【自主レポート】 |
第38回地方自治研究全国集会 第9分科会 「やっぱはまりで、ぬぐだまる」(津軽弁) |
過疎地に1つしかない公立病院の存続問題です。財政難の理由から提案があった診療所への転換、撤回からの指定管理者制度の導入。当局の対応が二転三転し短期間で決められました。指定管理者との連携も悪く、現場は翻弄されるばかりでした。最終的に当初提案の診療所となり、退職か事務職への配置転換を強要され、組合員の職場が失われました。予定にない財政負担も多くあり、まさに「大山鳴動して鼠一匹も出ず」でありました。 |
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1. はじめに 北広島町は、広島県の西北部、西中国山地の標高300メートルから800メートルの盆地、高原に広がる芸北地域のほぼ中央に位置し、北は島根県と接しています。また、広島都市圏から瀬戸内海の島々の水源地域で、太田川と江の川の源流域でもあります。春の新緑、夏の清流、秋の紅葉、冬のウインタースポーツを求めて、大勢の観光客で賑わいます。古くから山陽と山陰を結ぶ中継地として栄え、中世には砂鉄の産地でもあり、戦国武将・毛利氏、吉川氏の遺跡群も数多く残るほか、神楽や田楽などの民俗芸能、ブナの森、湿原、動植物などの貴重で雄大な自然と田園文化が息づく町です。豊平病院は、その中でも広島市に近い豊平地区に位置します。豊平地区は、北広島町の中でも特に高齢化率の高い地域で、地域住民(豊平町)の唯一の医療機関として豊平病院は必要不可欠な施設です。 北広島町人口 18,467人 高齢率38.0% 豊平地域人口 3,324人 高齢率49.8% (北広島町住民基本台帳世帯数及び人口より2020年1月末現在) 2. 豊平病院の経過
豊平病院は旧豊平町から地域住民(豊平町)の唯一の医療機関として運営してきました。2005年に町村合併以降、地方公営企業法の全部適用となり豊平病院労働組合を結成しました。 (2) 突然の指定管理 2015年11月医師不足・赤字経営を理由に、突然翌2016年4月から「直営の無床診療所の移行」の提案が町当局からありました。その後翌2016年1月に突然、指定管理者制度を導入するとあり、わずか2カ月あまりで議会承認され、準備期間の短い中、病院施設のまま3年間継続することが決定されました。 (3) 指定管理の迷走
何度も交渉を行いましたが、交渉を拒否されることもあり就業規則・給与規則など締結が遅れました。整形外科が専門であったが経営に実績がなく、再建計画は示されましたが、大きな医療設備投資や人材確保など、周辺地域で医療機器を活用する流れに反するMRI、オペ室の整備など、町費に多大な負担を求める内容でした。人材は柔道整復師を中心としたリハビリテーションの提供と一番の課題である医師確保をないがしろにされたままのスタートとなりました。 外来患者は増加しましたが、不足の医師・看護師の確保は困難。一番の収益源の入院患者の増加は認められませんでした。MRI利用は想定の3分の1程度、手術を必要とする人も限られ、手術する医師もいない状態では、費用対効果を誤った計画だと多くの人が考えたと思われます。 当局との折り合いも悪く、2018年秋、町長は前指定管理者に見切りをつけられた豊平病院の新たな指定管理者を決め、無床診療所として運営することを提案してきました。町当局からは「無床診療所」提案後に職員への説明があり、その後町民への説明が行われました。説明地域は町全体でなく各地域でも行われました。 地域毎の説明時は提案への反対・町長への非難・大声での罵声、前指定管理者が出席し町長との押し問答があり、耳をふさぎたいような状態で、説明後の町長の待ち伏せなど町長の命を心配するさまでありました。結局、地域住民からの納得が得られず、中途半端なまま診療所への運営変更となりました。 その後は説明がなく、「地域医療を守る会」が町民全所帯へ署名活動を行い町長へ「無床診療所反対」の陳情書が送られましたが、「無床診療体制」の経営変更は変わらず、議会でも承認され、町民・職員の納得がないまま、3年前の提案である「無床診療所」へ移行・実行されることとなりました。 まさに、「大山鳴動して鼠一匹も出ず」。 (4) 豊平診療所への移行 目標にしていた黒字経営は難しく、病院のままでの継続は困難であると、再度当局より「無床診療所」の提案があり、3年間の期間満了による指定管理者の撤退に伴い、2019年4月から新たな指定管理者が診療所を運営することとなり、現在の豊平診療所に移行しました。 