【論文】 |
第38回地方自治研究全国集会 第1分科会 人口減少後の地域社会と政策 ~国が進めた政策の現状から考える~ |
熊本市は近隣2町と合併し、2012年4月に20番目の政令指定都市に移行した。その熊本市に編入合併された2町の1つである旧城南町の合併前後の住民活動の支援体制と住民の参加・協働のあり方について検討を行ったところ、旧城南町においては制度の表面的な特性が住民自治の強化につながっていないという「ねじれ」が生じており、住民自治の実質化が進んでいないことが明らかになった。 |
|
1. はじめに 本稿では、2012年3月に熊本市に編入合併された2町の1つである旧城南町における合併前後の住民活動の支援体制と住民の参加・協働に注目する。そこで、熊本市と旧城南町の合併プロセスを概観した上で、熊本市における地域自治組織(注1)の概要と旧城南町で行政の適正な執行と効率的な運営を図るため実施されていた嘱託員制度を見ていく。そのうえで、合併後に旧城南町の住民自治のスケールが町単位から小学校区単位へと変化したこと、また行政区ごとのまちづくり懇話会や小学校区ごとの校区自治協議会制度といった新しい制度が導入されたことによって、旧城南町における住民自治のあり方にどのような影響が生じたのかを明らかにし、住民自治を支援する機能を有する行政区の役割とそれを補完する地域自治組織のあり方を検討する。 2. 熊本市における地域自治組織のあり方 (1) 熊本市の指定都市移行までの過程2000年3月に熊本県が熊本県市町村合併推進要綱を策定したが、熊本市は合併・再編対象から除外され、また熊本市自体も合併に積極的ではなかった。その後、指定都市の指定基準の弾力化などを受けて市議会側から指定都市への移行を求める声が高まり、2002年5月に当時の三角保之熊本市長が従来の方針を転換し、指定都市移行をめざす意向を表明したのである(注1)。 こうして、熊本市は指定都市へ向けて動き出すことになったが、他の都市と比較すると指定都市実現を見据えた合併構想は出遅れ、また熊本県は熊本市の合併運動に対しては終始中立的な立場であった(注2)。その一方で、このような熊本県の動きとは対照的に、熊本市周辺の自治体からは合併特例法による手続き要件の緩和を受けて、熊本市との合併を求める動きが活発となった(注3)。しかし、熊本市へ吸収合併されることへの反発や熊本市の財政状況などの懸念事項が拭えなかったことなどを理由として改正合併特例法の期限である2005年3月までの合併には至らなかった。 しかし、新改正合併特例法による特例期間の延長が実施されたことから、再び合併に向けた動きが活発化していく。その際、熊本市の指定都市移行を推進していた当時の幸山政史熊本市長と蒲島郁夫熊本県知事が誕生し、そのような政治環境の変化も熊本市の指定都市移行に優位に働くようになった。そこで熊本市の合併相手の候補となったのが、旧城南町、旧植木町、そして益城町の3町であった。 そして、熊本市は旧城南町、旧植木町、益城町の3町と同時並行で合併協議を開始する。この3町の中で合併の相手として有力視されていたのは、益城町であった(注4)。しかし、益城町の財政状況は県内でも相対的に良好であり、財政的には熊本市以上に健全であった(注5)。そのため、益城町は財政的な理由から熊本市に合併を求める状況にはなく2009年4月12日に実施された合併の是非を問う住民投票において反対多数となったことから、熊本市との合併法定協議会の結論を待たずに法定協議会を廃止した。 益城町が合併協議から離脱したことに伴い、熊本市は指定都市化の目的を達成するため、旧城南町と旧植木町と合併することが至上命題となった。そのため、益城町が合併協議から離脱したのを契機に、2町との合併協議に対する姿勢が変化した結果、新市基本計画では投資的経費として旧城南町に約211億円、旧植木町に約290億円がそれぞれ計上された(注6)。そして、2009年6月に旧植木町および旧城南町で熊本市との合併の賛否を問う住民投票が実施され、両町ともに賛成が多数を占めた。この結果を受けて、2010年3月に人口約73万人の新熊本市が誕生し、2012年4月に熊本市は指定都市へ移行した。 (2) 熊本市における地域自治組織の概要 前述したように、熊本市は性急な合併プロセスを経て指定都市へ移行した。このことは合併後の地域自治組織に色濃く反映されている。そこで、まずは熊本市における地域自治組織の概要を見ていくことにする。 図表1には熊本市における地域自治組織の概要を示している。その特徴は第1に、校区自治協議会の位置づけが大きいことである。 この校区自治協議会とは町内自治会をはじめとして、社会福祉協議会、青少年健全育成協議会、公民館、防犯協会などの小学校区を単位とした地域団体によって構成され、団体相互の連携のもとに地域活動の推進や地域課題へ対応することにより、円滑な校区運営を図るための組織である。 