1. 平川病院の現状
平川市は、2006年1月1日に旧平賀町・旧尾上町・旧碇ヶ関村の3町村合併によって誕生しました。基幹産業がりんごと米の第1次産業中心の平川市(人口約35,500人)は、西側は弘前市、北側は黒石市と接し、両市ともに自治体設置の病院を持っています。平川病院は、50年前に旧平賀町の町立国保平賀病院として開設されました。合併に伴って「平川市国民健康保険平川病院」に名称変更したものです。平川病院の2005年度末の累積欠損金は12億2千2百万円、不良債務9千6百万円です。一般病床60床、療養病床が46床の106床の津軽地域保健医療圏の基幹病院の一つです。診療科目は、内科(常勤医2人・非常勤医1人)・外科(常勤医2人・週1回の非常勤医1人)・整形外科(週1回の非常勤医2人)・耳鼻科(週1回の非常勤医2人)で、2006年末の職員数は医師5人、看護師41人、薬剤師3人、事務6人、給食1人、放射線2人、検査4人の総員62人の体制でした。それが、常勤医師4人のうち外科医1人が2006年12月で退職、さらに2007年1月に内科医1人が開業のため退職したため、2月からの救急指定の取り下げ申請を行わなければならない事態に追い込まれていました。
2. 市民団体「平川病院を守る会」と市職労の連携
平川病院運営委員会は、2007年1月22日に指定管理者制度導入を平川市長に答申しました。
背景には、相次ぐ常勤医師2人の退職に伴って、これまでの常勤医師4人から2人(院長・副院長)体制となったこと、1月の救急指定取り下げ申請によって管外への搬送を余儀なくされることに端を発したものと私たちは理解していました。
今回の「指定管理者制度導入」の答申は、2002年度から続く診療報酬引下げ、病床利用率の低下、地方交付税の削減、医師不足などの経営悪化要因とあわせて、三町村合併時に12億2千2百万円の累積債務を解消したために大幅な基金減が伴い、毎年1億5千万円から2億8千万円を病院事業会計へ繰出している中で、出されたものです。市長はこれまで、病院事業の好転につながる施策をなんら打ち出してこなかったにも関わらず、今後5年間のシミュレーションで財政破綻しかねないとの拙速な判断を行い、県の再編計画が進まない状況の中で、さらに、常勤医師2人が退職したことから、一気に「公立病院廃止」に突き進もうと画策していたのです。
市職労は、答申が出された翌日、平川病院対策委員会(60人参加)を開催し、県本部への支援要請と闘争体制の確立を確認し、市職労・市職労退職者会・社民党南黒支部で「平川病院を守る会」設立の検討を始めることとしました。その後、市長に対して「直営堅持」を求め、早急に団体交渉を持つよう要求書を提出したものの、市長からは「庁舎内に設置する平川病院指定管理者制度検討チームで検討するよう指示しているので現段階では交渉に応じる状況にない」と、当該職員に対する説明責任を放棄し、団体交渉を拒否しました。病院長に対しても説明責任を果たすよう要求してきましたが、「この問題は私の手から離れてしまった。市の方針が決まらない中で何も言うことはない」として半ば投げやりな姿勢に終始してきました。
市議会では1月29日、市議会全員協議会で一部議員からの反対(組織内F議員は反対意見陳述)はあったものの賛成多数によって議員の了解を取り付け、市長は「了承されたので今後委託先を探したい。医師不足により2月から取り下げる救急指定を早く復活させたい」と発言し、私たちの直営堅持要求は無視された形となりました。
私は、医療技術職出身の市職労委員長として、医療職全体の意見を聞き集約しながら、「指定管理者制度導入は、自治体の公的責任の後退につながりかねないことから直営堅持とすること」を基本に再度団交を要求してきましたが、市長は組合との交渉を拒否し続けました。副市長との事務折衝では、あいまいな回答に終始し具体的方向性が全く示されなかったため、自治労青森県本部に対し全面支援の要請を行い、危機感を抱いた市職労OBの仲間が主体となって、2月26日、市民団体「平川病院を守る会」を立ち上げることとなりました。
3月市議会定例会に向けて2月28日、「守る会」では市職労組織内議員を紹介議員に、「国保平川病院の直営存続」の請願書を市議会議長に提出(3月議会で不採択)するとともに、3月7日には「平川病院が危ない! ―市民や患者の声を反映させよう―」のチラシをほぼ全戸に配布し、病院存続・救急体制再開を市民に訴えました。
