1. はじめに
埼玉県地方自治研究センターと自治労埼玉県本部は、共同で「入札制度改革プロジェクト」を立ち上げ、質の高い公共サービスと公正労働、社会的価値の実現を基本とした入札制度改革に向け、調査・研究を行ってきました。
際限のない競争入札によって、公共サービスの質の劣化と委託労働者の雇用不安・低賃金等が問題になるなか、2006年7月31日、ふじみ野市営プールで小学生女児が給水口に吸い込まれ、死亡するという痛ましい事故が起きました。自治労埼玉県本部は、当初からこの事故を重大視し、事故後まもなくふじみ野市へ聞き取り調査を行い、問題点を明らかにしてきました。事故調査委員会の報告は、「ずさんの連鎖」が事故を引き起こしたとし、再発防止に向け安全管理の徹底を求めています。しかし、埼玉県本部はこれだけでは再発は防げない、との立場から「安全体制を確立するための入札制度改革等」を骨子とする提言を行ってきました。
この間の取り組みがきっかけとなり、入札・契約制度改革の必要性を強く認識し、入札改革の具体的な提言にむけて取り組むこととなりました。
2. 入札制度改革プロジェクトの取り組み経過
2007年6月21日、第1回プロジェクト会議を開催し、プロジェクトの目的(埼玉県内の自治体に対して、契約制度改革の必要性を訴えるとともに実質的な政策入札の実現と公契約条例制定の提言を行っていく)や具体的活動、調査内容等を確認し、2009年度の契約(入札)に反映させるため、2008年度の早い時期に提言をまとめることとしました。メンバーは、自治研センター・自治労県本部役職員、市議、現場職員で総勢9人です。
提言は、埼玉県地方自治研究センターの2008年度総会(6月9日)に公表しましたが、約1年間、プロジェクト会議を月1回のペースで開催し、メンバー間の意思統一や調査結果の整理、問題意識の共有を図りながら進めてきました。
また、当初から提言書として冊子を発行し、県内市町村をはじめ関係団体や協力団体、自治研センターの会員等に配布することを確認してきました。
調査内容及び調査対象を次のように決定し、順次取り組みを進めました。
① 実際の入札がどう行われているのか……埼玉県及びK市の契約担当者ヒヤリング
② 国土交通省の「建築保全業務積算基準」はどう運用されているのか……国交省ヒヤリング
③ 受注業者は現状の入札をどう受け止めているか……ビルメン協会ヒヤリング
④ 委託労働者はどういう実態で働いているか……K市立病院の委託労働者ヒヤリング
⑤ 先進自治体の入札改革はどう行われたのか……豊中市、国分寺市視察
⑥ 県内市町村の業務委託契約の実態を知る……業務委託契約に関するアンケート調査(70自治体に調査用紙を送付し68自治体から回答)
⑦ 公契約のあり方について、専門家から学ぶ……自治総研・菅原敏夫研究員を講師に学習
3. 調査結果の概要
私たちは、前述した調査対象に対し、順次聞き取り調査を行い、メンバー全員で共有すると同時に自治研センターの会員にも「自治研通信」にて随時報告してきました。調査結果の一部は別添の資料にも掲載していますが、ここでは特徴的な点を紹介します。
① 現行の入札・契約方法について、総合的に検討中・検討を予定している自治体が49自治体でした。直接ヒヤリングを行った県やK市でも、入札の現状に苦慮し、改善に向けて検討中でしたが、自治体アンケートによると、回答のあった68自治体中49自治体が何らかの改革を行うか検討を予定しています。現場では何らかの改善が必要との認識にたっていることが伺えます。
② 一般競争入札の拡がりにより、事業者間競争が過熱し、ダンピングが横行するなか、国は入札制度の改善を行ってきました。総合評価方式や最低制限価格制度、低入札価格調査制度などですが、これらの制度は未だ十分使われている状況にはありません。アンケート調査では、総合評価方式は導入に向け検討が始まっていましたが、最低制限価格制度及び低入札価格調査制度については、多くの自治体が今後も「導入を予定していない」と回答しています。
③ 労賃の法的根拠は「最低賃金法」のみでした。言うまでもありませんが、最賃では「健康で文化的な最低限度の生活」を送ることはできません。聞き取り調査を行った委託労働者は、組織化されており、委託料のうち一定の割合を労賃とすることが確認されている恵まれた労働条件でしたが、それでも「10年間も賃金は上がっていない」と訴えていました。また、「1年毎の契約は不安で、毎年2~3月は気持ちが不安定になる」「会社が変わってもここで働き続けたい」「ここの賃金だけで生活している」と雇用不安も訴えています。
