【自主レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅰ-②分科会 立ちあがれ自治体職員 ― 地方自治の可能性を探る ―

市民交流スペース「みつや交流亭」における
市民協働の取り組み

大阪府本部/大阪市職員労働組合

1. 取り組みに至る経緯

 大阪市職員労働組合(大阪市職)は、大阪市のいわゆる「職員厚遇」問題で、市民からの強い批判を浴びた。これに対し大阪市職は、批判に対して改めるべきは改め、「公務員バッシング」に乗じた当局からの不当な攻撃に対しては立ち向かうという姿勢で臨んだ。その一方で、自治体労働組合が「公務員バッシング」の中で孤立し、市民からの一方的な批判を受けるようになった状況を受けて、市民の率直な意見を聞く場として各行政区で行う「地域集会」(注1)を企画し、2006年10月22日、淀川区地域集会プレ企画「市職まちづくりトークセッションin淀川」を開催した。
 その際、参加者から、「市民・地域社会と直接関わる自治体職員として、市民・地域社会を本当に知っていると言えるのか」「市民と行政の距離が大きく、それに伴う意識の乖離が様々な問題を引き起こし、現在の市役所に対する厳しい批判につながっている」「職員はカウンターを越えて、積極的に市民・地域の中に入っていくべきだ」等の指摘があった。
 企画終了後、集会パネリストを交えて今後の取り組みについて話し合う過程で、商店街の空き店舗を拠点にして地域社会に入り、市民と協働するというアイディアが生まれた。つまり、地域に入っての市民との協働について、事前にそのあり方を議論していくというより、まずは拠点をつくって、実際に地域の市民と交流し、対話していく過程で具体的な取り組みの方向性をともに見出していこうという発想であり、空き店舗という地域の「遊休資源」を活用すること自体が地域への貢献となるという意味もあった。
 場所については、大阪市淀川区の三津屋商店街の理事長を紹介していただき、さらに、まちづくりの専門家であり、商店街の空き店舗に大学の研究室を開設した経験を持つ片寄俊秀さん(大阪人間科学大学教授)を紹介いただいた。

2. 市民交流スペース開設にむけた検討

 その後、濱西正次・三津屋商店街振興組合理事長と具体的な取り組みの検討に入った。濱西理事長からは当初、「なぜ大阪市職員の労働組合がこのような取り組みを行うのか?」という疑問が出された。また、「むしろ大阪市の行政施策として行うべきではないか」との指摘もあった。一方で理事長自身も、「みつや北地区まちづくり研究会」設立に主導的立場で関わるなど、以前から商店街と地域との連携を模索しているとのことであった。2007年1月から濱西理事長と大阪市職メンバーで会合を重ねるうち、取り組みに至った経緯、各行政区一律・画一的になりがちな行政とは異なり柔軟で機動的な市民協働が可能な自治体労働組合の「強み」について理解いただき、協力を約束していただくこととなった。
 市民交流スペースの開設準備のための会合には、落語家、子育てサークルメンバー、デイサービスセンター管理者などユニークなメンバーも、地元でタウン誌を発刊している南野佳代子さん(「プレ企画」にパネリストとして参加)を中心としたそれぞれのネットワークを介して集まり、大阪市職のメンバーとともに、具体的にどのようなスペースにしていくのか検討した。その過程で、「誰にも開かれた空間に」「地域からの発想を実現できる場に」という基本的な考えがメンバーに共有されることとなった。さらに、「気軽に出入りできるオープンスペース」「車いすでも入れるオストメイト対応トイレ」「子どもの水飲み場」といったハード面からの希望や、「落語会を開きたい」「広く参加できる学習会を開きたい」など多くのアイディアが出された。

3. 「まだまだよくなろ・みつや倶楽部」の結成

 市民交流スペースの名称は、様々な人が集まり、出会い、交流する場にしたいということで「みつや交流亭」に決まった。さらに、話し合いに参加してきた下表のメンバーが中心となって「まだまだよくなろ・みつや倶楽部」という運営組織を結成した。同「倶楽部」はみつや交流亭開設までは準備委員会として活動し、開設後は月1回の定期的な企画会議を開き、みつや交流亭の運営員会として活動している。


