【要請レポート】
朝鮮民主主義人民共和国との交流について(報告)
岡山県本部/執行委員長 森本 栄
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1. はじめに
日本と朝鮮民主主義人民共和国(正式略称は「共和国」ですが、一般公開を前提として「北朝鮮」を使用する。)との関係は、依然として「近くて遠い国」の状況にあります。しかし、ここ数年大きな変化が見えてきました。核開発問題、拉致問題、よど号事件、不審船問題等の当面する重要課題、更に日朝国交正常化等の中長期の諸課題、そして日本の総理大臣としては初めての小泉首相の二度にわたる訪朝等、今大きな節目を迎えようとしています。
しかし、いまだ国交が回復されていない日朝間において、当面する課題も含め今重要なことは両国間における過去の不幸な歴史を直視し、朝鮮半島の自主的平和統一と日朝国交正常化に向けてあらゆる努力を傾注することが、基本的な大前提であることを認識する必要があります。
とりわけ、我が国による38年間におよぶ植民地政策と、それに関する南北分断の遠因が我が国にあることを考えるならば、国と国との外交もさることながら国民同士の民間外交が極めて重要であり、各界各層の友好交流の流れをより発展させることが強く求められています。
なかでも、世界の平和と安定を願い、働く者一人ひとりの人権の尊重、強権的な国家権力に対抗し民主的社会の建設を求めて活動している労働組合こそが、その運動の先頭に立って活動することは当然と言えましょう。
しかし、自治労と北朝鮮、とりわけ職業総同盟(北朝鮮における労働組合のナショナルセンター)との関係は残念ながら途絶えたままであり、旧社会党及び旧総評関係者の企画する各種交流事業等の運動に参加しているのが現状となっています。
このような状況の中で自治労中国地区連絡協議会(以下「中国地連」という)は朝鮮職業総同盟(以下「職総」という)及び対外文化連絡協会(以下「対文協」という)等との相互の交流活動を取り組み、労働界としての任務と役割を果たすべく独自の友好交流運動を進めています。
今後の自治労産別としての日朝交流の新らたな取り組みの参考になることを期待して以下報告いたします。
2. 自治労中国地連訪朝団に至る経過
(1) 岡山における日朝友好の取り組み
① 旧社会党、旧総評時代
ア 戦後、とりわけ朝鮮戦争休戦以後、中国との交流において、全国に先駆けて結成された日中友好協会岡山県本部(1945年結成)と中国の当時の中日友好協会及び外事弁公室等との交流の中で、北京を舞台に間接的に北朝鮮との交流が開始された。
イ その後朝鮮総連を窓口にして国内での社会党、総評加盟の各労働組合との交流が進み、全国規模での訪朝団に参加してきた。
ウ この初期の運動の中で社会党を中心とした岡山県民フォーラム、チュチェ思想研究会等が結成され独自の運動を展開してきた。
② 「日本と朝鮮との友好を進める会」の設立までの経過
ア これまでの日朝交流は旧社会党、旧総評運動の域を出ず、結果として思想的賛同や北朝鮮賛美であり、ごく限られた一部の運動でしかなかったこと。
イ 岡山にはかつて日中国交正常化における各政党、経済界、学者・文化人、マスコミ、労働界等で結成された日中友好協会岡山県本部の幅広い運動の歴史があり、民間外交の重用性、果たすべき役割とその必要性が強く求められていたこと。
ウ このような今までの限られた運動は全国的な傾向であり、その打開のため幅広い国民的な運動を進めるために、岡山における日中国交正常化における教訓を活かすべく、超党派による訪朝団の派遣を1996年4月の第一次から1998年4月の第三次まで毎年行った。
