【自主論文】

第32回北海道自治研集会
第Ⅰ-②分科会 立ちあがれ自治体職員 ― 地方自治の可能性を探る ―

自治研から始めない勇気を持とう
―― ある自治研の始め方


福井県本部/福井県地方自治研究センター・鯖江市職員労働組合 橋本 和久

 第32次の地方自治研究全国集会が、北海道札幌市・夕張市で開催される。
 一つの労働組合が、四半世紀を超えた長い時期にわたり、自らの職や職場に関する研究実践活動を継続して行ってきた事実には、非常に大きなものがある。このことは、いくら強調しても強調し過ぎることはないだろう。だが地方自治体のあり方が大きな曲がり角に立っている現在、こうした伝統ある活動を継続し、一層推進するにあたっては、いくつかの方向修正を行う必要があると思われる。
 私たち鯖江市職員労働組合では、隣接する越前市職員組合(当時は、武生市職員組合および今立町職員組合)とともに、1999年から「市民自治研」に取り組んできた。この「市民自治研」は、従来の職員・職場主体の自治研運動から一歩踏み出し、一般市民やNPOの皆さんといっしょに、市の施策や市民生活に関わる運動・学習を繰り広げるものである。また2001年には、各種市民活動団体や有志市民にも呼びかけ、両市域を含む丹南地域における自治研活動の拠点として「丹南市民自治研究センター」を立ち上げた。これらの歩みは、自治研が地域と出会う「現場」「最前線」の創造であり、そこにこそ新たな自治研活動の可能性が生まれてきてように感じている(この間、このセンターの活動は、自治研関係の各種会合、文献等で広く紹介されているほか、関係者や関係活動の中から自治研賞を含む賞も複数いただくことになった)。
 この小文では、それらを一つひとつトレースすることはしないが、この現場からの生の声を伝えることで、自治研の可能性(あるいは、現行自治研の限界)を見極めてみることにしたい。

1. 「消える現場」

 まず、一番に考えたいのは、自治研の行われる場所=まさにその「現場」についての議論である。
 筆者が幾度か報告しているように、私たちの地域の自治研活動は、多くの場合、いわゆる職員組合の役員による内部活動でも、研究者たちによる研究レポート作りでも、自治研誌の発行活動でもないのが特長である。組合事務所や、自治研センター事務所の内部で、いわゆる研究活動が行われることはほとんどなく、それが「実践活動」そのものである点が重要視されている。
 そのことは、もちろん従来の研究活動(それに伴う学習活動)を否定するものではなく、私たちも多くの場合、その成果に学ぶことは実際多い。ただ同じ学習活動でもその学びの場は、必ず市民に開かれており、市民の皆さんとともに行う実践につながることが絶えず求められている。逆の言い方をすれば、まず現場があり、そこで市民の皆さん=当事者に出会い、彼らが求めるものから発想され、学習が始まり、実践につながっていく……。それは多くの場合、ある種の社会的な課題解決を求めるものであり、自治研活動者は、当事者に寄り添う「実践者」として市民に認識されている。
 このことを私たちが重要視するのは、今、「自治体職場から『現場』が消えている」からである。

2. 当事者性のない自治体職場

 筆者に身近な分野から、一例をあげよう。
 私の現在の職務のひとつは、国際交流担当である。1990年代前後から自治体の国際化推進が叫ばれ、多くの市町村が海外の諸都市と姉妹都市提携を結んだり、海外の青年(その多くは欧米人)を国際交流員や英語指導助手として招き入れた。しかしその後、安価な労働力として海外からの移住者の受け入れが急増し、地域における外国人市民の占める割合が増加し続けている。こうした事情を背景として国際交流担当の仕事は、いまや海外=外なる外国人との「交流」から、国内=内なる外国人市民との「共生」を目指した支援活動へと大きくシフトしつつある。
 しかし、こうした支援を実際に行っている主体は、多くの場合、地域の県市町の「国際交流協会」である。協会では、プロパー職員を中心に、外国人市民を対象とした日本語教室、生活相談、生活支援のためのバザー、生活習慣・文化の紹介など多くの支援業務をこなしている。それらはほとんどの場合、地域のボランティアの協力があってこそはじめて成り立っている社会事業で、プロパー職員に対する給与等とあわせても、非常に安価な資源での事業実施になっているのが特徴でもある。
 一方、自治体では、いまだ姉妹都市交流など前世紀の事業を引きずり、海外渡航やホームステイ受け入れといった、(比較的)高額な費用でまかなわれる事業を年中行事として繰り返している。しかも外国人市民の人権問題(就業差別、不当労働行為、子弟の不就学、日本人の配偶者によるDV等)については、労働基準監督所など他の公的機関の担当として当事者性を持ちたがらない傾向が強い。こうなってみれば、事件が起きている現場がどちらの側の手にあるかは自明のことであろう。
 その結果、自治体の担当者と協会関係者が同じテーブルについた会議等では、自治体職員側から以下のような自己紹介の光景が繰り返されることとなる。
「4月から国際交流担当になりました○○市の○○です。国際交流は初めての担当で何もわかりませんが、今日はよろしくお願いいたします……」
 すでに何年もの実務経験を持ち、外国人市民に寄り添い、しっかりとした人的ネットワークを構築している協会プロパーの方々が、どのような思いでこれらの発言を聞いているか、私などはいつも冷や汗をかく場面である。(しかも地方では、多くの場合、これらプロパー職員はパートタイムで働く女性で、正規公務員の3分の1~4分の1といった待遇で働いている

