【自主レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅰ-①分科会 市民と公共サービスの協働

廃校校舎有効活用を通した、地域住民としての 活性化への取り組み


京都府/南山城村 森本 健次

 最近、休みの日になるとドラム缶の中にもぐることが日課になりつつある。
 何をしているかというと、ドラム缶風呂を作るため、知り合いのガソリンスタンドで貰ってきたドラム缶内部の錆を落としているのだ……。
 現在、工房の人たちや地域の人たちで作る「南山城村生涯学習施設活用推進委員会」に属し、廃校校舎の跡地利用という行政課題をテーマに、行政職員である前に地域住民として取り組んでいる。その課題への取り組みについて、発表するものである。

1. 廃校校舎有効利用の背景

 南山城村では、村内に4校あった小学校3校が2003年4月に南山城小学校として統合、2006年4月には残る1校が統合され、4つの旧小学校の跡地利用という課題が残されたところから始まるのである。
 4つの旧小学校のうち2つは比較的新しい鉄筋コンクリート造であり、福祉等他の用途への転用を視野に入れた計画を推し進めることとなっていたが、老朽化する木造校舎については財政難という問題で取り壊し等費用捻出が困難なことからその活用方法が課題となり、2年余りにわたり放置された状態となっていた。その間、ガラスが割られたり、校舎内への侵入や落書き、消火器やペンキが撒き散らされるといったことが後を絶たず、地域からの苦情と改善要望をその度に受け、抜本的な対応が望まれていた。
 当時、私は教育委員会に勤務しており、庁内の跡地利用検討委員会のメンバーにもなっていた。検討委員会にあっては、当時助役をトップに各部署で将来的に必要となる跡地利用方法を検討するよう指示が出ていたため、各部署の担当からいろいろな活用方法の提案もあり、特別養護老人ホームの誘致等が挙げられた。福祉施設への転用については、地元自治会からも跡地利用する場合の希望として挙げられていたが、その提案はイニシャルコストやその後のランニングコストとなると先の見えない現実味のないものにならざるを得ない状態であり、老朽化する木造校舎は、取り壊しに係る予算計上の時期を逃し、財政難という大きな壁にあたり、跡地利用は手付かずの状態となっていた。

2. 工房づくりへのきっかけ

 そのような中で、2人の男性の存在が跡地利用を進めていくきっかけになった。
 1人は、地元の老人男性で、日常の施設管理を兼ね、空き教室を利用して伝統文化としてわら細工を子どもたちに見せる機会を作ったりすることで地域貢献したいと言うことであった。その男性曰く、自分達が学んだ小学校が朽ち果てていくのを見ていくのは忍びないと言うことだ。
 私としては、対価を求められている訳でもなく、時々施設に風が通れば……、使っている様子があれば侵入もなくなるだろうという思いつきと軽い気持ちで「エイヤー」と承諾することとし、上司に相談することとし、それから中庭の庭木がきれいに剪定されるまでそれ程時間を要しなかった。
 もう1人は、元照明デザイナーの奈良の男性。照明デザインをしていたが、退職を機に「ものづくり」として木工のアトリエとして使用できる廃校校舎を探しているというのだ。
 他の町でもあたっているということであったが、私としてはこれも思いつきではあったが、長期的な活用方法の展望として、村外から業種の異なる人材を誘致し、いろいろなものづくりを体験できる施設活用としての展開を期待していたため、村外の人材を地域の人達のわら細工と組み合わせることで、わらや木といった素材をテーマにものづくり体験ができる施設として活かせる取り組みを期待し、その木造校舎を紹介、「ぜひここで」とお願いしたことから、進んでいくのである。
 その男性達の手伝いもあって、3年以上放置されていた廃棄備品の搬出にも着手することができ、いろいろな物が散乱していた教室も夏休み前にはすっきりと整理された状態になっていた。
 夏休みには、私も関わっていたエコクラブのキャンプを実施。教室での宿泊や校庭での炊飯、流木を使ったクラフトといったプログラムを試験的に実施してみた。既に何人かの地域の子どもたちは遊び場としての施設を通して、木工の男性との人間関係が築かれており、工具を使うのも手馴れたものであり、無事にプログラムを終えることができたが、なによりもその2日間のキャンプによって、施設活用方法への手ごたえが感じられたことが成果であった。
 それから数日後、地元出身者で「そば教室」をやりたいという女性から問い合わせがあった。
 エコクラブのキャンプの様子を新聞社に取材を依頼していたこともあって、掲載された新聞を見たというのだ。今ではすっかり体験教室の柱になり、月1回の教室では対応しきれないぐらいの賑わいを見せ、教室開催回数を見直さなければならないという嬉しい悲鳴をあげている。
 こうして、5年前に廃校となった校舎は、地域のわら細工をはじめ、木工、ガラス細工、卵の殻を使ったペーパークラフト、そば教室、パン教室といった形で有効活用され始めたのだ。

