1. はじめに
大阪の変貌「水の都」から「煙の都」へ、『1882年(明治15年)に設立された大阪紡績の、近代紡績業として初めての企業的成功は、大阪経済の再生を工業化の方向に舵取りすることになった。明治20年代には紡績業を軸として、大阪は商工業都市として再生し、「東洋のマンチェスター」と称される基礎を築いた。そしてそれは「水の都」から「煙の都」への変貌も意味していた。』
また、小説家田辺聖子さんの「世間知らず」(1977年)では、『「大阪って薄汚い町でええことありません。今日みたいにスモッグがひどいとよけい汚のうて、おかげで男の人の顔が霞んで、どんな人でも男前に見えますわ」』という、大阪の風景が映し出されています。
2. あれから50年
(1) 伝えていこう、公害の歴史
1927年「大阪市煤煙防止調査委員会」発足、1950年「大阪府事業場公害防止条例」制定、1956年「大阪市内のスモッグ発生日数は年間88日で戦前水準抜く」、1963年「西淀川保健所の測定で二酸化硫黄濃度は0.382ppmを記録。朝日新聞『視界は50メートルにも達しない』と報じる」、1963年「大阪市公害対策部を設置」、1967年「公害対策基本法制定」、1970年「大阪市が西淀川区を大気汚染緊急対策地区に指定、公害機動隊を配置」、「第64回臨時国会開会、公害対策基本法改正など公害関連15法案が成立」、1971年「環境庁設定」、1973年「公害健康被害補償法制定」、1978年「西淀川公害裁判提訴」、1988年「公害健康被害補償法改訂施行」という歴史の中で、「東洋のマンチェスター」という「煙の都」から環境基本法に列挙される典型七公害(大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、悪臭、地盤沈下)の改善が図られてきました。
(2) 伝えていこう、温暖化の歴史
1977年「世界気候会議(WMO)が、温室効果による温暖化を警告」、1985年「オゾン層の保護に関するウィーン条約」採択、1992年「気候変動枠組(温暖化防止)条約、種の保存法ができる、地球サミット開催(ブラジル、リオデジャネイロ)」、1993年「環境基本法施行」、1997年「気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3 地球温暖化防止京都会議)」、1998年「地球温暖化対策の推進に関する法律制定」、2001年「環境庁から環境省へ再編」、2005年「地球温暖化防止のための『京都議定書』の発効(2月16日)、日本の削減目標は、2012年までに1990年比で6%削減」という歴史の中で公害から環境、地球温暖化へという課題に直面しています。
(3) 伝えていこう、COP3とCOP25
① 地球温暖化の対策に向けて(COP3)
1997年12月に京都で開催された気候変動枠組条約第3回締約国会議(COP3、京都会議)では、先進国及び市場経済移行国の温室効果ガス排出の削減目的を定めた京都議定書が採択されました。
この京都議定書は、21世紀以降、地球温暖化問題に対し人類が中長期的にどのように取り組んでいくのかという道筋の第一歩が定められたものとして高く評価できます。
② 地球温暖化の対策に向けて(COP25)
「15才の環境活動家グレタ・エルンマン・トゥーンベリも参加した第25回気候変動枠組条約締約国会議(COP25)は2019年12月にマドリードで開かれたが、具体的な削減数字を国際的に約束させることはできなかった。今世紀の地球温暖化を2℃以下に抑えようとする国際合意はあるが、現状の各国の二酸化炭素削減目標ではこの合意を達成できそうにない。」
3. 大野川緑陰道路にグリーンスローモビリティ導入
(1) 大野川の歴史
「1968年大阪市は汚濁が目立つようになった大野川を埋め立て、高速道路の建設計画を発表したが、住民が反対運動を起こし、計画は白紙に。1972年に緑陰道路が建設されました。」
写真は、埋め立て前のどぶ川だったころの大野川(※西淀川区制70周年記念事業実行委員会発行「西淀川今昔写真集」)
(2) グリーンスローモビリティ導入って?
