【自主レポート】

第38回地方自治研究全国集会
第10分科会 北の地から見つめる平和

 放射線影響研究所労働組合は、平和的目的の下、放射線の人に及ぼす医学的影響およびこれによる疾病を調査研究し、原子爆弾の被爆者の健康保持および福祉に貢献するとともに、人類の保健の向上に寄与することを目的に設立された公益財団法人放射線影響研究所の労働組合です。前身はABCC(Atomic Bomb Casualty Commission:原爆傷害調査委員会)であり、70有余年の歴史があります。ABCC時代からの経緯や調査研究費用は日米折半という特殊性を紹介するとともに、現在の労組が抱える情勢と課題、そして平和への取り組みについて報告します。



放射線影響研究所労働組合の抱える課題と
平和への取り組み

広島県本部/放射線影響研究所労働組合 安原 由則

 放射線影響研究所労働組合(以下:放影研労組)は広島と長崎に置かれている、公益財団法人放射線影響研究所(以下:放影研)の労働組合として、前身のABCC(Atomic Bomb Casualty Commission:原爆傷害調査委員会)労働組合を含めると、60有余年の歴史を持つ伝統ある組織です。今回、第33回地方自治研究広島県集会への参加にあたり、ABCC放影研の歴史を振り返りながら、現在の労組が抱える情勢と課題、そして平和への取り組みについて報告させていただきます。

1. ABCC ―― 放影研の沿革と労組の抱える課題

(1) 原爆投下とABCCの設立
 人類史上初めての原子爆弾が1945年8月6日に広島、続く9日に長崎に投下されました。これにより、広島で約11万4千人、長崎では約7万人が直接被爆により亡くなり、また、生き残った人々は原子爆弾から放出された放射線により、後々まで影響を与える障害を負うことになりました。
 終戦後、米軍はいち早く原爆の被害状況を調査するために専門家による調査団を派遣し、これに日本の専門家も参加、いわゆる「日米合同調査団」が結成されました。この調査報告書が時のトルーマン米国大統領に提出され、これを受け1946年11月、トルーマン大統領は原爆による後障害の調査研究を行うよう、学術団体である米国学士院・学術会議に指示し、1947年3月、放影研の前身となるABCC(原爆傷害調査委員会)が設立されました。これは、米国原子力委員会との委託契約に基づいて、広島・長崎における原爆による放射線の人に及ぼす医学的影響ならびに疾病に関する調査研究を実施するために設置された研究機関でした。
 1948年からは厚生省所管の国立予防衛生研究所(以下:予研、現在の国立感染症研究所)が参加し、日米共同研究として原爆被爆者についてさまざまな調査が行われましたが、実質的にはABCCが主体であり、予算面でもほとんどが米国側の負担でした。ABCCの設立目的は被爆者について原爆放射線の健康影響を長期的に調査することにありました。当時の日本は連合軍の占領下にあり、原爆を投下した米国が被害者である被爆者を調べるということで多くの批判や反発があった事も事実です。市民の目に人権無視の調査として映ったであろうと容易に想像がつきます。また、調査のみで治療はしないことへの批判もあり、ABCCに対する市民の反発感情は大変大きなものでした。

(2) ABCCの日本人職員が置かれた労働環境と労組の結成
 ABCCを引き継ぐ我々放影研職員はこうした不幸な時期のできごとを複雑な思いで見つめ、また先輩職員がどのような思いで仕事に向き合われてきたかを伝え聞いております。亡くなられた被爆者の解剖のためにご遺族に献体依頼に行けば、ハゲタカ呼ばわりをされて追い返されたり、ABCCの設立目的はきたる核戦争のための防衛戦略の一環であり、米国のもとで働くABCC職員は非国民であるという声を浴びせられたりと、大変な精神的、肉体的苦労があったとうかがっています。さらに米国人の下で働く日本人職員の雇用は期限付きの契約制で、日常のしぐさ、振る舞いが米国人上司の意にそぐわなければ即刻指名解雇されるなど、不当解雇が日常的に横行していたそうです。これが契機となり、日本人職員で組織されるABCC運輸部労働組合の結成にいたり、時を経て、労組は研究員を除く、一般職員の全所的な組織へと発展しました。

