【自主レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅱ-①分科会 子育て支援と児童虐待

近江八幡市型保育運動


滋賀県本部/近江八幡市職員労働組合連合会

1. はじめに

 近江八幡市は、琵琶湖の東に位置し、人口約7万人の城下町です。その中で、就学前児童は約4千人で、そのうち公私立の保育所へ通う子ども達が約1千人、公私立の幼稚園へ通う子ども達が約1千人、在宅の子ども達が2千人となっています。また、保育所は公立が3園と私立が9園(2008.4.1で公立保育所2園民営化)、幼稚園は公立が9園、私立が1園という状況です。本来ならば、公立保育所は5園と報告するところですが、今年4月に2園が民営化され3園で運営されています。この民営化については、組合内で長年(6~7年)議論し当局にも現場の最前線の声を「提案書」として提出したうえで、この考え方に基づいて交渉を重ねてきました。結果としては、2園を失う事になりましたが、保育士や幼稚園教諭が市内の一人でも多くの子どもたちに関わり、健やかな育ちの一役を担えるような仕組み作りを行ってきた事について報告します。


2. 経 過

(1) 那覇市での代表者会議
 「公立保育所民営化」との出会いは、公立保育所の民営化や民間委託が一種の流行のように行われ、民営化が手段ではなく目的であるかのように、様々な自治体で行われていた頃の2002年1月に那覇市で開催された自治労保育代表者会議であった。その会議で、現場の声や保護者の思い、本来、保育所の主役である子ども達を無視した全国の民営化の報告を聞かされた。当時、本市においては経営改革計画に保育所の民営化がリストアップされてはいたものの棚上げ状態で、具体的な労使交渉の課題ではなく、組合内で民営化について考えることもなく、危機感のない状況であったが、そんな私たちに「今民営化の提案をされたらどうすればいいのか?? 何も考えていない」と思わされるには、十分な内容であった。
 会議から戻って、開いた報告会には自分たちの保育所が民営化とは無縁の状況であった組合員が集まる訳もなく、参加も10人以下であったが「自分たちの職場のことは、先ず自分たちで考えよう」との呼びかけで、「保育所民営化問題自主研究グループ」を立ち上げることとなった。「民営化とは?」「民営化されたら私たちは? 子ども達は?」様々な??ばかりで手探り状態から、既に先進的な取り組みをされている単組へ視察に行き、民営化の荒波を受けながらも頑張っている保育士さんたちの姿を目の当たりにしたり、集会等へも積極的に参加をし、「そうなんや こんな考え方もあるんや」と感じ、少しずつではあるが自分達で民営化について考えられるようになりつつあった。そして、当局側が水面下で保育所民営化について動き始めていることを感じたのもこの時期で、自主研の活動が実際に公立保育所民営化と直面することになったのである。
 また、この自主研の活動を続けていくうちに、民営化の議論だけでなくもう少し広い範囲に目を向けて考えようということになり、保育所に来ている子どもだけではなくて、幼稚園に通っている子どもは? 在宅の子どもは? というような??がまたまた出始め、幼稚園教諭を巻き込んだ議論になってきて、「就学前のあり方を考える自主研究グループ」的な活動となり、組合側が当局側よりかなり早く、幼保の組合員が一緒に話し合いをする機運も生じたその時に、まず目を向けたのが、市内の在宅率であり、これを見ると一目瞭然であるが、乳児の在宅率の高さに驚き、この在宅の子ども達や保護者に対して、どのようにして支援をしていけばいいのかを考えるようにもなった。
 2003年7月に「次世代育成支援対策推進法及び児童福祉法の一部を改正する法律」が公布され、「地域における子育て支援」の考え方が全面に打ち出された。組合側も自主研を中心に研究を重ねていた事もあって、2004年8月に「就学前教育の再編に向けての提言」を市長へ提案したのである。

【保育所・幼稚園・在宅児の状況】

 (2003.4.1)

