【自主レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅱ-③分科会 地域からつくる保健福祉のしくみ

やさしいまちづくりは"向こう三軒両隣大作戦"でいこう


福岡県本部/大牟田市職員労働組合 小野 晃とはやめ南人情ネットワーク世話人会

1. はじめに

 昨年、2007年は実に忙しい年だった。統一地方選挙、参議院選挙、そして惨敗に終わった市長選挙闘争もさりながら、15年余にわたってたたかい続けてきた私たちのまちづくり運動、「超高齢社会におけるまちづくりは、向こう三軒両隣大作戦でいこう」が折り返し点まで届いたと自己評価できる事象がいくつか起きたからだ。
 それは 2004年2月22日にやっとの思いで誕生させた私たち地域の住民組織である「はやめ南人情ネットワーク」の活動が、3月3日に「認知症でもだいじょうぶまちづくりキャンペーン2006(審査委員長 さわやか福祉財団 堀田力理事長)」において入賞し、全国表彰を授賞したこと。7月7日には「地域密着型福祉全国実践セミナーin室戸(主催:実行委員会/CLC共催)」において、はやめ南人情ネットワークの実践活動報告を求められ、私が代表して実践報告に立ったこと。そして11月20日には地方自治法施行60周年記念大会において、総務大臣表彰を授賞したからである。隔月に開催している日曜茶話会や年1回取り組んできた「徘徊SOSネットワーク模擬訓練」が評価されたらしい。また、駛馬南老人クラブ連合会が一部橋公園の清掃管理を始めて満13周年になり、去る5月24日、おにぎりと豚汁で「おかげさまで13周年」を開いたが、この清掃活動にも国土交通大臣賞を授賞した。
 この数年、「地域密着型福祉」という言葉がやたらと耳につくようになった。国には高齢者の福祉、医療費抑制というそれなりの思惑があるのだろうが、私たちは祖父たちの時代から町内公民館や子ども会、老人クラブ活動を中心に「向こう三軒両隣り」で、日常不断に助け合って生きてきたものだ。今、格差社会の進行の中で壊れかけた地域社会を取り戻そうと、先人の知恵に学びながら、地域の誰かが困った時、急ぐ時に組織的、計画的に見守り、声をかけながら、「向こう三軒両隣大作戦」を提唱し、こつこつと行動を積み重ねてきている。模擬徘徊訓練は認知症に扮した老人が行方不明になったという想定で、警察署、消防署、タクシー協会、駛馬南校区内における団体や商店、個人サポーターで組織する連絡網で協力しながら保護しようとするものである。
 2005年2回目の時、NHKがTV収録をして特番で全国放送したことから知られるようになった。未だ試行錯誤の繰り返しだが、昨年9月、第4回目では回を重ねるたびに地域住民の関心、協力も少しずつ広がりを見せている。市内6校区からの参加や市外の市町村からの見学も増えてきた。去る6月7~8日、「地域密着型福祉全国実践セミナーin大牟田」が開催され、分科会として「はやめ南人情ネットワーク"ミニ徘徊模擬訓練"」を駛馬南小学校の体育館を拠点に7ヶ所の町内公民館で実施し、全国から多くの自治体職員や福祉施設職員の皆さんが訓練に参加していただいた。これからどんな形で芽が出てくるか楽しみだ。今、日常生活の中において行政の地域福祉計画の具体的な諸活動といかにして結び付けて市民との協働を形作っていくかが当面の大きな課題である。小論では、以下に「はやめ南人情ネットワーク」が誕生するに至った組織作りの経過、組織機構、主な活動内容を詳述する。やさしいまちづくりに頑張っている仲間のお役に立つことを願う。

2. 大牟田市の概況

○福岡県最南端に位置し、熊本県荒尾市に隣接、西は宝の海 有明海を臨み、今年開港百周年をむかえる世界唯一の閘門式の港「三池港」を擁する。
○大牟田市は日本の近代化に大きく貢献してきた炭鉱のマチ。三池炭鉱は、エネルギー政策転換により、1997年3月に閉山し、124年の歴史に幕を閉じる。
○1960年には人口約210,000人を数えたが、2008年4月1日現在では、129,549人。毎年1,500人ほどが減少している。
○高齢者数(65歳以上)は37,164人で、高齢化率は28.7%。
 > 後期高齢者(75歳以上)は20,010人で、後期高齢者率は15.4%。
○大牟田市の財政規模は 514億4,000万円(2008年度、一般会計当初予算額)。