3. 生涯学習施設としての位置付け

 村条例では管理上、生涯学習センターとして位置付けられている。
 一般的に生涯学習となるとカルチャーセンター的に教室の開催が主として想定される場合が多いと思われるが、今回の場合は、教室の需要度を考えた場合のロスという観点から、あくまでも工房としての使用を前提として考え、教室については来場者らの需要に対し快い協力をしてもらうことを条件とした。
 これは、定期的な教室開催といったノルマが足かせになり、息切れするようなことを避けたかったからである。このことによって、各工房がフレキシブルな対応ができ、長期的な工房としての使用を目的としたからである。
 かと言って、生涯学習施設としての役割はしっかり果たしている。教育委員会はもとより、観光担当がイベント拠点として、これまでに数回、体験教室を開催している。また、施設外でのイベントに出展するなど、工房が生涯学習施設のバックボーンとなっているのだ。


校舎全景
中庭
校舎内の工房

4. 利用者主体ですすめる施設改修

 廃校校舎の工房としての活用は、他の自治体でも珍しくない事例である。
 自治体の計画に基づき、施設改修に予算を投じ、工房を誘致した訳でなく、利用者らにより、施設活用の方向付けがなされ、徐々に教室も増えたのである。これは、前述のようにフレキシブルさが特徴となっている。
 通常、公共施設の改修については、行政が行うものと考えるが、そこは、もともと「理由あって取り壊しできない校舎」というところを上手く利用したのである。もちろん、教育委員会の許可を得ることと木造校舎の趣を壊さないことを基本としているが、塗装や照明器具の交換、統一したデザインの看板製作等、利用者らの手で進められ、廃棄されそうになっていたロッカーも今では表面に漆喰が塗られ、立派なカウンターになっている。
 地域の卒業生等は、トイレ改修を中心に取り組んでくれた。卒業生という左官業や大工の男性が中心となって、トイレの内装が見違えるほどになり、給食配膳室だった使い道のなかった部屋も畳が入り、多目的で使えるようになっている。
 私自身もドラム缶風呂のほかに中庭に石窯の設置を企んでいる。簡単なキットのものであるが、石窯を使った料理体験等の展開を狙っているのだ。やっと先日の休みに、設置場所であるウサギ小屋跡に土間コンを流し込めたところである。
 このように、工房それぞれにインテリアや照明器具といったデザインを仕事としていた人が居ることで、施設全体の雰囲気等も考えながら、いろいろな角度から施設のあり方を話しながら、ゆっくりと進んでいるのである。ゆっくりの理由は休日しか作業できないということもあるのだが……。