3. 現場を持つということ

 上の例に見たように、外郭的な団体やNPOが行政に変わって公共サービスやセーフティーネットを担っていて、自治体側に当該者としての意識がない場合は、決して少なくないように思える。そこでの自治体職員は、現場がない、現場が見えていない、現場を見て見ぬふりをして、同じ公共サービスを再生産し続けている。
 さらに自治体自体の財政難や小泉改革により、多くの公共サービスがアウトソーシングされている実態を見れば(例えば、保育所・幼稚園職場。給食サービス。清掃。ごみ収集。図書館……)、現場は、そこから得られるはずのまっとうな感情は、ますます私たち自治体職員の手から砂のようにすり落ちていくばかりである。
 こうした事態に、自治研が無関係であるはずがない。いや、無関係であってはいけない。
 自治研としてまず最初に取り組まねばならないことは、私たちが職場において当事者性を取り戻すことである。現場を持つことである。
 それに気づいている職員も実は少なくないのだが、だからと言ってそれが組合や自治研の場でまっとうに議論されているかどうかは誠に心もとない限りである。
 どのようにそれは始められるべきだろうか。
 どのように達成されるべきだろうか。

4. 自治研から始めない勇気

 そのために私たち市民自治研センターが行っていることのひとつは、「最初に、自治研から始めない」ことである。つまり、自治研を始めることや自治研の推進を、組織目標、あるいは公務員による組合活動の言い訳か何かのように思い、自治研センターや組合の事務所で「自治研推進委員会」を開いている通例をやめようというのである。
 その代わりにしなければいけないことと言えば、まず自分の職場や組合において、市民の方と向き合うこと、それだけである。
 地域の中で、何か困り事を抱えている人はいないだろうか? その困り事は、個人ではなく特定の人々の生きにくさに起因していないだろうか? あるいは行政の制度や慣例が、その苦しみを助長してはいないだろうか? ……などなど。
 筆者は2007年8月に東京で行われた「自治体改革セミナー」の分科会「自治研入門」において、ワークショップの企画を担当させていただいた。ここでは、「はじめての自治研」シートというワークシートを用意し、「職場で、組合で、地域で……今課題となっていること」を各参加者が書き込み、その課題を元に自治研活動のたねを発想していただくグループワークとした。つまり、まず課題からの発想を意識的に行うことを求めたわけで、そうした場合に大事なことは、「現状のままでいいのか?」「このままの仕事の進め方でいいのか?」と絶えず問い返す姿勢であろう。
 しかも、この段階では、自治研である必要も、もちろん組合が関与する必要性もない。そこに当事者がいて、その方々と真剣に向き合うことで当事者性を自らの内に抱え、コミットしていくこと……そういう意識さえあれば十分と私には思えてならない。その後で、もし仲間がいれば、それはきっとひとつの運動となるだろうから。もし組合が関与してくれれば、それはきっとひとつの立派な自治研活動になるだろうから。

