【論文】

特別区が市として自立するために
  ― 『首都市構想』の現代的意味 ―

東京都本部/葛飾区職員労働組合 井上 洋一

1. はじめに

(1) 2000年都区制度改革の到達点
   1998年5月、地方自治法の一部を改正する法律が交付され、2000年4月から施行された。この改正により、①特別区は「基礎的な地方公共団体」として位置づけられ、②大都市地域の行政の一体性・統一性に配慮した特別区の自主性・自律性の強化、③特別区への事務の委譲、を柱とする都区制度改革が実施された。
   2000年都区制度改革によって、特別区は基礎的な自治体となった。しかし、普通地方公共団体になることはできず、特別地方公共団体と位置づけられた。都制度そのものには変更はなく、「大都市地域の行政の一体性・統一性の確保の観点からの特例」という大都市特例はそのまま存置された。都区財政調整制度も存続することになった。
   都区制度は、政令指定都市とともに大都市制度の一つである。特別区の区域は人口が高度に集中する大都市地域であるため、行政を一体的・統一的に展開する必要性があるとされ、事務処理と税の賦課徴収に特例が設けられている。上下水道、消防など、一般に市町村が行う事務の一部を、都が処理している。また、都が市の事務の一部を実施していること、特別区間の行政水準の均衡を図るために財政調整を行っていることを理由に、市町村民税法人分、固定資産税、特別土地保有税(ⅰ)の3税が都税として徴収され、都と特別区に配分されている。特別区の事務を都が行っていることなど、権限が制約されており特別区は完全な自治体ではない。課税権についても、3税が都税として徴収されていること、都区財政調整制度によって、財政制度的には、都の内部団体的扱いのままであるなど課税自主権についても重大な制約を受けている。

(2) 未解決の課題 ― 市になること
   特別区は、1952年の地方自治法改正によって区長公選制が廃止され、東京都の内部団体化されて以降、特別区が普通地方公共団体となり、「一般市」となることを志向してきた。その文脈からすれば、2000年の都区制度改革は、特別区にとっては改革の端緒についたに過ぎず、次のステージでは、普通地方公共団体となり、都の制約から離れて「一般市」となることが課題となる。
   そこでは、普通地方公共団体・「一般市」になるという課題に応えることのできる自治モデルが検討されなければならない。普通地方公共団体・「一般市」になるためには、都が区に代わって大都市事務を行うという特例と都が市町村税の一部を都税として徴収するという特例を廃止することが必要である。構想されなければならないのは、大都市事務(ⅱ)に対応し、都区財政調整制度に代わる新たな財政調整制度を持った、自治モデルである。基礎的自治体として、自立しながらも一方で広域的な課題に対応するためには、連帯的な自治モデルが必要である。
   連帯的な自治モデルとしては、1950年に特別区から「首都市構想」が提案されている。23区が市となり連合して都の区域から独立するという構想である。「首都市構想」は、強固な自治理念の上に構想されたモデルとして、今なお学ぶべき点が多い。「首都市構想」を検討し、特別区が市になるための自治モデルを考察したい。

2. 首都市構想とはなにか

(1) 首都市構想の概要
   1950年12月23日、23区の区長、区議会議長、自治権拡充委員長は連名で、後述する地方行政調査委員会議議長に対し、「首都市」実現の要請書を発表した。
   その内容は、①特別区の名称を「首都市(仮称)」と改めること、②「首都市」の行財政は「一般市」と同様にその自主性を確立すること、③「首都市」の区域は都の区域外にする、④警察・消防・交通・水道等の大都市事務、23「首都市」の連絡調整に関する事務、23「首都市」の区域における府県の事務は、「首都市」が連合体を組織して執行することが最も適当であるとした。
   「構想」では「首都市」の区域は都の区域外にするとしている。都の区域からの分離・独立である。清掃、消防、水道、警察などの大都市事務は23「首都市」が連合してつくる事務組合が行うということである。23区は「一般市」と同様の自治権をもつ23の「首都市」になる。都道府県の区域から市が独立する「特別市」の制度を23区の状況にあわせて適用したものである。当時、警察は都道府県警察ではなく自治体警察であった。
   警察・消防・交通・水道等の大都市事務、23「首都市」の区域における府県の事務は、「首都市」が連合体を組織して執行するとしている。23「首都市」間の財政調整は、23「首都市」の連絡調整に関する事務として、「首都市」が連合体を組織して執行するとしている。