エ 特に第三次訪朝団は自民党県議団団長をはじめ民主党、公明党、社民党の各代表、経済団体の各会長、マスコミ、学者・文化人、労働界等で構成し岡山における各界のまさにオピニオンリーダーの訪朝団となり、その後の運動に大きな影響を与えることとなった。特に前年度の大規模な自然災害による食糧危機及びその災害状況の実態調査は極めて深刻であり、その後の食料支援、農業支援等の人道支援の発端となった。
オ 1998年10月の第四次、1999年10月の第五次は今までの緊急避難的な支援だけでなく、今後の長期的な交流が必要との判断により、岡山県民友好農場の建設に向けた具体的な調査、研究等の協議を行い、稲、トーモロコシ、南瓜、大豆、馬鈴薯、野菜等の試験栽培を農業省農場において実施した。
カ 労働界は連合岡山が1996年の自然災害復興支援として、冬物衣料を岡山に本部を置くAMDA(NGOのアジア医師連絡協議会)を通じて送り、新しい関係がスタートし、第三次団から朝鮮職業総同盟国際部との交流を開始した。
キ このような経過を経て1999年11月、自民党、民主党、公明党、社民党の各政党(共産党は2001年の第二回総会で参加)、経済界、学者・文化人、マスコミ界、労働界等幅広い構成による「日本と朝鮮との友好を進める会」を結成した。
③ 「日本と朝鮮との友好を進める会」の取り組み
「進める会」結成以降、文字通り幅広い県民的な運動が活発に展開される事となった。とりわけ、2000年6月13日の韓国の金大中大統領と朝鮮労働党の金正日総書記との歴史的な会談もあり、多彩な取り組みが展開された。しかし、2002年9月17日の小泉首相の訪朝及び拉致事件が明るみに出て以降、県民感情の悪化により運動がやや停滞気味になってはいるものの、このようなときだからこそ、粘り強く地道な取り組みを進めている。以下主な取り組みを報告します。
ア 各種学習会等の開催
「進める会」の運動課題は、(a)日朝国交正常化の早期実現、(b)朝鮮半島における南北の自主的平和統一、(c)日本国内の朝鮮同朋の権利擁護とりわけ教育問題の充実等においており、毎年一回の学習会、シンポジュームなどを開催
2000年2月15日 「朝鮮問題講演と記念レセプション」
講 師 前田哲男(東京国際大学国際関係学部教授)
内 容 「最近の朝鮮半島情勢を分析する」
日朝関係正常化をどう進めるのか
01年2月23日 「南北統一問題の講演と早期実現を求める集い」
講 師 林秀卿(イム・スギョン、韓国で南北統一の花と呼ばれている運動家)
内 容 「6・15南北共同宣言と統一展望を分析する」
02年2月10日 「日朝友好と日本の自主・平和をめざす集い」
イ 「日朝友好親善岡山県民農場」建設
1998年より進めてきた試験栽培に基づき、2000年3月より具体的な建設に着手した。野菜、馬鈴薯等の種物類6種類8品種、桃、ブドウ等の苗木類3種類5品種、農機具として耕運機等8台、その他建設資材一式
ウ 衣料支援
6・15南北首脳共同宣言を受け、県内の「総連」と「民団」の仲介を「進める会」が行い、両組織共同して靴下15万足等を北朝鮮の赤十字社に送る。
エ 「善隣友好・岡山県民ブドウ園」の建設
2001年より進めてきた金日成主席の生誕地の近くでの「ブドウ園」建設に向け、石井岡山県知事をはじめ多くの県民、団体からブドウの苗木として一本3,000円のカンパを募り県民運動として取り組む。
場 所 平壌市万景台区域
植樹日 2002年4月12日 本 数 1,001本
面 積 3ヘクタール 種 類 ピオーネ等8種類
3. 自治労中国地連の取り組み
(1) 訪朝団の派遣について
① 期 間 2002年6月14日~18日
② 規 模 17名
③ 構 成 中国地連を構成する5県本部の委員長全員を含む17名
④ 受 入 朝鮮職業総同盟を受け入れ窓口とする
⑤ 目 的 自治労単独による北朝鮮訪問は初めてであり、且つ最近の自治労と職総との交流関係が途絶えていることを考慮し、次のことを基本とした。