また、この校区自治協議会による自主的かつ主体的な活動を支援する公の施設として地域コミュニティセンター設置がされ、この施設の管理運営は指定管理制度により校区自治協議会を構成するコミュニティセンター運営委員会が行っている。その委託金額は年間240万円である。さらに、校区自治協議会には校区自治協議会運営補助金の交付などの活動支援もあり、熊本市が狭域自治に重点を置いていることを読み取ることができる。 第2に、行政区に設置されているまちづくり懇話会の委員全体の4分の3が、校区自治協議会から選出された委員と農・漁業や歴史・文化といった専門分野を持った目的別関係者の委員で占められていることである。このまちづくり懇話会は、熊本市が2012年4月に指定都市に移行したのに伴って、市域が5つの行政区に分けられ、各区役所に設置された協議体である。各区のまちづくり懇話会設置要綱によると、その目的は各区のまちづくりビジョンに基づくまちづくりに関する事項について協議を行い、区民との協働によるまちづくりを推進することとされている(注8)。 図表1 熊本市における地域自治組織の概要
まちづくり懇話会の委員数は20人以内であり、委員の構成は校区自治協議会から選出される委員、公共的団体から選出される委員、学識経験者、公募委員、その他懇話会の目的を達成するために必要と認める委員を市長が委嘱することになっている。委員の任期は、委嘱日から委嘱日の属する年度の翌年度末までであり、1回に限り再任が認められる。そして、まちづくり懇話会の役割は、まちづくりビジョンに基づいて区の特性を活かした魅力あるまちづくりに関する事項について協議し、その結果を区長に報告するものとされている。 たとえば、2017年度南区まちづくり懇話会委員16名のうち、校区自治協議会の構成員が6人で、まちづくり懇話会の委員の4割近くを占めていることから、まちづくり懇話会における校区自治協議会の影響力は非常に大きいと言える。 第3に、地域担当職員が配置されたまちづくりセンターである。この制度は2016年度にモデル事業が実施され、2017年度から市全体で実施されるようになり、地域づくりにおける行政の支援体制を充実させることを目的としている。まちづくりセンターは市内17箇所に設置されており、各まちづくりセンターには、地域支援の拠点施設としてまちづくり支援専任の地域担当職員49人が配置されている。地域担当職員は地域の最前線で相談窓口となり、地域情報収集、行政情報発信、地域コミュニティ活動支援の役割を担っている。そして現在、地域ニーズを施策に反映させるため、まちづくりセンターが拾い上げた地域課題について区の関係部署が検討・協議をする場を設けるとしている(注9)。 (3) まちづくり懇話会・校区自治協議会・まちづくりセンターの評価 ここでは、まちづくり懇話会、校区自治協議会、およびまちづくりセンターを参加・協働の視点から評価を行う。 まちづくり懇話会を設置する利点は、住民を代表する校区自治協議会から選出される委員、公共的団体から選出される委員、学識経験者、公募委員らによって、区の特性を活かした魅力あるまちづくりについて協議する場が住民に提供されたことである。たとえば、校区自治協議会から選出される委員が参加することで、校区が抱える課題をこの懇話会で共有できることは今後の区のまちづくりに寄与するものと考える。つまり、このまちづくり懇話会は参加型の組織と言えよう。 次に、小学校区ごとに校区自治協議会を設置する利点は、広域化する自治体において小学校区という狭域における住民主体のまちづくりに参加できる場が住民に提供されたことである。これにより、地域に対する想いを持ち、リーダーシップを発揮しようとする人々の意思を汲み取る場が提供され、地域に密着した課題を解決することができるシステムが形成された。このシステム形成が一因となり、合併により旧城南町の伝統事業をなくしてはいけないとして、一部の有志によって夏祭りなどといった事業が復活している。 また、校区自治協議会には地域の自主的かつ主体的なまちづくり活動を推進する拠点としてコミュニティセンターが整備され、コミュニティセンター運営委員会を指定管理者にした。さらに、コミュニティセンターの利用料収入は当該校区の事業活動に使用することができるようになった。 以上のように、身近な地域課題について住民が主体的に解決する場が提供されたことにより、合併前に比べて地域の一体性や自治の基盤の確立に向けた環境整備がなされた。 このようなことから、校区自治協議会はいわば協働型の組織と言える。また、まちづくり懇話会における影響力が強いため、参加の機能も有していると言える。 