(2) 「首都市構想」の背景
   1946年の都制改正によって、区長公選制がとられるなど特別区は基礎的自治体としての形が整えられた。47年の地方自治法の制定によって、区は特別地方公共団体としての特別区となった。地方自治法と関連法の改正は区長公選に対応した改正が行われなかった。地方自治法282条の調整条例で都は区の事務の統一または調整上必要な事項を規定できるとされた。特別区に市町村に関する規定を適用しない法律が地方税法、道路法など数多くあった。区が市の事務をできないものが多く、とくに地方税法130条では、特別区は都の条例で定める税以外は課することができないとされ、特別区の課税権は認められていなかった。区は都に対し、事務や権限の移譲を要求したが、都はこれに応じず、「都区紛争」と呼ばれる事態が起こった。
   「首都市構想」が提案された直接の動機は、1949年8月のシャウプ勧告(ⅲ)であった。区側は同勧告後、区の課税権を中心とする自主財源獲得の運動を展開した。「首都市構想」は、1949年12月にシャウプ勧告による税源移譲に関連する行政事務配分を審議するために設置された地方行政調査委員会議(ⅳ)が第一次勧告を出した直後に、同会議に提出された。
   1951年9月地方行政調査委員会議は第二次勧告を行った。大都市の一体性を強調し、特別区の性格は東京都の下部組織であり、基礎的地方公共団体たる市と同様でないとした。勧告説明では、「特別市」制度を特別区の区域にあてはめることは適当ではないとし、「首都市」構想を否定した。
   52年自治法が改正され、区の権限は大幅に制限され、区長公選制の廃止され、区は再び都の「内部的部分団体」とされた。

3. 「首都市構想」の意義

 「首都市構想」の意義は、第一に、特別区が市として自立すること可能にする道筋を明確にした最初の提案であることである。区は戦前から、自治権の拡充を求めていた。東京市は東京府に対し自治権の移譲を求めていたが、区は東京市に自治権の拡充を求めていた。東京には3層の地方政府が存在していたのである。東京都制誕生の際には、東京市は反対したが、区は賛成した。区に自治権拡充を期待したからである。戦前(都制施行前)にあっては、区・市・府が対立し、戦後にあっては区と都が対立してきた。首都市構想は、区を基礎的自治体としての市として確立することで、こうした対立構造を解決するものである。
 第二に、大都市制度を分権的に作り直す提案である。大都市制度(ⅴ)には、現行制度では、政令指定都市、都区制度があり、1955年自治法改正まで条文に存在した「特別市」を含めれば3つの形態がある。
 「特別市」は、府県の区域外に市として独立するもので、市の権能の他に府県と同様の機能をもつ。区域には行政区をおくものである。1947年に制定されたが、1955年自治法改正で政令指定都市制度が規定されると同時に同法より削除された。特別市は一層制型自治制度である。「特別市」を一つの自治体とするため、基礎的自治体としては大規模すぎる。
 都区制度は、都の区域内に特別地方公共団体である特別区を包摂する。都は府県としての事務の他に市の事務の一部を行っている。特別区の権能を都がもつことによって、巨大都市東京では、逆に身動きが取れない結果をもたらしている。都区の役割が不明確、都区の行政責任が不明確、都が広域行政に徹しきれないなどの問題を持っている。
 政令指定都市は、1955年に制定され、道府県の区域に包摂される。市としての事務の他に道府県からの移譲事務が行われる。「特別市」同様に基礎的自治体としては大規模である。
 大都市においては、「特別市」、政令指定都市にしても、基礎的自治体としては規模が大きすぎる。身近で総合的な行政を展開するためには、政令指定都市の行政区を基礎的自治体とするなど、大都市制度の分権的な改革が必要になる。「基礎的自治体の連合」としての大都市制度が考察されるべきである。「首都市構想」は、「基礎的自治体の連合」としての大都市制度の先駆的な提案である。

4. 「首都市構想」と特別区

 「首都市構想」には、時代的な制約があり、大都市制度としてそのまま現在の特別区に適用することは不可能である。
 第一に、都府県の区域から独立した市を置く制度は、「特別市」が廃止されてからは、現行制度にはない。しかし、都府県の区域から独立した市というあり方は、分権的な大都市制度の一つでありうる。「首都市構想」は特別市よりも分権的な内容である。「特別市」の23区の区域への適用ではなく、基礎的自治体としての23市の連合体としたところが優れた点であり、分権的な都市連合論である。「府県の区域から独立した市」と「府県-市」の並存など一国多制度が検討されるべきである。また警察権の問題もある。都道府県警察でありため、都の区域から独立した場合、警察権の問題が生まれる。警察権についても、分権的なあり方として、都府県の区域から独立した市への移譲の対象として考察されるべきである。
 第二に、特別区(市)の分散(個別性)と集中(一体性)の問題、言い換えれば自立と連帯の問題がある。千代田区は千代田市構想を打ち出し、独自の道を歩もうとしている。特別区は行政水準を含め横並びの一体である必要はない。市として独立し独自の行政を展開すべきである。しかし、特別区が市になるということは、市として独自の行政運営を行うという分散(自立)的要素と、大都市事務などの広域的な課題に対応する集中(連帯)的要素の二つの側面が必要とされるのである。市として自立するためには、分散(個別性)と集中(一体性)、自立と連帯のあり方が考察されるべきである。
分権的な大都市制度=都市広域連合を形成するという理念の中で、分散(個別性)と集中(一体性)、自立と連帯の調和を図ることが必要である。