現在、豊平診療所の1階は診察室と小規模多機能施設となり、2階は老人施設に改装されました(財源は北広島町より支出される)。 ① 職員の処遇・身分 2016年4月から2019年3月まで豊平病院で働いていた病院スタッフは事務職も含め全員が公務員の身分のままで派遣職員となりました。 指定管理終了に伴い、町営ではない診療所となったため、身分は公務員ではなくなりました。そのため、職員全員が病院を退職し、町職への職種変更や、他医療施設への就職、退職となりました。それぞれが悩み結論を出しました。ストレスで不眠や精神的に不安定になった職員も、「地域住民のために3年間頑張ってきた、我々も住民なのに」と涙を流す職員もいました。 2019年4月から新たな指定管理の無床診療所となり、身分は公務員ではなくなりましたが、4人の看護師、2人の職員が引き続き豊平診療所へ勤務しています。 ② 診療所に移行後の診療体制 ◆診療科目:内科・循環器内科(2回/月)・整形外科(1回/月)・リハビリ(通所・訪問)・訪問診療・訪問看護 ◆医師:内科(常勤医1人・非常勤医5人)・整形外科(非常勤1人) ◆非常勤内科医は安佐市民病院から3人・広大病院から1人・指定管理施設から1人 ◆スタッフ:事務2人 看護師5人 リハビリ(理学療法士1人) ◆診療日:月曜日~土曜日(木曜日・土曜日は午後休診) 休診日は、日曜日・祝祭日、お盆(8/14~8/16)、年末年始(12/29~1/3)、5月最終土曜日 ③ 診療実績
3. 豊平病院職員のその後 (1) 慣れない医療以外の仕事他医療施設へ就職した職員は、他の先輩職員とコミュニケーションを取りながら夜勤勤務や日常勤務をしています。北広島町役場行政職へ職種変更した職員は、慣れない環境・パソコン作業・住民への対応に手こずりながら仕事をこなしています。職変後、頑張っていた職員がパワー・ハラスメントと思われる状態で退職してしまいました。前指定管理の施設へ転職した柔道整復師・理学療法士は、前指定管理者施設と豊平診療所間の通所リハビリの送迎バス運転手として豊平診療所を訪れることもあると聞いています。 (2) 町民の思い ① 診療所に残ったスタッフの思い 「遠くへは行きたくない、豊平に住みたい」という思いは変わりませんが、医師、看護師・スタッフはこのまま地元に残って働きたい、住民の健康を守りたいと思っています。旧豊平地域には豊平診療所が唯一の医療施設であるのは変わりませんが、残って働いている看護師・事務スタッフは以前から顔なじみの職員であり、町民とのコミュニケーションの問題は診療所移行後も少ないと思われます。 ② 町民の思い 豊平診療所は、この地域に1つしかない施設であるため、遠くへは通院できない状況です。だから利用しているという住民もいるため、外来患者数の激減がないのではないか。また、無床であり入院施設がないので、状態により早急な紹介や転送はされており、近辺に老人施設があります。今までは緊急時は豊平病院へ入院していましたが、今はできない状況です。北広島町内の医療施設が緊急時の対応をしてくれているような状態です。 ③ 看取り これからは、自分の産まれた豊平地域では十分な在宅医療はありません。自宅・豊平での「死」を迎えることが難しくなり、「死」=「看取り」が医療従事者だけでなく介護者に降りかかってきます。介護職員の負担は、業務だけでなく、精神的に計り知れません。 2020年1月28日にNHKで放映されたテレビ取材を受けた豊平診療所の派遣医師は、「介護者の看取りは医療従事者と知識・経験が違う、ストレス・メンタル的な問題も出てくる」と話しています。診療所は訪問看護をしていますが、定期的ではなく往診も限りがあります。 目標としている芸北地域での地域医療は、十何年もかけ積み上げた地域医療・在宅医療があり、患者・家族教育もされています。すぐに診療所での充実した在宅医療は望めないことから、住民・看護従事者・介護者の不安は大きなままです。 ④ かかりつけ医 豊平地域の患者の中には「かかりつけ医」のことを理解されている方もいます。現在の豊平診療所の医師が「かかりつけ医」であり、緊急時は対応してもらえると理解しています。実際、受け持ち医師に「かかりつけ医」について質問・確認したと、患者に聞いたこともあります。