◆駛馬(はやめ)南校区の概況
 大牟田市には小学校区が23校区ある。駛馬南校区は熊本県荒尾市と接し、かつて両市にまたがる万田鉱で賑わった人情あふれる町である。
◆駛馬南校区の福祉資源(2008.04.01/住民基本台帳)
①校区内人口 4,376人 世帯数1,891戸 高齢者数1,390人 高齢化率31.8%
②駛馬南小学校 149人 米生中学校229人
③11町内公民館(加入率46.4%) 単位老人クラブ7クラブ 児童民生委員12人 交通指導員 青少年相談員 福祉委員 他に町内における既存の市民組織 駛馬南消防分団 小中学校PTA これらの組織を一本化した駛馬南校区社会福祉協議会がある。
④病院2院 医院2院 特別養護老人ホーム1施設 グループホーム2施設5ユニット 小規模多機能型居宅介護施設2施設 他に宅配サービス ケアハウス など
⑤東西に流れる諏訪川(2級河川)は、親水型の一部橋公園があり、カヌー教室などで賑わいを見せる。

3. はやめ南人情ネットワーク誕生までの背景
 ~やさしさとエネルギーあふれる町・大牟田をめざして~

○1989年 桜寿会(桜町の老人クラブ)役員有志による健康水配達と後期高齢者および一人暮らし老人への声かけ見守り運動がスタート。
○1993年 桜寿会役員を中心に6人の世話人を置き、「ふれ愛さくら町」が発足、担当を決めて独居老人、虚弱な老人宅へ声かけ見守り、花見や独自の不定期なデイサービスが動き出した。




○1994年3月、国のゴールドプランにより、大牟田市老人福祉計画が策定され、高齢者福祉施策のもと施設建設が進むとともに、地域コミュニティ拠点作りが模索されてきた。 
○当時から「大牟田痴呆性老人を支える家族の会」の地道な独自活動がみられた。 
○1994年12月 住民の活動拠点となる駛馬地区公民館が落成、趣味やグループ活動が盛んになる。秋の翔馬祭には53団体で実行委員会を構成。また夏の恒例行事となったカッパ祭りへと展開していった。
○1995年2月 東翔会・高齢者総合ケアセンター・サンフレンズ(特別養護老人ホーム、在宅介護支援センター、ショートスティ、ケアハウス)が校区内の沖田町に落成。 
○1995年3月 親水型の諏訪川河畔緑地公園の竣工。
○1995年5月 駛馬南老人クラブ連合会の再編、諏訪川河畔緑地公園の清掃管理を開始。
○1999年4月 大牟田市介護保険準備室が設置され、介護保険制度の円滑な運営とサービスの質の向上を目指して「介護支援専門委員連絡協議会」が設立された。
○2000年介護保険制度スタートと同時に「介護サービス事業者協議会」が設立される。この協議会の専門部門(研究・研修・情報交流機関)として、「認知症ケア研究会」が設置される。
○2002年 認知症ケア研究会は「地域認知症ケアコミュニティ推進事業」を本格的に展開する
○2002年9月 「ノーマリゼーションセミナーin九州」の開催。
○2003年 認知症コーディネーター養成研修事業(認知症ケア研究会主催)がスタート。
○2003年6月 「第4回介護保険推進全国サミットinおおむた」の開催。
○2003年10月 第1回日曜茶話会 はやめ南人情ネットワーク設立に向けた地域有志の協議
○2004年2月22日 関係者の努力はもちろん、いくつかの好条件に恵まれ、
   **はやめ南人情ネットワークが誕生**
○2004年 準備期間をおいて10月31日、「第1回徘徊SOSネットワーク模擬訓練」を実施。
○2005年 子供たちの認知症の理解のための「絵本教室」がはじまる。
○2006年 国際アルツハイマー病協会ベルリン国際会議に米生中学生2人が発表する。
○2008年6月 東翔会の集まり場「来てみてテラス」と小規模多機能ホーム「みえあむ」落成。
○2008年10月19日(日) はやめ南人情ネットワーク、第30回日曜茶話会は、「第5回徘徊SOSネットワーク模擬訓練」を予定。『ひろがれ、ふれ愛の輪 輝け、まちづくりの灯!!