最後に、まちづくりセンターは2017年度に開始したばかりであるが、地域課題を拾い上げ、区の関係部署が検討・協議をする場を設け、予算編成に反映させるシステムづくりが検討されており、地域ニーズを施策に反映できる仕組みを整えようとしている点は評価できる。 3. 編入合併された旧城南町における地域自治組織に関する考察 (1) 旧城南町の誕生と嘱託員制度の概要前述したように、熊本市では市民と行政の協働による地域づくりと住民自治を推進するため、校区自治協議会を設置して校区運営による自治制度を進めてきた。では、熊本市に編入合併された旧城南町におけるそれはどうであったのだろうか。以下では、旧城南町における地域自治組織を考察する。 1953年に実施された町村合併促進法により、1955年に杉上村、隈庄町、豊田村の1町2村が合併し、面積37.19km2、人口17,000人の旧城南町が誕生した。旧城南町の新町建設の基本方針には、「現行、杉上、隈庄及び豊田の各町は、(中略)旧藩当時久しく手永制の下に隈庄守富荘及び豊田荘領邑としてその行政を一にし、人情、風俗、習慣は類似し、文化的その他日常万般に深いつながりを有し、住民は極めて瀕繁なる往来をなし(注10)」と記述されており、合併前から旧城南町を構成する1町2村が深いつながりを持っていたことが分かる。 さて、旧城南町では行政の適正な執行と効率的な運営を図るため、嘱託員(注11)を設置していた。嘱託員は、町長が各区の区長に委嘱し、文書配布や通知の伝達、その他の広報に関する業務、その他調査や行政事務に関する業務の協力依頼を受けていた(図表2)。旧城南町には39の行政区(注12)があり、ほとんどの嘱託員が区長を兼任していた。そして月に1回、町長も出席して嘱託員会議が開催され、嘱託員に対して行政側から住民に対する連絡事項や業務の協力依頼などが行われていた。そして会議後に嘱託員は地元に戻り、町民に対し会議内容を説明し、さまざまな周知依頼を行っていた(注13)。また、各課からの補助金等は婦人会や老人会といった目的別縦割り組織に直接交付されていた。 図表2 旧城南町の地域自治組織のイメージ
(2) 合併後の旧城南町地域における住民自治の実態 まちづくり懇話会、校区自治協議会、まちづくりセンターには、前述したような制度上の利点があるが、旧城南町における実態はどうであろうか。以下では、熊本市行政当局ならびに旧城南町の町民に対するヒアリング調査から、具体例を挙げながらその実態を見ていくことにする(注14)。 まず、小学校区ごとに設置された校区自治協議会とコミュニティセンターについてである。旧城南町では行政区ごとに住民たちが資金を工面して建設した地域公民館があり、これらを拠点として長年に渡って地域の寄合や生涯学習などのさまざまな地域活動が実践されてきた。そのため、そもそも新たにトップダウン形式でコミュニティセンターを建設する必要はなかったという意見もある。しかしながら、合併協議においては熊本市に準ずるハード面の整備が優先されたため、そもそもコミュニティセンターが必要なのかどうかさえも十分な議論がされることなく、それが建設されることになったのである(注15)。 つまり、コミュニティセンター建設の前提となる校区自治協議会をなぜ設置し、またどのような活動を想定してコミュニティセンターを建設するのかという議論が、合併協議のなかで十分に行われていなかったのである。校区自治協議会の設置は任意で、コミュニティセンターの建設も必須ではないため、熊本市のすべての小学校区でそれが建設されているわけではない。そのため、人口減少と少子高齢化が顕著なある小学校区では、コミュニティセンターを維持できるのかといった不安の声も聞かれた。他方で、校区自治協議会の設置に伴い、合併前にはなかったさまざまな団体が集まる情報共有の場が提供されたことは、非常に有益であったとの指摘もある。 次に、まちづくり懇話会についてである。まちづくり懇話会の役割は、区のまちづくりに関する事項について協議し、その結果を区長に報告するという機能である。そのため、まちづくり懇話会には区の課題を解決していくことができるような十分な権限が与えられていないのである。そのため、校区で抱えている課題をこの協議体で解決することは不可能であるから、協議内容は事務局である行政が提案しているものを単に審議しているのみで、住民からのニーズを反映したものになっていないとの指摘もある。つまり、行政側が事業実施にあたって区民の参加を担保しているという、いわば儀礼的に懇話会を実施している側面が強いというのが住民側の認識であるようである。 (3) 合併で失われた旧城南町の「良さ」 最も大きな課題は新たな自治制度の導入によって、旧城南町の「良さ」が失われたとの指摘である。 たとえば、ある地域では合併前まで集落内道路の除草作業を地域住民の区役として実施していた。旧城南町ではこれを支援するため、事業費の100分の50以内を城南町道路美化推進事業補助金(注16)として交付していた。