【自主レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅰ-②分科会 立ちあがれ自治体職員 ― 地方自治の可能性を探る ―

ニセコ・いわない国際スキー場における官民協働の可能性


北海道本部/岩内町職員労働組合・企画経済分会 松田 晃一

 「岩内の雪は横から降る」そんな表現がされる程、我が町の冬は厳しく長い。荒れ狂う日本海と巻き上がる地吹雪、北西からの浜風により降る雪は真横から吹き荒ぶ。そんな厳冬期にも自然の恩恵によって賑わう場所がある。
 ニセコいわない国際スキー場は後志管内積丹半島の西の付け根、ニセコ連峰の西の端に位置する小規模なスキー場である。同管内にはニセコ地区、ルスツリゾート、キロロリゾートといった道内でも有数の大規模なスキーリゾートが多数点在し、中でもニセコ地区についてはその雪質・ロケーションの良さからオーストラリア人観光客を中心に世界的レベルでも高い評価を得ており、近年国内外から多くのスキーヤー・スノーボーダーを集客している状況にある。
 一方、我が町のスキー場は、1980年民間資本により開発が進められ、町民のレクリエーションの場、冬期間の教育の場として長年親しまれてきた施設である。バブル経済絶頂期にはセンターヒュッテの建設、新たなゲレンデの造成、クワッドリフトの建設等、次々と開発行為が進められる事になる。時同じくして、原田知世、三上博が主演を務める「私をスキーに連れてって」が大ヒット、空前のスキーブームが巻き起こる。(レジャー白書によると当時、全国のスキー人口は1,860万人にも及んだという。)劇中挿入歌で使われた曲、松任谷由実の「恋人はサンタクロース」「BLIZZARD」は全国どこのゲレンデでも聴くことができたはずである。(現在はEXILEのchu-chu-trainが主流でしょう。)このような時代背景の中、我が町のスキー場においても1990年度には12万5千人の来場者を記録し、ゲレンデは人々の活気で満ちあふれていた……。
 しかしながら、バブル経済の崩壊、長引く不況、少子化に伴うスキー人口の減少等……スキー場を取り巻く環境は劇的な変化を遂げる事になる。来場者は下降の一途を辿り、相次ぐ経営企業の撤退や、クワッドリフトの休止などにより、スキー場の存続すら危ぶまれる状況に陥る事になる。そんな窮地を救ったのが、地元岩内町の体育協会・観光協会などに所属する有志が集まり設立した「岩内町地域振興協会」である。地域の民間団体と町との連携により地域密着型スキー場として生き残る道を選んだのである。
 2007年7月、北海道運輸局が進める「地域のスキー場の活性化に関する調査事業」の一環により、「ニセコいわない国際スキー場」は全道2箇所の活性化モデルスキー場の1つに選ばれる事になる。北海道のスキー文化を後世に継承し、地域の小さなスキー場を盛り上げるためのプロジェクトとして進められ、「地域のスキー場の活性化に関する検討委員会」からのアドバイスを受け、様々な活性化策が実施される事になる。白熱のシリーズ戦「スーパーダウンヒルチョッカリ大会」や、ゴミ袋で尻滑りを競う「ダストバックレース」、圧雪車で標高700mエリアまでツアー参加者を乗せ白銀のパウダーを滑る「キャットツアー」等々、「徹底した地元集客戦略」と「スキー場特性を活かした高付加価値戦略」この2つの大きなコンセプトの基、抜本的な活性化策が進められたのである。
 「地元のスキー場をどうにかして残そう」全町的な機運の高まりの中、「我々にも出来る事があるはず」を合い言葉に青年女性部が中心となり自治研活動の一環としてスキー場イベント「かまくらカフェ」を企画するに至る。スキー場スタッフ及び町観光課スタッフの連携協働により、ヒュッテ前にかまくら2基とチューブスライダーを制作し、子ども達に楽しんでもらおうという企画である。同時にかまくら前でカフェを開設し、温かいミルクやココア・カフェオレ等を無料で振る舞い、スキー場に賑わいを作り出す事を目的とする。限られた時間とスタッフでどの程度のイベントが実施できるのか? 皆の中に不安がよぎる……。かまくらすら作った事がないメンバーが大半を占めているのが現状である。
 かまくら1基目の作製工程として、小学校の運動会で使う大玉転がしの大玉を用いた方法が採用される事になる、もちろん初めての試みである。エアを入れて膨らませた大玉を雪面に固定し水を掛け、コンパネでその周囲3方を囲み除雪ロータリーでどんどん雪を覆い被せていく。ロータリーで飛ばされる雪の勢いは凄まじく、固定しているコンパネが圧力に負け扇形に開いていく、「抑えろー」2人がコンパネの裏に回り込み必死に抑える。ロータリーで飛ばされる大粒の霰のような雪礫がゴンゴンと音を立てて襲ってくる。ようやく2m程度の高さまで雪が盛られ作業の第一工程が終了。雪を固めるため1昼夜これを放置する。
 2日目の作業は掘削作業、まずは埋めた大玉のエア弁を探し空気を抜く作業から始める。大玉を傷つけないよう慎重に掘り進んでいく、2m程掘ったところでようやく大玉の表面が現れる、エア弁は真正面にあるはずだが無い……。作業の途中でずれたのか? 必死に探す一同、ようやく探し当てたエア弁のコックを外すと直径1.5m程の大玉からゆっくりと空気が抜けていく。完全にしぼんだ大玉を雪山から引きずり出すと雪山の中にポッカリと広い空間が姿を現す。大成功 後はその空間を徐々に広げていく作業だ。壁と天井の厚さを確認しながら慎重に空間を広げていく、壁際にはベンチシートを作製、床も1m程掘り下げていく、こうして大人の背丈よりも高い空間が完成、かまくらの真ん中には板氷で作ったテーブルを設置。子ども達の喜ぶ顔が楽しみだ。2基目のかまくらは更に巨大なものを計画、スキー場スタッフの協力により圧雪車で雪を積んでいく、みるみるうちに巨大な雪の山が出来上がる、2基目のかまくらは2LDKのマンションタイプ。横長の立方体に成形されたかまくらは内部で2部屋に分かれていて、高さも広さも申し分ない出来上がり。最後の作業はチューブスライダーの制作。センターヒュッテ前の斜面を利用し全長20m程のコースだが、直径1m程のミニチューブが滑走できるよう両脇にバンクを作るために雪を積んでいく。勢い余って飛び出さないようバンクに高さと角度を持たせる。ゴール地点には安全対策で分厚いマットを設置。これでハード面の整備は全て完成。丸々2日間の作業で全ての工程が終了した。達成感でいっぱいの晴れやかなスタッフ達の顔、あとは当日の天候を祈るばかり。

