【自主レポート】

第38回地方自治研究全国集会
第1分科会 人口減少後の地域社会と政策 ~国が進めた政策の現状から考える~

 本稿は、2018年に筆者が立ち上げた関係人口(当該地域の地域づくり等に継続的に関わる「非住民」)による団体「地域研究ユニット"タテマエ"」(以下、タテマエ)の3年間の取り組みを概括しながら、人口減少による衰退の著しい限界集落における、関係人口による地域支援の取り組みについて考察するものである。



関係人口による限界集落の再生をめざした挑戦
―― 地域研究ユニット“タテマエ”の取り組み ――

高知県本部/地域研究ユニットタテマエ・共同主宰 野田  満

1. はじめに

 本稿は、2018年に筆者が立ち上げた関係人口(当該地域の地域づくり等に継続的に関わる「非住民」)による団体「地域研究ユニット"タテマエ"」(以下、タテマエ)の3年間の取り組みを概括しながら、人口減少による衰退の著しい限界集落における、関係人口による地域支援の取り組みについて考察するものである。
 本章でタテマエおよびその活動地域である神谷北地区の概要について触れた上で、2章、3章、4章でタテマエの発足以降の取り組みを年度ごとに振り返る。以上を踏まえ5章で、With COVID-19を見据えた、地域内外の主体の協働の在り方について迫りたい。
 タテマエの活動の舞台は、高知県いの町神谷(こうのたに)北地区(以下、神谷北地区)という集落群である。5つの集落からなるこの地区に小売店、病院、学校、銀行はなく、公共交通も走っていない。生活上の障壁が非常に高い、典型的な限界集落である(写真1)。急峻な山奥に位置する神谷北地区では、耕作放棄地も多い上に生活道路の環境(舗装、幅員、ガードレール等)も悪く、戦後の敷設以降一度もメンテナンスがされていないと思われる危険な道路も多数存在している(写真2)。2018年3月時点で200人(高齢化率70.5%)の人口は10年後に半減が予想されており(図1図2)、ハードともに十分な公的支援や外部サポートを受けられないまま、まさに「座して衰退を待つ」状況であった。
写真1 神谷北地区の概観
(撮影:2019年8月)
写真2 神谷北地区の生活道路
(撮影:2018年7月)

図1 神谷北地区の年齢別人口構成 図2 神谷北地区の人口シミュレーション
(2018-2048)
 こうした危機的状況に楔を打ち込むべく、かねてよりこの地域に関わる高知県内在住のIさんと、Iさんと旧知の仲であり地域づくりの専門家である東京在住の筆者とが発起人となり、地元の大学生(主に高知大学地域協働学部)を募ってタテマエが発足、後に外部専門家を加え、神谷北地区に地縁や血縁を有さない計11人(専門家3人、学生8人)が初年度のタテマエの陣営となった。2018年8月には「歴史的文脈、地域の遺伝子、地域内外の主体の意思と責任に基づく持続的な地域づくりを推進する」との文言のもと、地元自治会との連携協定を締結し(写真3)、「集落公認のユニット」としてタテマエの取り組みがはじまった。
写真3 神谷北地区5集落連合自治会との連携協定締結(撮影:2018年8月)

2. 地域との「縁繋ぎ」と、具体的支援の切り口の模索
(2018-2019:タテマエ発足1年目)
(1) オーラルヒストリー調査
 タテマエが最初に実施したのは住民を対象とした「オーラルヒストリー調査」である。オーラルヒストリー(Oral History)とは文字通り口述の歴史を指し、インタビューによって対象者の人生の履歴や思い出等に関する「個人史」を記録し、1人ひとりの個人史を重ね合わせていくことで、市町村史や教科書には表れない地域の歴史を編纂する取り組みである。2018年8月から9月にかけて59人(地区住民の29.5%)にインタビューを行い、地域の資源や課題等、タテマエの次なる取り組みに向けたヒントを収集した(写真4)
 オーラルヒストリー調査のもう一つの意図は、「住民の方とのコミュニケーションの入口」である。これまでにヨソモノの関与がほとんど無かった神谷北地区にあっては、筆者含むタテマエのメンバーがインタビューの対話を通して互いを知り、地域の住民と慎重かつ誠実にコミュニケーションを取りながら信頼関係を構築する必要があった。この意図が結果的に功を奏し、以降メンバーと地域との密接な関係がゆっくりとかたちづくられていくことになる。
写真4 オーラルヒストリー調査の様子
(撮影:2018年8月)