「まだまだよくなろ・みつや倶楽部」メンバー

濱西 正次(三津屋商店街振興組合理事長)
辻本みゆき(三津屋地区の子育てサークル・育児&育自"この指と~まれ"代表)
笑福亭仁勇(淀川区在住落語家)
成田 吉哉(社会福祉法人博愛社デイサービスセンター生活屋(いきいきや)管理者)
片寄 俊秀(大阪人間科学大学教授)
南野佳代子(タウン誌『ザ・淀川』編集長)
味方 慎一(国際交流NPO法人「もみじ」理事長)
片山 留美(日本労働者協同組合連合会センター事業団)
*大阪市職としては、本部政策・運動推進局、区役所支部連絡協議会、淀川区役所支部から組合員メンバーが参加。


4. 市民交流スペース開設場所の決定と改装工事の開始

 商店街の空き店舗を利用する際に大きなネックとなり、商店街活性化においてしばしば問題とされるのが、貸し手があるかどうかである。これについては、快く協力してくれる家主を濱西理事長に紹介していただいた。軽度の認知症高齢者のためのデイサービスセンター「生活屋」(いきいきや)を商店街に開設する際にも、比較的容易に家主(みつや交流亭とは別)を見つけることができたそうだが、三津屋商店街に新規の、しかも従来とは全く異なる「業態」の店子を受け入れる貸し手があったことは、貸し手と借り手をつなぐ商店街理事長の存在とともに、みつや交流亭開設にとって幸運であった。
 空き店舗はもともと和菓子屋の店舗兼自宅であり、1階の商店街アーケードに面した旧店舗を誰もが自由に入れるオープン・スペースとし、ベンチや冷水機を置くことにした。三津屋商店街は500mを超える長いアーケードを有し(単一の商店街組合としては大阪市内最長)、高齢者が多い来訪者には途中での休憩場所が必要だったからである。冷水機は子どもたちに大人気となった。その奥にある部屋をキッチンやパソコンがある事務所的な空間とし、そこにオストメイト対応のバリアフリー・トイレを設置した。トイレも商店街に欠けていたものであり、みつや交流亭オープン後もよく利用されている。1階の奥にある部屋と2階の和室を「交流スペース」として利用料1時間500円で市民に貸し出すこととした。詳細の設計は一級建築士である「まだまだよくなろ・みつや倶楽部」メンバーの味方さんが行い、改装工事の施工費用は大阪市職が負担することとなった。
 空き店舗は数年間空き家となっていたため内部が相当傷んでいた。そこで、6月、工事を前に大阪市職組合員のボランティアで大掃除を行った。みつや交流亭での大阪市職の取り組みにおいては、以降のみつや交流亭における店番やイベント等も同様であるが、いわゆる「動員形式」ではなく、可能な限り関心のある組合員に呼びかけて自発的に参加してもらうというスタイルをとっている。
 7月12日、工事が開始された。内装のコンセプトは、もともと古い物件だったこともあり、また語呂合わせで「昭和38(みつや)年」とし、オープンスペースの壁面にはなつかしい街角を描いた舞台道具を再利用した。さらに、天井にはストリート・アーティストと専門学校生たちに描いていただいた、夕焼けから夜空に変わっていく「空」を貼り付けた。

5. 地域とつながる必要性

 開設準備と並行し、大阪市職組合員の取り組みに対する意識共有化をはかるため、2007年6月7日、「まだまだよくなろ・みつや倶楽部」メンバーをパネリストとして「~市職と市民のまちづくり~淀川区地域集会『空き店舗を市民交流スペースに』」を開催した。
 同集会で濱西理事長から、地域社会が活性化しなければ商店街の発展はあり得ないにもかかわらず、商店主が客の背後にある地域社会を無視し店内での売り手・買い手の関係に留まりがちで、地域社会と商店街の意識が乖離してしまったのは、まさに自治体職員と同様の状況であり、「商店街も労働組合も地域とつながらなければ未来はない」との指摘があった。これを自治体労働組合として受け止めるならば、労働者の働く権利を守り、労使関係の中で賃金労働条件を勝ちとることその最も根幹にある役割であることは当然だが、同時に市民とかかわり、地域社会を活性化することによって、自治体労働者の働きがいを高め、長期的な労働条件の向上を図っていくことも重要であるということができよう


6. 「みつや交流亭」のオープン

写真 オープン時の様子
看板は組合員OBの作
 2007年8月17日内装が完成し、オープンを前に町会と地域団体の皆さんを招いて内覧会を開いた。
 2007年8月23日、三津屋商店街のイベント「みつやどんたく」に合わせてみつや交流亭がオープンした。3日間のイベントの期間中、市職組合員ボランティアによるオープニング・イベントが行われ、子どもたちをはじめ多くの皆さんが集まった。