  0歳 1歳 2歳 3歳 4歳 5歳
公私立保育所(園)在園児 33 119 181 204 250 263 1,050
公立幼稚園在園児 - - - 280 363 349 992
在園児合計 33 119 181 484 613 612 2,042
年齢別人口 713 685 676 629 668 660 4,031
在園児率(%) 4.6 17.3 26.7 76.9 91.7 92.7 50.6

【提案書の主な内容】
① 保育所併設型の地域子育て支援センター、教育委員会や民間等においても子育て支援事業は行われていたが、なかなか横の連携が取れずに個々に孤立をしていた状況で事業が行われていた。このような状況を踏まえ、市内の子育てネットワークの基幹型施設としての「子育て支援センター(就学前総合窓口)」の設置を次世代育成支援行動計画に入れるように提案した。このことにより、子育て支援の一元化が図れ、総合的に子育て支援を行うことができる。
② 公立保育所や公立幼稚園で培ってきた保育経験を在宅の子ども達にも生かすためにも保育士と幼稚園教諭の組織の一元化を提案した。
 このように組合提案として行い、当局とも就学前のあり方を検討する場を設けて話し合いを行ったが、結果としては本市の次世代育成支援行動計画の数値目標として、「子育て支援センター」を新たに設置することは採用されなかった。しかし、今後の就学前のあり方を考えるうえでは、この時期の「在宅支援の必要性」についての労使間での話し合いが、重要な機会となり、そして、組合内部でも、在宅支援の必要性を訴える声はかなり大きくなってきたのもこの時期であった。
 また、具体化しつつあった民営化では、当局との話し合いや交渉の時に「保育所を民営化することだけを単独で考えずに、市内全体の就学前のあり方組合側に提示すると共に、その中での現在の公立保育所の役割を示し、民営化の位置付けを明確にしろ」との主張を継続していた。