(2) オーラルヒストリー調査を契機とした展開
 オーラルヒストリー調査によって、ある独居高齢者の劣悪な水道環境が発覚した。この事業を重く見たタテマエは、協力者のサポートを通して県補助事業による簡易水道の整備手続を進め(写真5)、想定外のかたちで環境改善に貢献することとなった。一方で冒頭にも触れた通り、SOSの声も上げられず衰退の一途を辿る限界集落の現実を改めて目の当たりにし、例えヨソモノの団体と言えど、ハレ(非日常:行事やイベント等の取り組み)のみならずケ(日常:普段の生活環境の下支え)に関わる実直なサポートも担っていくべき、というタテマエの理念はより強いものとなった。
 こうした関わりの中で地域と一定の関係を築いたタテマエは、耕作放棄地を借りて農業を支援する「タテマエ農園」や、後に恒例行事となる、住民とともに昼食を摂りながら地域づくりについて語り合う会「たてのま」(写真6)等の取り組みを継続的に重ねながら、地域行事への参加や郷土料理のレクチャー等、「ヨソモノと地域」という枠組みから踏み込んだ、固有名詞と固有名詞のプライベートな関係を構築していく。以上を踏まえ、年度末には各地区の公民館で初年度の活動報告会を実施した(写真7)
写真5 オーラルヒストリー調査がきっかけで整備された簡易水道(撮影:2018年11月) 写真6 住民とタテマエメンバーが食事をともにする「たてのま」(撮影:2019年9月)
写真7 タテマエ年度末報告会の様子
(撮影:2019年3月)

3. 地域の今日的課題への接近と、目標像の提案
(2019-2020:タテマエ発足2年目)

(1) 生活環境リサーチ
 新たな学生メンバーを加え、新年度を迎えたタテマエは、次なる取り組みとして「生活環境リサーチ」を実施する(写真8)。この調査は、買い物や通院等による外出の頻度とニーズ、運転免許返納の有無や意向、子どもや孫(の家族)の来訪頻度、移住者に対する心象等、生活者の現状を客観的に理解するための取り組みであり、2019年8月から9月にかけて79人(地区住民の39.5%)に半構造化インタビュー形式で実施した。前年度のオーラルヒストリー調査による「昔語り」に対し、本調査は「今語り」によって地域づくりの足掛かりを探る取り組みであるといえる。前年度の地域とのコミュニケーションの経験が本調査の遂行にも大きく寄与し、結果的に多くの住民に協力頂き、今まさに直面している地域の課題が明らかになった。
写真8 生活環境リサーチの様子(撮影:2019年9月)

(2) 神谷15年アクションプラン
 上記の生活環境リサーチと前年度のオーラルヒストリー調査、およびその他の取り組みを通した住民との対話や意見聴取の内容に基づき、中長期スパンの目線で地域づくりに取り組むための指針となる「神谷15年アクションプラン」を策定した(写真9)。タテマエ2年目の総括の意味も込めたアクションプランであるが、年度末を前に、国内でも爆発的感染が起こったCOVID-19の影響により現地活動は中断、年度末の活動報告会も無期限延期を余儀なくされ、アクションプランの提案と共有は地区長等の限られた範囲に留まった。
写真9 神谷15年アクションプラン(撮影:2020年3月)