(3) ABCCから(財)放射線影響研究所への再編・改組
 その後、米国の経済情勢の悪化に伴い、ABCCは予算の大幅削減および日本側の分担を迫られ、存続の危機に追いやられました。これに対し、ABCC労組は1970年より、日米当局に対してABCC ―― 予研支所を被爆者の医療と福祉に直結した機関として再編・改組し、併せて組合員の雇用・労働条件を安定せよと要求するいわゆる「ABCC ―― 予研支所再編闘争」を展開しています。そのたたかいは内外の幾多の妨害にもかかわらず、国内世論へと大きく発展し、闘争5年目にしてついにABCC ―― 予研支所体制を発展的に解消し、日本主導による「財団法人 放射線影響研究所」に改組、新体制の確立を実現させました。

ABCC ―― 予研支所再編改組にむけた座り込み
 かくして、1975年4月1日、ABCCおよび予研支所は発展的に解消され、外務、厚生両省共同所管の公益法人である財団法人 放射線影響研究所へと再編・改組、これに伴い、ABCC労働組合も名称を放射線影響研究所労働組合に変更しています。新たな財団法人の設立目的は寄附行為によると、「平和的目的の下に、放射線の人に及ぼす医学的影響およびこれによる疾病を調査研究し、原子爆弾の被爆者の健康保持および福祉に貢献するとともに、人類の保健の向上に寄与すること」とし、米国側の所管はエネルギー省と米国学士院となっています。

(4) 放射線影響研究所の管理・運営および予算配分の法的根拠
 放影研の調査研究活動に必要な経費については、日米平等負担を原則とし、設立・管理運営については日本国民法の適用を受ける等を相互に確認した「財団法人 放射線影響研究所の設立に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の交換公文」が取り交わされています。その後、2012年4月1日、内閣総理大臣から公益財団法人への移行認定を受け、「公益財団法人 放射線影響研究所」に改称しました。当法人の運営および予算配分については、「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律(被爆者援護法)」第40条(調査および研究)が1994年12月に成立(翌7月施行)し、法制化されています。
 当条文では、① 国は原子爆弾の放射能に起因する身体的影響およびこれによる疾病の治療に係る調査研究(原爆放射能影響調査研究)の推進に努めなければならない、② 国は原爆放射能影響調査研究の促進を図るため、公益社団法人又は公益財団法人であって、原爆放射能影響調査研究を主たる目的とするものに対し、予算の範囲内において当該法人が行う原爆放射能影響調査研究に要する費用の一部を補助することができる、としています。また、これに併せ、国会の附帯決議として「放射線影響研究所の運営および予算配分について、その改善を図るとともに、移転対策を推進するよう努めること」が採択されています。この被爆者援護法の成立および国会の附帯決議の採択は、放影研労組が自治労中央本部放影研問題対策会議とともに中央行動を行い、厚生省、米国エネルギー省、米国大使館に対する要請行動を行った成果として大きく結実しました。