ア 自治労と職総との将来に向けた友好交流関係の再構築を図る第一歩とすること。
イ 過去の歴史認識を正しく共有し、日朝国交正常化の早期実現に寄与すること。
ウ 朝鮮半島の自主的な平和統一の実現に理解を深め、努力すること。
エ 在日の同胞との友好交流関係を深め、人権問題や教育問題等における相互理解と協力に向けて努力する。
⑥ 要 望 上記の目的を達成するための具体的な内容を次のとおりとした。
ア 朝鮮職業総同盟との交流
イ 板門店の視察
ウ 工場見学(現場労働者との交流)
エ 「善隣友好・岡山県民ブドウ園」の視察
オ 北朝鮮の歴史と現状の研究、調査
カ その他市内観光
⑦ まとめ
今回の訪朝は、85年以降自治労単独としては初めてのことであり、加えて5県本部の委員長全員が参加したことにより、自治労と職総との新しい関係構築の第一歩となったこと。朝鮮半島の歴史と今日的課題、そして将来に向けての労働者同志の任務と役割が確認できたこと。とりわけ職総の北朝鮮における位置付け及び影響力は極めて大きく、自治労との関係改善を通じて日朝間の関係改善に大きく寄与できる立場にあり、自治労に対する熱い期待を表明したことに対しての誠意ある対応が強く求められています。その意味で自治労と北朝鮮(朝鮮総連及び職総を含む)との過去の交流の問題点、課題は何であったのか。何故85年以降関係が途絶えたのか。自治労としての基本方針はどのようなものであり、いつどのような総括をしているのか、今後の自治労としての方針は確立されているのか等、今回の訪朝で多くの課題が明かになったことは大きな意義があったものとして評価しています。
(2) 朝鮮職業総同盟訪日団の受入
① 期 間 2002年10月3日~12日
② 規 模 5名
③ 構 成 団 長 季 鎮守(Li Jin Su)
朝鮮職業総同盟中央委員会副委員長
団 員 金 英浩(Kin Yong Ho)
朝鮮職業総同盟平壌市委員会副委員長
〃 金 泰三(Kin Tae Sam)
朝鮮職業総同盟中央委員会国際部課長
〃 白 正浩(Paek Jong Ho)
朝鮮職業総同盟平壌市委員会副部長
〃 李 東水(Li Dong Su)
朝鮮職業総同盟中央委員会中央委員
尚、「金 英浩」氏の出生地は日本の石川県で日本名を「寺越 武」と言う。1963年漁労中に能登半島沖で遭難し、北朝鮮の漁船に救出され清津市に着く。北朝鮮の国籍を取得。
④ 受 入 全日本港湾労働組合
全日本海員組合
自治労中国地連
(尚、サポートとして東京平和フォーラム、連合東京が支援)
⑤ 目 的 受け入れ労働組合との交流と親善を深めることを主たる目的とする。
⑥ 訪問地 東京、(石川)、神奈川、岡山、広島
⑦ まとめ 今回の訪日団は、受け入れ団体としての各労働組合(支援団体を含む)との交流はもちろんであったが、過去それぞれの産別が別々の立場で交流しており、今回各組合が産別の枠を超えて協力し受け入れたことは、極めて稀なことであり、日朝交流と会わせて「日・日」交流が実現したことに大きな意義があったと考えます。また、訪日の時期が小泉首相の初めての訪朝(02年9月17日)及び拉致事件が明るみに出た直後という社会的にも関心の高い時期での訪日であったこと、加えて団員の中に金 英浩氏(日本名、寺越)が参加し、生まれ故郷の石川県に一時帰国できたことは、日朝間の新しい動きが出始めたことの証しであり、そのことを各労働組合の連携によって実現したことは、今後の両国の関係改善に向け労働組合の新しい任務と役割が改めて確認できたものと言えます。
以上、中国地連及び岡山における交流の概要についての報国とします。
資料① 2001年度日本と朝鮮との友好を進める会役員名簿
資料② 「善隣友好・岡山県民ブドウ園」チラシ
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