【要請レポート】 |
第33回愛知自治研集会 第11分科会 地域における教育コミュニティづくり |
1985年、当時の文部省が出した「学校給食合理化通知」。この通知を境に学校給食の民間委託化が全国で広まり、また2001年の小泉内閣では規制改革民間開放と称して、委託の流れが急速に加速してきました。その中で立川市の学校給食が直面した中学校給食の委託闘争、共同調理場のPFI化問題。これらのたたかいから立ち上がった給食展の取り組みと、取り組んでいくにあたって見えてきた食の問題と今後の取り組み方について提言します。 |
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1. 立川市の概要と学校給食
立川市は、東京都のほぼ中央、西よりに位置しており、多摩地域の中心部分にあって、昭島市、小平市、日野市、国分寺市、国立市、福生市、東大和市、武蔵村山市、と接しています。 |
2. 学校給食合理化通知 第二次臨時行政調査会が1981年に発足し、会の答申や意見書を受けた形で、1985年1月当時の文部省から「学校給食業務の運営の合理化について」 が通達されました。いわゆる「学校給食合理化通知」です。 3. 中学校給食民間委託闘争 文部省の合理化通知以降、立川市の学校給食では1990年にそれまでミルク給食だけだった中学校に給食を提供しようと当局側が学校関係職員や有識者を集めて「中学校給食問題懇談会」を発足させ、給食実施に向けての協議を開始しました。翌91年には委託反対・直営実施に向けて組合側に「中学校給食検討委員会」立ち上げ、直営自校方式で中学校給食を行うようにとの3万枚のビラ入れや、市内各地の公民館でのパネル展を実施してきました。これが立川での給食展の始まりです。
4. 共同調理場 PFI問題 2001年、教育委員会と組合で老朽化し、耐用年数も過ぎている2つの共同調理場を1つに統合する協議の場として「新共同調理場統合問題労使協議会」を発足させ、将来に向けた望ましい職場作りのため協議を始めました。労使で立川市が予定している同食数程度の給食センターへの視察を行うなど、精力的に協議を進めてきましが、2004年以降は教育委員会の都合で協議会が開催されないなど協議が進まない状況になりました。そして2005年からの経営改革プランでは新共同調理場問題に対して、さらに厳しい提案が予想されることから組合側としては「開設予定の新共同調理場は直営とする」という確認書を教育委員会との間で結びました。しかしその年の現業統一闘争で副市長から正式に新共同調理場については調理も含めてPFIで行いたい、時期は建設予定のタイムリミットである2009年までには決めたいと提案がありました。 5. 給食展の取り組み
2008年、学校給食のあり方検討委員会の議論の中で三期期間(特に夏季期間)の取り組みとして、学校給食の市民アピールのための給食展の開催が上がりました。中学校給食検討委員を経験した人からは「給食展を実施しても委託は避けられない」との意見がありましたが、やるだけのことはやってみるという方針のもと実施に向けて協議を始めました。6月初めに調理関連職場の組合員を集めての全体会を開催し、給食展の意義付けを周知し取り組みにあたっては全員が何らかの仕事に関わることを確認しました。そして職場から実行委員を選出し、試食会や親子クッキングスクール、パネル展などの担当に分け実行委員をチーフとして取り組んできました。 |
6. 新共同調理場 PFI化へ…しかしそこから得たもの 2009現業統一闘争では現場組合員を集めての大衆交渉を数度開催し、コスト論まで踏み込んだ協議を繰り返しましたが、ストライキを打った場合の世論や情勢を鑑みやむを得ず新共同調理場について調理業務を含めてのPFIで妥結してしまいました。しかし最後の大衆交渉では2010年度からの5ヶ年計画で予定されている「経営戦略プラン」には自校直営調理方式で行っている単独校調理は計画すら記載させないことを確認しました。これは行政計画を中心に定数削減を行っている当局に対してはかなり大きなものを得ることができたと感じています。 7. 生きた教材を伝える人を育てる (1) 食育の周知度 (2) 国の政策の矛盾点 (3) 民間は評価され、直営は… (4) 食は生涯学習 (5) 地域での活動推進 学校は食の発信基地 |