(5) 放射線影響研究所の将来構想
 放影研の将来像について、2006年に日米両政府によって設置された「放射線影響研究所の将来構想に関する上級委員会」(上級委員会)の報告書(別添1)において「LSS(Life Span Study:寿命調査)、AHS(Adult Health Study:成人健康調査)、被爆二世(F1)、胎内被爆者の各コホートの追跡を少なくとも今後20年間、もしくはコホートが消滅するまで継続するべきである」とし、また、「前述の中核調査が終了した後に、放影研が取り得る選択肢の範囲として、記録や臨床試料の管理をし、要請があれば適切な独立した研究者達にそれら資料/試料を提供する『保管所』のような最小規模の機関から、放射線に関連した健康影響、および蓄積されたコホートデータと臨床試料により可能となる放射線に関連しない健康影響の研究において世界の中心であり続ける機関にまで渡る」としており、「後者の形態の機関となれば、放影研は放射線健康影響研究の卓越した研究拠点(Center of Excellence : COE)とみなされるであろう」ことが指摘され、「活気に満ち溢れた研究機関という後者の選択肢が適切なものである」と結んでいます。
 この勧告に則り、放射線影響研究所将来構想2015においても、長期的目標として、「蓄積された貴重な研究資源を軸にしたグローバル共同研究事業を促進し、原爆およびその他放射線被曝の長期的健康影響を対象とする、より質の高い研究の遂行とその成果の情報発信に努める」こと、そして「国際機関を含めた世界の研究者との連携を強化し、世界のすべての人の健康と福祉へさらに大きな寄与ができるCOEの形成をめざす」ことが掲げられています。また将来方針の実現のための短期的課題として、運営改善があげられ、その一つに研究資源センターの設置を計画し、放影研で保管するすべての研究資源を一元的に維持管理することをめざしています。その一環として2015年4月より生物試料センター(現:バイオサンプル研究センター)が本格稼働し、内部研究および共同研究の支援を行う中核的な施設として将来構想実現にむけて大きく前進しつつあります。
 将来の調査研究に備えて、成人健康調査対象者ならびに被爆二世臨床調査対象者の協力を得て1969年から開始した生物試料の収集は、血液試料など合わせて約190万点におよびます。保存試料のうちリンパ球については液体窒素タンク(-196℃)で、血清、血漿、血球および尿については超低温冷凍庫(-80℃)で保存しています。試料保存スペースの確保のため、2015年6月に放影研広島研究所の生物試料センターに自動搬送式冷凍保存システム(-80℃、BioStore Ⅱ)通称 ロボット式フリーザーが導入され、2016年3月に運用を開始しました。将来的には、病理試料や歯の標本の保管整備について順次計画を進めるとともに、国内外の研究者らが放影研の生物試料に関する情報を共有できるように生物試料の情報に関するデータベースを構築し、また保存試料の利活用のための細則および運営要領を作成する予定です。

(6) 放射線影響研究所の抱える課題
 放影研では今後の研究施設の在り方と人員確保のための予算措置が喫緊の課題となっています。定員については1975年の放影研設立以来減少を続け、1975年当時の期首実員588人に対し、2020年現在、期首実員はわずか188人です。さらに2014年に打ち出された政府職員の向こう5年間の10%の人員合理化方針に沿って、放影研においても定数削減計画が実施されており、今後も継続して行われる見込みです。現在の年齢別男女別職員構成上、これ以上の削減は新規事業の推進による従来業務への影響等も重なり、近い将来における人員不足による事業継続の危機が想定され、すでに限界に達しようとしています。このままでは人員不足により、質の高い調査・研究の維持は望めず、加えて、労働条件、労働環境の悪化による組織活力の低下が懸念され、新規研究事業の推進すら困難となることが予想されます。

