【自主論文】

第32回北海道自治研集会
第Ⅱ-③分科会 地域からつくる保健福祉のしくみ

嫗たちと翁たちの憂鬱


福岡県本部/筑後市職員労働組合 友添 吉成

第11条 国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。
第14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。
第25条 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
2 国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。
(日本国憲法)


1. ドミナントストーリー(地域包括支援センターは見た)

(1) 講演会にて
 「我が筑後市も平成18年に高齢化率21パーセントを超え、超高齢化社会に突入しました。一方、特定出生率は年々減少しており、これから先もこの傾向は続くものと思われます。
 古川校区、古島校区、下妻校区などでは、高齢化率30パーセントを超え、子どもは一学年10人を切るような現状もあります。団塊の世代が後期高齢者になる2025年には、実に筑後市民の4割から5割がお年寄りになっていると見込まれ、それを支える現役世代が先細りしていく中で、市民生活のあり方も大きく変わらざるを得ないと思われます。
 これまで通りの行政サービスを続けていく事は困難であろうということです。医療や介護といった分野においても、これまでの水準はとても望めない。
 今後は、行政が皆さんにサービスを用意するのではなく、皆さんたちが積極的に市政に参画し、市民協働の街づくりをしていくことが重要である。つまりは、地域で考え地域で共に支えあっていく社会を作り上げていかねばならないのです。
 そうして、行政区に対する補助金もこれまでどおりにベタに配分するのではなく、今日のような高齢者のふれあいサロン活動を頑張っている区には厚く配分する、頑張りがもう一つの所には自分たちで更に努力をしてもらう、とですね、市長はこう言っております。そして、みんなで元気になろう、市民が主役のまちづくりをしていこう、というのが今の市の考え方であります。」
 そんな風に、まちづくり係長は熱弁を揮った。不思議にもウケている。
 次の演者である地域包括支援センター次長、即ち筆者は、腹が立って仕方なかった。
 彼奴ときたら、高齢者介護の問題や医療の問題については全くシロウトのくせに、何でまた、「これまでの水準は保障出来ぬ」などと言ったのか?
 そもそも少子高齢化対策に真剣に取り組むのであれば、人口減少モデルの話はすべきではないのではないか?
 例えば、「フランスのように子育て支援のために手厚い政策を採るには日本の消費税でいえば税率30パーセント近くまで引き上げる必要があると言われています。そういう道を地方でも選択していくのか?」など、別の課題提起をすべきではないのか?
 勿論、彼奴も筆者も本当に小さな市の地方公務員にすぎないのであって、国家百年の計など語る資格はないのであろう。しかしながら、ウチの市長の情けないマニフェスト「頑張ったところには手厚く、そうでないところには更なる頑張りを(そうでないところには薄く)。」を熱く語ってどうするのか? 市長のマニフェストは、補助金交付のプライオリティを決めますよ、総枠では補助金減らしますよ、という内容に過ぎない。
 一番頭にくるのは、彼奴が無自覚に社会保障分野に言及することだ。「国民健康保険特別会計は54億円、介護保険特別会計保険事業勘定は、26億円もかかっています。」、「筑後市の高齢者10,000人のうち、1,600人が介護認定を受けていて……」など紹介した後で、「こうした社会保障にかかる経費が市の財政を圧迫している。」と言い、「皆さん本当にそうならないように(病気にならないように、要介護(支援)状態にならないように)頑張って下さい。」と言ったことである。
 確かに、こうした論法は、筆者も使うことはある。ひょっとしたら、上の官庁でも使っているのかもしれない、まさか国を挙げてのキャンペーンではないと思うが……(というか、まあ、本当は国是なのであろう。)
 筆者は、我が筑後市においては、未だ社会保障分野の最低保障議論がマトモにされたことはない(住民は自らの医療や介護について「どの程度」保障されているのかに無自覚である)だろうと思っている。そんな中で、「皆さんできるだけ、社会保険のお世話にならないようにしましょう。」というのは、如何なものかと思う。「病院に行くのは悪ですよ。施設介護を利用するのはもってのほかですよ。」と聞こえないだろうか?
 それで、筆者は、ますます演壇に上がりたくなくなった。

