【自主論文】

第32回北海道自治研集会
第Ⅲ-①分科会 都市生活とまちづくり

歴史に学び未来につなぐまちづくり
~地区計画の取り組みから~

北海道/宮の森の環境を守る会・世話人 秋山 眞澄

 昨年10月、札幌市第3回定例市議会において「宮の森緑地北地区」地区計画が採択され、条例化・施行された。市内で2例目となるこの市民発意の「地区計画」を達成した経緯と、これに伴うまちづくりの取り組みについての経験を報告したい。
 隣地のガソリンスタンド閉鎖後に告げられた高層マンション建設計画。ここは山並みを望む幹線道路の交差点で、「1つ建てば次々に高層マンションを呼び込み、コンクリートの壁が連なる街になってしまいかねない。眺望を損なう高い建物は到底受容できない」と住民集会で一致し会が発足した。会報の発行で情報の共有を図り、地区計画の学習会を重ねる一方で、建築主に対しマンション説明会を繰り返し求めた。住環境を守る熱意が通じてか10階建てから6階建て案へ設計変更が示され、地権者であるマンション建築主も地区計画に同意した。結果、この要の土地を含む4ブロック3.7ha(地権者数100人弱)に市民提案で15mの高さ制限をかけることが叶った。安全を最優先する工事協定を、施主・施工会社・町内会・宮の森の環境を守る会の連名で結び、近隣協議会を週1回から月1回と定例化し建物完成までの1年間強、開催した。
 アンケートで地域の声を集め、「コンサート」や「宮の森昔がたり」の集いをシリーズで催す等、地域の歴史の再発見と人の輪が拡がる好機となった。町内会の支援も得られる様になり、周辺の大規模建築計画等にも多大な影響を与える前例となった。

1. 地域の歴史と現況

 この地域は、都市にありながら山並みを望む北海道神宮風致地区を擁し、自然景観に恵まれている。昭和40年代に「三角山採石」問題が生じ、地元町内会が中心となり「三角山を守る会」を結成、採石を止め「自然歩道の整備」と「採石跡地の緑化」着手を勝ち取る市内初の自然保護運動があった。これについては10年前に発行された宮の森明和会「50年記念誌」に詳しい。
 1985年、高層マンション建築ブームが、戸建て低層の宮の森の住宅街にも押し寄せた。当初3階との触れ込みが実は7階建てと知らされ、驚いた住民は「宮の森の環境を守る会」を結成し反対署名活動を展開。市に陳情し、市議団がバスで現地視察に訪れ、建設委員会で審議・調整の結果、5階建て(軒高14m弱)に変更されると言う譲歩を引き出した歴史がある。
 さて、その後、会の活動が休止しバブル経済を経て、要の交差点に立つと見渡せる範囲に6階建てが3棟、少し離れて15階建てが1棟際立つようになった。以前、用途地域は8種類で北1条宮の沢通沿いのこの辺りは「第二種住居専用地域」であったが、1996年の用途地域の変更で12種類となった際、同じ土地が「近隣商業地域」に変わった。建蔽率、容積率を満たせば高さに制限は無いと言うが、これに接する風致地区は高さ12m乃至は15mに低く抑えられている。

2. 会の発足とその活動

(1) 宮の森の環境を守る会の発足
 10年程前、隣の個人宅跡にガソリンスタンドが建つと聞き、私は不安になって役所に相談したが法的に問題無いと対応された。営業時は生ガス臭に悩まされたが僅か9年で倒産。廃油ドラム缶やバッテリー、廃タイヤ等危険ゴミが野積みのままで、管財人を捜し当て撤去させた。
 直後、不動産会社が購入し更地にするためにガソリンタンクを解体する工事初日、爆発炎上し死傷者を出す惨事となった。原因究明されぬまま工事を再開した10月、高層マンション計画を打診された。地域の住環境に配慮し10階(実質11階)に抑えたと言うが、細い道路1本挟んで風致地区が広がっており、山並み景観を遮る物はこれからも建たない。計画建物は、幹線道路の交差する坂の上に"眺望を独り占め"する高さ34mのコンクリート壁となることだろう。
 2004年11月3日、この建築計画に対応すべく近隣に呼びかけ、初めての集会を持った。「宮の森の環境を守る会」の名称を継承し、代表者を置かず複数の世話人の合議で進める新たな会として出発した。

(2) 情報収集
 地区計画の市民提案制度に取り組んだ「まちづくり協議会南円山6条」を新聞で知り、宮の森「まちづくりセンター」で会報コピーを入手し、代表者の入江さんに連絡をとり講演開催。
 入江さんより紹介された市会議員を通じ、高層建築紛争や景観に関わる担当課長と、行政の及ぶ範囲や仕組みについて面談し、用途地域や風致地区の変遷関連資料を得た。

