は一般財源化されることになりました。
 地方分権改革の意義は、『地方公共団体の自主性・自立性を高め、住民に身近な行政を出来る限り身近な行政主体において処理し、地域住民のニーズを迅速かつ的確に反映させる観点から、国の権限を都道府県に、都道府県の権限を市町村に積極的に委譲すること。』だとされています。ある意味、上級・下級機関の関係ではなくなり、自由に自分たちの発想で、まちづくりができることだとも解釈されます。
 税制改革がないままの税源移譲や地方交付税の削減などが行われたために、公立保育所運営費の一般財源化は、民間委託に拍車をかけるものとなりました。しかし反面、子どもの育ち全体の環境を整えるための、地域の子育ち・子育てについての議論や、地方分権についての議論を進める一つの契機にもなりつつあります。
 このことについて、旧小郡市立宝城幼稚園におけるこれまでの取り組みを通して考えてみたいと思います。

3. 宝城幼稚園休園後……。

 2000年、小郡市南部に位置する小郡市立宝城幼稚園は、行政側による財政難を理由に一方的な休園方針が打ち出されました。保護者の不安はとても大きかったのですが、行政側は再検討することもなく、翌年3月末で休園としました。
 この時の地域の反応はどうだったのでしょう。「財政難なら仕方ない」という気持もあったかもしれません。
 休園の翌年より、「味坂、御原のこどもたち、み~んな集まれ」というイベントを旧宝城幼稚園で開催しています。最初は幼稚園職員や小郡市職員労働組合の呼びかけにより、旧宝城幼稚園の保護者や地域の区長さん方と一緒にイベントを開催しました。
 イベントの開催には、「過疎化しつつあるこの地域に、子どもたちの声をこだまさせ、地域に元気を取り戻したい」という地域住民の思いがこめられていました。この思いは、宝城幼稚園が休園になり、地域住民の心にはっきりと見えてきたものでしょう。
 あれから9年が経過し、今では、宝城中学校区の区長さん方を中心にイベントが開催され、民生委員さん、地域で活動している団体、個人、そして地域の子どもたちの積極的な参加があります。来賓には、当時休園の方針を示した教育長、小郡市議会議員の方々など多数の参加があり、たいへんな賑わいをみせています。
 では何故、これまで目標としていた『宝城幼稚園の再園を要望する』イベントが、主催者や参加者が変わり『地域の活性化について共に考える』イベントに変化していったのでしょうか。そこには、地域住民の意識の変化がうかがえます。
 休園と共に再認識された地域住民の思い、それは、『この地を愛するが故に、将来にわたってこの地を住みよいまちにしたい』という思いではないでしょうか。
 では、地域住民の意識が変わる契機は何だったのでしょうか。それは、幼稚園職員の幼児教育にかける熱い思いと、地域を愛する住民の心とが通じ合い、子どもを中心とした交流が深まった為だろうと推測されます。この時、幼稚園職員の既得権益を確保したいという姿勢は全く見えず、地域の課題を共に解決しようとする姿が輝いていたように思います。
 これは、小さな土地での事例ではありますが、(私が考える)地方分権の本来の意義に基づいた、まちづくりの姿ではないでしょうか。このことから、地域(行政区)が地方行政の下請け的存在となるのではなく、もっと地域住民が主体的にまちづくりに取り組めるようなシステムづくりが必要だと感じます。もし、地域住民の意識が積極的に地方自治に向けられ、また主体的に地方自治に参画できる体制が整っていたら、今回のような一方的な休園問題は起こっていなかったのではないかと思います。
 この休園問題を通して多くの事を感じ学ばせてもらいました。まだまだこの地域における住民自治の在り方は、発展を続けているところであり終わっていません。
 間もなく、休園から10年目を迎えます。これまで同様、今後もこのイベントに参画し、多くの事を学んでいけたらと思います。