議会開会日の翌3月9日には、再度の市議会全員協議会が開催され、組織内F議員の「直営での病院存続」の訴えもむなしく、賛成多数により指定管理者制度導入が再確認されました。
市職労と自治労青森県本部は、平川病院の危機的状況の打開に向けて、三村青森県知事あてに「平川病院の病院機能充実強化」に向けた要請書を提出し、県医療薬務課自治体病院再編グループとの交渉を行いましたが、県としての医師確保対策は示されたものの、当該自治体に対する個別指導・協力については現段階では難しいとの回答にとどまりました。
市職労・守る会では、2回目のチラシの毎戸配布を行い、3月29日には「平川病院の存続を考える市民の集い」を開催しました。市民からは「県内の自治体病院の中でそれほど赤字も大きくないのに、なんで指定管理者なのか。それがダメなら診療所でいいという市の姿勢がわからない」「わたしら足腰弱くなってもまだ歩けるうちは、若いモンの世話にもなりたくないし、病院の巡回バスが頼りだ。弘前市とか黒石市の病院を紹介されても交通の便も悪いし、年金暮らしでは交通費まで出せない」「私ら年寄りが市外の病院に入院しても、家族に気兼ねしてとても看病は受けられない」などと、病院存続の意見が多数を占めました。「守る会」では、市民・患者の声を市長に届けるために用意していた「平川病院直営存続を求める1万人署名」の取り組みを提起し、署名活動をスタートさせました。
そんな中突如3月30日、院長・副院長が4月末日付で退職届を提出し、市長が受理したことが判明しました。このままだと5月から常勤医が配置されず、病院閉鎖になってしまうことから、職員に不安と動揺が広がりました。平川病院はこれからどうなってしまうのか、自分たちの職場はどうなるのか、私自身も先行き不安の重圧と危機感が募る中、連日、外来と病棟で全職員とのミーティングを持ち、組合員の動揺を抑えながら、最後まであきらめずに直営存続を求めていくことが私たち医療職員の身分保障につながるということを訴え、署名活動のお願いをしてきました。
守る会では市長に対する署名の提出日を4月16日と定め、4月5日からは看護師を含む全病院組合員が毎戸での署名活動を連日連夜取り組むこととなりました。市民から「病院の職員が職場を休んで署名に歩いていいのか」などの指摘もあり、年休取得での署名活動は中止し、早朝と夕方からの署名活動を余儀なくされました。来る日も来る日も署名活動に明け暮れました。連日のミーティングでも、「市に病院がないのはおかしいし、なんとか救急指定を再開してほしい」、「市外に家族が入院してもすぐに看病にも行けない」、「市立の診療所なんていらない。休日でも夜間でもすぐに診てくれるお医者さんがいて、入院ができる公的医療機関はやっぱり必要だ」、「お年寄りが遠距離通院をいつまで続けられるか」という市民の声が私たちの署名活動を後押ししてくれました。一方で、「私たちの税金であんたらの給料が払われているのに、赤字病院ならいらない。民間だったらとっくに倒産だ」、「病院の経営状態と市の財政状況を考えれば順当。近くに弘前の病院もあるし」、「貴方、病院の看護師さんでしょ。平川病院の看護師は態度も言葉づかいも悪い。もう少し民間の病院を見習ったら」などと署名してくれない市民もありました。連日、誹謗中傷も出される中で、私たちを奮い立たせたのは、「合併で市になったのに公立の病院がないのはおかしい。平川病院は市民の命綱だからガンバレ!」と、病院存続を望む9割方の市民の声でした。
4月6日に、市当局より病院職員全員を集めての「平川病院の今後のあり方・職員の処遇」について口頭説明があり、その質疑の中で、指定管理者についてはまだ折衝中であるとしながら、直営で病院存続しない限りは、地公法第28条による医療職員全員「分限解雇」もあり得るとの方針を示しました。単純・安易な身分保障を剥奪するという提案に、職員全員があっけにとられ一斉にどよめきが湧き起こりました。市職労は、到底納得できない提案であることから直ちに市長との直接交渉を申し入れましたが、「まだ何も決まっていない。受託団体と折衝中だから」と繰り返し、直営堅持や医師確保には消極的姿勢を続けてきました。
4月16日、守る会は市長に対して13,822人分の直営での病院存続署名簿を提出し、「市民の直営存続の署名を真摯に受け止めて欲しい」と要請し、市長は「13,822人は有権者の半数以上の数で、重く受け止めて今後協議したい」と応じました。同行した市職労としても再度、直営存続と分限解雇撤回に向けた団体交渉を申し入れ、病院職員の分限免職を発動しないよう求めました。