(3) 地区計画提案制度学習会
 11月11日、都市計画課と緑の保全課の担当6人が地元に出向き、地区計画について説明会を持つ。マンション説明会(建て主側主催)と前後しながら2006年2月までに計7回学習会を開催。地区計画は、0.5ha以上の範囲で地権者3分の2以上の同意があれば市民提案できるが、決定を得るには100%の同意(署名捺印)が必要と言われ、とうてい不可能に思われた。
 街区の1番高い建物の高さを基準にする案を助言され、この土地の現状は「青天井である」と言われたが、地域住民は、それを理解できなかった。古くからの居住者は、以前の町内会長から「この辺りは風致地区なので、厳しい制限が掛かっている」と教えられて来たそうで、一体いつ風致地区からはずされたのかと言う疑問が出た。市から風致地区を示す古い地図を送ってもらい、昔、一帯を所有していたお宅に出向きこの地図で位置関係を調べたが不明確だった。

(4) 「宮の森の環境を守る会」のアピール看板設置
 マンション建築紛争について書かれた本を乱読したが、建築基準法は建てる側の味方であり、法に則って建設を止める方法は無さそうであった。「本気で向き合う覚悟を示すことが肝心」と経験者より立て看板の製作を仲介され、ステンレス製看板を3枚注文。冬空の下、幹線道路に面してしっかりと設置し、以後、会報などを掲示し続けて現在に至る。

(5) アンケート調査実施し結果を公表
 この高層マンションの影響、例えば電波障害などは想像以上に広い範囲に及ぶようだ。そこで先ず、この建築計画に対する地域の声を集めてみようと考え、有志の手でアンケート550部を配布し数日間で半数以上を回収した。アンケートには、地域の安全と住環境の保全を願い、建物の高さについて再考を促す意見が多く寄せられた。その全ての意見をコピーして幹線道路沿いの掲示版に貼り出した上、冊子にまとめて回覧した。

(6) 建築計画説明会
 11月24日、建築計画のお知らせ看板(地上10階地下2階、1月下旬着工予定)が設置され、これを受けて説明会の開催を求めた結果、12月5日第1回建築計画説明会が開かれた。
 本社に手紙を出し上京して社長に面談した結果、第2回説明会以降、この計画の最高責任者である支店長が出席するようになった。地域の願いをその都度文章化して会社宛に送り回答を求める繰り返しの中で、遂に6階建ての大幅な設計変更案が示された。そこで、冬季凍結する交差点角の歩道にロードヒーティングを要望し受け入れられた。落氷・落雪による事故を防ぐため幹線道路に面するバルコニーを全廃すると共に歩行者の安全を考え工事中の歩道占拠幅を減らし工事をし易くする為、道路境界線から1mの建物の後退案も了承された。

(7) 工事協定締結
 高さは大幅に下がったが容積率と戸数は変化無く、当初4棟であった建物が6棟に増え隣地にとっては却って圧迫感が増した。しかしながら、高さが20m弱となった変更の意義は評価すべきで、「工事協定締結」を条件に止むを得ず了承する形となった。
 協定書の文言を相互で検討を重ねた。道路の使用許可の際、通学路の安全を優先するように担当の警察署交通課に事前相談し、小学校で開かれるスクールゾーン実行委員会にも出席し、経過を説明し子ども達の安全を担保するために協力を求めた。この会合には前町内会長が連町会長として出席され、警察署から発言するよう助言されていた私の発言を、「建築紛争にまつわるものだからこの場に相応しくない」と制する場面もあった。
 施主・施工の担当者と地域住民が向き合い協議することで地域の安全が守られる。協定書に基づく近隣協議会の開催は、工事開始より1年間あまり全22回に及んだ。厳冬期間の工事休止や、工事車両の出入時間等の些細な変更が、事前協議によって確認され協定が遵守された。

(8) 文化活動
 「宮の森あったかコンサート」と名打ち民族楽器や三味線の演奏会を催した。「宮の森昔がたり」は、年配の方々が子どもの頃の思い出を語り合う集いで、童心にかえったかの様だった。見慣れた三角山に世間を揺るがす歴史が刻まれている事も知った。少し時間を遡るだけで、山や川の自然の恵みが身近に溢れていたそうだ。時に大学生や中国人留学生の参加もあった。山並み景観ウォッチングは、自然の風景とコンクリートの差異に愕然としつつ、みんなで楽しく歩いた。植樹ポットの「カミネッコン」製作は、発案者に直接指導を受け、無心で取り組んだ。