(2) 予防議論
 筆者は、地域包括支援センターに勤務で、介護予防支援事業の実施と介護予防事業の普及啓発をしなければならない立場である。その立場で、これを言うのは大変心苦しいのであるが、「それを、いつまで真剣にやるの(続けるの)か?」という疑問を持っている。


 ―私は、百戦錬磨の厚生労働省老健局幹部が新予防給付に大きな健康増進効果と費用抑制効果があるとナイーブに信じ込んだとは考えられない。(中略)ちなみに、ある病院団体幹部は「新予防給付は年齢拡大に失敗した厚生労働省のアリバイ宣伝で、本気でやろうとしているか怪しい(本気でやると費用増になるため)」と喝破している。


 二木立氏は、2005年時点で、先のような論を述べていた。(予言または警鐘か?)
 厚生労働省は、介護保険制度の大幅見直しを行った2006年度の介護保険財政のデータを中々公表しなかったのだが、本年7月、漸く「平成18年度介護保険事業状況報告(年報)」をホームページ掲載した(7月21日現在県別、保険者別データは公開されていない)。
 これを見ると、給付費ベースで2005年度には5兆7,943億円の支出に対し、2006年度は5兆8,743億円と、対前年800億円(1.4%)の増で、それまで3~5兆円の伸びを見せていた給付費の増嵩に抑制がかかった形となった。指標を「第1号被保険者一人当たり給付費」に置きかえると、2005年度224千円が2006年度は219千円と、実質マイナスであったことが分かる。
 先の二木の「予言」は、介護予防事業について、
① 一時的な抑制効果はあるにせよ、長期的な累積介護費用は減少しない。
② 特定高齢者メニュー(介護予防事業)及び新予防給付(要支援者向け給付)のメニューには、健康増進効果のエビデンスも、介護費用抑制効果のエビデンスもない。そのようなメニューを推進して給付費の抑制を図るという見通しは危険かつ無責任。
という主張である。
 ①について、二木はこういう事が言いたかったのであろう。



 さて、実際の介護給付費はどうなったのか、であるが、実質的にはマイナスに転じるという「効果」があったわけである。しかし、それは介護予防事業の効果だというわけでは「絶対に」ない。本来、健康づくり事業というのは、それこそ長期的な視野に立って行われるものであって、その評価もまた数十年のサイクルの中で判断するものであろう。(因みに本市における特定高齢者のスクリーニングでは、2006年度で対象者約220人、条件緩和後の2007年度で約540人であった。そのうち、実際に介護予防事業に参加した者は2006年度で72人、2007年度も78人しかいない状況である。)
 結局のところ、介護給付費の抑制の大きな要因は、2005年度に行った施設給付の抑制施策と、新予防給付による軽度者への利用制限に依るものであろう。
 軽度者への利用制限とは、具体的には、マルメ(包括)報酬の導入であり、もう一つは自立支援の名を借りた「使い方の制限」である。
 マルメ報酬の導入は、実質的に介護(予防)支給限度額の足切りである。介護保険サービスが収益事業である以上は、月当たり低水準の定額しか持ってこないお客は出来るだけ回数少なく受け入れ、重度者の利用割合を増やしたい、となるであろう。しかしながら、介護(支援)認定を受けたものの大半が軽度の者である。結果として、介護保険から出回るお金は少なくなりマーケットは想像以上に圧縮されたのである。今にして思うが、何故、報酬審議会において事業者から反対がなかったのか、本当に疑問である。
 「自立支援の名を借りた使い方の制限」というのは、地域包括支援センターがやっている予防プラン(要支援者へのサービス計画)作成にも大いに関係があるのだが、簡単に言うと「ヘルパーさんに何でもまかせっきりにする(依存する)のではなくて、自分も一緒に料理をしたり掃除をしたりする。」考え方と言って良いだろう。
 「依存による廃用を防ぐ」という主張は大変ご立派に聞こえるが、厚生省がお手本にしなさいといったICF(国際生活機能評価分類)に基づくケアプランとは相容れないところがある。その人らしい生きがいのある生活のためのケアというには、内容が乏しすぎる。利用者には、「一緒に買い物」「一緒に調理」「一緒に洗濯」そう聞こえるだけだと思う。
 二木の②については、メタボリック・シンドローム予防議論等についても同じ事が言える。つまりは、「国を挙げての健康づくり、介護予防」が喧伝されているが、その内容に科学的な裏づけはない(かもしれない)。そんな希薄なものに、「参加した方がいいですよ。参加しなければいけないのですよ。」というのは如何か、という意見だ。
 怖いのは、パワーリハ等に対する過度の期待や、能力の全般的改善があるといった誤解である。その結果として、次に引用するような論旨が住民にもウケてしまう風潮は困ったことである。(ちょうどウチのまちづくり係長が深い考えもなく「頑張ってふれあいサロンをやってください」と言ったのに大きな拍手があったように……)

