【自主レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅰ-②分科会 立ちあがれ自治体職員 ― 地方自治の可能性を探る ―

地域と自治労組合との共生を目指して


新潟県本部/柏崎市職員労働組合・執行委員 山田  修

 当市は、ご存知の通り、中越地震と中越沖地震という未曾有の地震を2度も経験した。どちらも休日の出来事であった。
 私は、中越地震の際は、夕食を食べようとしていた時、中越沖地震の際は、子どもを実家に預け、妻と用を足しに近所へ出かけようと車を走らせている時に被災した。どちらの時も、家族はパニックになり、何も持たず外へ出て、近所の人たちと身を寄せ合っていたのを鮮明に覚えている。特に、中越沖地震の際は、私たち両親が離れていたことで、子どもの怯えようは見るに耐えない状況であった。
 こうしたなかで、私が一番に思ったことといえば、はやり「一刻も早く、市役所へ駆けつけねば。市の職員としての役目を果たさねば。」ということだった。そして、被災した自分の家の被災状況も把握しないまま、家族の無事だけを確認し、身支度して、市役所までの道のりを被害状況の確認をしながら出勤した。
 そして、それからの毎日は、まさに昼夜問わず災害対応に忙殺される日々であり、家族との楽しい食事、一家団欒とは程遠い生活が続いたのである。
 職場では、徹夜続きで疲れ果てているのにもかかわらず動きまわる者、家の片付けもままならず仮眠だけを取りに家に戻る者、家が全壊したのに市民の相談に向き合っている者、皆、自分の事情はさておき、がんばっていたのである。
 この時、私は同僚だからという同情を抜きに、自治体労働者はやはりすごいな、必要だなと痛感した。
 自治体労働者は、無意識のうちに、自治体のために最前線に立たなければいけないと感じて、そして行動しているのである。
 当市は、1999年度まで不交付団体であり、その後交付団体となっても、県内では上位の財政力指数を保ち続けていたが、数年の間に、2度の大災害を被ったことにより災害復旧に係る財政出動は市財政を一気にひっ迫させ、基金の取り崩し、どれほどの金額が交付されるかという不安の中での特別交付税頼み、そして起債の発行などで対応して何とか当該年度を乗り切った状況である。
 今後、いわゆる団塊の世代の大量退職、これまでの大型公共事業の終了により生じる市債償還の本格化など義務的経費の減少など到底期待できないなかで、災害によるさらなる負担増は一気に当市を不安に追い込んだ。当局側は、被災した市民感情や財政健全化計画の策定もあるかもしれないという危機感により、独自に賃金3%カットの2年間を提示し、苦渋の決断により組合もこれを受け入れた。
 我々は、昼夜問わず、働いたのである。例年にも増して、いや市制始まって以来の難局を乗り越えようと働いたのである。そして、2度の大災害でひっ迫した財政状況を、職務をしながら十分理解した上で、賃金カットを受け入れたのである。
 私は、このように良識ある自治体労働者がきちんと評価されず、日々、批判の矢面に立たされているこの現状をどのようにして打破し、今後来るべき情勢を考え合わせ、きちんと市民に受け入れられ、地域のために協同していくための方策をこれから考えていきたい。
 まず、組合が積極的に地域に出る活動が必要ではないかと思う。
 実際、既に実施しているところの方がむしろ多いかもしれないが、であるなら、今以上に地域に出ることを提案したい。地域に必要とされる組合であれば、もっと上手く市民への理解活動が進むと考えるからだ。
 例えば、ボランティアとしての参加である。
 このためには、種々のイベントにボランティアとして参加することを、組合活動の一つにきちんと位置付けをしなければならない。組合の年間活動を企画する際に、その年毎に活動地域を決めて、地域的行事・イベントに参加することはどうであろうか。また、組合の恒例行事として、海水浴シーズン前の清掃、登山道路の美化などを、組合の統一したユニフォームなどを作って毎年のように参加すれば、徐々に活動は浸透し、地域では自然とその協力に期待を寄せるようになるはずである。
 そもそも、組合活動は、職場の労働条件や賃金条件を上げる、あるいは維持することだけを目指しているように考える市民が多いように感じる。のぼり旗を幾重にも並び立てて行進をし、自分達の主義主張を訴えるだけの集団とみられてはいないだろうか。
