【要請レポート】

第33回愛知自治研集会
第11分科会 地域における教育コミュニティづくり

 1985年、当時の文部省が出した「学校給食合理化通知」。この通知を境に学校給食の民間委託化が全国で広まり、また2001年の小泉内閣では規制改革民間開放と称して、委託の流れが急速に加速してきました。その中で立川市の学校給食が直面した中学校給食の委託闘争、共同調理場のPFI化問題。これらのたたかいから立ち上がった給食展の取り組みと、取り組んでいくにあたって見えてきた食の問題と今後の取り組み方について提言します。



立川の学校給食
~給食展とその取り組みから見えてきたもの~

東京都本部/立川市職員労働組合 勝見 真之

1. 立川市の概要と学校給食

 
面 積
24.38平方キロメートル
人 口
178,048人
世帯数
83,503世帯

 立川市は、東京都のほぼ中央、西よりに位置しており、多摩地域の中心部分にあって、昭島市、小平市、日野市、国分寺市、国立市、福生市、東大和市、武蔵村山市、と接しています。
 市域の南側には東西に流れる多摩川が、北側には武蔵野台地開墾の源となった玉川上水の清流が流れ、地形は平坦です。
 また国から首都圏の「業務核都市」に位置づけられ、商業や業務などの集積が図られると共に、文化、研究、防災などの広域的な都市機能が整備され、拠点形成が進められています。
 立川基地跡地を利用した「ファーレ立川」は商業・業務中心の近代的ビルが立ち並び、世界各国からの109ものアート作品が街と一体になって新しい都市空間を創出しています。また、JR立川駅の周辺には歩行者専用のペデストリアンデッキが整備され、有名デパートや大型スーパーなどが数多くあり、多摩地域の商業の中心となっています。市域の北部は都市農業や武蔵野の雑木林など緑豊かな地域を形成しています。
 立川の学校給食は1947年1月に第1・第2・第3・第4小学校で始まったのが最初です。第1調理場は1969年1月に第2調理場は1975年9月に開設されました。現在では小学校20校のうち第1小学校から第8小学校までの8校が自校直営調理方式。残りの12校がセンター直営調理方式です。


(文部科学省 学校における外部委託状況)

2. 学校給食合理化通知

 第二次臨時行政調査会が1981年に発足し、会の答申や意見書を受けた形で、1985年1月当時の文部省から「学校給食業務の運営の合理化について」 が通達されました。いわゆる「学校給食合理化通知」です。
 この中には、パートタイム職員の活用・共同調理場方式の採用・そして民間委託の実施の3つが大きく掲げられており、この通知から学校給食へ民間委託が始まり、現在では全国の学校給食の約25%が民間委託になっています。
 さらに、1994年10月に自治省が全国の自治体に対し行財政改革大綱作成を指示し、民間委託の推進と正規職員の定数削減を求めました。これにより、自治体は、人件費削減と民間委託をセットとし、学校給食調理学校給食を中心とした民間委託を加速させています。そして2001年の小泉内閣では『聖域なき構造改革』と称して「民間でできるものは民間で」という大号令のもと、今日の学校給食民間委託率25パーセントという数字に表れてしまいました。

3. 中学校給食民間委託闘争

 文部省の合理化通知以降、立川市の学校給食では1990年にそれまでミルク給食だけだった中学校に給食を提供しようと当局側が学校関係職員や有識者を集めて「中学校給食問題懇談会」を発足させ、給食実施に向けての協議を開始しました。翌91年には委託反対・直営実施に向けて組合側に「中学校給食検討委員会」立ち上げ、直営自校方式で中学校給食を行うようにとの3万枚のビラ入れや、市内各地の公民館でのパネル展を実施してきました。これが立川での給食展の始まりです。
 教育委員会側は1992年に正式な「中学校給食準備検討委員会」を発足させ、96年には準備担当主査の配置と試行実施について初めて提案がありました。組合としては市民と連携しながら直営方式の実施を求める請願署名活動を行い26,000人分もの署名を集め、また市民の会とともに給食まつりを実施するなど積極的な活動を行ってきましたが、1997年2校試行実施ということで、中学校給食においては千葉県松戸市や愛知県名古屋市で行われている民間業者での弁当併用方式で妥結をしました。中学校給食の本格実施以降給食まつりを始めとする市民との協働については収束してしまいました。また妥結にあたり結んだ確認書では「学校給食においては自校直営調理方式が最善とし、次善の策としてセンター直営方式と考えている」との覚書(2000年 本格実施にあたり交わす)を確認し、第3次行財政改革推進計画(2000-)経営改革プラン(2005-)、ともに最善の策である自校直営調理方式は計画段階だけで提案は一切ありませんでした。

