【自主レポート】 |
第38回地方自治研究全国集会 第11分科会 青森で探る「自治研のカタチ」 |
ある闘争がきっかけとなり、地元のイベントに参加して数年、「今やってるこのイベント、これって自治研活動なんじゃない?」と、ふと気づいた。私たちは自治研活動の重要さ、必要性を知らず知らずのうちに自ら自然と考え、実践する機会を得た。今の自治研部の活動は、実は、先輩組合員の個人的な自治研活動がきっかけとなっていたという、何とも不思議な縁で繋がっていた。組合運動の継続は力なりというのを感じる。 |
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1. はじめに 「子ども向けのイベントがあるばってん、一緒にせん?」こんな感じで、職場の友達からかれこれ20年前くらいに誘われた。内容もよくわからず「よかよ!」と即答した記憶がある。何故だったんだろう? 改めて考えてみた。日頃職場の中で、町内在住(合併前は町職員)の同僚が庁舎に来た町民の友達と親しげに話していたり、カウンターで来庁者から「○○さんの子どもさんね! 頑張りよるね。」と声をかけられたりしているのをみて、町外から勤務している私はとてもうらやましく思っていた。知り合いが一人もいないため、このイベントに参加して知り合いを作りたい! と思ったような気がする。こんな不純? な動機で参加した、ボランティアで続けられている、子ども向けのイベント「鯉恋来(こいこいこい)」に参加することになった。 しかし、このイベントに参加して数年経ったある時、組合運動をしていく中で自治研活動の必要性を感じ、「今やってるこのイベント、これって自治研活動なんじゃない?」と、ふと気づいたのだ。 このレポートを通して、私個人や単組での取り組みを報告することで、自治研活動って必要なのか考えてみたいと思う。 2. 自治研活動って必要? 私が自治研活動の必要性を強く感じたのは、今から15年ほど前のことだった。当時のまだ合併以前の高田町職労に訪れた一大闘争の時だった。労使交渉の上妥結した内容について、議会が介入し否決するという大問題が発生した。単組だけでは事態は収まらず、現地闘争本部が立ち上がり、県本部をはじめ多くの単組の協力をいただきながら、様々なたたかいを繰り広げた。当時私は、結成して数年とそう長くはないユース部の一部員で、何もわからず先輩に言われるまま、皆と「何か大変なことになってるんだ」と思いながらも、「労使で決めたことを議会が介入するのはおかしいんだ。だから、組合員だけでなく地域住民にも知ってもらい力を貸してもらうのは当たり前」なんて、今考えたら「なんて浅はかな」と思うことを考えていた。ある日、この状況を書いたビラを地域に配布する活動を2人組でしていた。丁度庭先に人がいらしたので、 「こんにちは、宜しくお願いします。」 とビラを手渡すと、 「何しに来たと?」 「あんたたちの事とかしらんよ」 「役場んもんはよか給料もらいよってよかやん」 「知ったこつかい」 という言葉をあたかも発しているような視線を受けたのだ。 驚いた! 怖かった……。 言葉もなく、2人組の相手とその場を去り、「次の家、外に人がいないといいなぁ」と思いながら家々を回った。この時の事は今でもはっきり覚えている。 当然、このように感じたのは私だけではなかった。多くのユース部員が感じたことだった。 「何で? 私たちがこんなに不当な扱いを受けてるのに、わかってもらえないの?」 その闘争の後、私はユース部内の役員を初めて引き受けることになった。そして、運動方針を決めていく中で、当時の部長をはじめ役員会でこの話も出て、一体何であんな扱いを受けたんだろう? と考えた。闘争を経験したおかげで、自分たちの組合活動は、自分の単組だけでなく多くの仲間と共にやらねばならないのだと感じていた。多くの仲間、その中には他単組はじめ、地域住民も当然含まれているのだ。 「私たち、このままじゃだめよね。なんかしなきゃ。」 「仕事は賃金もらいよるけん、して当たり前やん。それ以外で、地域の皆さんのためになることしたら?」 と、考えたのは公園近辺のごみ拾い。その後に部員の交流目的のバーベキューもセットにし、ユース部らしく「活動を楽しく!」というモットーをもちながら始めることになった。その後役員が変わる中、少しずつ活動の内容も変わっていき、地域に人を呼び込むイベントを企画し実践していくなど様々な形の地域活動が続いた。 ただ、当初ユース部員の私たちが「地域活動」と言ってやっていた、ごみ拾いから始まり、地域に人を呼び込むイベントなどが、実は自治研活動だったとはその時は気付かず、後から「そういえば……」と知ったのだった。 現在、合併し『みやま市職労』となったわが単組の自治研部は、1989(平成元)年から始まり、様々な団体が集まって実行委員会を結成し活動する「鯉恋来」という、子ども向けのイベントの実行委員会に所属し、参加団体とともにこのイベント盛り上げている。 3. 「鯉恋来」とは そもそも、この「鯉恋来」はみやま市合併以前の三池郡高田町で1989(平成元)年5月5日から開催されている、子ども向けのイベントである。今から30年以上前には、高田町にはあまり『まちおこしイベント』がなかった。そこで、数人で話している中で、「自分たちで、町を元気にするイベントを何かやろう!」となり、やるなら祝日の5月5日がいいだろう。内容は、日にちにちなみこどもの日なので「子どものためのお祭りをやろう」と決まったそうだ。 高田町を元気にしよう! そして、21世紀の未来を担う子どもたちの、健やかな成長を願って1989(平成元)年5月5日に第1回が始まった。実は、この立ち上げた数人のメンバーの1人は高田町役場の職員だった。