 そういった思い込みが、組合批判の基にあると私は考える。自らの処遇改善のための活動だけをしているのではなく、地域を見据えた活動も行っていることを、統一ユニフォームを身につけたりして、市民の目に見やすい形で示していくべきではないかと考える。
 また、組合が主催して新たなイベントを実施するのも面白いのではないかと考える。
 純粋に子どもたちが楽しんでもらえる遊びの場の提供や、どの自治体でも問題となっている駅前商店街活性化を目的などとして、一市民グループのような立場で、賛同する他の団体と共にイベントするのはどうだろうか。職務としても、色々な施策に取り組んでいるだろうが、逆に私的立場でのイベントであるのだから、集中的で違う観点からの活動ができることもあるのではないか。
 ただ、こうした活動は、意を同じとするグループだけの、いわゆる内輪だけで実施するのではなく、例えば、これまでの概念にとらわれず、労使関係を超えて管理職といわれる職員や、普段の活動ではつながりを持つ事ができない団体にも協力してもらい、皆で自治体を活性化させる「何か」を一緒に行うことも考え合わせたい。
 私が、なぜここまで職務外の組合活動としてもさらに、自治体のために、市民・地域のための活動を促したいと考えているのかという理由は、繰り返しになるが、自治体労働者の必要性をもっと市民に理解してもらいたいという願いがあるからだ。
 平成の市町村合併が一段落し、合併後10年間は旧自治体単位での交付税が算定され交付される。現在、合併した自治体のほとんどがこの時期にある。であるから、なんとか今は、財政が保たれているのである。また、合併特例事業として、起債償還時にその元利償還金の70%が普通交付税によって措置されるということから、建設事業もなされているのが現状であろう。
 その後5年間は激変緩和として、段階的に減りながら合併後の新自治体分での普通交付税が交付される。5年間で徐々に減額された後は、合併後の新自治体としての普通交付税でやりくりをしなければならない。もちろん税制は地方へシフトされる方向へ一層向かうだろうが、それだけでは予算が成り立たなくなる自治体が多く出てくるのではないだろうか。
 そして、今度は道州制の導入が叫ばれている。要するに、地方行政の機能をおおまかな形に集約し、それに伴い住民サービスもおおまかにすることで、地方の歳出削減がどんどん行われるのである。すなわち、自治体労働者が少なくなっていくのである。
 これは、我々自治体労働者の働く場が確保されないという問題だけでなく、地域全体にかかる問題なのだと捉えねばならないのである。
 こうした状況を予想するに、我々はどの視点に立って物事を行っていかなければならないかと考えれば、やはり市民・地域のためなのである。また、市民と一緒に地域を守っていくためでもある。
 市町村合併、道州制となれば、やはりその中央へ人、モノ、かねの流れは集約され、以前よりサービスが低下し、取り残されたと感じられる地域が多く出てくるだろう。これは、市町村合併を経験している方々なら実感していることかもしれない。
 我々の仕事は地域あっての仕事であり、地域が公的支援のなかで何とか存続出来ている状況であれば、それを活力ある状況に変えていかなければならない。
 地域も我々も協力していかなければならない事情があるという認識を持たねばならないのだ。
 さらなる理解活動を提案したい。
 当市では、「市長への手紙」という制度があり、公共施設の窓口や、広報にも掲載されており、市民一人ひとりの意見が直接首長に届く制度がある。
 この組合版はどうだろう。新聞の折込として配布するもよし、地域ごとに組合員が直接ポストへ投函するのも一考だろう。この意とするところは、市民の声に傾けるということである。広く市民の生の意見を聞く事で、より組合がどのように市民に意識されているのか、組合側が理解出来る点である。多くの批判の意見が送られる事も予想できるが、それは現状でもそうであり、それが表面に表れただけの話である。しかしそれを謙虚に考えてみることが必要なのである。おそらく、どの組合も、組合加入者数か組合員意識かの別はあるだろうが、総じて職員の組合離れが問題の一つになっているはずである。
 役員は組合員一人ひとりのために一生懸命活動しているのに、どうして理解してくれないのか、どうして参加してくれないのかと悩んではいないだろうか。私は、市民から聞いた意見の中に、こうした悩みの解決策があるのではないかと期待をしている。そして、集めた意見から、組合の地域を見つめる新たな活動が生まれてくるはずである。
