【自主レポート】 |
第33回愛知自治研集会 第9分科会 都市(まち)のコミュニティを再生させる |
強烈な労働組合バッシングを経験した大阪市職が、市民とともに公共サービスのあり方を考えるため、まちに出てまちの真の姿を知る取り組みを始めた。東成区今里地域における防災まちづくり活動への市職組合員の参画は、緒についたばかりではあるが、「役所の人」では見えなかった地域の「感覚」を少しずつ吸収しつつある。本論では、この約3年間の取り組みについて振り返る。 |
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1. 活動にいたる背景と経過 (1) なぜ労働組合が地域の防災まちづくり活動に? |
私たちが“踏み出した”東成区の今里地域は、大阪市の東部に位置する下町の住宅街である。まちなかには、戦火をまぬがれた老朽木造住宅が、細い路地に面してびっしりとはり付いて存在している。一方、まちの中央部には大阪から奈良に至る「暗越奈良街道」が通り、その沿道においては歴史的で落ち着いたまちなみが形成されている。 ここでは、まちのさまざまなコミュニティが共同して地域防災に取り組むことを目的に、今里連合振興町会と社会福祉協議会を中心として、女性会、老人会、子ども会など、約200人で構成される「今里地域防災会議」という組織を結成している。同会議の防災意識は市内でも屈指の高さであり、かねてよりさまざまな活動が行われてきている。 |
2. 第1段階 市労連・市職による地域の防災まちづくりへの参画 (1) 地域とともに学ぶ防災まちづくり その3週間後の土曜日に、大阪市労連主催の地域フォーラム「地域防災を考える~市民協働で考えるまちづくり~」を東成区民ホールで開催した。会場は多くの地域住民と組合員などで埋め尽くされ、改めて当地域の「防災」に対する関心の高さを実感した。 フォーラムは、大阪人間科学大学の片寄俊秀教授による講演と、住民・コンサルタント・研究者・組合役員など、多彩な顔ぶれによるパネルディスカッションによって構成された。 このフォーラムで確認されたものは、「労働組合が地域の防災まちづくりに今後とも参画していくこと」のみであったが、このフォーラムで講師やパネリストから提起された意見は、今後の活動においてヒントを与え続けていくものとなった。 ② 東京・横浜の防災まちづくり事例に学ぶ 東京都墨田区向島では、「路地尊」という、雨水の貯水機能を持ったストリートファニチャーを設けている。そして、当地の防災まちづくりは「路地尊」の名とともに全国的に知られている。先述の地域フォーラムの講演において片寄教授から、「今里に路地尊をつくってみないか?」と呼びかけがあり、師の人脈をもとに交流が実現した。 一方、横浜市西区西戸部においては、私たちが訪れる1年ほど前から、横浜市の支援制度を活用して町内に雨水の貯水タンクや、せせらぎの設置などを展開している。こちらへの訪問は、今里の活動に参加している市職組合員が、行政マンの人的ネットワークをもとに、横浜市役所の協力を得て実現したものである。 訪問先としてこの2つのまちを選んだのは、防災まちづくり活動に歴史があって全国的に有名な地域と、今まさに活動が本格化しようとしている地域の両方の話を聞くことが、これからの今里での活動を考える上で重要と考えたからである。また、この2つの地域には、防災まちづくりの啓発と、いざというときのための生活用水の確保を目的として、「水」に着目にして防災まちづくりに取り組んでいる共通点がある。 この見学行では、いずれの地域も「防災」という堅いテーマを、活動では実に柔らかく表現されていることに感心した。また、活動している人から多くのパワーをいただいて帰阪した。 なお、この活動を境に、組合の参画主体が市労連中心から市職中心へと引き継がれた。 ③ 今里での防災まちづくりの展開を考える 私たちには思ってみない言葉であったが、これがまちで暮らす人の「感覚」なのであろう。もっとも、こうした「感覚」を得て蓄積することが、この一連の活動で得るべきことであるということを、これによって再認識することができた。そして、後日に何度か地域の方と市職のメンバーで今後の活動について話し合いを行い、次のような方向性を確認した。 