4月17日、市職労が再度の交渉要請を行った際、市長は「無床の診療所化を考えており、5月から医師が不在になるので病院は当面休止し、新たな医師が見つかった段階で専決処分をしてでも診療だけは続けられるようにしたい」とびっくりするような考えを示しました。市長の発言を受けて、市職労と守る会は17日の午後から街宣車を市内に走らせ、連日2週間にわたる街宣行動を取り組みました。これまで、マイクを握った者などいませんでしたが、ウグイスはすべて看護師が担い、「連日連夜署名活動で毎戸にお願いに歩き回り、やっとの思いで13,822人の署名を集めたのに、市民や患者の声を無視し病院をつぶされてたまるか」、「私たちだって生活がかかっている」、「市当局のやり方はきたない。市民に何ら説明がないのはおかしい。最後まで病院存続を訴えよう」と各人が率先して計画を組み、年休を取りながら全員が街宣車に乗り込んで病院存続を訴え続けてきました。
3. 分限解雇撤回闘争と病院直営存続の願いは
4月18日、市職労や守る会が公開を要求した市議会全員協議会は、非公開での開催となりました。市長は、病院の赤字経営解消と医師確保のために指定管理者として受け入れる医療法人と折衝してきたが、良い返事がもらえず断念したことを報告する一方で、平川病院の今後の運営形態について①指定管理者の公募、②無床診療所としての運営の二者択一を迫り、議員43人中、発言した議員は11人、黙して語らずの議員が多数を占める中、たいした議論もないまま半ば強行的に「無床の診療所」として運営していくことが確認されてしまいました。
4月19日の団体交渉において、市長は「できる限りの事はしたい」「法的に許せる範囲で最大限努力する」と明言したものの、市長が退席した後、総務部当局の考えが示され、「新たな医師が赴任する間、当面、5月1日からの診療休止」、「5月中の勤務は継続」「5月末で病院医療職員全員を退職解雇」「診療所への再採用希望職員は試験採用」「試験採用希望者は、加算のない退職手当とする」など、またしても納得できない提案を突きつけました。
市当局の暴挙に、県本部も直ちに闘争体制に入ることを確認し、4月20日には平川市で県本部緊急執行委員会を開催し、現地闘争本部を構え20日から連日の朝ビラ行動、守る会全戸ビラ配布、街宣行動を実施し、自治労中央本部に対しても闘争支援を要請しました。そして、全国的にも例のない不当解雇方針を撤回させ、平川病院職員の身分を守るため、4月24日~26日の「市長室前座り込み行動」と26日の「自治労県本部総決起集会」を組合員に周知する一方、守る会が主催する4月24日の「緊急市民集会」でも緊急事態を市民に訴え、解雇撤回に向け全力を挙げることを決定しました。
4月24日早朝、闘争準備をしている最中、総務部より連絡が入り11時から団体交渉が設定されました。急きょ行われた団体交渉で市長は、平川病院の直営存続について、市議会全員協議会で大半の議員が「無床の診療所」の方針が確認されたことから、市長として「無床の診療所」で運営していくことを、あらためて表明しました。
平川病院職員の身分・処遇問題については、19日の「市側の考え方」(退職強要・分限免職)について、「そういう一つの方法もあると考えていたが、結論として身分を保証します。よって、撤回します。」と言明しました。
分限解雇撤回の方針を受けて総務当局からは、①診療所として受け入れる看護師等の医療職員を確保する。②財政的にも厳しいので希望退職も募る。(強制的な対応にならないことを確認) ③再就職先の斡旋をする。④余剰人員については、一般行政職として働いてもらう。という4点の基本的な方針が示されました。
現地闘争本部は、当初の目的である分限解雇撤回についてはクリアし、今後は、病院職員の不安解消にむけた処遇問題に取り組んでいかなければならないと判断し、3日間の市長室前「座り込み行動」と、26日の「自治労県本部総決起集会」の開催を解除しました。
一方、病院の存続を求める「守る会」は、同日、市民約100人が出席し緊急集会を開催していました。今後の闘争方針と決意を固めあっている最中、市職労が早々と座り込みを解除したことに対して、守る会の役員からは「病院職員の身分が守られただけで座り込みを解除すべきでなかった」、「病院存続まで徹底抗戦すべきではなかったのか」との批判も飛びだしました。市職労としては、これまで行動を共にしてきた守る会の主張と活動は当然理解できるものであり、病院の廃止・診療所への転換は議会でまだ決まっていないことから、5月2日の臨時議会まで、守る会と同一歩調をとる事を再確認し、43人の議員への自宅訪問、公開質問状の送付を行いました。