昭和60年1月21日
文部省体育局長通知

学校給食業務の運営の合理化

1 学校給食業務の運営については、学校給食が学校教育活動の一環として実施されていることにかんがみ、これを円滑に行うことを基本とすること。
  また、合理化の実施については、学校給食の質の低下を招くことのないよう十分配慮すること。
2 地域の実情等に応じ、パートタイム職員の活用、共同調理場方式、民間委託等の方法により、人件費等の経営経費の適正化を図る必要があること。
3 設置者が、学校給食業務の合理化を図るため、パートタイム職員の活用、共同調理場方式、民間委託を行う場合は、次の点に留意して実施すること。

4. 共同調理場 PFI問題

 2001年、教育委員会と組合で老朽化し、耐用年数も過ぎている2つの共同調理場を1つに統合する協議の場として「新共同調理場統合問題労使協議会」を発足させ、将来に向けた望ましい職場作りのため協議を始めました。労使で立川市が予定している同食数程度の給食センターへの視察を行うなど、精力的に協議を進めてきましが、2004年以降は教育委員会の都合で協議会が開催されないなど協議が進まない状況になりました。そして2005年からの経営改革プランでは新共同調理場問題に対して、さらに厳しい提案が予想されることから組合側としては「開設予定の新共同調理場は直営とする」という確認書を教育委員会との間で結びました。しかしその年の現業統一闘争で副市長から正式に新共同調理場については調理も含めてPFIで行いたい、時期は建設予定のタイムリミットである2009年までには決めたいと提案がありました。
 組合としては確認書無視の暴挙として抗議をしましたが、それだけでは協議が進まないとして組合側として「学校給食のあり方検討委員会」を立ち上げ、新共同調理場に対する2度にわたる質問書や組合対案を出して教育委員会の考え方など追及しました。また独自に給食職場で課題となっている三期期間の取り組みとして、保育園調理への応援体制の確立や学童保育所への配食サービスなどを検討しましたが、具体的実行には至らずに終わってしまいました。

5. 給食展の取り組み

 2008年、学校給食のあり方検討委員会の議論の中で三期期間(特に夏季期間)の取り組みとして、学校給食の市民アピールのための給食展の開催が上がりました。中学校給食検討委員を経験した人からは「給食展を実施しても委託は避けられない」との意見がありましたが、やるだけのことはやってみるという方針のもと実施に向けて協議を始めました。6月初めに調理関連職場の組合員を集めての全体会を開催し、給食展の意義付けを周知し取り組みにあたっては全員が何らかの仕事に関わることを確認しました。そして職場から実行委員を選出し、試食会や親子クッキングスクール、パネル展などの担当に分け実行委員をチーフとして取り組んできました。
 この給食展は担当についた人たちが自分たちで地場産野菜や食品添加物、残留農薬などを勉強することによって普段使っている食材について興味を持ちさらに意識・理解を深めるための場。特に食の問題が日々変わっていくパネル展示の内容などは前年に作った人がノウハウを持っているから引き続き同じ担当につくのではなく、違う人が違う視点で常に課題意識を持ちながら行うようにしています。つまり参加者のためだけでなく自己勉強の機会としても重要な取り組みだと思っています。


 

6. 新共同調理場 PFI化へ…しかしそこから得たもの

 2009現業統一闘争では現場組合員を集めての大衆交渉を数度開催し、コスト論まで踏み込んだ協議を繰り返しましたが、ストライキを打った場合の世論や情勢を鑑みやむを得ず新共同調理場について調理業務を含めてのPFIで妥結してしまいました。しかし最後の大衆交渉では2010年度からの5ヶ年計画で予定されている「経営戦略プラン」には自校直営調理方式で行っている単独校調理は計画すら記載させないことを確認しました。これは行政計画を中心に定数削減を行っている当局に対してはかなり大きなものを得ることができたと感じています。
 しかし単独校調理にとっては常に次は自分たちだという認識があるため全体で取り組みをしていくことの重要性を確認しています。
 またこれまで立川の食育については栄養士の仕事とし調理員が参加することができませんでしたが、教育委員会から「調理員についても食育に参加してほしい。予算措置を含めて必要な手立ては講じていきたい。」との話がありました。これは今までの教育委員会にはなかったことで、2010年の第3回給食展においては組合行事として初めて教育委員会が後援をするということになりました。これを足がかりに立川での調理員が仕掛ける食育・食教育について現場を中心に早急に検討していく必要があります。

