【自主論文】

第32回北海道自治研集会
第Ⅰ統合分科会 地域の公共の力を探求する

自治基本条例における「参画と協働」の意義


北海道本部/自治労名寄市職員労働組合 渡部 晃洋

1. はじめに

 現在、多くの団体において、「地方自治体の憲法」ともいわれる自治基本条例(ないしは「まちづくり基本条例」)が制定され、あるいは制定過程にある。筆者の属する名寄市においても、2006年より、職員による「名寄市自治基本条例(仮称)庁内検討部会」が組織され、1年間にわたり検討を重ね、同部会中間報告として理事者に報告を行い、これを受け、市民懇話会を立ち上げ、現在は市民の手により条例のありかたの検討が行われているところである。同部会は当初より「参画と協働でつくるまちづくり」を志向した条例の検討を行ってきたが、他の団体における自治基本条例、あるいはまちづくり基本条例においては、「参画(ないしは参加)と協働」、とりわけ協働の概念についてその条例におけるスタンスはさまざまであるといえる。本稿は、自治基本条例における参画と協働がどのような働きをもたらすものであるかについて、「公共性」をキーワードとして検討したうえで、憲法第92条に定める「地方自治の本旨」と自治基本条例の関わりについて若干の考察を行うものである。

2. 自治基本条例における参画と協働

 自治基本条例においては、多くの団体で住民との共同作業によるまちづくりを目指す上で、条例の理念、基本原則として参画と協働の概念が用いられている。一般に現在的な自治基本条例の先駆とされている、ニセコ町のニセコ町まちづくり基本条例では、第5条において「住民の参加」をまちづくりの基本原則とし、その参加については、町の仕事への参加と理解している(注1)。おそらく全国で初めて自治基本条例において協働の概念をもちいた宝塚市は、「主権者である市民と市が、それぞれに果たすべき責任と役割を分担しながら、相互に補完し、及び協力して進めること」を協働とし、まちづくりの基本としている(注2)。また、杉並区の杉並区自治基本条例においては、参画について「政策の立案から実施及び評価に至るまでの過程に主体的に参加し、意思決定に関わること」と定義し、協働については「地域社会の課題の解決を図るため、それぞれの自覚と責任の下に、その立場や特性を尊重し、協力して取り組むこと」と定義し、それぞれを基本理念としている。これらの団体は自覚的に、あるいは無意識に、行政(あるいは議会を含む「自治体」)と、それ以外のプレイヤーが行うまちづくりを、自治基本条例の射程においているといえる。
 一方、あえて自治基本条例から協働の概念を明示的に排除する条例もみられる。自治基本条例に該当するかについて議論のあるところではあるが、都道府県における先駆的な条例である北海道行政基本条例は、道民との協働によるまちづくりについては触れることなく、むしろ「道と道民並びに道と市町村及び国との役割分担を明確にし、これらの多様な主体の責任と協力によって北海道の公共的課題の解決を図ること」を基本理念とし、道の行政運営の基本原則を定めることを目的としている。また、多治見市の多治見市市政基本条例においても、条例の目的を「市政の基本的な原則と制度やその運用の指針や市民と市の役割を定めることにより、多治見市の市民自治の確立を図ること」とし、「市民間で自発的に行う市政以外の『まちづくり』に関する原則や制度等は、この条例の範囲外」(注3)と明確に述べている。
 このようにおのおのの条例において協働に対するスタンスが異なる要因としては、協働の概念がイメージとしては共有できるものの、明確な共通概念として定まってはいないことに加え、自治基本条例の定義づけについてもいまだ定まっていないことが挙げられるように思われる。自治基本条例の定義として、特定の行政領域に関するものではない「地方自治体の『憲法』に相当する条例」(注4)とするものもあれば、ある論者は「その自治体の地方自治(住民自治・団体自治)の基本的なあり方について規定し、かつ、その自治体における自治体法の体系の頂点に位置づけられる条例」(注5)と定義づける。また一方で、「住民による自治体行政・議会の役割そして住民自身の責務と権利の定義」と考えるものもいる(注6)。これらの定義づけに共通項を見いだすとすれば、自治基本条例たるためには最低限、その自治体における統治の仕組みを定めるということに求められるように思われる(注7)。そうであるならば、自治基本条例において規定される協働の概念はどのような機能を果たすものであるかについて、以下、簡単ではあるが分析を行うこととする。