(2) 当局による民営化強行をうけての逆提案
 しかし、2005年9月に当局側は、「2007年4月に公立保育所2園を民営化する」と一方的な提示を行ってきた。この民営化提案は、就学前のあり方を示すこともなく、保育所のみでしか考えていない民営化であり、組合側としても反発を強めざるをえなかった。
【当局側が示した民営化のメリット】
① 多様化する保育ニーズに柔軟に対応できる。
② 待機児童の解消につながる。
③ 財政難であり、民営化する事で1園当たり1,000万円の削減につながる。
【組合側の考え方】
 民営化を予定している公立保育所2園は、市内でも高層マンションの建設ラッシュや大規模宅地造成が行われ人口の急増地域に位置する公立保育所であった。また、この地域は、新しくできた街であり地域コミュニティーの構築もまだまだこれからの地域であったため、在宅の家庭では悩みを抱える親の割合が多い地域でもあった。このような地域にある公立保育所は、園庭開放等の在宅支援も積極的に行って地域との関わりも作ってきた保育所であった。このことから市民ニーズを捉え施策に反映してきたが、この公立保育所が担ってきた役割についても示されることなく、また民営化後の子育て支援ネットワークも全く示されていない状況であった。多様化する保育ニーズについても、公立保育所は「園庭開放」「延長保育」「土曜保育」「障がい児保育」等は民間以上に保育ニーズには対応しており、当局の言う「多様化する保育ニーズ」にも十分対応していた。待機児童の解消の為の民営化についても、現在の建物の床面積の増加はないままでの民営化であり、単に「建物の中に詰め込む」だけであることから、このような待機児童解消策はあり得ないと考えていた。
 また、保育所だけでなく幼稚園に通う子どもや在宅の子ども達も含めての将来的な就学前のビジョンも全く示されていない。このような、民営化をすることが目的である民営化は反対であるとの考え方を交渉においても示した。
 この時の当局側との交渉は、組合側が「今後の就学全体のあり方を考えた(就学前の将来ビジョン)うえでの民営化の位置付けを示せ」を主課題として交渉を行い、組織全体を考える総務部長、保育所が属する健康福祉部長、幼稚園が属する教育部長の三者と「民営化の位置付け」について話し合いを行ったが、当局側三者の話が全くかみ合わずに自分たちの置かれている各々の立場を主張するのに留まり、何一つ成果がないままに月日だけが過ぎていった。
 当然組合側も「今後の就学前の将来ビジョン」について総論だけでは議論が深まらない状況があり、長年研究を積み重ねてきた成果として、具体案を示すことになりました。そして、民営化議論真っ只中の2006年1月に「本市における就学前支援体制整備に関する提案~子育て文化のルネッサンス~」を就学前に関わる組合提案第二段として提案した。この提案の基礎になったものは、「就学前を担っている保育士と幼稚園教諭が同じ視点で在宅支援も含めた取り組みを行っていく」事があった。しかし、幼保の組織一元化が組合としては提案書を作る上で課題となった。というのは、本市の給料表は保育士は行政職Ⅰ表、幼稚園教諭は教育職Ⅲ表を使っていたこともあり、この両者には差が存在していた。総論では、「保育士も幼稚園教諭も力を合わせ同じ視点で子ども達の為に在宅支援も行っていく」との考えはもちながらも、賃金問題となると、かなりの議論はありました。しかし、最終的には給料表は保育士の行政職Ⅰ表に合わせ、就学前(保育所と幼稚園)と子育て支援業務の組織の一元化をして、総合的に就学前の子ども達への施策ができる組織作りを核として提案を行った。
【提案書の主な内容】
① 基本的な考え方
 ・子育て支援を考えるときに保護者は、「子育ての仕方を教えてもらう」等、受身状態にならないように、『子育ては自分でやるんだ』と思えるような仕組み作り。
 ・親が子育てをするのが楽な事と、子どもが自ら生きる力をつけていく事とは別であるという事を考慮しながら公民協働の就学前の新たなネットワークの構築。
 ・この提案書の実効性を高めるために、正規職員数について基本的には増員を行わない。(欠員補充程度の増員とした)
 ・保育所・幼稚園を一つの就学前の施設と考え、幼保組織の一元化を行い幼保の人事交流が前提。
② 提案内容
 ・市内全ての保育所・幼稚園を3ブロック(中学校区)に分け、ブロック内の子育て支援関連施設と連携し、ブロック内の子育て支援の核となる施設として1園ずつ基幹型保育所として位置付ける。
  → このことによって、当局が提案をしている人口急増地域の保育所2園民営化のうち1箇所は基幹型保育所として公立として残す。
 ・基幹型保育所、子育てに関する各施設や関係機関との総合的な調整や企画をし、基幹型保育所ではできない事業等を行う場所として、基幹型子育て支援センター(就学前総合窓口)の設置。
 ・当局側の民営化のメリットとしている待機児童対策としては、私たちは民営化ではなく、各支援センターに一時保育機能を持たせる事や、本市の乳幼児の人口動態や次世代育成支援行動計画に「民間の新設保育園1箇所」と記載されていたこともあり(中長期的には待機児童は減少する)、短期的に幼稚園の空き教室を利用した幼児の幼保一元化により、待機児童の減少を図る。
 ・基幹型子育て支援センターの設置や基幹型保育所としての位置付け等により、正規職員の増員が必要であるが、このことについては一定の条件は付けながらの保育所1園の民営化や子ども数の減少している幼稚園の統合により、正規職員を確保。
 このように、民営化や統合といった内容にまで踏み込んだ苦渋の選択をし、新たな就学前の組織の構築を行い、今まで保育所や幼稚園で培ってきた専門性等を在宅の子ども達や保護者を支援することで、園の数は減っても職域を広げる提案であった。
 この提案書を提出した事で、組合側の考え方も明確に示し、交渉や要求書において当局側に「2園民営化する前に就学前のあり方を組合側に示し、我々の提案内容と突き合わせて協議すること。」と幾度となく要求したが、当局側は「提案内容は理解できるが、待機児童の解消は急務であり、民営化は進めていく」との態度は変えなかった。また、この頃になると、交渉においても内容的にも全く進展がない中で、当局側は保護者会への説明も始めた。しかし、今の公立の保育に不満のない保護者は突然の民営化話に反発を強め、この民営化の話し合いは泥沼化していった。このような状況の中で、2006年5月の横浜の民営化問題の裁判の判決もあり、当局側は民営化を1年延ばし、2008年4月、引き継ぎ保育の時間を多くとることとした。