7. 生きた教材を伝える人を育てる

(1) 食育の周知度
内閣府「食育の現状と意識に関する調査(平成21年12月)」
 この間、食の問題に対して情報収集する中で一番感じたことは食育の周知度の低さです。国の方針として知育・体育・徳育を形成していくうえで重要な食育を2005年「食育基本法」として法的な位置付けを明確にしたうえで、全国各地で食育推進基本計画策定を始めとした取り組みが進められてきました。そして2010年で5ヶ年経過の一区切りということで、食育がどの程度浸透しているかの調査結果が2009年の食育白書に記載されていました。食育の関心度に関する国の当初の目標値は2010年に90%とされていましたが、「関心がある」「どちらかといえばある」を合わせても71.7%に過ぎず、未だに食育に関する意識の低さが目立ちます。また「関心がない」「どちらかといえばない」という人が合わせて25%以上もいるということに、食に対する関心の低さがうかがえます。

(2) 国の政策の矛盾点
 今回の食育推進計画では各省庁が食育に対してどのように取り組んでいくかが記載されています。その中には「伝統的な食文化、環境と調和した生産等への配意及び農山漁村の活性化と食料自給率の向上への貢献」とあります。1970年代から国は米余りを解消するため減反政策を推進し、日本の輸出品をアメリカを中心とした海外に多く買ってもらおうと、ポストハーベストにまみれた小麦や大豆を輸入し、そのはけ口として学校給食会を入り口とした学校給食がターゲットにされ週3~4回のパン食を中心とした洋食化となってきました。そして手軽に食べられるファーストフードが流行し、塾帰りの子どもたちが寄ってそこで晩ご飯を済ませるなどの孤食が問題になってきました。そして洋食慣れした子どもたちが親になったときに次の世代に野菜を中心とした日本食を食卓に並べることができるのでしょうか。国が将来的な展望なしに輸入を促進してきた結果の国の代償は大きく、短期的なスパンで見直しができるとは思えません。3~5年で変わる管理職が策定する食育計画よりも、継続的な取り組みができる調理員がしっかりと理解し行っていく食育・食教育に参加していく必要があります。

(3) 民間は評価され、直営は…
 食育基本計画の中では、「民間の取り組みに対する表彰の実施」という項目があります。民間が全国的に自発的に行う活動に対して、表彰を実施するということになっています。民間の食育活動とはどのようなものなのでしょうか。企業Aでは自分たちが普段食べているポテトチップを例におやつの目安となる量や時間を考えることや、また企業Bではホームページで工作やおやつづくり、牧場見学などを見せています。直営では何ができるのでしょうか。民間での取り組みは私たちにはできないのでしょうか。もう時代は調理だけでは生き抜いては行けません。調理だけだったら、利益をあげなければならない民間が有利に感じます。調理のプロだけではなく食のスペシャリストとして活躍の場を積極的に広げていく必要があります。それが専門分野に特化した真の専門調理師であり、専門調理師が行う食育活動だと考えます。

(4) 食は生涯学習
 「人は食べるために生きるのではなく、生きるために食べるのだ」という言葉があります。生まれてきたときから食事(母乳)で栄養をとり、死ぬまで食事をすることをやめません。生きていく中で食はそれだけ大事なことなのです。しかし最近の若年層では食欲より睡眠欲をとり、痩せたいと思って朝食を抜く回数が増えています。特に20代の男女については25%前後の欠食率があります。また年間1,000回以上の食事のうち、一昔前は家族が集まっての食事の回数が800回ほどあったが現在では300回に減っており、それだけ親子のコミュニケーションが減少している状況にあります。そして本来であれば家族での食卓の場がしつけの場でもあったが、当然のごとくその場も減っています。食事のマナーが教えられない中で学校給食の時間数は減っていないのだから調理員が積極的にクラスに出向き、子どもたちと会話をすることでマナーを教えていくことが大事なのではないかと考えます。

(5) 地域での活動推進 学校は食の発信基地
 全国各地で給食展や食育に関する取り組みが増えています。しかし調理員が行う給食展には一つの限界があると思っています。それは仕事(あるいは組合活動)の一環であるということです。休日になかなか出てくれる職員は少ないとは思いますが、地域の子ども会や青少年委員の方と話し合いができるのは、休日か夜間に限られてしまいます。かなりの自己犠牲になりますが、今後の調理員は生涯学習での食を十分に理解し研鑽しながら、食の発信基地である学校から明確なヴィジョンを持って政策提言を行い、食のスペシャリストとしてそのときにあった市民ニーズに的確に応えられるように情報を発信していく必要があると考えています。
 立川市の共同調理場はPFIになってしまいましたが、今後の給食展は市民との協働とその継続の重要性を考えながら取り組んでいきます。