「受診者に何らかのインセンティブを与え、受診していない人には、言葉はきついが多少のペナルティがあるようにすれば、自分の健康を守ることについてのインセンティブが働く」
「健康の保持・増進に努力した人とそうでない人との公平・公正の兼ね合いは考えていくべき。(厚労省として)何らかの工夫や仕組みを提案したい」
 (中略)
①「すでに民間の生命保険・医療保険では導入されているように、喫煙の有無や肥満度などに応じて〔公的〕保険料を設定することは可能である」。②「がん検診で発見された場合とそれ以外の(症状を自覚してから医療機関を受診して診断された)場合とで、自己負担率を変えるべきである」。③「食事療法などをきっちり守っている患者には、自己負担率を下げることも考えられる」。
 (中略)
「予防に大切なのは1人ひとりの努力。(中略)遺伝性でH啼く生活習慣に起因する病気を減らすには、その患者にかぎって患者の月額上限を上げるなど、本人が経済的にも痛みを感じる仕組みが避けられないのではないか」。ここまでくると、ナチスの「義務としての健康」そのものです。

 生活習慣病にかかること、慢性的に治療が必要になること、介護保険サービスを遣う必要が生じること、それらを一個人の責任に帰していいものなのだろうか? それが、「安心を保障する医療保険や介護保険」の保険者の姿勢でよいのだろうか?
 本当のところ、今の予防メニューを勧める自信はあまりない。