5. 施設整備への取り組み

 施設改修に係る費用は、「京都府地域再生力プロジェクト交付金」を活用した。
 工房も一定埋まったが、集客に耐えうる環境整備がイマイチであり、またそば教室でわかるように「食」に関する教室が人気ということと、付近に食事ができる場所もないことから、喫茶的な教室も必要という意見もあり、また、屋根瓦が割れ、ひどい雨漏りもしている部分もあったが、管理する教育委員会としてもそんな予算化が不可能な状態であった。
 そんな時、京都府の地域再生力プロジェクト交付金が創設されたこともあって、その受け皿となる組織づくりとして利用者等と地域との交流といった面で核となる住民に声かけから始め、私を含め10人で「南山城村生涯学習施設活用推進委員会」を組織することとなった。
 堅苦しい名称ではあるが、要するに自分達で使ったり、自分達の地域の施設利用を活性化しようと言う集まりなのだ。未だに趣旨が共通理解されていないところはあるが、施設に熱い思いを寄せる人材が集まったのだ。
 地域で核となる住民に声をかけたのは、小学校として持っていた地域のコミュニティー施設としての役割を復活させるべく、廃校後遠のいてしまった地域住民の足を、もう一度施設に向けようという狙いがあり、そのきっかけづくりとして、交付金の利用を思い付いたのだ。費用面が課題となっていた部分を利用者等でその交付金を受け、自ら実施することとして誘導した。
 地域住民は行政に対する要求や要望と言ったことには慣れており、また私たち行政職員も行政の事業は費用対効果を求めて来なかったと言う古い体質から、自ら目的に向かって進むということには不慣れな部分であると言え、否定的な意見は言うが前向きな行動に移すことが苦手な人が多く存在するのだ。
 施設整備にしても話せば限りなく大きな話になる。例えば、トイレを綺麗にという課題には、浄化槽設置という要望が出される。まず自分たちでできる部分をと始め、地域の卒業生等が集まって作業が進められることになった。
 とにかく委員会での私の役割は、村との窓口になり、施設改修の許可や補助金の交渉を行うこととした。結果、自主財源となる3分の1分も財政課及び教育委員会との交渉で村から補助を受けられることとなり、交付金が下りるまでの間、村に立て替えしてもらうことを取り付けた。改修は利用者等の施設利用の構想により、必要箇所をほぼ手作りで行い、費用面で停滞していた問題も一気に解決し、交付金事業活用が背中を押した形となったのである。

6. ハード事業からソフト事業への移行

 今では、利用者らがそれぞれ交流し、利用者間での人間関係が築かれ、それぞれが来場者を誘致するといった形で、土日は一定の賑わいを見せ、多い時には50人を超える来場がある。結果、工房間の交流を誘発し、利用者自らのネットワークを駆使して、休日には多くの来場者を誘致するといった展開を見せている。


子どもたちの体験教室

 交付金事業2年目の今年は、ソフト事業を中心に展開を予定しており、夏には大学生の合宿やスポーツクラブの野外体験等の誘致が決まっており、いろいろな角度から積極的に施設活用を試したいと考えている。ドラム缶風呂も石窯も体験活動のひとつのオプションになればという発想からで、いろいろな活動を実施することで、その中からこの施設に合う形を見つけることができればと思うからだ。
 先日、私が率いる小学生バレーボールクラブの合宿をした際、子どもたちにペーパークラフトを体験させた。卵の殻を使うので、中身をうまく抜くところから始まる。卵の2箇所に大小2箇所の穴を画鋲で開け、小さい方の穴から、ゴム製のブロワーで空気を吹き込むと、もう一方の穴から中身が勢いよく飛び出してくる。この工程が子どもたちには一番ウケルらしく、「おぉー!!」という声があちこちから聞こえてきた。中身を出し、十分に水洗いした後、ドライヤーを使った特製乾燥機で殻を乾かす。その間に、殻に貼っていく紙を切っていくのだ。この日は耐水紙を使った水に浮くペンギンがテーマだった。開始して2時間後には、首の角度がまちまちなペンギンと卵焼きができていた。
 子どもたちの殆どが村の子どもたちであるが、統合小学校に入学した子どもたちばかりであり、施設の存在すら知らない子どもたちであった。中には地元の小学生もいたが訪れたことがないようだ。
 廃校校舎がこのように生まれ変わり、活用されていることがあまり知られていない。また、トイレの改修を行った卒業生等もその後再び足は遠のいている。
 私は村で生まれ育ったが、この小学校出身ではない。しかし、木造校舎の匂い、雰囲気がすごく懐かしく、訪れた時はのんびりと3時間長居してしまうほどだ。他の町から初めて訪れた人も同じことを言うほどだから、卒業生等はもっと特別な思いがあるはずだ。
 廃校してからの5年という時間は想像以上に大きく、地元の人たちが気軽に足を運ぶきっかけづくりとなる企画が重要な課題と言える。ドラム缶風呂はその重要な一つのキーなのだ(笑)。