3. 公共性の確定と実現のための参画と協働

 従来、地方自治における主権者たる住民の参画は、憲法に定められる首長、地方議会議員の選挙、地方特別法の制定における住民投票、地方自治法に基づく住民監査請求や住民訴訟、あるいは各自治体で独自に定める情報公開や審議会への参加といった制度を通じて実現されてきた。しかしながら、地方自治を取り巻く環境や利害関係、住民利益が多様化・複雑化するにつれ、行政における意思形成過程も複雑化かつ不透明化するようになり、ともすれば議員の口利きなどの非常にアンダーグラウンドな意思形成がみられる。そのような中で、役所を中心とする行政は、その地域の「公共性」(注8)(ここでは、一般の人々に係わる、あるいは地域の構成員の共有する利害に係わる性質といった意味で用いている)がもつ課題を、一手に引き受ける、さらには、「公共=行政・官」という行政と住民がともに持つ誤解ないしは意図的なすり替えに基づき、住民ニーズの名の下意思決定が行われるような状況すら生じた。近時において自治基本条例で参画と協働を条例の基本理念、原則としてうたうことの意義として、このような行政による「公共性」の独占の見直しの文脈において位置づけることが可能であると考える。
 すなわち、参画を基本理念、原則としてうたい、情報公開や審議会への参加、パブリックコメントなどのこれまで各条例などで個別に定めていた制度的保障を、自治基本条例で一般原則として定め、あるいは住民の知る権利などの権利のカタログを列挙することは、行政が、地域の「公共性」を有する課題の確認や解決方法を独占することを放棄し、定められたルールの中で、何が地域において「公共性」を有する課題であるのか、その課題を解決するためにはどのような手法が妥当であるか、解決策は直接には誰が担うべきであるのか、負担をどのように負っていくのかなど、地域における課題について、住民とともに共通の地域意思を確定し、実現していく宣言、換言すれば、行政の意思形成過程に代表される、地域の「公共性」の確定と実現のプロセスを定めるものとして理解するべきものである。そして、このような参画のプロセスは、政策・計画策定の段階、政策執行の段階、政策執行責任の負う段階、政策の評価段階のすべてにおいて、程度の差こそあれ必要な(注9)ものである。
 これに対して協働は、上記の行政による「公共性」の独占の放棄の視点からは以下の通り理解が可能である。すなわち異なる立場や利害関係を有するもの(住民やその代表、あるいはNPOなどの団体、事業者のみならず、行政もこの中に含まれる)が、それぞれの立場を尊重しつつ、互いに議論・提案・行動し、それぞれの考える「公共性」をすりあわせていく中で地域の「公共性」の確定と実現のプロセスを実現していくための行動理念としての協働である。このような理解の中では、協働の概念は参画の概念とは両輪をなし、自治基本条例に基づく参画のための制度利用や権利行使の場面において、常に他の市民や利害関係者との関係を考えていくことになる。つまり、何らかの政策実行の場面において、行政のみが直接政策実行を担うのではなく、ある時にはNPOや町内会などが実行役となり政策実行を行うといった狭い役割分担論としての協働のみならず、すでに政策・計画策定の段階から、協働の理念に基づき、他者に対して配慮しつつ、地域の「公共性」を確定し、協力し合って実現していくための理念としての協働を自治基本条例で確認しているのである。
 このことは、自治基本条例において協働という概念を用いていない団体についても同様に当てはまると思われる。けだし、行政内部における意思決定プロセスに住民参加を原則として組み込む以上は、少なくとも行政が何を行うべきか、つまり「公共性」を有するものは何かを確定する作業を住民とともに行うことに他ならないためである。その中で、行政が行うべきか否かを判断し、行政が担い手、あるいは責任主体とならないと判断された場合には、「行政が担うべき『公共性』を有していない」と考えられる。その判断に際しては、市民相互で他者に対して配慮するという要請は内在的に含まれるためである。
 この文脈でいえば、自治基本条例において町内会やNPOなどの団体について定めることは、限られた社会集団における相互扶助が歴史的に「公共性」を担うことになったこと、また、「公共性」の独占の放棄を端的に表すものとして理解しうるものである。
 このような参画と協働の理解の中では、いくつかの注意が必要である(注10)
 まず第1に、「公共性」の確定と実現において、協働の理念が機能するためには、とりわけ様々な問題に関する対応と実現状況についての情報の共有化が、これまでにも増して重要となるということである。特定の価値観を有するものが他者、とりわけ自身の価値観とぶつかるもの、あるいは優先順位を選択する必要が生じた場合に配慮し、協力するためには、他者に対する理解の前提として、他者の持つ情報を理解することが不可欠であるためである。このことは、とりわけ情報の独占が生じやすい行政が情報の惜しみない提供を行うことも重要であるが、一方で、NPOなども、自身の持つ情報を積極的に地域に提供してゆく必要があるように思われる。このことからすれば、「情報なくして、参加なし」という言葉と同様に、「情報なくして、協働なし」ともいえるのではなかろうか。
 また、「公共性」は地域や時代とともに変化していくことに注意する必要がある。現代においては価値観が多様化し、特定の価値観がすぐに陳腐化していく中で、何が「公共性」を持つのかについて確定していく作業は、不断に行われなければならない
 以上のように、「公共性」をキーワードとして、自治基本条例における参画と協働の概念がどのような機能を果たしているかについて論じてきたが、以下においては、これまで論じた自治基本条例における参画と協働が、法律上、どのような役割を果たすことができるのかについて、憲法第92条における地方自治の本旨との関連において若干の考察を加えることとする。