4. 自助・共助・公助

 ここで、これまでの幼稚園の取り組みについて地域自治(自己決定・自己責任による住民自治)の視点から考えてみたいと思います。
 東京家政大学 網野武博教授によると、昨今の子どもを取り巻く環境について『子育ての中核にある実の親や身内・親族の私的責任を自助、社会的責任を共助、公的責任を公助として位置づけるとき、悠久の子育ての歴史にみる共助という普遍的原理が機能しにくくなった20世紀後半の日本社会では、意図するとせざるとにかかわらず子育てにおける自助のウエイトを必然的に肥大化させてきた』とあります。
 確かに、子育ての中心となるのは親であり家族であると思いますが、家族形態の在り方も、親の勤務形態も様々な中、自助にかかる負担は膨大であると考えます。そこを補完していくのはこれまで共助(近隣の人々、地域住民、市民、様々な団体やNPO、その他法人等)とされていましたが、そこが機能しないままに公助が介入していた図式があります。
 現代社会の子育ち・子育て環境は、子どもの存在に価値を見出すことができる環境といえるのでしょうか。毎日の新聞やニュースを見る限りでは、環境が整っているとは言えないように思います。いま子どもにとって必要なのは、子ども自身の成長、発達を促し、最善の利益を見出すことのできる環境を整えることではないでしょうか。
 そのためには、国民全体、地域社会すべての人々が、次代を担う子どもたちの社会的親としての意識と自覚をもつことが最重要課題ではないかと思われます。
 以上の内容から地域住民による地域の子どもたちを守ろうとする前述した取り組みは、まさに地域の子どもたちの社会的親としての責任を果たそうとするためにつくられたネットワークであり、イベントであると考えられます。
 この共助ともいえる地域住民の主体的な地域ネットワークが、各地域に展開されれば、子どもたちの安心、安全な日々の暮らしが保障されるでしょう。また、子どもたちは、将来にわたり、人を愛し郷土を愛する人間性豊かな社会的親へと成長していくことだろうと期待されます。

5. 保育現場の現状

 暮らしの変化により、子どもたちの姿にも変化がみられます。具体的には、食生活、生活リズムの乱れによる体力の衰えや無気力感、自己コントロール欠乏等、子どもたちの健全な発達保障が奪われている現状があります。保育を遂行していくにあたり見えてくる課題に、保育士自身が悩み戸惑うことも多く、子どもの学力の二極分化といわれる昨今、すでに就学前からその差がみられる傾向にあります。
 その原因のひとつとして考えられるのが、「子どもの貧困」です。
 「子どもの貧困」は、基本的に親・保護者の生活水準に左右されるため、無保険の保護者は子どもが熱をだしても、すぐに病院へ連れていけないなどの現状もあり、保育現場ではまさに「子どもの貧困」や「健康の格差」を目の当たりにしている毎日であるといっても過言ではありません。
 このような子どもの家庭的背景を見たときに、自己責任(自助)ではどうにも解決できない現状があります。家庭の経済的な悩み、保護者の子育ての悩みなど、今まさに子育て支援センターがパンク状態で活動し、子育て相談員は粉骨砕身している状態です。
 また、子育てしていく上での経済的負担に関して言えば、今の社会の雇用形態では、「社会的、文化的生活」をするには程遠く、子どもの命をつなぐのがやっとです。非正規雇用労働者が増加し、低賃金、過重労働、雇い止めなど、雇用状況が不安定な中、正規職員にとっても働きにくく、子育てと仕事の両立で悩む親も増えてきている現状です。
 こうした生活実態の不平等の解消を、国の施策として早急に着手しなければ、ますます生活の格差・教育の格差は広がり、貧困の再生産が繰り返されることになるのではないでしょうか。それと同時に地域企業・事業主等が、労働条件などの働き方の見直しを進める子育て推進事業も大切になってくると思います。
 全国の民間を含む保育労働者についても、保育士としての自信と誇りはあるものの、労働条件が十分に整備されていないため、結婚や出産後も引き続き保育現場に勤めることが困難になっています。保育士の生活を守り、保育の質を保つことも容易ではありません。保育士自身の生活を守ることは、保育所の子どもの育ちを守ることにもつながる、ということを根底に据え、全国の保育士の労働条件改善へ向けての更なる議論も求められます。