5. 地域の中で

 しかし現実は、往々にしてそうなっていないものである。
 非常によくある自治研活動のパターンは、以下のようなものである。
A「今年の自治研学習会、どうしましょうか?」
B「何かいいテーマはないか?」
A「国会で○○制度の改正が審議されていますから、それを取り上げたらどうでしょう?」
B「おお、それはタイムリーだ。で、講師の先生は?」
A「この問題は、○○大の○○先生が詳しいと聞いてますが……」
B「ならば、本部に電話して日程を調整してくれ」……
 あるいは、
A「PTAの○○さんが、うちの市の保育所の民営化計画について危機感を持っていると言ってました」
B「そうか。やっぱり子どものことには関心が高いな」
A「ですから今度、保育所の民営化について講師を呼んでPTAと共催で学習会をしてはどうでしょう」
B「それはいいが、いきなり市民といっしょに話をするのはどうだろうか?」
A「そうですねえ。保育士さんたちも市民の前では本音を言えないかもしれませんね」
B「まず組合員だけで学習会を開いて、それからでも遅くないぞ」……
 かくして組合事務所から始まる自治研は、大学の先生を招いての学習会のオン・パレードとなるわけである。
 一方、私たち市民自治研センターのパターンは、
A「最近、うちの町内も一人暮らしのお年寄りが増えてきてるなあ」
B「うちの近所も、お年寄りふたりだけで子ども夫婦と別居してる家がほとんどだ」
C「かわりに田んぼを埋め立て、そのあとに宅地ができて、よそから来た新しい住民も増えてきている」
B「その新しい住民と交流ができると、高齢者世帯も安心できるかも」
A「そうそう。そのためには、なにか仕掛けがいるね」
C「この前、神社の前にある野菜の無人販売所で、若い主婦が野菜を買っているのを見たよ」
B「地元で採れた新鮮な野菜を安く売れば、きっと新団地の主婦は飛びつくぞ」
C「お年寄りも野菜が売れれば生きがいになるし、なによりも顔見知りになることが交流の第一歩だ」
A「隣の○○市はそうした交流の場づくりに力を入れているらしい」
B「そういえば、農家のお年寄りが畑仕事の合間に、登下校の子どもの見守りをしている町内もあるって聞いたな」
C「そのおかえしに、若い夫婦が高齢者世帯の冬の雪かきを手伝っているって話だろ。僕も見たよ」
A「一度、その関係の方々にきてもらって、交流促進についてのシンポジウムでもしようか」
B「それはいいな。うちの町内で今年、交流委員会を作ったから、そこの委員さんにも参加してもらうか」
C「うちの職場の自治会担当者にも来てもらうよ」……
 たとえ学習会やシンポジウムであっても、地域の身近な課題を元に、初めの段階から様々な立場の人を巻き込んで活動を行うことで、それは実践へとつながりやすくなる。
 地域の中で、地域に学び、地域と活動する。そして可能ならば、成果を地域に還元していく……
 組合事務所で「今年は何をしようか」と考え続けている前に、地域に出て市民の方と語り合うことから始めてみてはいかがだろうか。

6. ネットワークがすべて

 自治の現場である地域に出かけていって、幅広い連携体制を構築するには、ネットワークが重要となる。市民自治研センターは、そのためのハブ空港となっていることは言うまでもない。
 例えば私個人の場合を例に取れば、「福井県自治研センター」「丹南市民自治研センター」のほかに連携して活動することが可能な(あるいはすでに日常的に連携して活動している)ネットワーク資産として、以下のものがあげられる。
・労働団体関係「連合福井鯖丹地域協議会」「中部地区労働福祉平和センター」
・市民活動関係「NPOえちぜん」「さばえNPOサポート」
・個別課題関係「鯖江市国際交流協会(国際交流、多文化共生)」「北陸都市国際交流連絡会・研究会(多文化共生)」「エコプラザさばえ(環境)」「コミュニティ・カフェここる(食育、障がい者支援)」「さばえ子ども劇場(青少年育成)」「ふくい路面電車とまちづくりの会(ROBA)(公共交通)」「ふくい災害ボランティアネット(防災、災害ボランティア)」「美山まちづくりNPO(地域活性化)」「GNOMES(ノーム)自然環境教育事務所(環境教育、ワークショップ)」などなど
 これらに、他の市民自治研センターのメンバーが持っているネットワーク資産を加えると、ほとんどの分野で連携活動が可能なほどである。
 逆に言えば、そういった環境にあるならば、日頃、私たちが組合事務所で自治研を議論する意味が、もともとほとんど残っていないことがわかっていただけるだろう。

 さあ、私たちの地域に限らず、いまや実例は全国に豊富にある。
 地域に出て、地域から、現場から発想する自治研を始めてみよう。
 自治研組織のためでもなく、自治研を推進するためでもなく、ただひたすらに地域の方々と実践を目指すこと……それが結局、自治研の火を灯し続けることにつながるのを信じて。