4. 憲法第92条における「地方自治の本旨」

 憲法第92条に定める「地方自治の本旨」は、従来の古典的な議論では、地方自治を「制度的に保障」するものであり、中核部分については法律によっても犯すことができず、その内容としては地域の住民が地域的な行政需要を自己の意思に基づき自己の責任において充足するとした住民自治と、国から独立した団体が自己の事務を自己の機関により自己の責任において処理する団体自治から構成されるものであると論じられてきた(注11)。先に述べた自治基本条例の定義においても、このことは当然の前提として理解されているものである。しかしながら、住民自治と団体自治の具体的内容については、これまで多くの論者が議論を行ってきたが、未だに共通認識として共有される内容の確立には至っていないように思われる(注12)
 筆者は、自治基本条例は、憲法第92条に定める「地方自治の本旨」の内容を拡充するものと考える。すなわち、自治基本条例は、参画の制度やそのための権利のカタログを保障することで、住民らの地域の「公共性」の確定と実現の基本原則を定める、すなわち自治体の統治機構を定めるものに他ならず、その意味では制度としての自治基本条例は実質的意味の憲法として把握され、団体自治の内容を構成し明確化するものとなるからである。また、同時に参画の制度は、直接的に住民自治を保障する制度として理解しうる。そのため、自治基本条例を構成する要素のうち、住民らの地域の「公共性」の確定と実現のための基本原則を定める部分については、「地方自治の本旨」の中核部分を構成するものであり、立法により否定することはできず(消極的側面)、また、各自治体は、上記の基本原則を定めるための具体的な方策を(自治基本条例以外のかたちであってもかまわないので)整えることが求められるものと解される。
 このような見解については、いくつかの批判も予想される。たとえば、下位規範たる条例により憲法の内容が規定されることはおかしいのではないか、条例制定権を「法律の範囲内」で認めている憲法第94条と矛盾するのではないか、あるいは地域の「公共性」の確定と実現のための基本原則とは何か一義的には明らかにすることはできないのではないかとの批判である。
 第1の点について、法の解釈において、明確に定められていない内容を、関連法規の趣旨から内容を確定していくことは、一般的に行われる解釈手法である。また、憲法が地方自治について定め、統治機構の一つとして地方公共団体の存在を承認している以上、その団体の統治機構を定める法(法律ではない)は実質的意味の憲法として憲法解釈の一つのメルクマールとして用いることは可能であると考える。また第2の点についても、自治基本条例で住民らの地域の「公共性」の確定と実現のための基本原則は、地域の意思決定のルールを直接定めるものであり、その点、住民自治の根本、換言すれば住民の基本的人権の保護ルールを定めるものに他ならない。その意味で、「地方自治の本旨」に内在的に存在するものとして、立法による制限は許されないと考えられる。
 最後の地域の「公共性」の確定と実現のための基本原則とは何かであるが、確かに多くの団体の自治基本条例の内容は様々であり、また、時代とともに変化するものである。しかしながら、憲法により保障される権利のカタログ自体、時代とともに変化するものであり、「地方自治の本旨」についても、住民の権利保障のための制度的保障として、同様に変化するものであると考えられる。現在において、上記の基本原則としては、情報の共有の原則に基づく住民の知る権利、情報公開制度、参加の権利の保障、意思決定過程への参加、政策評価制度などがあげられるのではなかろうか。