3. 札幌市全域に絶対高さ制限

 2005年夏、西区、中央区の説明会に参加、都市計画審議会にパブリックコメントを提出した。幹線道路沿いを城壁の様に高密度利用することを想定しているが、遅れたクルマ社会的発想では商店街は成り立たず、結局高層マンション林立を招き、中通りの住民たちは谷間に暮らす格好となる。山並み景観を保全する目的で地区計画を達成した南円山6条地区で、南側の隣接地に眺望をふさぐ大きなマンションが建ってしまった実態もその一例であると思われる。
 当地域の北1条宮の沢通沿いは高さ制限で27m迄と決まった。12m乃至は15mの高さ規制のかかる風致地区に接しており、この落差は大きい。地元町内会でも高層マンションを建てる側に(最高限度を基準とする)お墨付きを与えかねないと懸念し、要望書を出したそうだが反映されたとは言い難かった。これを補完するものとして地区計画提案制度があると説明された。

4. 地区計画の達成(※資料地図参照

 当該マンションを含む交差点を中心とする4ブロックを一塊とする地区計画の具体化に入った。
 改めて地区計画の担当者を招き、再度、学習会を開き該当区域の地権者対象に意向調査を開始。居住者=地権者ではないので、法務局に出かけ登記簿の写しを入手(地域住民プライバシーに関わるのでアルバイトに依頼)、計9人の提案者が中心となって意向調査を進めた。非居住地権者へは趣旨説明文と共に調査用紙を同封し、郵送で意見の集約に努めた。共同住宅居住者には面談できないケースが多く難儀した。戸建て住民の大半は、「3階建て高さ10m未満が望ましい」と回答してきたが、既存のマンション3棟とも6階建て(最高位24m)なので困った。
 市の担当者の助言を受け、既存不適格建物を認める表現と、商業用の広い土地は特例を設けることで該当者が納得できる案にした。同意率が8割を超え、2006年5月18日ようやく市に素案提出できる運びとなった。9月の事前説明を経て11月に決定・告示、更に条例化は翌年10月末で、2004年11月に地区計画提案制度の学習会を始めてから、丸3年かけての取り組みであった。

5. 支援・助成

 1年目には区のまちづくり活動支援を求め申請したが、区長が「不適切である」と判断したため却下され、その理由に納得できず質問書を届けた。市の「都市計画マスタープラン」には「地域住民の主体的活動を行政が支援」「地域住民の自主的なかかわりの重要性」と明記してあるにも拘らず、当会の活動が「経済的利害関係に及んで」おり「反対運動である」と決め付けられ、非常に残念な思いを味わった。後に、NPO越智基金の市民活動助成を受領でき大変助けられた。
 市の担当課には何度も往来したが「助成制度があるので申請したらどうか」と言う話は一度もされなかった。素案を提出する間際になって、市の「まち並み景観形成活動補助金」を申請し、やっと定額助成が決まった。但し、地区計画提案を前提とする助成のため、翌年は「提出した時点で活動はほぼ終了」と判断され、3年が目途のこの助成の対象になれたのは1度だけであった。

6. 町内会との関係

 前会長が「気をつけて工事するように言ってあるから大丈夫」「建てる権利があるので、反対する側に立っての説明会の強要はできない」「訴えられて賠償する羽目になった所もある」「町内会はどちらの立場の人も居るので特定の立場には立てない」等とこの問題から距離を置かれたことで、却って自主的に活動することができた。
 マンション・ディベロッパーは一時土地を所有するだけで居住せず後々迄の責任を負わない故、売り逃げと評される。また一般的にマンション居住者は近隣関係に関心が薄い点、コミュニティの存続と言う側面からも、町内会はどう対処していけば良いのだろうか?
 20年前の「宮の森の環境を守る会」代表だった方が新しく町内会長に就任し協働し易くなった。また、例年、助成金を頂き励まされて来た。当会の会報や行事の案内は町内会の負担で1,500戸に回覧されており、老人会の文化部で地区計画について講演する機会も得て実に有り難かった。約70人の会員が支えるこの会の活動は、地域に充分認知されて来たと自負している。
 地区計画が条例化された後も「宮の森の環境を守る会」の活動は続いている。もしも、あの高層マンション計画に遭遇しなかったなら、地域の魅力ある人々との"出会い"も無かったと思う。粘り強く、できる限りの努力を重ねる中で、障害が1つずつ解消されて行った。ようやく成し遂げたと言う達成感は大きいが、地区計画そのものは決して目的ではない。足元の問題を市民自ら解決していく過程で、地域の力は高まり互いに信頼し合える良好な関係が育まれていった。コミュニティの復権と言っても良いだろう。人生観が変わるほどの貴重な体験であった。これからは、歴史を振り返り先人の働きに思いを馳せ、子どもたちの明日へと繋いでいくことを願っている。


資料1