しかしながら、合併によってこの補助金はなくなり、除草作業は業者委託されることになった。その結果、除草作業の回数は減り、集落内道路の草は伸びたままとなり、加えて地域住民の区役がなくなったことで、地域住民のつながりが希薄化してしまった。ある住民は「業者委託することでコスト高となっている。合併前と同じようにさせてもらえれば費用もそれほどかかることなく、集落内道路を美化できる」と指摘している。また、ある関係者からは、行政は市民協働を促そうとしている一方で、上記のような地域活動を衰退させてしまうのは、市民協働に逆行するのではないかといった声もあがっていた。 この事例のように、合併前まで小回りの効いていた事業が、合併によって市全体で画一的に実施したほうがより効率的であるという理由から廃止された。しかし、このような事業がなくなることによって、地域の帰属意識やコミュニティの結束といった住民意識における旧自治体の枠組みの良さの部分が衰退してしまった可能性がある。 このように、自治制度の規範的枠組みである参加・協働は人口規模の大きさだけによって規定されるものではなく、その地域固有の社会構造、たとえば有力な地域の担い手の存在などによって規定されるものである。そのため、多様な社会構造をもった地域どうしが合併する際には、人口規模の大きさだけではなく、各地域がもつ社会構造に配慮した参加・協働の枠組みが求められる。したがって、参加・協働の枠組みに各地域がもつ社会構造を取り込まなければ、制度本来の機能が発揮されず、逆機能を起こすのである。 旧城南町は長い年月をかけて町の一体性を醸成するため、夏祭り、町民体育祭、および成人式などを町全体で開催してきた。しかしながら、熊本市と合併したことによって、地域の単位が町単位から小学校区単位へ変わり、旧城南町が誕生する前の1町2村の状態に再び分断されることになってしまった。このように住民自治のスケールが変わってしまうことは、住民にとって大きなインパクトを与えるものであり、これに対して十分な配慮が必要であったが、合併を急ぐあまりにその議論は先送りされてしまった。 熊本市の自治制度を画一的に導入したことは、参加の機能を有しつつ、嘱託員が地域住民への連絡事項の伝達する役割と地域の要望を取りまとめて行政に伝える役割を担っていた嘱託員制度によって町政運営が実施されてきた旧城南町の地域住民に対して混乱を与えてしまうことになった。制度を動かす主体は住民自身であり、住民自治は制度的に保障されれば機能するというものではない。行政には地域におけるこれまでの住民自治の実態を考慮した上で、住民自治の制度の実質化が求められているのである。 4. おわりに 本稿では後発の指定都市の1つである熊本市を事例として取り上げ、熊本市に編入合併された旧城南町における合併前後の住民活動の支援体制と住民の参加・協働のあり方について検討を行った。熊本市は指定都市移行に際して行政区ごとにまちづくり懇話会を設置し、編入合併された旧城南町には小学校区ごとに校区自治協議会が設置された。しかしながら、まちづくり懇話会は参加型の機能を有しているものの、権限は少なく、十分な機能を果たしているとは言い難い。また編入合併された旧城南町では、合併論議の際には新市基本計画にある約211億円にのぼる投資が本当に実施されるかどうかが議論の中心となり、合併後の住民にとってのまちづくりのあり方が十分に議論されなかったため、旧城南町における固有の社会構造を理解し、旧城南町の自治制度がもつ意義を十分に汲み取ることができなかった。このようななかで、合併により住民自治のスケールが町単位から小学校区単位へと大きく変化したところに地域自治組織が導入されたため、住民自治に係る課題が山積しており、旧城南町地域における住民自治の実質化があまり進んでいない実態が明らかとなった。 以上のように、旧城南町においては制度の表面的な特性が住民自治の強化につながっていないという「ねじれ」が生じており、住民自治の実質化が進んでいない。では、このねじれを解消するためにはどのような手段があるだろうか。 そのためには、あらためて合併前の旧城南町が有していた自治制度がもっていた意義を十分に理解することである。旧城南町には旧城南町の社会構造に応じた自治制度が存在していた。その社会構造に応じた自治制度を合併後の自治制度に活かすことができなければ、この「ねじれ」は解消されないままであろう。 今一度、住民と行政が相互に理解を深めあい、旧城南町の「良さ」を認識し、その「良さ」を参加・協働の仕組みに活かしていくこと、たとえば、合併前から行われていた地域住民による区役を支援する仕組みや旧城南町の担い手支援などが求められている。つまり、形式的な参加・協働ではなく、旧城南町の「良さ」を活かしつつ、住民自治を支えるシステムを再考する必要性が求められていると言える。 |