臨時議会の前日の5月1日、「平川病院を守る会」の主催で、病院存続を訴える全体集会を市庁舎正面玄関前で16時30分から開催し、市職労組合員40人を含め約300人が参加しました。市役所に向けての最後のアピールをしている最中、平川市から5月1日付で、これまでの病院廃止・無床診療所化の方向付けに至った経緯や経営状況の概要を記述した「平川病院についてのお知らせ」とするチラシが戸別配布となったことが判明しました。明日の5月2日開会の臨時議会で決定すべき問題を、「無床診療所として開設」と記載してしまう市当局の無責任さは、市議会を軽視し愚弄するものだ、として怒りの集会となりました。最後に「明日2日の臨時議会は、市民のみなさんが傍聴に結集し、議員の声を聞いて欲しい」と呼びかけ終了しました。
4. 診療所設置条例可決とその後の病院職員の処遇問題
臨時議会開会の5月2日、多数賛成派議員からは「国に責任がある。病院は県の再編計画で廃止対象であり市長は苦渋の決断をした」などと国や県へ責任転嫁し、診療所化を評価する発言も飛び出しました。傍聴席からは、「まじめに審議しろ」「この議会は無効だ」などの怒声が飛び交い、一部退場者も出る中、起立採決の結果、賛成38、反対2で可決され、市民の願いは悲鳴に変わってしまいました。
5月8日の平川病院勤務者への処遇説明会、その後の市職労との交渉で市側は、職員の意向調査を実施し、①退職を希望する、②就職あっせんを希望する、③一般職への任用換を希望する、④診療所職員を希望する、の中から優先順位を付けて希望をとり、5月中旬以降に確定する新任常勤医師とこれまでの臨時医師と協議しながら人選し、5月21日に診療所スタッフの内示を出すことを提案してきました。市職労は全体集会の中で、基本的に職員全員が優先順位1に「④平川診療所職員(医療職)を希望する」を記入し、優先順位の2.3.4には記入しない、なお、科によっては白紙提出も可とすることを意思統一するとともに、再三の市当局交渉で、希望退職の申し出については期限を撤廃させ、「50歳以上の職員は、勤続年数を問わず勧奨退職とし退職手当の割増率を10%加算させる。49歳から45歳以下の職員は、整理退職条項の支給率に割増率を32%~最高40%加算させる。就職あっせんは、診療所として再開する6月以降も市として対応させる」との確約をとることができました。
多くの組合員は不安や怒り、悲しみが入り交じり、思い悩む日々が続きました。
診療所スタッフは、薬剤師3人⇒1人、検査技師4人⇒1人、放射線技師2人⇒1人、外来看護師5人⇒5人(受付も含む)、事務6人⇒事務5人(うち看護師2人は受付・会計)となり、これまでの臨時職員はなし、清掃・ニチイ学館等への委託もやめ、医療事務も含めてすべて職員で対応することになり、薬局ではこれまで、3人+助手1人でぎりぎり業務をこなしてきましたが、患者への十分な説明と安全性の確保・信頼性が求められ、外来調剤だけでも3人必要です。検査技師も、年々増え続ける各種健康診断業務に忙殺される中、1人配置で果たして市長のいう「疾病予防対策事業の充実」が図られるのか、また、無床の診療所とはいえ「訪問治療・看護」の充実を果たせるのか、どの科もギリギリ以下の職員配置で市民・患者の生命に関わる医療水準を大きく下げざるを得ず、負担は診療所職員全員にかかってきます。
そして5月21日、診療所職員13人、健康センター1人、葛川診療所1人(東部の山間地域にある診療所)の内示がありました。その後の新任医師との話し合いで、薬局については助手1人増になっただけで、他の科はそのままの人員配置を強制されました。
意向調査段階では組合側で意思統一したこともあって、希望退職を選択した組合員はいませんでしたが、一般職の人事異動内示が、5月25日に公表されたことに伴い、最終的に、家族と相談した結果、年配の組合員を中心に退職を希望する組合員が一気に増えました。
退職届等については、すべて組合委員長に直接届けるよう周知し、届け出た組合員には市の職員に残るよう説得を続けました。しかし、「一般行政職で頑張る」と退職を撤回した組合員は数人のみで、希望退職時の独自の退職手当割増率を勝ち取ったこともあって、結果、医療職50人中、24人の大量の希望退職者を出してしまいました。
5. たたかいの教訓と現在
今回の問題は、自治体の財政事情によっては、住民の命と健康を守るという自治体責任をも放棄する暴挙が、全国どこの自治体病院でも起りうるばかりか、当該施設に所属する職員が、「首を切られる」という事実が起こりうるということを、身を持って実感させてくれました。