5. 結 び

 特別区が市になるためには、財政調整制度、大都市事務の特例の廃止が必要である。大都市事務の特別区による執行、特別区の財政自主権を確立することが必要である。そして、それを可能にする自治モデルが構想されなければならない。
 特別区が市になるためには、都道府県 ― 市という現行の制度内での当面の改革と新たな大都市制度まで展望した抜本的な改革という2つの方向がある。
 特別区が市になるための当面の改革としては3つの自治モデルが考えられる。
 第一に、23特別区がひとつの基礎的自治体としての市になることである。旧東京市の復活である。
 第二に、23特別区が23の「一般市」になることである。それぞれの一般市は、政令指定都市、中核市などを各自でめざすことになる。都区財政調整制度は廃止され、23市のそれぞれが地方交付税制度の適用を受ける。
 第三に、23特別区が23の「一般市」となり、その上で広域連合を形成することである。
 第一の、23特別区がひとつの基礎的自治体としての市になるというモデルでは、800万の人口を擁する巨大な基礎的自治体が出現することになる。基礎的自治体としては規模が大きすぎ、身近で総合的な行政の展開には無理がある。各区は行政区となり基礎的自治体ではなくなり、旧東京市と区の対立、これまでの都区対立の構造を引き継ぐことになる。23区のそれぞれが基礎的自治体となって自立していくという方向からも逸脱してしまう。
 第二の、23特別区が23の「一般市」になるというモデルは、23の「一般市」間の、基礎的自治体としての財政力などの格差が広がりすぎる。
 第三の、23特別区が23の一般市となり、その上で広域連合を形成するというモデルでは、消防、上下水道などの広域的事務の処理、23市間の財政調整は広域連合が行うことになる。自治権の拡充、分権の推進、住民自治の前進という観点からも、最も進んだ形態である。23区のそれぞれが基礎的自治体となって自立していくという方向に最も合致する分権的・連帯的な形態である。
 特別区が市になり、自治権を拡充し、大都市行政の課題を解決していくための抜本的な改革は東京都の区域からの独立というあり方である。現行地方自治制度には、府県から独立するような大都市制度はない。都区制度、政令指定都市という大都市制度が行き詰まりを見せている現在、府県から独立した「基礎的自治体の連合体としての市」は分権的な大都市制度のあり方として検討に値する方式である。そこでは、府県事務にどのように市として対応するのか、市が行う府県事務の財源をどのように保障するのか、などの課題が問われてくる。より深められた自治モデルが考察されなければならない。
 現在、市町村合併、道州制論議の進展や「首都県市連合」など大都市圏論議が進展しているが、特別区はその論議の外に置かれている。それは、特別区が自立した自治体ではなく、いまだに東京都の内部団体を脱却できていないためである。かつて都からの独立を宣言した首都市構想を提案したように、特別区には、新たな大都市制度を展望した自立のための自治モデルを構想することが求められているのである。


ⅰ 2003年1月より取得分、4月より保有分について、課税が停止されている。
ⅱ 都が区に代わって行う、上下水道、消防などの市の事務をいう。
ⅲ 1949年4月、連合国最高司令官の要請により、米国のカール・S・シャウプ博士を団長とする税制調査団が、わが国の実情を調査し、報告した。これをシャウプ勧告という。シャウプ勧告は、わが国の税制の改正について行われたが、それとの関連で、日本の民主化を推進するため、地方自治の強化が必要であり、地方財源の強化が必要であるとし、都道府県及び市町村に対する独立財源の賦与、国庫補助金の整理、平衡交付金制度の創設を勧告した。また、国、都道府県、市町村の間の行政事務の配分について、「行政責任明確化の原則」「能率の原則」「地方公共団体優先及び市町村優先の原則」の三原則を示した。
ⅳ 地方行政調査委員会議はシャウプ勧告の趣旨を尊重し、具体化するために1949年12月に設置された。1950年10月「国庫補助金制度等の改正に関する勧告」、12月「行政事務再配分に関する勧告」、51年9月「行政事務再配分に関する第二次勧告」を行った。勧告は地方制度を含めた行政全般のあり方について画期的な勧告であったが、実現したものは市町村の合併による規模の合理化等だけであった。
ⅴ 地方自治法では、大都市行政について、大都市に関する特例として政令指定都市のほか、特別区の規定を設けている。

<参考文献>
 新藤宗幸『地方分権』岩波書店、2002
 東京自治研究センター『都区財政調整 ― 改革のための提案 ― 』、2002
 佐々木信夫『東京都政』岩波書店、2003
 特別区協議会『特別区政の変遷 総括編その二』、1970
 特別区協議会『「東京の区」変遷と展望』、1996
 都政通信社『特別区 都区調整の十年』、1957
 東京都議会議会局法制部『国会・政府機関にあらわれた東京都の制度に関する資料(1)』、1960
 本田弘『大都市制度論 地方分権と政令指定都市』北樹出版、1995
 東京市政調査会『大都市行政の改革と理念 その歴史的展開』日本評論社、1993