「2015年に締結されたパリ協定に基づき、21世紀後半には温室効果ガス排出の実質ゼロが国際的枠組みとして目指されています。我が国では、この低炭素社会の実現のために、環境政策を契機に経済・地域などの諸課題の同時解決を図るような『環境・経済・社会の統合的向上』を具体化した取組が求められているところです。
国土交通省では、この『環境・経済・社会の統合的向上』の考え方に基づき、高齢化が進む地域での地域内交通の確保や、観光資源となるような新たな観光モビリティの展開など、地域が抱える様々な交通の課題の解決と、地域での低炭素型モビリティの普及を同時に進められる『グリーンスローモビリティ』の推進を行っています。
グリーンスローモビリティとは、電動で時速20km未満で公道を走る事が可能な4人乗り以上のパブリックモビリティ。導入により、地域が抱える様々な交通の課題の解決や低炭素型交通の確立が期待されます。」(※HP国土交通省)
(3) 大野川緑陰道路にグリーンスローモビリティ導入
大野川緑陰道路は、八丁大橋跡(歌島2丁目)から淀の水橋跡(百島2丁目)間の約3.8kmを横断する歩行者・自転車専用道路です。
大野川緑陰道路には、JR塚本駅・御幣島駅、阪神姫島駅・福駅という交通のかなめとのクロスオーバー、また区役所、図書館、病院、市営住宅、学校、区民会館などの公共施設、社会資源とのクロスオーバーする立地に恵まれています。
西淀川区内の交通量は、現在でも相当数になっており、特に、地域特性にもなりますが、移動発生源の大型トラックが多いのが特徴です。当然、大型トラックでも「公害」「環境」「地球温暖化」などの観点から改善が図られています。
西淀川区の地域の高齢化が進むなかで地域内交通の確保の観点、さらに、淀の水橋跡から大阪市内唯一の海岸「矢倉海岸」へのアクセス、観光資源となる観点から、夢物語のスタートになりますが、「これから50年」グリーンスローモビリティ導入というツールを考えていきたいと思います。
4. 公害健康被害補償法
(1) 公害認定をめぐって
「大気汚染公害の被害が激甚だった頃、西淀川には多数の公害患者が発生した。子どもの場合、公害病によって学校に通うこともままならず、大人は『いつ発作が起きるかわからない』などという理由で職を追われ収入が減り、高い治療費の支払いに生活は困窮していった。
『公害健康被害補償法』に基づいて、公害健康被害者や遺族等に対して、補償給付が行われるようになると、『金目当てのニセ患者ではないか』と揶揄されたという。夜には激しい発作で苦しんでいても、昼には健康そうに見えることから、そうしたうわさが流れた。
公害健康被害者と認定されるためには、医師の診断が必要であり、自治体に設けられた認定審査会で審査が行われている。また、毎年、医師の診断による見直し、3年おきの更新が必要である。そのため、実際には、患者ではない人が公害被害者として認定されることはない。西淀川だけで7,000人以上が認定されている。」
(2) これからもつながっていく
1988年「公害健康被害補償法改訂施行」以降、新規の患者は認定していません。現在は、その当時の公害患者さんの医療費や補償給付を行っています。
近年、患者さんの高齢化に伴い、認知症の患者さんの対応、施設入所・寝たきりの方の検査、単身者が死亡した場合の遺族補償関係など、法制定の時期には想定をしていない事象が増大しています。
今後、公害健康被害補償法の「第一条 この法律は、事業活動その他の人の活動に伴つて生ずる相当範囲にわたる著しい大気の汚染又は水質の汚濁(水底の底質が悪化することを含む。以下同じ。)の影響による健康被害に係る損害を補填するための補償並びに被害者の福祉に必要な事業及び大気の汚染の影響による健康被害を予防するために必要な事業を行うことにより、健康被害に係る被害者等の迅速かつ公正な保護及び健康の確保を図ることを目的とする。」の趣旨を、次の世代の方につなげていかなければなりません。
5. これから50年
(1) 2020年3月29日「矢倉で乗っちゃえ! 気球フェス」
大阪市唯一の海岸のある緑地、西淀川区矢倉緑地で気球に搭乗できるイベントが告知され申し込みをしました。
気球に乗って、西淀川区を起点に、大阪湾、大阪平野を見て、当時の大気汚染の町を感じながら「あれから50年、これから50年」のまとめにする予定でした。
想定外のことになりましたが、2020年1月から世界を震撼させている新型肺炎コロナ感染症の影響で、「矢倉で乗っちゃえ! 気球フェス」が中止になりましたので、まとめのところの思いがかないませんでした。
(2) 大野川緑陰道路と阪神電鉄「福駅」
かつて、公害・大気汚染の被害が激しかったころ、大野川はどぶ川と言われました。
その改善に向けて、発生源に対する規制をかける法整備の取り組みや、地域の意識改革があり、長年の積み重ねにより「大野川緑陰道路」に姿を変えて、現在、区民の憩いの場として親しまれています。
大阪ならではの発想かもしれませんが、先人たちの知恵で川を道路に変身させました。あれから50年が過ぎ、この道路に無公害の車を走らせることは、これから50年につながるものだと思います。
余談ですが、矢倉緑地の最寄りの駅は、阪神電鉄「福」駅です。温暖化の取り組みを続けることは、「福」を呼び込めることだと信じて、引き続き継続していくことが重要です。
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