診療所へ運営変更の説明の際、他施設への受診の際の交通手段として豊平診療所・旧千代田町地区へのバスの確保の提案がありました。一度の利用があったようであるが、利便性が悪く現在保留中です。交通会社がアンケートを取ったと聞きましたが、明確なものはありません。 今までに1人利用されたと聞きましたが、始発場所が豊平診療所であり、そこまで来なければなりません。運転免許証を持っていなければ、それは困難ですし、交通費の負担も大きいです。そのため、以後の希望者がなく実現性は少ないと見込まれます。 ⑤ 診療所に経営形態変更後 1年後の様子 小規模多機能施設が1階の前診察室に移動し、6月から再開しました。診察室の工事も終了し、新しい診察室での診察がはじまりました。 現在のコロナウイルス感染の問題は北広島町でも心配です。感染は県北部まで拡大していますが、最も隣接した安佐北区での感染は確認されていません。しかし、患者の不安は少なからずあるようで、診療所は旧豊平地区の医療施設であり、全県医療施設同様、感染予防・感染拡大防止に注意している状況です。 対応としては、咳・発熱等疑いが心配であれば必ずバイタルサインのチェックを行い、「安静室」という別室で待機し、診察は診察室では行わないこととしています。診察医はマスク・フェイスシールドを使用し、感染が疑われる場合は、速やかにコロナ感染対応医療施設へ転院します。住民の医療を守り、安心した生活も守る努力は続けています。 4. 広島県地域医療構想 2019年9月27日中国新聞に、広島県の公的医療機関のあり方の記事が掲載されました。その中に、廃止すべき病院に「豊平病院」の名前がありました。すでに診療所化されていましたが、世の流れは、豊平には無情でした。しかし、北広島町長はこれにより先に診療所としたことで、先見の明があったのだろうか。いろいろな苦悩が思い出されます。 広島県は2016年3月地域医療構想を策定しました。自治体立病院もこの構成を踏まえ、積極的に病床転換や病床削減に取り組みました。「再編・統合」「急性期・回復期」「ベッド数削減」「赤字解消」などいろいろな政策が打ち出されています。医療再編の流れが止まらないのはしかたないことかもしれません。しかし、転換期に行うべきことは、住民への現状周知と意見の収集、それを基に実行可能な地域医療案を見出し、何度も話し合うことだと思います。また、労働者にも同様の作業を行うことで医療職が集まりにくい中山間地域に根差した医療体制を支えてくれる人材確保につながります。財源不足の中、住民の医療を守り取捨選択をする政策を実行するべきではないでしょうか。 5. さいごに 指定管理者制度の利点を有効に活かして病院の立て直しと継続可能な医療体制を考えて導入・稼働すべきではないでしょうか。慎重に指定管理者は決定しなければなりません。はたして、豊平病院は診療所になり、問題は解決したのでしょうか。豊平地区医療を住民の幅広い意見を聞かず、時間をかけないでそそくさと決め、行き当たりばったりの3年間のツケがまわった結果が、地域から入院病院を奪い、想定よりも膨大な税金補填、加えて豊平地区最大の職場を奪う結果となりました。 「苦渋の選択をした決定者・職員の本心を聞いてみたい」「3年前に戻ってやり直したい」「頑張ってやった結果がこれか」と住民・職員の思いはいろいろあったと思いますが、3年間で得をしたのは誰なのでしょうか? もうすぐ1年を迎える豊平診療所の駐車場に止まる車の台数は少なくなりました。その代わり、現在2階に高齢者施設の改築工事で工事作業車の往来があり賑やかである。 毎日通った場所が近寄りがたい建物になりました。豊平病院から離れても職員は頑張っています。元職員として、住民として旧豊平町はわが町です。いつまでも住み続けたい、最期を迎えたい町です。それがだんだん難しくなっており、自分の老後や家族の老後はどうなるのだろうかと思ってしまいます。 これまでの経過は「地域医療」を大切に考えているものではなく、こうした結果は、北広島町・豊平病院だけの問題だけではありません。いつ、どこの市や町で起こるかわからないことであり、その地域に必要とされる地域医療とは何なのかという根本的な問題に対し、自治体のあり方や、そこに関わる人間の取り組みが問われるものです。 今思うに後悔は残りますが、ともに考え、行動していただいた県本部・基本組織役員・組織内議員のみなさん、少数ではあったが組合員の力・団結・交渉の大切さに感謝し、そして、豊平病院を愛してくださった町民のみなさんに感謝します。 |