「防災『機能』の向上だけを追い求めた取り組みでは、盛り上がらずにいつか行き詰まる。東京と横浜の活動から感じるキーワード『楽しさ』『美しさ』『まちの文化を大事にする』は今里でも必要である。」という基本認識とともに、「横浜で見た『せせらぎ』のように、子どもたちが、遊びながら防災まちづくりに触れあえるような環境づくりも必要ではないか」というものであった。 とはいえ、適当な設置場所が今里に用意されているわけではないし、当然、設置にはそれなりの費用も必要となる。インターネットで検索すると、そういった公益活動への助成制度も用意されているが「活動目標がしっかりとしていない段階から、既製の助成制度に乗ることは望ましくない」という片寄先生の助言もあった。熱が冷めないうちに形にすることも大事だが、せせらぎ作りを目的化するのではなく、「せせらぎを作る」という共通目標を通して、小さな活動を積み上げていくという、プロセスが重要であるという結論に至った。 |
(2) 外の目で防災まちづくりを考えてみる そして数日後には、フィールドワークに参加した市職組合員を中心として、今里でどのような防災まちづくりの展開が考えられるかを検討するワークショップを2回行った。フィールドワークで「たんけん」と「はっけん」ができたので、次は「ほっとけん」という流れだが、地域の防災まちづくりを「よそ者」だけの視点で考えてみるおもしろさだけでなく、「よそ者」であっても、主体性を持って地域の活動に参画するためには、これが重要なプロセスであると考えた。 ② 活動をまとめた冊子づくり ワークショップの成果を地域のみなさんにも伝えたいが、「提案」というのも差し出がましいので、その“出力”方法には工夫が必要であった。そこで、ちょうど活動開始から約1年が経つことから、これまでの活動をまとめた冊子を作成することとし、そこに「まちづくりのアイデア集」として“控えめ”に掲載することとした。 「よそ者」の私たちとしては、「このアイデアが、今後のまちづくり活動のヒントになれば…」という願いを込めて、2008年12月に今里町会へ相当部数を配布させてもらった。
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3. 第2段階 市職メンバーによる「ゼミ」のような取り組み (1) 防災まちづくりのアプローチを変えてみる (2) 歴史研究の成果を防災まちづくりへ そして、2009年11月には、「今里地域のB級遺産を探る」と題した、通算4度目となる大規模なフィールドワークを実施した。今里のまちの方々とともに、昔の地形図と現況図を照合しながら、まちにかすかに残る“水郷の面影”を探して歩くというものだが、その際、住民にも積極的にインタビューを行うなど、これまで以上にまちとの“関わり”と“広がり”を意識して取り組んだ。 12月には、今里小学校で行われた地域のもちつき大会に、市職でブースを出展した。小字を記した昔の今里の地図を広げ、来場者に「うちの家の小字は何だ?」とやってもらいながら、昔の今里についてあれこれ教えてもらおうというのが目的だ。また、蓄音機で昭和の名曲を聴かせる活動をされている大阪市市史編纂所研究員の古川武志さんを招き、市職ブースの横で実演をしていただき、ブースへの“集客力アップ”も図った。このとき、おばあさんが、わざわざ家に戻って昔の写真を持ってきてくれたことがとても印象深い。 これらの取り組みにより、歴史研究は深まりを見せるとともに、私たちの活動が、わずかながら今里地域の中に広まりつつあるように感じられてきた。 |
4. わたしたちの取り組み「これまで」と「これから」 (1) 「せせらぎの模型」がどうしてできたのか 模型を作るためには、まずは広場の図面が必要となるが、そのためには測量から行わなければならない。市職メンバーには土木技術職の者が数名いるため、実地測量から図化までは可能だ。しかし、測量には機器が必要となる。そこで、今里町会の役員に測量機器のリース業を営んでいる方がいたため、それを無償で貸してもらうことができた。そして、最後は模型づくりであるが、この取り組みの中心メンバーである町会長が、マンションのモデルルームなどにある、あの「模型」の製作業を営んでいることから、材料代も含めて無償で製作してくれたのだ。 (2) 「これまで」と「これから」 |