その職員が私たちの大先輩で、その人から友達が声をかけられ冒頭でもふれたように1996(平成8)年頃から私も一緒に参加するようになったのである。当初は、数人の有志(ボランティア)だけでやっていたが、やはり継続するのは難しく、「町を元気にしたい」という同じ思いの人を募り「すいせん(旧高田町の花)会」という団体を先輩も参加して作ったそうだ。その後、一つの団体だけで継続するのが難しくなり、私たちのような有志が関わり、地域活動をしている組合員へ声掛け協力してもらいながら、何度も終焉の危機を乗り越えながら、現在自治研部も所属する今の実行委員会形式の形になったのだ。 この実行委員会のメンバーは、自治研のようにそれぞれ様々な目的を持ち活動する団体から構成され、年に一度、このイベントをやるためだけに毎年結成しイベントを企画運営している。委員会には、大人だけでなく中高生など青少年が活動しているジュニアリーダークラブも所属し、イベントの企画運営をともに行っている。彼らが参加している理由も、このイベントの目的である「子どもたちが喜ぶイベントを企画しよう。まちづくりは人づくり。団体同士横のつながりを持とう。」という思いがあるからなのだ。 4. 2019年のイベントの様子 実際、自治研部を含めた実行委員会がどの様にイベントを企画運営しているのか、2019(令和元年)年5月5日に開催された「第31回鯉恋来」を例にとり説明したい。まず、前年の12月に前年の団体に招集をかけ、次回の実行委員会を結成する。実行委員会形式になってから、私と同じ市職労の友達で事務局を交代して勤めさせてもらっている。その後、月1回のペースで3月まで会議をし、イベントを企画し準備を進めていく。
そこで、仲間づくりも念頭に置きながら会議を進める。今回は、30回を終え、新たなスタートの意味からも、「私たちが目的としている子どもたちの育成とは、いったいどんな子どもたち? みやま市にどんな子どもたちが育ってほしい?」というテーマでワークショップをし、目的を共有する事から始めた。 すると、実に様々な子ども像が生まれた。「明るい子」「元気にあいさつできる子」「みやま市を好きな子」「夢を持てる子」「夢を実現できるよう自ら努力する子」「人を大切にする子」など沢山! このワークショップが互いに話すきっかけとなり、今度はイベントや設営、出店などの部会を編成し、そのグループでイベントの準備を進める中で少しずつではあるが、交流を深めていく。
自治研部はイベント部に所属し、ここ数年『段ボール迷路』を作成し、子どもたちには大人気である。この他にも、鯉のぼり作りや牛乳パック工作などお金を使わないで体験できるブースを数多く運営している。また、たこやきやジュース、ポップコーンなどのバザーも、出来るだけワンコイン程度を基本に設定された金額で提供されている。 5月5日の当日を迎えるまでには、4月にはゴールデンウィークに入る直前に設置する200匹の鯉のぼりの準備会として、実行委員会以外の各団体から人が集まり、50人近くの人数で仕分け作業や修理を行う。そして、毎年4月の第4土曜日に公園内にノリ竿を配置し、200匹の鯉のぼりを設置する。これにも70人程のたくさんの人々が集まりみんなで準備する。作業はそれぞれグループを作り、初めて会った人同士でも協力して作業する、出会いの場となるような工程を組んでいる。作業しながら組合員は、 「あんた何の仕事かい?」「市役所かい?」「何課かい?」「○○ておろ?」 など、少なからず地域のみなさんと会話する機会ができる。こうして、知り合いが増えることは、たまに苦情など嫌な事も言われることがあったとしても、自治研活動の重要な部分であると私は思う。作業終わりにみんなでお茶とお菓子を食べる時間を短時間だが取り、最後に互いに「お疲れさん」と笑顔で言葉を交わすのも大事な時間だとも思っている。 当日、イベントにはここ数年2,000人を超える来場者があり、また、鯉のぼりを事前に設置していることで、鯉のぼりが泳いでいる情報も定着し、毎年多く来場者が公園にあふれている。そして2019年は、市内の小学生から「地域のお祭りについて調べているので教えてください」と取材を複数受けた。この事からも、地域の町おこしや子どもたちの成長に我々は大きく貢献しているのではないかと感じている。 5. おわりに ~自治研活動とは~ ある闘争がきっかけとなり、私たちは自治研活動の重要さ、必要性を知らず知らずのうちに自ら自然と考え、実践する機会を得た。そして、今の自治研部の活動は、私自身が自治研活動の一環とは思わず個人として参加したボランティア活動がきっかけであり、実はその活動は先輩組合員の個人的な自治研活動がきっかけとなっていたという何とも不思議な縁で繋がっていた。組合運動の継続は力なりというのを感じる。自治研活動の本来の目的を知らなかった時は、ご多分に漏れず『石けん売る事』『環境や平和問題』などと思っていた。 しかし、自治研活動は何でもできる。私の先輩が考えたように『地域がこうなったらいいなぁ』を実践する目的や手段はたくさんあるのだ。だから、考えてみれば難しいようで実は簡単に、すぐにでもできるようにも思う。もしかしたら、気づかないうちに実はみんなやっているのかもしれない。 しかし、やはり自治研活動と知ってやるのと知らないでやるのは、自分たちの組合運動を支える力なりの大きさも違って現れると思う。自治研活動を知り、活動することにこそ意味があるのだ。このレポートを書きながら、改めてそう思った。そして、現在、地域をも巻き込んだ大きな闘争を経験していない組合員が多くなった今、このレポートの内容を自分の単組でも伝えていき、本来の目的に基づいた活動ができるよう伝えていかねばならないと感じたのである。 いろんな不思議な縁でつながったみんなで、支えあって、これからも自治研活動を継続していきたいと思う。 |