(3) お年寄りは何処へ行くのか?
 文末「資料」は、本市での事例を元に作成したモデルケースである。
① 確実に保障されていない「虐待防止」システム
  本事案において、ネグレクトが生じた原因は、借金のため、娘Rさんが一日中働かざるをえない状況にあった。意図してネグレクトしたのではなかったにせよ、十分な介護が行われなかった事、介護認定等必要な手続きのための面会を拒否した事、サービス勧奨に応じなかった事、などから、ネグレクト事例と判断したものである。そのまま放置の状況が続けば身体上の危険が増大すると判断し、「やむを得ない場合の措置」を行った。
  このケースにおいては、高齢者虐待防止法に規定される居室の確保を行ったわけであるが、実際には老人福祉法に根拠を持つ行政措置なのであり、さらには、Qさんはいずれ介護保険法に規定される給付をベースに施設での生活を送る(養護を受ける)ことになる。
  虐待のための専用シェルターが用意されているわけではなく、特別養護老人ホーム等の社会福祉施設が本来持っていた「公共性・公益性」において、当該施設は市の措置を受け入れなければならないという仕組みになっているわけである。
  そこにおいては、
  ○定員超過の免除
  ○人員配置基準超過の免除
  ○入所判定委員会の省略
 のほか、感染症等のこれまた「やむを得ない場合」を除き、「市の措置を拒否することはできない」という規定がある。
  一見、法的な保障は十分に見えるが、そうそう分離等の手段が行使できるものではない。それは何故か?
 ア 最終的には介護保険を利用した入所になるわけで、本件のように経済的な問題を抱えているケース、経済的虐待を行っているケースなどでは、いずれ利用者負担の捻出困難に陥る。
 イ 措置を行う際の費用は全て、市町村の持ち出しとなる。(そのため、介護保険を活用してもらう必要が出てくる。)
 ウ 家族との分離は現在のところ最終通牒に近く、虐待認定後、家族への協力(面会、帰宅)が望めないことが多い。「養護者の支援」と法には謳ってあるが、虐待者を含めた家族再生プログラムなど先行諸国に見られるような具体策に欠ける。そのため、分離後、家族関係が完全に壊れてしまうというケースが多々見られる。
  今後、この問題については、専用のシェルター、介護保険とは別課題としての整理、財源をどうするか、等の検討が必要であり、よりよい方策を生み出していかねばならない。
  しかしながら、もっと大きな問題は、見守りと発見、介入のプロセスにおいて自治体の格差が大きいことである。昨年県内の某市役所(当市と同規模)の高齢者担当係長が、「ウチでは、高齢者虐待は一件も起きていない。」と発言したのには、開いた口が塞がらなかった。包括支援センターの活用や措置制度の運用など十分ではない所が多いように思う。お年寄りは虐待から逃げることも出来なくなるのか?
② 介護保険サービスに住民が期待したもの、期待するもの
  本件における虐待者当事者Rさんに、施設の負担金が幾らか知っているかと聞いた。
  「10万円くらいかかるのでしょう?」との答えであった。
  この世帯の場合、Qさんが△△園に住民票を移す事で別世帯になったとして、
    サービス1割負担の高額上限15,000円(月)
    食費             390円(日)
    ホテルコスト         320円(日)
  30日として、36,300円という負担上限になる。
  Rさんにその事を言うと、「今はそれでも負担がきついが、そんなに安く済むとは知らなかった。」と驚いていた。
  2000年の法施行で一番助かった利用者は、法施行以前には応能負担のためにサービス利用を手控えていた所得者層の人たちではなかったろうか? 応益負担へのシフトチェンジにより、それまで「利用したくてもとても手が出ないくらい高いため利用しない」人たちが、確かに介護サービスを利用しやすくなったことだろう。
  恤救政策を発端とする我が国の福祉施策は、低所得者向けの施策体系を持っていた。一方で、高齢者の介護という問題については、低所得者に限らず、全ての人々に起こり得るリスクであり、誰もが使いやすいシステムとして、介護保険制度を導入したわけである。
  結果として、国が思った以上に施設希望者が増え、各施設の待機者が減らなかった現実がある。筆者は、「介護の社会化によって、姥捨てのお墨付きが出たのと一緒だよね。」などと酷い事を言った覚えがある。
  先述のとおり、2005年には利用者負担に一定の応能負担を適用することになったので、施設入所に関しては、再び高いハードルが横たわることとなった。
  一方で、在宅サービス支給限度額配分は一度たりとも引き上げられず、介護保険財政の多くを施設介護が占めている構造に変わりはない。
  8頁の表は、2006年に筑後市地域包括支援センターが実施した「居宅サービス利用者の介護者」の意識調査である。これを見ると、居宅サービスを利用していても、介護者のストレスはあまり軽減されていないことが分かる。
  「脱施設」という考え方は、大いに結構であるのだが、利用者のみならず、家族に対するレスパイト支援など、そういった援助も含めての介護サービスの普及を目指し、「社会全体で高齢社会を支えるシステムを構築する」のではなかったのか?
  次期の老人福祉計画(介護保険事業計画)の策定指針においては、「施設は重度者のためのもの」という事が明らかであり、参酌標準という縛りにおいて、今後の施設開所は絶望的な状況である。
  最悪なのは、所謂「居住系サービス」に置き換えていくという国の方針である。高専賃、有料老人ホーム、グループホームなどが当市のような地方都市でも乱立する状況というのは、筆者には納得のいかない事である。
  これらの居住系サービスにおいて、ホテルコストや食費等については、軽減措置は全くなく、Rさんが言うような「10万円くらいかかるのでしょう。」という高価格の老人居宅になっている。そして、これらは、本質的な意味で、施設(老人ホーム)とは性格が違うのである。10万円の負担がそのまま「終の棲家」であることを保障してくれるのか、甚だ疑問に思われる。ところが、住民の側からすれば、「あれは、老人ホームである。」との勘違いがあるのだ。結果として、高い負担でも契約をしてしまう、最終的には、「思いと違った」ということも多々あるのではないか? 北欧型のような居宅サービスでの社会保障の充実は困難であるから、とは言うものの、今後の高齢者の生活が賃貸マンション主体です、とするのでは、一部の人間にのみ利用可能な基盤整備であるとしか思えない。
  そうした意味で、保険者が主体となった地域密着型サービスの積極活用という事についても、疑問を投げかけたくなる。「とても綺麗なグループホームが出来ました。筑後市の被保険者だけが使える地域の財産です。今後の認知症老人介護の中核です。」と、そう位置づけたとしても、経済的な負担や提供されるサービス内容の格差など、居住系サービスの抱える問題をどうするか、まだまだ課題は大きいと思う。現実に、Qさんの選択肢として、認知症対応型共同生活介護については、Rさんは選ぼうとしなかった(選べなかった?)のだ。今後、保険者がどこまで裁量できるのか、地域内のニードに真に応え得るのか、住民に安心の介護の「機会」を保障し得るのか、筆者はとても疑問に思うし、懸念を抱かずにはいられない。