(7) 放影研労組の課題への取り組み
 放影研労組としては、近い将来起き得るこの深刻な事態は是が非でも避けなければならないと考えています。同時に将来構想にある、卓越した研究拠点(COE)として世界に発信し続けるためには、将来を担う若手職員の確保はもとより、研究施設・環境の充実、および研究体制の強化が最重要課題です。上級委員会の報告書においても、「卓越した研究拠点(COE)という将来像を達成するためには最適要員の確保は重要である」とされ、また、「2カ国が出資する2カ国共同機関がなぜ2カ国のうち一方の国によって義務付けられた組織全体の人員削減を実施せねばならないかの説明が必要である」とも指摘されています。事実、この10年間で日本政府の定員削減計画により約50人が削減され、現在も数人ずつの削減が続いており、日米共同運営にもかかわらず、日本政府の人員削減計画が全職員を算定根拠に実施されてきたことに対して、旧理事会および旧専門評議員会で米国側から疑問が投げかけられたことについては、放影研労組としても重大に受け止めています。
 2015年10月、放影研労組は、当研究所が人員不足、および施設の老朽化により、「被爆者の健康保持および福祉に貢献するとともに、人類の保健の向上に寄与する」という使命が果たせなくなることの重大さを政府、厚生労働省(以下「厚労省」)に訴えるため、厚生労働大臣宛ての「放射線影響研究所が抱える課題の改善・解決に向けての要望書」を自治労中央本部に提出しました。そして、2016年4月に改めて当要望書を厚労省に提出の上、関係国会議員出席のもと、交渉を行い、人員確保、健診環境の改善、そして移転を視野に入れた施設の充実、および研究体制の強化のための予算措置を求めました。その結果、2018年度予算において、移転について検討するための調査費として1,000万円が計上されました。それを受け、移転調査は研究施設の移転支援を専門とする会社に委託、「移転元施設の現況調査」「移転先候補物件(広島市総合健康センター)の現況詳細調査およびその他の移転先候補賃貸物件の有無確認調査」「精密機器等特殊設備関係の移設調査」「移転元の建物解体、廃棄物の処分、整地等原状回復に係る工事の調査」等について2018年度に実施し、その報告書が2019年3月に提出されました。報告書の結論は、築約70年の現施設の老朽化を挙げ「移転するか、解体・新築すべき」でした。
 この報告書の内容は第9回評議員会(6月20~21日、於:米国ワシントンD.C.)で報告されました。評議員会からは、放影研が将来取り組むべき研究内容を実施できるような条件で移転を行うべきなどの意見はあったものの、総合的に否定的な意見はなく、関係機関と具体的な検討を求められました。現時点では、費用や移転先について明確に決定されているものはなく、移転問題は引き続き調査検討中です。

放影研労組-厚労省交渉(2016年4月15日)

2. 放影研労組の平和への取り組み

 次に、原爆投下後、原爆の後障害調査研究機関として出発したABCCを前身とする放影研の職員で組織されている労働組合としての、平和に対する思いについて述べさせていただきます。
 私たちの願いは「原爆被爆者の保健医療に貢献し、これまで得られた知識や経験をもとに放射線被ばくに対する治療や健康調査の専門家を育て、世界のヒロシマ、ナガサキとしての役割を担うこと」だと考えています。
 昨今のニュースで地球最後の日時までの残り時間を概念的に示す「世界終末時計」(日本への原爆投下から2年後の1947年にアメリカの科学誌「原子力科学者会報」の表紙として誕生した)の最新時刻を2020年1月23日に同科学誌が「100秒」と発表しました。1947年創設以来過去最短となりました。これは核をめぐる世界の近況と地球温暖化の脅威が深刻になっていることが理由です。
 放影研労組は、被爆者の尊い犠牲と多大なるご協力の上にABCC ―― 放影研の原爆被爆者健康影響調査が行われ、その結果が放射線作業従事者や一般市民の放射線防護に関する国際基準および各国の法令に科学的基盤を与えていることを心に刻み、核兵器による惨禍が二度と繰り返されないことを願いながら、被爆都市ヒロシマ、ナガサキで平和運動に取り組んでいます。毎年、平和の火リレーに象徴される、平和を継承するための活動、学習会、集会等に積極的に参加しています。放影研労組はこれからも被爆都市ヒロシマ、ナガサキから平和への思いを込めながら平和運動の継承に取り組んでまいります。
 また、世界初の貴重な被爆二世臨床調査を継続的に行うために、2019年3月に全国被爆二世団体連絡協議会の厚労省交渉に参加し、二世協が抱える課題と問題点を共有しました。今後も自治労ならびに国会議員との連携のもと、被爆二世団体協議会等、関係団体との連携を強化しながら研究所の将来と被爆者および子孫の健康保持および福祉のための取り組みを進めてまいります。
 放影研では毎年8月初旬、広島と長崎の両研究所でオープンハウスを開催し、施設の一般公開を行っています。平和への思いを込めながら、放射線と健康科学について市民の方々に施設を見学いただいております。常設展示、記念講演等、お子様からお年寄りまで、ご家族でご覧いただける内容となっております。是非、今年もご来場いただきますよう、この紙面をお借りし、ご案内申し上げます。