 かまくらカフェイベント当日はこの冬一番のピーカン、澄み切った青空と真っ白い雪山とのコントラストが映え渡る。スタッフは総勢15人、青年女性部員を中心に日頃からスキー場のお手伝いをしている民間有志のボランティアスタッフもサポートしてくれる。朝一の作業として男性陣はかまくら前にインディアンテントを設置し、チューブスライダーの準備、女性陣は食材の仕込みとメニューのレイアウト。かまくらカフェのメニューはホットミルク、ホットココア、ホットカフェオレ、地元深層水を使ったもちもちドーナツ、手作りマドレーヌ、ふわふわシフォンケーキ、かぼちゃのポタージュ。飲み物は300人分、ドーナツは200個、全て無料で振る舞われる。この日はジュニアスキーのバッチ検定もあり、既にヒュッテは多くの人で賑わっている。インディアンテントの設置も終了し、メニューも全て揃った スキー検定前の午前講習も終わり、既にかまくら前には子ども達や家族連れで長蛇の列が出来ている。
 午前11時いよいよ「かまくらカフェ」オープン「温かいココアをどーぞ」「カフェオレ・ホットミルクもありますヨ~」「もちもちボールお一人1個です。」皆、馴れたものである。「どーぞ、かまくらに入って休んでってネ。」イベントならではの気さくな声掛け、スタッフもお客さんも自然と笑顔が溢れる。初めてかまくらを目にする子ども達も多く、かまくら内のベンチに腰掛けニコニコ顔でココアを飲んでいる。なんとも微笑ましい姿だ。チューブスライダーは男の子達に大人気! 最後の飛び出しジャンプが楽しいようだ、チューブを片手に順番待ちの列が出来る。スタッフが安全のため張り付いているのだが、自然と父兄の皆さんがお手伝いをしてくれる。「きちんと順番守れよぉ。」自分の子どもだけではなく、他の子達にも同じように接してくれる。お陰で事故や怪我もなく一安心。温かい飲み物と温かい雰囲気が心地よい空間を作り出す。午後にはほとんどのメニューが売り切れ、大盛況のうちに午後2時かまくらカフェは閉店となった。
 小さなスキー場の小さなイベントであったが、冬場のコミュニティでの子ども達とのふれ合いを通じ、関わったスタッフがスキー場の存在意義を改めて再確認することが出来たはずである。大規模なスキーリゾートとはひと味違うローカルな雰囲気と、眼下に日本海を見渡せる素晴らしいロケーションを最大限に活かし、スキー場というフィールドにおいて北海道ならではのスキー・スノーボード・かまくら作り・雪だるま作りなどの冬の文化を体感し、多くの人々と関わり交流する事で、長く厳しい冬を明るく楽しく過ごす冬に転換する事が出来るはずである。たとえリフト一本でも地域ぐるみで盛り上げるスキー場。小さなスキー場でも関わる人々の努力次第で賑わいを取り戻せる 期待が確信に変わるイベントであったと感じている。子ども達が子どもらしく伸び伸びと遊び、家族が一緒に楽しめる空間というのは地域にとって貴重な財産である。その財産を活かすも殺すも地域の関わる人々の知恵と行動力(当然お金も…)に左右されるものである。関わる人々の裾野を広げる事で、民間、公共、ボランティアそれぞれの知恵と行動力を活かし、その効果は何倍にも膨らむはずである。財政難で休止に追い込まれる小規模なスキー場が多い中、生き残りの道を模索する我が町のスキー場。我々組合員(自治体職員)は今後どのような形で地域のスキー場に関わっていけるのだろう? 時としてと皮肉を込めて「役人」と呼ばれる事がある我々だが、単に「役所に勤めている人」という意味の役人ではなく、地域にとって「役に立つ人」でありたいものである。民間スタッフ・民間ボランティアとの協働により実現した今回のイベントはスキー場運営だけに限らず、あらゆる公共サービスにおいても共通するモデル的なスタイルではなかろうか? 官民協働が叫ばれる昨今、口で言うは容易いが、行動を伴って初めて真の協働と言えるはずである。来シーズン以降も官民ボランティア隔たりなく、文字通り雪だるま式に関わる人々を増やしながら継続して開催できる事を願う。