(3) 就学前組織の一本化へ
 この間も、組合側と当局との話し合いは続いていたが、「保育所だけではなく幼稚園も在宅も含めて就学前のあり方を考えろ」という事は、総論的には理解をされても具体策となると縦割りの当局には難しく、話し合いの歯車が噛みあうことなく、民営化の期日が近づいていくばかりであった。私たちは、自分たちが提案した内容には自信を持ちながらも「このままでは民営化が強行された時に引継ぎ保育の期間や内容を当局と協議する時間もなくなり、大切な子ども達や保護者が混乱するのではないか」「今まで一緒に働いていた臨時保育士さんの事はどうなるのか」といったように、当局側の態度に不安や怒りがピークになってきた。そこで、様々な意見もあったが支部集会で「民営化を確認しつつ(妥結はしない)様々な民営化への課題解決(自分たちが大切にしてきた内容を委ねられる保育所とは?)の協議を行いながら、労使間で2008年4月における新組織を協議する」事を確認した。
 新組織については、保育所と幼稚園が市長部局と教育委員会に分かれていたが、2007年7月に市長部局に、「幼児課(市長部局は補助執行であるが)ができて保育所と幼稚園の組織の一元化ができ、また子育て支援の一元化として「子ども支援課」ができて、今まで組合提案をしてきた内容の組織の形はできることになった(子ども未来部)。しかし、組織はできたが実際の内容(保育士や幼稚園教諭の職員配置)については、2008年4月の民営化時に配置されるため、組合としては、2007年10月に第三弾の提案である「子育て・子育ちパワーアップおうみはちまん」を提出した。
【提案書の主な内容】
 現場の組合員から見た子ども達や保護者の状況を理解し易く、具体的にまとめ自分達(保育士や幼稚園教諭)が市内の子ども達や保護者に2008年4月以降にできること、やらなければならないことを施設(保育所、幼稚園、基幹型子育て支援センター、児童館等)毎にまとめた。
 そして、民営化についても迫ってくる中で、今まで公立保育所として大切にしてきた事について引き継いでもらえるような体制作り等ができるように「民営化要項」についても関わっていった。
 また、臨時保育士さんの雇用についても当局とも協議を行い、このことについては一定の成果があった。
 また、2008年4月には中学校区に1箇所ずつ「子どもセンター」ができ、活動を開始した。


3. まとめ

 2002年以降、保育所民営化問題に始まり幼稚園を巻き込んで就学前のあり方について、現場で働く組合員の視点を中心に提案を行い、「地域の核として公立保育所は必要である」との思いで行ってきた保育運動の概括を述べさせていただきました。結果としては、2園とも民営化されることになったものの、この間の運動の中で「公立の保育士・幼稚園教諭(就学前を担う職員)として、何を大切にするのか」「その為には何をすべきなのか」については、自分達なりに一定の方向性を見出せたと思っています。
 しかし、子ども未来部ができても、まだまだ幼保の壁は高く、組織が一元化された効果ははっきりとは出てきておらず、新たにできた子どもセンターについても体制や内容についてはまだまだこれからの部分が多い現状です。提案した内容もまだまだ練り上げられるべきもので、これからも労使間での協議を行いながらより良いものにしていかなければなりません。
 また、保育所民営化については、本格的な検証はこれからですが、現時点においても組合員からは「私たちが大切にしてきた人権保育が薄れてきているのでは? 保育をするうえで根幹となるものが壊れてきている気がする」等の話を耳にしています。二度とこのような民営化が起こらないように細部まで検証を行い、「この民営化は本当に何の為に行われたのか」は、しっかり見つめる必要があるでしょう。
 幼保の連携についても、お互いの違いを強調することなく、個々に大切にしてきた事が連携をする事の相乗効果として、今まで以上に保育の質が上がりその事で、子どもの育ち等に貢献できるようにしていきたいと考えています。


近江八幡市子育て支援センター・子育て支援の流れ