【自主レポート】 |
第38回地方自治研究全国集会 第2分科会 「ラッセーラー」だけじゃない! 地域に根付いたねぶた(祭り) |
青森県五所川原市・市浦地域で地域活性化団体「なんでもかだるべし~うら」に関わり、市浦地域の恵まれた自然や歴史・文化的環境の地域資源を活かした地域づくりに地域住民が主体となって取り組んでいる実践活動について報告します。現在のコロナ禍で、さまざまな行事が中止される中、山王坊日吉神社で取り組んできた「お田植祭」を関係者で神事のみを執り行い、継続できたことは今後の取り組みに繋がるものと思います。 |
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1. はじめに
東日本大震災以降、災害が多発する中で、さらに百年に一度といわれる感染症の影響を受け、これまで当たり前であった価値観や意識を大きく変えなければ生き残れない、そんな時代の転換期を迎えていると実感しています。少子高齢化、過疎化が進む地方で、安心して心豊かに暮らせる地域づくりとは何か、改めて考え直すためにも、これまで自分が携わってきた地域活動を振り返ってみることは重要だと思います。 2. 自分のこと 平成の大合併から早や15年が過ぎました。私が勤務する五所川原市は、2005年3月末に旧五所川原市、旧金木町、旧市浦村(以下、「市浦地域」と呼ぶ)が合併し、人口53,463人(2020年5月現在)の津軽平野北半部に位置する自治体です。私は1994年に旧市浦村職員として採用され、教育委員会で文化財行政に従事してきました。きっかけは1991~1993年にかけて行われた国立歴史民俗博物館による中世港湾・十三湊遺跡の発掘調査に学生として参加したことで、市浦地域の歴史文化の魅力に惹かれ、そのまま移住してきました。岩木川河口の十三湖に抱かれた市浦地域は、かつては天然の良港として海上・水上交通の要衝地として極めて発展し、歴史的にも貴重な文化遺産が数多く残された地域です。特に中世には津軽の豪族、安藤氏が拠点を置いた北日本を代表する港湾都市「奥州津軽十三湊」として非常に有名です。その他、十三湖周辺には安藤氏関連の福島城跡や唐川城跡などの城館、宗教施設の山王坊遺跡など、中世的景観が色濃く残る全国的にみても貴重な歴史・文化的景観に恵まれた地域を形成しています。そのため、市浦地域は日本海・津軽山地・十三湖など恵まれた自然環境と歴史遺産を育む文化的景観のなかで、十三湊安藤氏関連遺跡を軸にした史跡型観光を重要な行政施策として取り組んできました。 しかし、市町村合併によって、状況は大きく変化しました。さらに、市浦地域は飛地合併という目には見えない大きな壁が立ち塞がり、陸の孤島になってしまった感じさえしています。特に少子高齢化や過疎化が極めて進行している地域です。市浦地域の合併前の人口2,968人から現在は2,004人(2020年5月)とさらに減少しています。このまま新たな地域づくりを進めなければ、近い将来は限界集落に陥るものと危惧しています。 市浦地域は十三湖のシジミ産業が有名ですが、それ以外の基幹産業に乏しく、これまで役所・行政機関が基幹産業の役割を担ってきた地域と言っても過言ではありません。そのため、右肩下がりの日本経済のなかで、市町村合併とその後の行財政改革によって公共サービスの低下は避けられず、行政に頼ってきた地域住民や行政に携わる私にとっても、どうすることもできずに忸怩たる状況が長く続きました。 3. かだる(語る)ことから始まった地域活動
当団体は、"明るく・活力ある・心豊かに暮らせるまち"にするために「なんでもかだるべ」(みんなで参加し、みんなで語ろう)という気持ちで組織されましたが、市浦地域のもつ魅力を語り、まずは市浦地域の住民が自ら地域の良さを知り、誇りを持てるような地域を取り戻すにはどうすべきか、地域の皆でできることを考えながら、それぞれ個人の得意分野・能力・経験を集結させ、まずは一緒に「かだる」(語る)ということが初年度の事業内容そのものでした。 そのため、まずは地域住民や子どもたちに呼びかけて、座談会や勉強会を重ねました。テーマは特に設けず、地域の方が日頃思っていることを参加者全員で「かだる」(語る)ことでした。もちろん行政に対する不満も出てくるので私にとっては肩身が狭い思いをすることもありましたが、参加者全員で意見を出して語り合い、すっきりした後で、「それでは今の自分に何ができますか?」と問いかけることにありました。一人ひとりが「かだる」ことで、地域課題を見つめ直し、薄れつつある人との繋がりを取り戻し、自分たちでもできる地域資源を活かした町づくりを考えるきっかけとなりました。 