④ 業者に対し、法令遵守義務を求めている自治体が大半でしたが、7自治体では求めていませんでした。「法令遵守は当然」と考えがちですが、大丈夫でしょうか。遵守義務を求めている自治体でも、労働基準法が最も高く30自治体でしたが、健康保険・厚生年金は12自治体でした。また、業者の申告のみでは疑問が残ります。
⑤ 公共サービスの質を確保するうえで、熟練者や有資格者は欠かせませんが、価格一辺倒の入札では、低賃金にならざるを得ず、その確保は困難です。聞き取り調査を行ったビルメン業界の元役員は「安い賃金では募集広告を何度も出してやっと雇っている。募集の経費も嵩んでいる」と言っています。熟練者や有資格者の配置を前提に積算していかなければ人員の確保は困難になっているのが現状です。
⑥ 価格入札から政策入札へ転換するためには、膨大な事務量や手続を必要とすること、さらに自治体としての意識変革を伴うことになります。政策入札を導入した豊中市では契約担当者のみでなく発注現課や政策課題を所管する課も含め「事務量が膨大に増えた」と話しています。国分寺市では、「少人数の契約担当者では前途多難である」「市の決意が問われていることだ」と話していました。また、両市ともこの間の取り組みに市職労が深くかかわり、全体をリードしてきたことが成果に繋がっていました。
4. 実現可能な手法を重視した提言とする
前述したように、プロジェクトの目的は、「埼玉県内の自治体に対して、契約制度改革の必要性を訴えるとともに実質的な政策入札の実現と公契約条例制定の提言を行っていく」ことでした。従って、当初の私たちは「公契約条例」制定を提言することを考えていました。しかし、全国初の「公契約条例」制定を目指した七飯町で、条例案の議会提案が見送られたことや調査の過程で改革には相応の負担や困難が伴うことが明らかとなり、条例化のハードルの高さを実感させられました。
そこで、私たちは提言を「絵に描いた餅」にしないために、実現可能な手法として「発注・契約担当職員の負担を最小限に抑えること」「現場の努力や工夫で対応できること」を重視した提言とすることにしました。勿論、自治体が契約によって社会的価値と公正労働を実現していくことを宣言する「公契約条例」の重要性に変わりはありません。その第一歩となる手法として位置付けたものです。
私たちは現行の契約・入札手続の各段階でチェックを行う手法を考えました。入札・契約には、政策決定から入札の準備、落札者決定まで各段階がありますが、①仕様書の作成、②予定価格の決定、③業者の登録、④落札者の決定に際し、質の高い公共サービスと社会的価値、公正労働を実現するために必要なチェックを行うこととしました。私たちが考えたチェックポイントは次の5点です。
A.公正・透明であること
B.品質が確保できること
C.安定供給が可能であること
D.社会的価値が実現できること
E.地域経済の活性化が図られること
以上の5つのチェックポイントから考えられるすべてのチェック項目を挙げることとしました。すべてを行う、という考え方ではなく、できるもの、あるいは自治体にとって重要なものを選択する、という考え方です。当然、自治体によって追加することも可能です。
この間の調査結果を踏まえ、チェック項目は次の基本的視点で考えました。
① 市民の目線に沿ったもの……安心・安全・公平・継続性が担保された良質な公共サービスが提供されなければなりません。安くていいものは容易には確保出来ません。
② 委託労働者が正常な市民生活を確保できるもの……生活できる賃金の確保と雇用の安定がなければ正常な市民生活とはいえません。ひいては、良質な公共サービスを提供することもできません。委託料の配分は公序良俗に反しないよう中間搾取を極力抑えていくべきです。
③ 行政目的の実現……自治体(行政)は環境や福祉、男女共同参画、公正労働基準などの施策を進めていますが、委託入札においてこれらの実現を図ります。
④ 行政手続の簡便化……地方自治法施行令が見直され、総合評価方式や最低制限価格制度、低入札価格調査制度の導入が可能となりましたが、ごく少数の自治体しか取り入れられていないことが県内市町村調査で明らかになっています。手続きや事務量が膨大かつ煩雑であることがネックになっていることが伺えます。
