1. はじめに
私は、自治体職員として行政運営に携わっているが、最近強く感じることは、「公共性」が低下しつつあるということである。例えば、学校などの給食費未払い問題や救急車のタクシー利用などモラルやマナーの低下がたびたび指摘されている。
行政は公共サービスを提供し、住民福祉の向上を図ることが使命である。「公共」の確立あってこそ公共サービスは成り立ち、また、「公共」という一定の土台があるからこそ、行政として住民にきめ細かなサービスの提供もできると考えている。
しかし、「公共」が揺らいでいる状況で果たしてどれだけ有効なサービスを提供できるのかが疑問である。そして、このまま「公共性」が低下していったら、末恐ろしいことになるのではないかと漠然とではあるが、相当の危機を持っている。
「公共」は一部のものではなく、社会全体のものであり、誰にとってもなくてはならないものである。
今後の行政運営において、「公共」をどのように構築していくかということは、さまざまな行政分野の基礎であり、最優先課題と考える。
今回の論文では、「公共」の必要性と行政のあり方を中心に主張していきたい。
2. 公共とは何か
「公共」の定義をさまざまな文献で調べた結果、はっきり分かったことは諸説あるということである。つまり、「公共」の捉え方は、個人差があるものであり、また「公共」の正反対に位置する「個」との境界線もあいまいである。
以上のように、はっきりした定義がないが、この論文において「公共」を論じるにあたって、私自身の定義付けを述べておきたい。
私自身の自治体職員としての経験と知識から導かれる「公共」とは以下の通りである。
大変単純な言い方であるが、「公共」とは、「みんなでつくって、みんなが利用するもの」である。「公共」を構成する要因には、行政だけでなく、地域コミュニティ(自治会・町内会など)、NPO、ボランティアグループも含むと考える。さらには個人や企業も含まれると考える。個人や企業まで含めることに違和感を持つ方がいるかもしれないが、社会貢献意識は個人も企業も持っていると考えるからである。
つまり、よりよい社会を形成しようとする意識の集合体が「公共」であり、また誰もが平等に利益を享受できるものである。
以上のように定義づけた上で、現状の課題を取り上げていくこととする。
3. 住民ニーズの変化と公共性の低下
今、各自治体は、最重点課題として行財政改革に取り組んでいる真っ最中である。改革が必要な要因として、少子高齢社会の到来、地方分権に伴う事務事業の委譲、不透明な経済情勢などとともに、「住民ニーズの多様化・複雑化」という要因が必ず取り上げられている。
言うまでもなく、自治体行政の基本は、住民福祉の向上であり、住民からの声は最大限に尊重しなければならず、将来にわたって「住民ニーズ」への対応は行財政改革において欠かせない課題であるが、その「住民ニーズ」がこれまでのニーズとは、内容が変わりつつあることに注目する必要がある。
それは、最近の「住民ニーズ」には、「自己本位の要望」が増えつつあるということである。ここでいう「自己本位の要望」とは、住民個人のみが満足する要望のことであり、分かりやすい例としては、学校現場における「モンスターペアレント」や緊急性のない救急車の要請(いわゆるタクシー代わり)などがあげられる。
また、要望とは多少異なるが、地域内におけるさまざまなトラブルを行政に相談・依頼する事例も増えている。例えば、町内会への加入拒否や町内会のルール無視などがあげられる。
「住民ニーズ」を具現化していくことは行政の役割であるが、「公共の福祉」が大前提である。しかし、昨今の社会全体を見渡すと、個人の利益追求が大変クローズアップされているように感じられ、また当然とする風潮もある。
個人の利益追求を「悪い」と主張するつもりはなく、尊重しなければならないと考えているが、「公共」とのバランスが崩れつつあることに大変危惧する。
「モンスターペアレント」などのような事象は、個人の利益に重点を置きすぎている状態であり、「公共」と「個」の関係からの視点が希薄である。つまり、個人の利益を追求するあまりに、自らが享受すべき「公共の利益」を失っていることに気がつかない状態である。例えば、親が自分の子どもに有利にするよう執拗に働きかけ、担任教師がその対応に忙殺されるケースが増えているが、担任教師へのプレッシャーで授業への影響があったり、これまで不要だった対応会議の開催で教育充実に充てるべき時間が削られたりしている。
つまり、「個」は「公共」と別の存在ではなく、「公共」の一部であり、かつ「公共」を構成する要素であるという意識、言い換えれば共通の課題をともに解決しようとする意識が薄いということである。