7. 行政職員としての役割

 このように、まだまだ途中であり、課題を多く残しているが、この廃校校舎活用の検討については、公共事業でありがちな完成したという実績重視ではなく、村が示した「小学校跡地利用方針」に基づいて、利用者等が自ら考えられるフレキシブルな部分を結果的に取り入れたことが、他の事例と区別できるところではないかと考える。
 設定すべきハードルを施設の維持管理という、一番低いところに設定し、入場者数や収入、教室の開催といったノルマにとらわれることなく、長期的な工房としての利用に重視し、その中で生涯学習施設として教室の開催を求められた際の協力という約束事を明確にし、それ以外は自分の業としての仕事をこなすことが長期的な継続が求められるスタンスであると考えたからだ。
 行政職員の業務としてだけ物事を考えるのではなく、同じ熱い思いを寄せるものとして、同じ視点から進むべき方向を語り合い、それを業務に反映する。そのときに行政職員として役割を発揮すべきだと思っている。
 私は南山城村に採用され、23年が経過した。若い時は人より事務ができると自負していた時期もあった。しかし、そんなことより村のような小さな自治体では人との繋がりが大切と最近に特に思う。
 若い頃はそれが煩わしかった。24時間営業みたいなものだからだ。役所に勤めているからいい顔しながら、地域の行事には積極的に参加しなければならないのも苦痛だったが、今では、年齢的なことが解決してくれたところもある。
 例えば、私の出身地区の自治会長が私を訪ねて相談に来る。相談されると嫌とは言えない性格もあるが、やはり地元を大切に思う。だから、できる範囲の無理は聞いてしまっている。わら細工の老人も役場に来ても「お前(私)のところにしか話をするところがない」と時々訪ねてきてくれる。話す内容は、特に何ということがないが、人生の大先輩としていろいろなことを教えてくれ、最後には「まあ頑張れ!!」と激励して帰っていく。そんな繰り返しがいろいろな人との人間関係を築き、「お前(私)の言うことなら」「お前の頼みなら」と解決した問題も少なくはない。
 このように、私たちの仕事ではいろいろな場面で人を巻き込める人間関係の形成が必要不可欠と考えている。私たちの仕事は、地域と行政を繋ぐパイプであり、住民に理解させるのではなく、地域のキーパーソンとして自ら行動して人を巻き込む力が重要だと思う。こうした動きがなければ、本当の意味での協働は達成しないと考える。
 得意の思い付きで始まった跡地利用も、いろいろな人との繋がりで前に進んでいる。ドラム缶だってタダで貰った。蓋を開けるのも建設業の社長が快く引き受けてくれた。水抜き用のバルブ取り付けも水道屋さんに依頼した。声をかけると作業を手伝ってくれる人もいる。
 しかし、やっぱり住民の人たちは、同じ村でありながら地区間の壁、いくら老朽化した施設といえども自分たちで手を入れることに対する抵抗は取りきれない部分である。そこには、行政職員として調整する私の姿がある。やっぱり「エイヤー」で……。
 その根拠には、村が示した跡地利用方針に基づいて、利用者及び地域の人たちが、自らの手で施設の活用を考えながら取り組む姿が見え、その姿を見ながら、住民として行政職員として教育委員会と協議を行っているからだ。
 仕事の合間を縫って火曜の夜と土曜の午前中には週2回の小学生バレーボールの指導もあって、予想以上に時間を要しているが、完成形を想像して楽しんでいる。
 7月27日にはワークショップを開催。各工房の教室やクラシック音楽の指揮者体験などのワークショップを開催する。夏休みともあって、子どもたちの宿題制作を兼ねた多くの人たちの来場を期待している。