4. COVID-19下の地域支援の模索と「ケのデザイン」へ
(2020-2021:タテマエ発足3年目)


(1) タテマエウェビナー
 年度明けも続くCOVID-19の世界的流行によって、タテマエは引き続き現地活動を自粛し、メンバー間の連絡やミーティングを含めた全ての取り組みをオンライン上で進めることとした。現場支援が難しい状況の中でタテマエがまず取り組んだのは、これまでに積み上げてきた現場支援のノウハウや知見を日本全国に向けて広く発信、共有することであった。
 5月から6月にかけて実施した「タテマエウェビナー(ウェビナーとはウェブ+セミナーの意)」は「Vol.01人と山と(山間集落における域学連携の取り組み)」「Vol.02人と海と(漁村地域における空間調査その意義)」「Vol.03人と人と(関係人口の重要性とWith COVID-19における地域づくりの方向性)」からなる、タテマエメンバーおよびゲスト講師のレクチャーを中心としたオンラインの連続講座であり、全国各地の学生や役場職員等、延べ156人の参加があった(写真10)
 COVID-19下の「間接的な地域支援」の一環であるこのセミナーは、高知市役所若手職員とのディスカッション会等、外部との新たな相互交流の場を生む契機にもなった。なお2020年10月にはウェビナーの記録書籍「タテマエウェビナーVol.01-03」を発刊(写真11)、地域づくりの参考資料として各所で幅広く活用頂く予定である。
写真10 タテマエウェビナー(撮影:2020年5月) 写真11 記録書籍「タテマエウェビナーVol.01-03」(撮影:2020年10月)

(2) 防災カタログPJ
 連合自治会との協議に基づき現地活動が部分的に解禁された9月、改めてタテマエは、前年度に提言したアクションプランに基づく取り組みに着手する。
 そのひとつ「防災カタログPJ」は、急峻な条件不利地域かつ高齢者が大半を占める神谷北地区において、住民の実情に合わせた防災グッズの備えを提案するカタログを制作するプロジェクトである(写真12)。一般的な「防災バッグ」や「救急セット」を一律に用意するのではなく、家の立地や家族構成、持ち歩ける重さや持病等に配慮し、一人ひとりのニーズに沿った組み合わせを用意、提案する試みである。立ち上げ以降、地域と密接な関係を築いてきたタテマエならではのきめ細やかなプロジェクトであるといえる。公民館での防災グッズの紹介とトライアル(防災食の試食、防災リュックの重さ確認等)、アンケート調査を踏まえ、現在カタログのドラフト制作に取り組んでいるところである。
写真12 防災カタログPJ:防災グッズの紹介の様子
(撮影:2020年9月)
(3) その他の取り組み
 その他、現在進行中のプロジェクトとして、料理や竹細工等、地域の豊かな手仕事を次世代へと引き継ぐためのアーカイブ本を制作する「本PJ(仮称)」、農作物の鳥獣被害を地域ぐるみで防いでいくための基礎資料を制作する「獣害マップPJ」(写真13)が、併行して進められている。
 また次年度以降に向けたプロジェクトとして、家屋の耐震診断および耐震設計のフォロー(写真14)、集会所のトイレのリニューアル(写真15)を検討中である。これまでの取り組みと同様、打ち上げ花火のような単発のイベントごとを繰り返す方法ではなく、あくまで住民の日常に寄り添い、支え続けていくことを理念に、引き続き活動に努めたい。
写真13 獣害マップPJ:マップのイメージ図
(撮影:2020年12月)
写真14 耐震施工を必要とする民家の例
(撮影:2020年11月)
写真15 リニューアル検討中の集会所のトイレ
(撮影:2019年8月)