4. はやめ南人情ネットワーク誕生までの三つの流れ

 「はやめ南人情ネットワーク」は、駛馬南校区にあった三つの流れ(団体)が、諏訪川本流に一本化されるように、超高齢社会に翻弄されながらも試行錯誤を重ねつつ、地の利、人の和を得て生まれた。誕生してまだまだ4歳だ。
 三つの流れの1つ目は、既存の地域組織(町内公民館、民児協、子ども会、PTA、老人クラブ、消防団)の存在である。炭鉱が閉山し、社宅もなくなり、急激な人口減でそれぞれの組織はかつての面影をなくし、町内の盆踊りや、連協主催の運動会も賑わいは見られなくなったが、時代を反映してか校区社協主催の敬老会、独居老人の集いや新装なった地区公民館を中心に、余暇活動や趣味の集まりは趣を変えて地域社会の新しい芽になろうとしている。
 2つ目は、老人クラブの存在だ。ご他聞にもれず、高齢者人口は増えているにもかかわらず、組織は細る一方だが、1989年ごろ老人の悲惨な孤独死が相次いで地元紙に報道された折、桜寿会会長(当時)の「この桜町から俺たちのメンツにかけて孤独死なんて絶対に出さんぞ」という悲痛な叫びにも似た呼びかけで"向こう三軒両隣り大作戦・声かけ見守り運動"が老人クラブ活動としてスタートした。その後、校区内の各老人クラブへ呼びかけ、連合会の再編、公園の清掃、独自の芸能祭、子供見守り隊など校区内の事業には時間に余裕がある老人クラブが頑張っている。なお、ペットボトルにつめた健康水配達による安否確認行動については、提唱者である会長ほか4人の活動家がすでに逝去され現在は中止しています。




 3つ目は、介護保険制度設立準備の段階での議論から生まれた官民協働によるサービス事業者協議会、そして認知症ケア研究会の存在だ。2002年、認知症ケア研究会は地域認知症ケアコミュニティ事業を本格的に展開しはじめた。(以下 趣意書より)




 まず、2002年、認知症コーディネーター養成事業に独自のカリキュラムを作成して、とりかかり現在、5期生と6期生の計12人が受講中。すでに39人が卒業し現場で奮闘している。2003年、認知症の人を理解するための絵本教室が市内の小中学校で取り組まれている。この活動の成果として、「国際アルツハイマー病協会ベルリン国際会議」で米生中の生徒2人が発表した。

5. はやめ南人情ネットワークの組織づくり

 2004年2月 地域における実践活動として、徘徊SOSネットワークづくりを視野において、駛馬南校区住民の日常活動に注目し、はじめは地域の有志の方たちとの日曜茶話会における意見交換会からはじまり、ワンデイマーチなどを経て、「はやめ南人情ネットワーク」の組織図を作り上げました。


中心の5者で世話人会を構成。校区社協会長が代表世話人。その周りにサポーターを配置し、団体や個人サポーターを広げている。


6. はやめ南人情ネットワークの機能と将来

 まずは5人の世話人と事務局3人との間での情勢、目標認識の共有化が第一。次に日曜茶話会への参加を勝ち取ることが必要になる。会を準備し、地域のサポーターになってほしい方たちへ戸別訪問で趣旨を説明し賛同をいただく。対象は駛馬南小学校、米生中学校の校長先生、PTA、駛馬南消防分団、各商店、花屋さん、コンビニ、ガソリンスタンド、郵便局、福祉、医療機関、タクシー協会。各世話人は傘下の役員やメンバーへつないでいく。次は校区外へ。特に協働を目指す視点から、市役所の福祉関係部局の関わりが大切だ。また福祉部局以外にも、水道の検針、清掃の収集部門、郵便局集配課、九電、大牟田ガスの検針担当など外回り職場への意識啓蒙が日常的に求められており、特に警察署のSOSネットワーク、消防署との連携は重要だ。
 昨年行われた第4回目の事例を復習してみると―事例発生→家族の方が警察署生活安全課へ捜索願→個人保護に留意し、個人情報シートを作成→承諾を得て消防署、タクシー協会、JR改札口、西鉄バス、コンビニ協会、はやめ南人情ネットワーク事務局にSOSネットワークのルートで情報発信→事務局は各世話人や登録している個人サポーター、法人、個人商店へも情報発信→情報を受けた人はそれぞれの立場で捜索に関わる→発見し保護した場合は生活安全課に通報、警察で確認のうえ家族へ引き渡す―という流れになる。




 私たちの「はやめ南人情ネットワーク」は認知症問題だけでなく、高齢者や障害を持つ人々とともに、豊かなノーマリゼーション社会の実現を目指して、地域の安心安全、子供も大人も全ての人が住み慣れた町で健やかに暮らしていける優しいまちづくりを目指して、共に汗を流していきたいと願っている。(未完)