また、個人の利益を追求しすぎると、コスト高の社会に陥りやすくなる。例えば、本来なら当事者間で解決できることでも、互いの(いきすぎた)「個人の利益」がぶつかり合い、第三者(行政機関など)に任せる事例が増えている。そのため、解決のための時間と費用がかかることになる。上記のような「モンスターペアレント」対策として弁護士に依頼する自治体が増えているが、弁護士費用も本来不要の経費であり、余計なコストが発生している。
今後、上記のような「自己本位の要望」は、ますます増加すると推測されるが、ごみ収集に関して、現在はごみ集積所へ各自でごみを出し、ローテーションで収集日の当番をする町内会(自治会)が多いが、例えば、集積所の当番ができないので自宅まで収集に来てほしいという要望が大多数の住民から仮に寄せられたとする。そのときに、大多数の住民の声であることをもって「住民ニーズ」であると受け止めることに大変違和感を持つのである。
上記のような例は、実際には少ないと思うが、これまで各自の責任の範囲内で行われてきたことを行政に依頼しようとする事例は増えてきている。
このように「住民ニーズ」の変化と公共性の低下は深く関連しており、今こそ「公共」の必要性について広く議論しなければならないと考える。
4. 行政の現状
近年、住民の権利意識が高まったと言われるが、確かに行政に対する権利の主張は強くなったように感じられる。例えば、「税金を払っているのだから、行政が対応すべきだ。」といった主張を聞くことが多くなった。つまり、行政に「やってもらって当然」という意識がかなりあり、その結果として「住民ニーズ」は増加し、かつ多種多様化している。
しかし、このような「住民ニーズ」に対応できる行政の処理能力はもはや限界に近い。
まず、行財政改革によって住民と直接対応する職員は年々減少し、住民ニーズを具現化する予算も地方交付税の削減などによって縮小せざるを得ない状況である。
また、地域コミュニティや社会貢献意識などが、個人の利益追求と反比例するように弱体・縮小しつつある。このことが行政への依頼・依存という形で表れてきているが、これまで住民によって保たれてきた一定の公共性を行政のみでカバーすることは現実的に不可能である。
5. 行政のスタンス転換
このように公共性が低下しつつある中で、前章でみたように行政運営は大きく転換すべき時期に来ていると言える。
住民の協力・理解なしでは行政運営が困難な状況であり、そのような現況を反映して住民とのパートナーシップを新たな行政運営として目指す動きが強まってきている。例えば、住民との協働条例の制定や住民と行政によるまちづくり機構の設立などが進められている。
このような動きは、住民と行政が一緒になって知恵を出し合っていく過程で相互理解が深まり、よりよいまちづくりにつながっていく点で評価できる。
しかし、住民と行政の協働という手法ですべてがうまく解決できるわけではない。新しい施策や新規プロジェクトなどを展開していくときには、大変有効であると思われるが、住民生活の土台となる「公共」を形成していくためには、さらにパートナーシップ型からセクターサークル型(課題・認識共有型)へ進展させる必要があると考える。
公共というのは、日々の営み(経済活動・文化活動などの社会活動)によって形成されるものであり、それに関わるすべてのセクターの参加と不断の努力・意識が欠かせないからである。
かつての「地域社会」においては、個人が有する時間と資産の一部分をオープンにすることで、互いに支え合い、一定の保証と安心がある地域を形成してきた側面がある。もちろん、現代において、昔の地域社会は良かったと短絡的にいうつもりはないが、全員参加で問題を共有し、結果として公共を形成してきたシステムの概念は、今も学ぶべき点があると考える。
全員参加は、現実的ではないという指摘もあるが、より多くの住民参加によって地域の全体像を共有化することは、時間と労力はかかるが、「安心」「安全」につながるメリットがあり、また、各自ができる範囲内で責任を分かち合うことになる。これらは公共を築く土台となることから、行政として粘り強く参加を呼び掛けていく姿勢が求められる。
また、住民と行政の対等なパートナーシップに基づく行政運営において、一口に「住民」と言っても、「生活者」の立場、「企業経営」の立場、「ボランティアグループ」の立場など、さまざまな立場がある。
つまり、「住民」と「行政」が課題に対する認識を共有化するとともに、「住民」間での課題に対する認識の相違があることから、一同が同じテーブルについて共有化を図る必要がある。そして、この共有化が「公共」構築の基本となる。 |