私の妻から見ると、なんと愚かな夫であろうと思っているでしょう。
あとわずか1年なのに、部長にまでなったのに、私たちの生活はどうなるの? と顔に書いてあり、その顔を毎日眺めなければならない私は、昔なら布団をかぶって泣いたに違いないが、ところが今の私はちがう。胸を張っての早期退職である。
私は土木技術者でもないのに入所と同時に土木関係に配属され、ポールを持って毎日測量の手元仕事として働き、田畑を走っていたものです。そのうち現場監督をさせられるようになり、資格もないのに監督をすることが恥ずかしいため、独学で猛勉強し国家試験をとりましたが、その時はすでに入所から十数年たっていました。
ようやく落ち着いたころ、当時の新市長から秘書の仕事の打診がありましたが、高校時代から陸上をやっていた私は、秘書の仕事を断るため、「教育委員会の体育課なら行ってみたい」と言ってみたところ、春の人事異動で体育課に配属させられました。土木技師が事務職に配属されるのは、初めてのケースでした。
今考えるとこの異動が、そして教育委員会での仕事が私の人生を変えたと断言できます。土木技師では考えられない、多くの市民団体、ボランティア団体とのコミュニケーションがあり、楽しい交流があり、私の気持ちは大きく変わっていきました。
5年間でまた元の土木関係に戻されましたが、ひそかな努力で、10年を経てまた教育委員会に舞い戻りました。その時わたしは既に50歳を過ぎていました。
しかし昔得た気持ちは新鮮なままムラムラと込み上げてきて、NPO、農家民宿、まちづくり会社等、寝ていても仕事に行っていても頭の中はそんな事ばかりを考えるようになりました。その時、いろんな資料や、テレビの報道を見る中で「答えは長野にあり」と自分なりに悟り、休みを利用して長野県縦断を計画し実行してみると、見れば見るほど、聞けば聞くほど、今自分にできることは何かという思いに駆り立てられるようになりました。一年中イベントをしている長野県飯山市など、まちづくり先進地の視察や、書物を買い、テレビでのそれらしい番組を録画し、日夜勉強するようになりました。勉強するにつれて、「まちづくりは行政ではできない。市民が立ち上がり、行政を動かさなければ」とだんだん考えるようになり、退職3年前に、妻に自分の夢について話をしてみました。
その時はまったく聞く耳を持ってくれなかった妻ですが、しかしチャンスはあるもので、妻が家の事情で1年早く退職することになりました。妻は1つ年上なので次の年が私の退職1年前となり、同等の立場で話ができる状況となったため、家族会議を開き早期退職OKにこぎつけました! 身体がフワーと浮き上がるような、この時の気持ちは今でも忘れません。そこでわたしは、妻の気持ちが変わらぬ間に、すぐに退職願を出したのです。
が、世の中思うように行かないとはよく言ったもので、退職直前の3月に職場に不祥事があり、上司として処分が下り、給料は減らされ妻の顔がゆがみ、予定されていた送別会はなくなるは、私の夢見ていた退職とはまったく違ってしまって地獄に落ちた感がしました。
しかし、最後の日に市役所の玄関を出ると、大勢の職員が別れを惜しんでくれて、体中から炎が燃えるのがひしひしと感じ、やる気がおきてきました。
そんな気持ちを持って家に帰ると、妻が「長い間お疲れさんでした」と言ってくれて、にっこり笑ってくれました。ですが、その直後、「もう苦労しないで家にいなさい」と言われ。ガックリ!……
しかし、私はしつこい。負けない。
今まで準備していたNPO認証申請が最後の段階まできており、県で何回も事前審査を受け、4月の終わりにはようやく設立総会を開くことができました。
これで、第2の人生のスタートをきることができたわけです。
さて、ここでNPO設立趣旨を紹介します。
(1) 背景にある社会経済情勢およびその課題や問題点
少子高齢化が進行する中、地域間格差がますます大きくなってきている。
このような状況を打破し、地域の活性化を図るためには、若者が住みたくなる地域、活力のある地域、特色ある地域を目指さなければならない。そのためには市民自治意識の向上と地域への親しみや愛着を育てる必要がある。しかしながら、市民一人ひとりの意識改革を行うことは容易ではない。そこでこれらの課題を克服していくためには何らかの支援体制を整備する必要がある。
(2) その課題や問題点の解決策または将来目標