7. オープン後の体制

写真 ベンチの高齢者とけんだまで
遊ぶ子ども(1階オープンスペース)
  みつや交流亭はオープン後も「進化」をつづけている。古いままだった2階の和室スペースの壁は、左官業を営む三津屋地区の社会福祉協議会会長にボランティアで塗っていただいた。1階奥の交流スペースは昭和38(みつや)年のコンセプトに合わせて、組合員や地域の皆さんから足踏みミシン、扇風機、火鉢、真空管テレビなど、当時を思わせる懐かしい品々をいただいた。他にも様々なものをいただいており、とりわけ地域からこれほどの協力が得られるとはうれしい誤算だった。
 また、当初最も問題だったのが「店番」であった。みつや交流亭を日常的に地域社会に開かれた場とするためには、店番が常時いることが必要であるが、日中は職場にいる大阪市職組合員が常駐することは不可能である。これについては、17年前から同地域で活動している子育てサークル「育児&育自"この指と~まれ"」の皆さんにお願いできることとなり、平日(火曜日~金曜日)にボランティアで店番をしてもらっている。商店街は小学校の通学路になっており、子育てサークルのメンバーの声かけで安心感が高まるという効果もある。土曜日は大阪市職組合員ボランティアが店番をすることとなった。これによって、正午~午後5時という時間帯に開店体制を整えることが可能になった。
 1階奥と2階の交流スペースは、町会をはじめとした地域の会合や教室など様々なかたちで利用されている。オープンスペースに置いたベンチは商店街に買い物や散歩で来訪したお年寄りの休憩所として、さらにけんだまをしたり五目並べをしたり小学生の遊び場としても使われている。自由に利用できるトイレや冷水機が商店街のいわば「インフラ」としても機能している。


8. 「みつや交流亭」での様々な取り組み

 みつや交流亭では「まだまだよくなろ・みつや倶楽部」主催の企画も行っている。定期的な企画としては、落語とその演題に関係した催しを聞くという、笑福亭仁勇さんの落語会「落語deカルチャ」を2ヶ月に1度のペースで開催している。お年寄りをテーマにした際には看護師である大阪市職弘済院支部長が高齢者の健康づくりを指導するなど、組合員の参加も得ている。毎週金曜日には、子育てサークルのメンバーによってティールームが開かれ、商店街に訪れる地域の皆さんの憩いの場となっている。ティールームでは近くの十三市民病院の看護師組合員による健康診断も実験的に実施したところである。
 2007年11月には、「まちづくり幻燈師」として全国のまちづくり現場で活躍中の延藤安弘さん(愛知産業大学教授)を招き、日本各地やイタリアの「まちの縁側」づくりを紹介していただいた。「縁側」は外部に開かれた空間を意味し、カウンターを越えた職員が市民と交流する場としてみつや交流亭がめざすべき方向性と同じであり、今後に参考となる催しとなった。この他にもライブや講演会など様々なイベントを行っているが、一方的な催しにしないためにも、その後には「交流会」を開催し、大阪市職組合員や市民の参加者の間での意見交換と交流の場を設けているのもみつや交流亭のイベントの特徴である。
 さらに、みつや交流亭の存在は商店街に「波及効果」ももたらしている。2008年3月に、大阪市立大学の研究者がみつや交流亭を見学のために訪問したことがきっかけとなって、大阪市立大学生活科学部の学生グループが商店街の空き店舗を活用した期間限定カフェ「color×color」をオープンした。短期間の開店ではあったが、資金集め、店舗企画・改装や諸手続きなどの開店準備から、実際の運営まで学生だけで行い、食材は商店街から調達するなどし、学生層の集客もあって商店街に清新なインパクトを与えることとなった。
 2008年5月30日には、藤村望洋さん(早稲田商店街エコステーション事業部長・経済産業省商業活性化アドバイザー)の講演会と現地調査を行い、みつや交流亭で同氏の提唱する川と海によって各地域をつなげる「大阪蔵屋敷ネットワーク」への三津屋商店街の参加について話し合った。なお、「大阪蔵屋敷ネットワーク」は、2008年7月、内閣官房地域活性化統合本部の「平成20年度地方の元気再生事業」に選ばれ、事業実施に向けて具体的な打ち合わせに入ったところである。
 濱西理事長によると、商店街主催のイベントはその目的を問わずどうしても営利行為として見られがちであり、商店街のイベント「みつやどんたく」への地元町会の参加を求めた際にも問題となった。しかし、みつや交流亭という非営利の市民交流スペースが主催し、そこに商店街が参加するという形態をとることによって、参加者の範囲をさらに広げることができるという利点があるとのことである。これは労働組合が主催するイベントにおいても同様であり、みつや交流亭で行われるイベントには、組合員の他に、地域住民はもとより、市民団体、行政担当者など、多様な参加者を得ている。みつや交流亭という「場」を介することによって、協働の対象が大きく広がるのである。


