【自主レポート】 |
第32回北海道自治研集会 第Ⅱ-③分科会 地域からつくる保健福祉のしくみ |
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1. はじめに
昨年、2007年は実に忙しい年だった。統一地方選挙、参議院選挙、そして惨敗に終わった市長選挙闘争もさりながら、15年余にわたってたたかい続けてきた私たちのまちづくり運動、「超高齢社会におけるまちづくりは、向こう三軒両隣大作戦でいこう!」が折り返し点まで届いたと自己評価できる事象がいくつか起きたからだ。 2. 大牟田市の概況 ○福岡県最南端に位置し、熊本県荒尾市に隣接、西は宝の海 有明海を臨み、今年開港百周年をむかえる世界唯一の閘門式の港「三池港」を擁する。 3. はやめ南人情ネットワーク誕生までの背景 ○1989年 桜寿会(桜町の老人クラブ)役員有志による健康水配達と後期高齢者および一人暮らし老人への声かけ見守り運動がスタート。 |
○1994年3月、国のゴールドプランにより、大牟田市老人福祉計画が策定され、高齢者福祉施策のもと施設建設が進むとともに、地域コミュニティ拠点作りが模索されてきた。 4. はやめ南人情ネットワーク誕生までの三つの流れ 「はやめ南人情ネットワーク」は、駛馬南校区にあった三つの流れ(団体)が、諏訪川本流に一本化されるように、超高齢社会に翻弄されながらも試行錯誤を重ねつつ、地の利、人の和を得て生まれた。誕生してまだまだ4歳だ。 |
3つ目は、介護保険制度設立準備の段階での議論から生まれた官民協働によるサービス事業者協議会、そして認知症ケア研究会の存在だ。2002年、認知症ケア研究会は地域認知症ケアコミュニティ事業を本格的に展開しはじめた。(以下 趣意書より) |
まず、2002年、認知症コーディネーター養成事業に独自のカリキュラムを作成して、とりかかり現在、5期生と6期生の計12人が受講中。すでに39人が卒業し現場で奮闘している。2003年、認知症の人を理解するための絵本教室が市内の小中学校で取り組まれている。この活動の成果として、「国際アルツハイマー病協会ベルリン国際会議」で米生中の生徒2人が発表した。 5. はやめ南人情ネットワークの組織づくり 2004年2月 地域における実践活動として、徘徊SOSネットワークづくりを視野において、駛馬南校区住民の日常活動に注目し、はじめは地域の有志の方たちとの日曜茶話会における意見交換会からはじまり、ワンデイマーチなどを経て、「はやめ南人情ネットワーク」の組織図を作り上げました。 |
中心の5者で世話人会を構成。校区社協会長が代表世話人。その周りにサポーターを配置し、団体や個人サポーターを広げている。 |
6. はやめ南人情ネットワークの機能と将来 まずは5人の世話人と事務局3人との間での情勢、目標認識の共有化が第一。次に日曜茶話会への参加を勝ち取ることが必要になる。会を準備し、地域のサポーターになってほしい方たちへ戸別訪問で趣旨を説明し賛同をいただく。対象は駛馬南小学校、米生中学校の校長先生、PTA、駛馬南消防分団、各商店、花屋さん、コンビニ、ガソリンスタンド、郵便局、福祉、医療機関、タクシー協会。各世話人は傘下の役員やメンバーへつないでいく。次は校区外へ。特に協働を目指す視点から、市役所の福祉関係部局の関わりが大切だ。また福祉部局以外にも、水道の検針、清掃の収集部門、郵便局集配課、九電、大牟田ガスの検針担当など外回り職場への意識啓蒙が日常的に求められており、特に警察署のSOSネットワーク、消防署との連携は重要だ。 |
私たちの「はやめ南人情ネットワーク」は認知症問題だけでなく、高齢者や障害を持つ人々とともに、豊かなノーマリゼーション社会の実現を目指して、地域の安心安全、子供も大人も全ての人が住み慣れた町で健やかに暮らしていける優しいまちづくりを目指して、共に汗を流していきたいと願っている。(未完) |