また、地域活性化に携わる方の講演会を開催したり、仲間どうしで講演会に参加する機会が増えていきました。そのなかで、自治体職員を退職されたある講師の言葉に大変な衝撃を受けました。その方は、参加した行政関係者に向かって次のように語りかけました。「行政の方(自治体職員)は自分が暮らす地域を良くする仕事に就けて、なおかつ、お金までもらえることに大いなる喜びを感じるべきだ。それに気付いた方から、地域活性化に係わってほしい。」この言葉は、事あるごとに思い出され、忘れられない金言となっています。まさにそのとおりだと思い、目から鱗が落ちる体験をしました。こうして、徐々に地域活性化に係わる人々との交流がはじまり、普段携わる行政の仕事では決して得ることのできない人々との交流や人脈が生まれていったのです。 4. これまでの主な活動 当団体では、2年目の2011年度から本格的な活動が始まり、自分たちでできることを実践していきました。市浦地域の人・自然・歴史・伝統文化など、市浦のかけがえのない魅力の数々を、地域住民や子どもたちだけでなく、市浦を訪れる人たちとも交流を深めることで、改めて市浦の魅力や恵みを感じてもらうことを目的に、市浦地域で3つの柱となる体験・交流活動を行ってきました。なお、2010~2012年度にかけて五所川原市の市民提案型事業、2012~2015年度にかけて公益財団法人青森県市町村振興協会の地域づくり推進ソフト事業の助成金を頂いて、事業を実施してきました。 (1) 農産物収穫体験事業と津軽山王坊豊年祭(お田植祭・抜穂祭)〔主な活動:①田植え体験、②稲刈り体験、③山王坊お田植祭、④山王坊抜穂祭〕 地域の子どもたちと田植えや稲刈りなどの米づくり体験や昔ながらの脱穀作業を通じて、自然に触れ親しむことができる農産物収穫体験を行いました。自然環境が豊かな市浦地域にあっても、これまで田植え・稲刈りを経験した子どもが少なく、お米がどうやって取れるのかほとんど知らなかったのです。また、農家の苦労も体験できて、食に対する感謝の気持ちを持つことができ、子どもたちには大変好評でした。米づくり体験として始まった活動でしたが、2015年度には山王坊日吉神社で津軽山王坊豊年祭として、春には田植えの伝統行事である「お田植祭」、秋には稲の収穫を感謝する「抜穂祭」という行事にまで発展し、新たな伝統文化として開催できるまでになりました。 また、「抜穂祭」では山王坊奉納舞踊公演以来ご縁を頂いた立花寶山さん(宗家立花流の三代宗家)作詞・サエラ(五所川原市出身のピアノとボーカルのデュオ、高橋朋子さん・菊地由利子さん)作曲による津軽山王豊年踊唄「嫁こさ来い」が完成し、新たな伝統芸能として奉納、披露されました。2016年度以降は、新たに「津軽豊年祭実行委員会」が組織され、より多くの個人や団体の方々と協力し、祭りも盛大なものになってきました。津軽山王坊豊年祭(お田植祭・抜穂祭)を新たな伝統文化として定着させ、地域活性化に繋げていきたいと考えています。
(2) 里山再生と自然体験事業
(3) 歴史文化交流体験事業
5. まとめ 以上、地域資源を活かした、地域住民でもできる地域づくり活動について報告しました。そこには行政に極力頼らず、市浦ファンになったくれた外部の専門家の指導を仰ぎながら、自分たちが楽しく取り組める内容のものばかりです。もちろん、こうした活動はすぐに地域活性化に結びつくものではありませんが、今何かをはじめなければ、地域が消滅してしまうという危機感は常にあります。最後に、現在、新型コロナウイルス感染症拡大の影響により、日本中で経済活動や社会活動の自粛が余儀なくされています。そんな中、2020年の山王坊日吉神社「お田植祭」は、関係者だけの参加でしたが、りっぱに神事を行うことができました。当初、祭り事務局でもある私は、役所で新型コロナ対応をしてきたように、開催中止も止むを得ないとして、中止する方向で連絡調整しておりましたが、メンバーの皆さんから「感染症流行の鎮静化を祈願する神事にして、関係者だけでも開催しよう。中止すれば続かないよ。」と言われ、やり方を変えればできないことはないということを改めて気づかされました。このように、人と人との繋がりの大切さを改めて実感しています。新型コロナウイルスにも負けない「地域づくりは人づくり、否、自分づくりである」ということが、これまでの活動を通して実感できたことです。 そして、地域づくりの活動が新たな地域活性化に向けた原動力となり、次世代を担う子どもたちが愛着の持てる地域に繋がっていくものと信じて、これからも活動を続けていきたいです。
(今回の報告は、第36回宮城自治研集会第5分科会で発表した内容を加筆修正したものである。) |