9. 「大阪市職市政改革推進委員会」の取り組みとの連携

写真 学習会での意見交換の様子
(2階和室)
 大阪市職は、広く市民へ政策提言し、市民とともに市政を変革していくことを目的として「大阪市職市政改革推進委員会」を設置し、そのもとに現場組合員メンバーが参加するワーキングチームを設置している(注2)が、その一つである市民参加のまちづくりをテーマとした「みつや・まちづくりゼミナール」の会合もみつや交流亭において開催し、地元町会長から話を聞くなどしている。また、同「ゼミナール」アドバイザーの中川幾郎さんを基調講演者に、同じく直田春夫さんをパネリストにして、2007年10月に市民フォーラムおおさか実行委員会・大阪市社会福祉協議会・大阪市ボランティア情報センターが主催する、市民フォーラムおおさか「まちづくりと『地域交流スペース』の"おいしい"関係」をパネルディスカッション形式で開催した。これらの取り組みにおいても、地元町会役員や住民との間で行政職員の立場ではできない率直な議論をすることが可能であり、組合員メンバーにとって日常業務では得られない貴重な経験になっている。


「みつや・まちづくりゼミナール」メンバー

アドバイザー
中川 幾郎(帝塚山大学法政策学研究科教授)
直田 春夫(NPO法人NPO政策研究所理事長)
大阪市職組合員メンバー
中野 剛志(教育支部)
山添 克裕(都市整備局支部)
松崎富士子(都市整備局支部)
豊島 弘明(建設局支部)
小原 真紀(ゆとりとみどり振興局支部)

高橋 英嗣(西淀川区役所支部)
平島 大輔(淀川区役所支部)
鎌田 高彰(阿倍野区役所支部)
市川 一夫(住吉区役所支部)


10. まとめと今後の課題

 大阪市職は、自治体行政とは異なって、地域のまちづくりを「支援」しているのではなく、その「当事者」として市民協働を実践し、地域への貢献とその過程での組合員の人材育成をめざしている。また、実験的な取り組みを行い、自治体労働組合としての新たな市民協働のあり方を模索している。
 みつや交流亭は立ち上がってからようやく1年を過ぎたところであり、まずは開店時間、店番の確保、定期的なイベントの開催など、基本的な運営体制を確立することを最優先としてとりくんできた。
 今後の主な課題としては、以下があげられよう。
① 組織的には、運営組織である「まだまだよくなろ・三津屋倶楽部」をNPO法人化し、そこに大阪市職が参加するという形態にして、みつや交流亭を地域、商店街とともに大阪市職が支えていくという体制を明確にしていく。
② みつや交流亭の活動を積極的に発信し、地域・商店街や組合員からの参加をさらに広げていく。
③ 会費納入体制や収益事業を整備・充実して、持続可能な財政を確立する。
 今後は、①について具体的な取り組みをはじめるとともに、②、③についてはこれまでも不十分さを強く認識しているところであり、日常活動においてその充実・強化をはかっていきたい。




(注1)大阪市職の「地域集会」は、淀川区の他に2008年7月現在で、福島区、此花区、西成区において実施。後述の大阪市職市政改革推進委員会「東成地域防災まちづくり」ワーキングチームも、東成区地域集会として位置づけている。
(注2)「大阪市職市政改革推進委員会」(委員長・山下博司大阪市職副委員長)は、「これまでの活動・とりくみのあり様などの十分・不十分な点を厳しく問い直し、さらに市民からの批判も真摯に受け止めつつ、将来にむけて市民に開かれた市政改革を推進する立場からとりくみをすすめる」(設立趣意書)ことを目的として、2006年8月に設置された。同委員会のもとに現在、各支部組合員が参加する「みつや・まちづくりゼミナール」「西成セーフティネットのまちづくり」「東成地域防災のまちづくり」の3ワーキングチームが設置されており、それぞれの課題について政策研究活動と市民協働の実践をすすめている。