 地域から大切だと思われる組合を目指したらどうだろうか。
 先ほど、地域に出て行く組合を提言したが、その前にこうした意見聴取の活動があった方がよいのかもしれない。
 これまで諸先輩方が懸命に行った労使交渉により、種々の獲得があったことは承知している。しかし、これからは、労使交渉だけでは成り立たない方向へと向かってはいないだろうか。
 例えば、退職者数と同等の新規職員採用を要望して、「はい、分かりました。」と了承する自治体は皆無に等しいだろう。
 であるなら、地域・市民に事情を理解してもらった上で、職員数を減らさないで欲しいという陳情を出してもらうという形を目指してはどうだろうか。
 こんな一例があった。
 職員(組合員)が施設入所者の入浴の介助をしている施設がある。もちろん異性の介助は誰にでも抵抗がある。しかし、人事異動の際、同性同士で引継ぎが行われる異動ではなく、異性間の引継ぎがなされる異動があった。これだと、必然的に男女どちらか一方の介助人数が減少することになり、ただでさえどこの職場も人員不足なのに、異動せずに働いている職員の負担増は図りしれない。実際に、年休が一層取りづらくなったとの声も出た。介助は重労働だけに身体を壊す者が出てくることも十分に考えられる。
 このような事情を、外部の関係者も厳しいと感じ、同性の配置に向けて声を出してくれたのである。
 市民は自治体労働者を見ているのである。がんばって仕事をしていることを分かってくれるのである。今、我々の職場は、合併や退職者不補充などで、どの部署でも多忙を極めているのである。であるから、市民にこの状況を説明し理解を求めなければいけないし、今が理解を得られるチャンスでもあるのだ。
 デモ行進や交渉などで「断固反対」を訴えるだけではなく、市民に丁寧に「こういう事情で大変なのだ。」と分かり易く訴えかけるのだ。もちろん、議会で組織内議員や協力いただける議員から声を上げてもらうことも大切であるが、やはり「市民に直接」が力の源になるのだ。それが、首長を動かしたり、議会を動かしたりするのではないか。
 そして、これとは別に組合は地域活動に参加するのである。地域のための活動を創るのである。決して、組合の人気取り目的の活動ではなく、地域を見つめたボランティア活動としてである。
 その一方で、自治体労働者の現状説明をするのである。
 これまで市町村制施行以来、いわゆる明治の大合併、昭和の大合併があったが、これらは生活圏域内での合併であり、また、その地域の成長を目的とした前向きな合併だったと考えられる。しかし、今回の平成の大合併はどうだっただろうか。合併特例債と交付税削減により、仕方なく合併したという感じはしないだろうか。不交付団体など財政力がある団体は、同一生活圏内で、面積や人口規模が小さくても合併しない事例があった。逆に、今後の財政不安のために、生活圏外との合併で、これからの住民サービスが不安視される団体もあるのではないか。こうした地域の市民は、自治体労働者と同様に不安なのである。また、財政力がある団体であっても、決して将来に不安を抱いていない団体又は市民などいないはずだ。
 市民も自治体労働者も今後に向けての想いは一緒なのだ。
 であるから、市民と組合が手と手を取り合って、進んでいくことが大切だと考えるのである。この協力があれば、地域は力を保ち、希望が持てるのである。
 我々を取り巻く環境は今後益々厳しくなるであろう。しかし、職務に自覚を持ち最前線に立って職務を遂行する自治体労働者は、地域・市民のために必要不可欠なのである。
 現在、財政難を理由に人員削減・歳出削減が進められている。考えの一つとして、そうした方策もあるだろう。しかし、やはり市民サービスを行う上で限度があるはずだ。国や自治体のための市民ではないはずだ。市民のための国や自治体であるはずなのだ。
 そして、我々も市民のために仕事をしている。地域・市民の想いと自治体労働者の想いが一つとなり、地方から声を上げ、地方から元気になっていきたい。
 当市では、中越沖地震後、今なお仮設住宅が建っており、市内の至る所で災害復旧工事が盛んに行われている。私は、地震発生直後、この街は元通りに戻らないのではないかと大きな不安を感じた。しかし、今、全国の皆さんの支援に支えられ、当市は除々に復興している。市民の力で復興のためのイベントも市内で多く行われている。
 地域・市民にはパワーがあるのである。そして、組合にもパワーはある。協力して、もっと大きなパワーを生み出し、地域を盛り上げ、明るい将来を目指していきたい。