(3) 被爆者・被爆二世・被爆三世
① 自治労被爆協の取り組み
自治労組合員の被爆者、被爆二世・三世を中心に取り組みを進め、94年の被爆者援護法制定でひとつの到達点を迎えました。その後被爆者が職場から退職したことに伴い、現在は二世・三世を中心に、被爆者援護法に規定されていない、被爆二世・三世問題の充実を求めるなど取り組みを行っています。
・被爆60周年広島県本部企画の「碑めぐり」ガイドを取り組みました。
・毎年の被爆協総会で学習会を行い、被爆の実相や被爆二世・三世問題を共有すべく取り組みを進めています。
② 全国被爆二世団体連絡協議会との連携
自治労被爆協も加盟する全国被爆二世団体連絡協議会に、会長を選出し、被爆二世・三世問題の解決をめざし取り組みを進めています。「再びヒバクシャをつくらないために」を合言葉に、厚生労働省や放射線影響研究所等とも継続的な協議を行っています。
(4) 放射線影響研究所労組の取り組み
① 自治労中央本部内に「放射線影響研究所対策会議」を設置し、厚生労働省や米国国防省(アメリカ大使館内)窓口を持っています。
② オープンハウスの歴史
ABCCから放射線影響研究所(放影研)を通して初めての施設開放を1995年8月5日に行いました。ABCC時代からのイメージそのままを抱いておられる方、比治山の山の上にあり身近に感じられないこと、米国が建てたかまぼこ型の見慣れない建物であることなどから、昔から近くに住み子ども時代は比治山が遊び場であった人や近くを訪れたことがある人でも、多くの方が「何をしているところかわからない」「異様な雰囲気がする」「怖い」「名前からして放射線をつくっているところなのかも」という感想、イメージを持たれていました。そんなイメージを払拭し、親しみを持っていただくこと、開かれた施設であること、行っている調査研究を理解していただくことを目的に、仕事内容を説明させていただくオープンハウスを開催しています。当日の資料は全て職員の手作りです。
初めのころの開催日は8月か11月の1日間の開催でした。
第1回目1995年8月5日・第2回目1996年8月5日・第3回目1997年11月3日(長崎 第1回目1997年8月8日)・第4回目1998年11月23日(長崎 第2回目1998年11月2日)・第5回目1999年11月27日(長崎 第3回目1999年11月23日)・第6回目2000年8月4~5日
県内、県外の多くの方に来ていただくことができるように、第7回目の2001年以降からは広島8月5日~6日、長崎8月8日~9日の2日間の開催が定着しました。今年2010年は広島での第16回目の開催となり、過去最高の1,476人の入場者がありました。
③ 広島第5回目(1999年11月27日)からは講演会を開催し継続しています。過去からの講演会の演題は「放射線ってなあに?」「放射線の疫学調査ってなあに?」「国連機関と放射線影響研究」「広島・長崎と疫学」「放影研60年――取材の立場から」「原子爆弾による放射線の人体への影響」「1人ひとりに最適ながん予防を目指して」「生涯リスク:ヒトにおける放射線の影響を明らかにする方法」などがあります。講演会に合わせて、放射線の基礎知識、放影研の国際協力関係と世界中の研究機関との共同研究による国際貢献、被爆者の方々の協力で行うことのできている健康診断調査の概要、そして調査から得ることができた成果、ABCCから放影研にかけて60年間の歴史などをより理解していただけるよう展示も工夫してきました。
④ 広島の第3回目(1997年11月3日)の翌日11月4日にABCC-放射線影響研究所設立50周年記念式典・記念講演を開催しました。長崎では第2回目(1998年11月2日)の翌日に設立50周年記念式典が開催されました。
⑤ 来られた方にはアンケートへの回答のお願いをしています。中にはABCCのイメージのまま批判的な回答もありますが、多くの方からは「行っている研究が良く理解できた」「今後も貢献できる調査研究をする施設であってもらいたい」という回答をいただき、職員の励みにもなっています。
(5) 非核自治体宣言
1980年秋に英国のマンチェスター市から始まりました。日本国内では、非核自治体宣言を進めようとの運動が起こり、広島県内では、1982年3月25日に府中町で「非核自治体宣言」が行われ、全自治体で宣言がされています。都道府県内で全自治体が宣言をしているのは、岩手、秋田、神奈川、石川、三重、大阪、奈良、鳥取、広島、徳島、長崎、大分の1府11県です。(2010年7月1日現在、日本非核宣言自治体協議会事務局調べ)
(6) 平和市長会議
① 広島市・長崎市は一貫して世界に核兵器の非人道性を訴え、核兵器の廃絶を求め続けてきました。1982年6月24日、ニューヨークの国連本部で開催された第2回国連軍縮特別総会において、荒木武広島市長が、世界の都市が国境を越えて連帯し、ともに核兵器廃絶への道を切り開こうと「核兵器廃絶に向けての都市連帯推進計画」を提唱し、計画の賛同を求めました。現在、世界144カ国・地域、4,037都市の賛同を得ています。(2010.7.1)
② 2003年秋より2020年までの核兵器廃絶を目指す具体的な行動指針「2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)」を策定し、世界の都市、市民、NGO等との連携を図りながら、核兵器廃絶に向けた取り組みを世界に展開しています。
③ 2020ビジョンキャンペーンには欧州議会、全米市長会議、IPPNW、全国市長会、日本非核宣言自治体協議会等、多くの組織が賛同しています。
3. 今後の取り組み~私たちにできること~
(1) 過去を学び 未来を考える
戦争体験者が減少し、実体験としての戦争が継承されない状況では、再び戦争への道を歩むことになりかねません。体験はできなくとも、過去に何があったのか、なぜそうなったのかを学習し、させないためにはどのようにすればいいのかと考えることが重要です。被爆の実相だけでなく、広島県内にも空襲での被害や、軍事施設等、当時のことを学ぶことのできる施設は多く存在します。これらから過去を学び、核兵器廃絶や在日米軍基地問題等の現在や未来を考え、取り組みを進めていくことが必要です。
(2) 自らが行動する・みんなで行動する
核兵器廃絶1000万人署名行動では全国で672万5千筆を集めました。このことは2010年NPT再検討会議において、参加国が様々な議論がありながら最終文書に合意する上で、大きな力となったと感じています。平和創造の上で、自分たちが何を求めるのか、はっきりと意思表示を行うことが重要です。またそれはできるだけ多数の共感の中で行われることが、より効果的です。
(3) 次の世代へと語り継ぐ
被爆65周年を迎えた今、広島市で広島に原爆投下された日を正確に答えられる人は約70%、長崎の原爆投下になると50%になるといわれています。長崎市でも長崎の原爆投下の日は7割、広島は5割程度となります。全国では25%で、4人に3人は、8月6日、9日の意味を知らないことになります。被爆の記憶は確実に薄れつつあります。このような状況の中で、核武装論などが議論され始めています。改めて、次の世代への被爆の実相や戦争体験等を語り継いでいくことが必要です。被爆者の平均年齢は76歳、被爆を記憶としてとどめている被爆者は年々少なくなる状況です。どのような方法で次世代へと語り継ぐかが問われています。 |