(資料)

☆要介護者のサービス利用の有無と、介護者のストレス、悩みの有無の関係

(問4)現在、要介護者は、介護保険サービス、福祉サービス等を何かご利用されていますか? (問8)現在、あなたは少しでもストレスを感じていますか?また、介護に関して悩みを持っていますか?
①はい
②いいえ
③無回答
合  計
人数
(人)
割合
(%)
人数
(人)
割合
(%)
人数
(人)
割合
(%)
人数
(人)
割合
(%)
①利用している
148
86.5
22
12.9
1
0.6
171
100
②利用していない
43
70.5
18
29.5
0
0
61
100
③わからない
0
0
0
0
0
0
0
0
無回答
13
86.7
2
13.3
0
0
15
100
・②サービスを利用していないと回答した人の中で、問8②いいえと回答した割合は約3割と、①利用していると回答した人よりも高い。これは、ストレスや悩みがないから、サービスを利用しなくても良いとも考えられる。
・しかしながら、サービス利用の有無にかかわらず、ストレスや悩みがある介護者の割合が高いことから、サービスを利用するだけではストレス解消や悩みの解決にはならないと考えられる。

2. オールタナティヴストーリー(語られなかったセンター次長の講演)

(1) 誰のための社会保障制度なのか?
 高齢者をめぐる医療や介護の制度は、その人のみならず、それを支える養護者・介護者にとっても、大きな影響がある。最終的にはクライアントをどうしたいのか、ターミナル期まで、自宅で暮らさせたいのか、やはり施設入所の方が安心なのか、そうした一人ひとり各家族における選択と、それに応えていく社会的責任の再認識が必要だと思う。
 ゴールドプラン作成の頃には、高齢者問題の社会化の過程において、他人介護に対するスティグマの克服等の議論をしたのではなかったのか? ホームヘルパーを居宅サービスの中核と位置付け、専門職としての確立を企図したのではないのか? 「絶対的な安心を保障する」という供託において、住民に負担をしてもらうコンセンサスを得たのではなかったのか?
 もう一度、最低保障の話をしようではないか。 平等に公平に機会が提供される水準の議論をしようではないか。

(2) 20XX年の楽観的予測(未来新聞より)
○子育て支援の充実により、少子化に歯止め。「やっぱり児童手当の大幅拡充が効いた。」「大学卒業までを育児とする英断が良かった。今後の高齢者に関する問題にも明るい見通し。」
○居宅介護に税法上の特典。「子の責任として」という我が国における支配的な考えに応えるため、直接税における扶養控除を大幅に拡大した。同居であることが絶対の条件。高齢者扶養については、かつて例をみない控除額となった。一方では、「介護の現金給付を実質容認した。本当に面倒をみているか疑問。子どもやお年寄りのために本当にお金が使われているか疑問だ。」との批判も。
○医療現場、介護現場における人材離れにようやく歯止め。国は、実に○○年ぶりとなる医療報酬アップの改定を行った。先年の介護報酬増額改定と介護保険支給限度額の見直しに加えての今回の改定である。「ようやく必要なサービスが提供できるようになった。辞めていった看護師や介護福祉士が帰ってくる。」とは、病院経営者の談。

(3) 財源論(まとめにかえて)
 社会保障財源の確保については、選挙ウンヌンのことは抜きにして、本音の議論をすべきである。そのためにこそ、最低保障の議論を今すぐにでも始めなければならないと考える。
 住民に負担を強いること、「給付費抑制」を謳いながら住民の側に財政負担をシフト替えすること、医療や介護の質を落とすこと、サービスの機会を保障しないこと……。
 そういう形での「改革」とやらはもう沢山である。