5. 考察:ヨソモノによるケのデザインをめざして

(1) タテマエの意義:世代や立場の異なる「惑星」を繋ぐプラットフォーム
 1章で述べた通り、タテマエは従前より神谷北地区に関わりのあったIさん(高知)と専門家の筆者(東京)、そして地元大学を中心とした学生メンバー(高知、広島、他)によって発足した。それぞれが神谷北地区をサポートする関係人口でありながら、世代や立場は異なる人間である。
 天体になぞらえて考えてみると、神谷北地区という地域を「恒星」とするならば、一定の距離を保ちながら一定の頻度で地域に関わるタテマエのメンバーはいわば「惑星」である。惑星の公転周期(≒現地に行ける頻度)は各人によって異なるため、ちょうど水金地火木……と複数の惑星によって成り立つ太陽系のような構図を、タテマエと神谷北地区との関係性に見出すことができる(図3)
 それぞれのメンバーは地域との関係性、職業、思いや目的も異なる中で、それらを共有しながら互いの立場の利点欠点を活かすプラットフォームとしての役割を、タテマエという組織が担っているのではないだろうか。逆にタテマエが「準住民だけの組織」や「大学生だけの組織」、「外部専門家だけの組織」であったなら、これまでの多様な活動や、地域との関係性の構築は実現し得なかったように思われる。

図3 タテマエと地域との関わり方のイメージ:公転周期の異なる惑星を繋ぐ

(2) COVID-19への認識と自治
 いまだ収束が見えぬまま、社会全体に甚大な影響を及ぼしているCOVID-19の流行が、タテマエおよび神谷北地区にも及んでいることは3章でも触れた通りである。2020年3月にタテマエは三密防止および感染対策の観点から現地活動の自粛を決断し、翌月4月には国内全域を対象とした緊急事態宣言が発出された。その後、緊急事態宣言の解除を含む社会環境の変化等を経て、2020年11月末現在のタテマエの現地活動の再開状況は図4の通りである。有り体に言えば、地域による関係人口の「仕分け」がなされたかたちとなった。
 タテマエ発足以前から神谷北地区に関わってきた「準住民」のIさんは、緊急事態宣言の解除からほとんど間を置かずに現地活動(タテマエ以外の活動も含む)を再開させており、続いて学生メンバーも十分な感染対策を取ることを条件に9月には現地活動を再開させることができた。一方で東京在住の筆者ほか外部専門家は、現地活動の再開の目処は立っていない。
 タテマエの現地活動の受け入れ可否は、連合自治会の協議の中で決定されたものであり、言い換えれば地域の総意である。地域を感染のリスクから守るために、都市圏の人間の来訪を自粛してもらうという意思決定は極めて妥当であり、「自分の地域を自分たちで守る」ことを前提に、「全ての関係人口をシャットアウトするのではなく、リスクを十分に協議した上で、一定のヨソモノは受け入れ、地域づくりは進めていく」という自治意識の表れであると言える。筆者はむしろこの決断に敬意を表するとともに、引き続きオンラインワークでタテマエの活動をフォローし、神谷北地区の支援を継続している。

図4 COVID-下におけるタテマエと地域との関わり(図3の再掲、加筆)

(3) おわりに:神谷北地区とタテマエのこれから
 近年の中山間地域や限界集落の振興に際して、移住や交流に加え、関係人口に関する議論が活発化している。しかしながら前述の通り、様々な立場やきっかけ、目的を持って地域に関わるヨソモノ全てを十把一絡げに「関係人口」と呼ぶことには違和感を覚えている。多様な人間が一丸となって地域に関わっていくための組織がタテマエであるが、その実、当然一人ひとりの興味や得意技は異なり、それぞれの個性が各プロジェクトで輝いている。
 またCOVID-19の影響で浮き彫りになった、状況に応じて関係人口を「仕分け」ていくロジックは、今後COVID-19が収束した後も、あらゆる地域が必要とする意思決定であると考えられる。これは単にヨソモノを拒否するという意味合いではなく、将来像の実現に向けた各種の取り組みに、地域の自治の下、能動的にヨソモノをマッチングさせていくというニュアンスである。これもまた、関係人口を十把一絡げにしていると見落としがちな視点であろう。
 神谷北地区の危機的状況は一朝一夕で解決できるものではなく、またタテマエがその全てに対応できる訳でもない。一方でタテマエの取り組みや、それに応じる連合自治会の意思決定の積み重なりは、確実に地域が前を向く契機になったと思われる。今後も神谷北地区の関係人口として、メンバーとともに、小さくとも実直な活動を続けていきたいとの思いである。