⑤ 企業の社会的責任の評価……企業の社会的責任を引き出す公契約であること。そのためにはモチベーション(動機付け)・気づきの制度設計が盛り込まれる必要があります。
5. 提言「公契約条例で地域を豊かにしよう ~入札改革で政策の実現を~」について
提言は、実質的な政策入札であることを明確にするため、「公契約で地域を豊かにしよう ~入札改革で政策の実現を~」とのタイトルをつけました。提言内容は、別添の資料をご覧ください。ここでは提言の基本的な姿勢と特徴を紹介します。
① 提案の前提として
具体的な改革を担保するために、私たちは各自治体の契約・入札の基本的な考え方を示す「契約・入札要綱」を改定する、あるいは「基本指針」を策定することを提案しています。発注・契約担当職員の負担を最小限に抑え、現場の努力や工夫で実現可能な手法とはいえ、拠り所となるものがなければ、個人の思いつきとして片付けられてしまいます。私たちは、国分寺市の「調達に関する基本指針」を参考にすることを提案しています。
② 労賃について
前述したように、「最低賃金法」以外、労賃の法的根拠はないとされています。しかし、「健康で文化的な最低限度の生活」を保障することはできません。生活保護基準や人事院が発表している「世帯人員別生計費」、埼玉県産業労働部が行っている中小企業賃金実態調査による「職種別平均賃金」、国土交通省計画課が毎年示している「建築保全業務積算基準」の労賃単価、民事再生法に基づく「個人再生手続きの最低生活費」など、生活費として公的な基準として示されているものを参考に最低基準を設定することを提案しています。
また、仕様書作成の段階で委託料に占める人件費の比率を決め、労賃の中間搾取を防止すること、さらに資格や技術、技能、経験等を加味した適正な労賃水準の確保の必要性についても提案しています。
③ 中小企業退職金共済制度や特定退職金共済制度の加入促進
現行の委託制度では、従業員の長期雇用を保障できません。仮に受託者の変更があっても、中小企業退職金共済制度の通算制度を活用すると退職金の積み立てが継続できます。しかも、埼玉県内の場合、17自治体で掛け金の補助を行っています。
④ 政策課題の実現について
環境への配慮や障がい者の雇用、男女共同参画、災害時の協力などを提案しています。しかし、業務委託業者の多くは中小企業ですから、高いハードルでは地元業者を排除してしまうことにもなりかねません。例えば、環境問題でいえば業者として環境ボランティアに参加する、障がい者の雇用では障がい者問題を理解するセミナーやボランティアに参加する、なども評価していくよう提案しています。
6. むすびとして
私たちは1年間、入札制度改革に向け調査研究を行ってきました。この間にマスコミでも入札による雇用不安や低賃金など「官製ワーキングプア」問題や公共サービスの劣化が報道されるようになりました。入札への関心を高めるチャンスと捉えています。
作成した「提言書」を市町村に送り、活用を呼びかけるとともに、一定の時期に改めてアンケート調査を行うことを考えています。入札改革は容易にできることではありません。定期的に調査を行うことで入札の現場を喚起しながら、息の長い取り組みをしていきたいと考えています。
また、私たちはこの活動を通して、行政、事業者、労働組合などによる積算基準作りの必要性を痛感してきました。落札するためには目いっぱい安い札を入れるしかない、際限のない競争入札では、委託料の低下に歯止めをかけることはできません。一方、最低賃金以外法的根拠を持たない労賃の決め方では、「健康で文化的な最低限度の生活」の確保すら困難です。公共サービスの質と委託労働者の労働条件は表裏一体ですから、行政、事業者、労働組合などの利益は必ずしも対立ばかりではありません。そこで、「資格や技術、技能、経験等にあわせた労賃水準」を設定する行政、業界団体、労働団体による第三者機関の創設を提言していますが、積算基準作りへ踏み出していくことも念頭に、今回の提言を活用していきたいと考えています。
旧来の民間委託から指定管理者制度や市場化テスト、市民との協働など、自治体のアウトソーシングは今後も拡大していくことは避けられません。必然的に入札制度のあり方と向き合わざるをえない状況になるでしょう。私たちの「提言」がその足がかりになればと願っています。 |