このたたかいで思うことは、医師不足を契機に当局の「病院つぶし」の初動に対し、労使間交渉に求めてきた結果、団体交渉の拒否や「守る会」の結成までに時間がかかり、有効な対抗手段である市民や患者を味方にした取り組みが遅れたことです。「守る会」が提出した13,822人の病院存続署名も、平川病院運営委員会の「指定管理者制度導入」答申(1月22日)から約3ヶ月後であり、市議会勢力も含めて「指定管理者の断念から診療所化」という当局の既定路線を変更させるまでには至らなかったということです。結果、短期決戦となった平川病院闘争は、公立病院を守ることができず、さらには大量の希望退職者を出してしまいました。
しかし、このたたかいで当局の圧力が強まる中、「平川病院を守る会」に結集し、市民と強く結びつき、看護師自らが昼夜を問わない署名活動に歩き回り、休日返上での毎戸チラシ配布をやりとげました。さらに連日の街宣車行動で自らマイクを握り、年休をとっての座り込み行動、集会に向けたプラカード・ゼッケン作り、早朝から並んでの臨時議会傍聴など、これまで消極的だった医療職組合員が日増しに団結を強めていく様子は、理不尽に降りかかった雇用不安を目前に「なんで私たちだけが、こんな目に遭わなければならないのか」という被害者意識から、「負けるかもしれないが、やっぱり公立の病院は必要だし、守ることが私たちの身分保障につながる」と、行動と討論を積み重ねる毎に強い確信へと変わってきたからに他なりません。
闘争から一年経過しました。診療所に残った職員も一般行政職に任用替された職員もいまだに気持ちの整理がついていないように思います。行政職に配属された14人(1人は病休中)は、一人の退職者もなく働き続けています。しかし、一人前に扱われることが各人のプレッシャーとなっています。いまだ地に足がつかない状態のまま、目の前にある仕事を間違わないでこなせるかどうか、市民からの問い合わせにうまく説明できるかどうか毎日が不安の連続です。どこの職場も増え続ける仕事量と行革による退職不補充・人員削減、そしてなりふり構わない大幅な人事異動と相俟って、過密過重労働となっています。結果、「自分の仕事で周りに迷惑かけられない」と妊娠・出産のためらいや、タダ働きや休日出勤も目立っており、メンタルヘルスに変調をきたし自宅療養を余儀なくされている仲間も出ています。
組合では、職場アンケートから出された「わたしの職場要求」を組合の要求として取りまとめ、セクハラ・パワハラ問題やメンタルヘルス対策・残業問題を主要課題として取り組んでいます。そこで働く仲間の気持ちをつかみながら、納得できない勤務条件や不安定要因を生み出しているものは誰かを明らかにし、要求の前進と組織強化(権利意識の高揚)につなげるべく努力しています。
6. 県内を取り巻く情勢と今後の課題
県内の自治体病院を取り巻く情勢はますます不透明さを加速させています。県が策定した医療圏ごとの自治体病院再編計画は頓挫・計画変更を余儀なくされ、地方紙・東奥日報の調査によると、県内の27自治体病院のうち最近5年間で11病院の13診療科が医師不足により休診したり、一時休診状態になっています。また常勤医師から非常勤医師となったのは13病院の24診療科となり、産科や小児科を中心に中核病院、へき地拠点病院問わず地域医療はここ数年で急速に衰退していることが浮き彫りとなりました。加えて、国の指針である「公立病院ガイドライン」の強制策定要請により、「病床利用率が3年連続70%を切る場合の診療所化」など、すべての自治体病院に経営効率化や医療施設再編を求め、自助努力に限界を感じている自治体では半ば「やむなし」という風潮さえ生み出しています。県内の自治体病院の2007年度決算見込みでは、不良債務の総額が過去最悪の168億円となっており、赤字体質から依然として脱却できていません。
「守る会」の木村会長は、心筋梗塞で夜間に旧平賀病院に運ばれ初期治療により一命を取りとめ、「やっぱり安心感だよ。問題は」と言い切ります。救急車の受け入れができない診療所では、やっぱりダメなのです。いったん診療所化してしまえば、ふたたび病院への格上げは絶対不可能です。そうならないためにも、当局の動きに対し敏感にアンテナを張りつつ、地域医療のあり方を住民の健康と命は絶対守られるべき自治体責務の観点から、医療現場で働く労働者が住民・患者と一緒になって考え、積極的に発信していけたらと思っています。 |