6. 次世代育成支援後期行動計画

 各課の連携強化を図りながら子育て支援を行う方法の一つとして、『次世代育成支援後期行動計画』の策定があります。行動計画の策定にあたっては、子どもの権利保障を最優先に考えなければならないと思います。そのためには、子どもの権利保障を基本目標に掲げるか、『子ども権利条約』に基づいた『子ども条例』の制定が考えられます。あわせて、子ども一人ひとりを乳幼児期・児童期・青少年期にいたるまで大切に見守るために、健康課、福祉課、教務課等の密接な連携が必要だと思います。また、前期の『次世代育成支援行動計画』の進捗状況について、行政職員によるコーディネイトのもと各行政区で評価し、「わがまち次世代育成支援行動計画」を策定してみるのはどうでしょうか。地域における子育ち・子育て事情は様々な中、その地域に見合った子育ち・子育ての方法を地域住民が知恵を出し合うことで、住民同士の連携が強化されると共に、地域への更なる愛着も生まれるでしょう。また、豊富な地域資源を生かし、食育の視点も踏まえながら、子どもや高齢者も含むすべての地域住民にとってより良い環境とはどのようなことなのかを共に考え構築することができるでしょう。子どもを守ることは、自分自身を守ることにもつながることを再確認できるような「まちづくり」が推進されるのではないかと思います。
 もちろん、公的支援を求める地域の声には耳を傾ける必要もでてきます。地域を構成する家庭、地域、保育所・幼稚園・学校、事業所などの主体が、それぞれの果たすべき役割を認識し行動指針を掲げ、パートナーシップを推進していくことで、よりよい子育ち・子育ての環境が生まれるのではないでしょうか。

7. 公立保育士として……。

 子どもを中心とした住民自治を推進するコーディネーターとして、保育士は最適ではないでしょうか。子育てについては豊富な知識と経験をもち、また日々の家庭訪問や行事等を通し、地域住民との密接なつながりもあります。地域の子育て事情を把握するにも、区長・民生委員による実態把握は困難な中、公立保育士の存在は不可欠です。今まさに、「見ようとしなければ見えない、子どもの貧困」について直視している専門的職種であるといえます。公立保育所の現場から見える子どもの姿を、地域へ情報提供し、共に子育ち・子育てについての思いを共有しながら、課題解消へ向けての糸口を探していけるのではないでしょうか。
 ところが、現在の公立保育士はほとんどがクラスを担任し、保育内容を通した子どもの発達保障を展開しています。子どもの姿から家庭支援に積極的に取り組んではいるものの、勤務時間外の活動がほとんどであり、地域子育て支援を含む住民自治に取り組んでいくには、今の人員ではとても難しい現状です。
 厳しい財政事情の中で職員の増員は認められないと思いますが、子どもが守られ安心して子育ち・子育てできる環境が整えられれば、子どもの未来は保障され、誰もが住みよい、明るいまちづくりが展望できると思います。
 子どもの家庭的背景にはかかえきれないほどの悩み、不安があります。例えば、親子で家庭にひきこもり、子どもが虐待(ネグレクトや精神的虐待)を受けていた事例もあります。ある保護者は社会にあきらめさえ感じています。そんな中でも保育所を利用する家庭は、保育士に少しばかりの信頼を寄せてくれるので救いです。未就園児は誰にも気づかれることなく、じっと痛みに耐えているかもしれません。その子の親も助けを求めていることでしょう。
 すべての子どもに、夢と希望がもてるような人的・物的環境を整えることが私たち大人の社会的親としての役割です。保育所に通う子どもだけでなく、その地域に住む、すべての子どもたちの育ちを保障するのも公立保育士の役目とも考えます。状況がすぐに変わる事はないと思いますが、十年後、二十年後、三十年後の社会に展望をもち、今、変わろうとする努力が必要ではないかと思います。

8. あとがき

 提言書の作成にあたりそれなりの覚悟や勇気をもって文章化してみたのですが、読み返してみると、思いが先走ったずいぶんと身勝手な内容に、自分自身の学習不足や見識のなさを見たようで、恥ずかしくなりました。
 そんな私を支えてくれた仲間がいます。日頃から職場や家庭の悩みを聞いてくれ、なぐさめ励まし支えてくれた仲間には、感謝と尊敬の念を抱き、また今後も共に在り続けたいと願う気持ちでいっぱいです。
 そんな小郡市職員の仲間からお叱りを受けそうな内容となってしまいましたが、これをひとつの意見と捉えていただき、職員同士の情報交換をはかり、仕事内容や方法についての意見交流ができたらと思います。
 組合活動は終わりのない果てしない旅のようなものだと思いますが、仲間と共に、地域自治についての研究を深め、誰もが住みよいまちづくり(地域自治)へ向けて、共に邁進していきましょう。
 『一人ひとりの子どもたちが、夢と希望をもてるようなまちづくりを目指して