5. おわりに

 ここまで、自治基本条例における参画と協働について論じてきたが、ここまでの論は、これまで多くの論者によって議論されてきた内容を、「公共性」という視点から論じ直してみたにすぎない。重要なことは、今後自治基本条例を制定する団体においては、参画と協働の意味を、特に「公共性」の独占の放棄という点で、自覚的にとらえ、地域全体で何が「公共性」をもち、どのようにして解決するのかを不断に続けていくきっかけとしていくことにある。そのなかで、今後労働組合も、「公共性」を確定していく作業に参画する一つの主体として、重要な役割を果たしていく必要がある。その際には、当然行政との議論も必要ではあるが、市民との間でも、協働の理念に基づき、連携、協力、そして対立しながら議論していく必要があると同時に、自身のもつ情報や理念、価値観を積極的に打ち出していく必要があると思われる。



注 記
(注1) 「ニセコ町まちづくり基本条例の手引き」逐条解説第5条。
(注2) 宝塚市は同時に、宝塚市市民参加条例を制定し、参加についての市民の権利を保障している。
(注3) 「多治見市市政基本条例解説」4頁。
(注4) 南川諦弘「自治基本条例―その最高規範性を中心に―」村上武則・高橋明男・松本和彦編『法治国家の展開と現代的構成』(法律文化社、2007)102頁。
(注5) 木佐茂男・逢坂誠二『わたしたちのまちの憲法』(日本経済評論社、2003)
(注6) 辻山幸宣「自治基本条例の構想」松下圭一・西尾勝・新藤宗幸編『自治体の構想4 機構』(岩波書店、2002)7頁。
(注7) 辻山教授は秦博美氏の論述を引用し、「住民と自治体との基本的な関係、すなわち住民から自治体への『信託のかたち』(統治機構)を自治・行政システムとして宣言するもの」と自己の定義を言換えている。辻山・前掲8頁。
(注8) 「公共性」とは何かについては、様々な学問領域において多くの議論があり、その定義についても様々である。ここではそのすべてにふれることはできないが、最近の研究成果として、齋藤純一『公共性』(岩波書店、2000)、藤原保信『公共性の再構築に向けて』(新評論、2005)、井上達夫編『公共性の法哲学』(ナカニシヤ出版、2006)、西尾勝・小林正弥・金泰昌編『自治から考える公共性』(東京大学出版会、2004)など多数。
(注9) 横倉節夫『協働と自治の地域社会論』(自治体研究社、1998)においては、住民参加の局面について、(1)政策・計画策定への参加、(2)政策執行への参加、(3)政策執行責任への参加、(4)政策結果・評価への参加の4局面に分けており、本稿も基本的にはこの考え方によっている。
(注10) 以下の議論については、横倉・前掲172頁以下に負うところが大きい。
(注11) たとえば田中次郎『新版行政法(中)〔全訂第2版〕』(弘文堂、1976)73頁。
(注12) 近時、地方自治の本旨の再定位を、日本国憲法の制定過程の議論など歴史的観点から試みたものとして、岡田信弘「『地方自治の本旨』の再定位」高見勝利・岡田信弘・常本照樹編『日本国憲法解釈の再検討』(有斐閣、2004)がある。