このようななか、2004年には「わくわく体験学習推進隊」(※)が設立され、これまで自然観察会、カヌー体験、門松作り、雪上そり、雪上ウォーキングなど、地域の特徴を活かした活性化に向けた取り組みを行ってきた。この活動はこれまでの殻を破った新しい取り組みであった。今後さらに若者や、団塊の世代の専門知識による広域的な連携が必要である。こうした取り組みは広域的に地域のPRにつながり修学旅行の誘致など市の活性化に結びつけていくことができ、さらに新しい発展の糸口が見つかると考える。
(※)「わくわく体験学習推進隊」設立趣旨の要約
勝山に生活する私たちは、先祖の長い長い生活体験から生まれた知恵と工夫の心、勝山の自然環境から来る様々な制約に負けることなく強く生きてきたその心、このすばらしい生活の知恵や工夫と心を、後世に伝えていくことが私たちに課せられた大切な仕事だと思います。それらは体験させてこそ伝えられるもので、頭で覚えるものではないと思います。 |
各種団体の体験活動の連絡調整をし、これらをまとめて世話をしていくのが自然体験学習課であり、今後応援を頂きたい各種団体の連絡調整をしていくために「わくわく体験学習推進隊」を設立することに至りました。
※ 資料「平成18年度わくわく体験学習推進隊活動報告」を別途添付。
(3) 法人の設立の経緯や動機または法人格が必要となった理由
上記の問題点を解決し確かな支援活動を行うには、現在の任意団体の形態では限界があり、組織・会計・財務面等を確立した法人として活動していくことが社会的信用と賛同をより得られるものと考える。また活動の趣旨からも特定非営利活動法人の法人格を取得し、広く着実に社会に貢献する事業を展開していきたい。
(4) 営利を目的とせず、不特定・多数の利益に寄与する説明
勝山市が設定している「白山文化交流都市・恐竜王国勝山」とリンクさせ、恐竜化石発掘が全国1位である恐竜をメインとし、福井県が立案したダイノソーバレー構想とタイアップし恐竜王国福井、恐竜王国勝山をアピールできる事業展開と共に、広くまちづくりへの企画提案や他事業への参画も行っていく。
また公共施設の管理・運営事業等も視野に入れ活動する。
(5) 法人設立の意思表明・決意 特定非営利活動法人として、市民に支持され、市民と一体となった組織を目指し、勝山市の活性化に役立つよう、持続的に活動していく。
以 上
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最終目標は「勝山をブランドに」を掲げ、まずはできることからやります。
まちづくりは「一夜にしてならず」、しかし全市民全員が同じ目標を持てば、そして行動を起こせば「一夜でできる」と信じています。
まちづくりには欠かせない「若もの」「よそもの」「ばかもの」の三拍子そろった、13人の会員と、今から本格的に力を合わせ、わがまちをブランドに仕上げていきたい。このNPOは単なる仕掛け人であり、これから市民と行政と一体となり行動しなければなりません。
まちづくりをするのは人です。
人生は人との出会いで変わることを実感し、これからも人との出会いを大切にして地域に少しでも貢献できたらと思っております。
これが私の生涯の仕事です。妻よ、よろしくお願いします。 |
人生「笑顔」が一番
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福井県 勝山市職員組合 自治研部長 今井 悦子
還暦とは、干支、つまり十干十二支が一巡し、起算となった年の干支に再び戻ることであり、ライフスタイルの見直し、現役引退、第二の人生などを考えるにあたり、自分の起点に戻ってみるという意味のようにも思える。
当市では、満60歳の年度末に定年退職される方が多いが、それを待たずして退職される方も少なくはない。事情は人それぞれで、それぞれに思いを抱え、桜咲く少し前に、部下や同僚の拍手で見送られていく。
今回、私がこの地方自治研究全国集会でみなさんに紹介したかったことは、この春、41年の勤務を終え退職された我々市職の先輩、上田さんの地域と自分に対する「CHANGE&CHALLENGE」である。
わがまち「かつやま」は、霊峰白山の麓に位置し、豊かな自然に恵まれた、そしてやはり多聞に漏れず、高齢化と少子化を抱える人口約27,000人都市である。市では、2002年策定の「第4次勝山市総合計画」で、『豊かな自然との共生のもと「ひと」を大切にする参加と交流の「まち」づくり』を基本理念に、未来の都市像を「白山文化交流都市・恐竜王国勝山」と定めている。
ここで、「恐竜王国」とあるのは、手取層群の一つ、当市北谷町杉山という地域で、1988年に一億二千万年前の肉食恐竜の化石等が発見されて以来、この地域一体が全国でも貴重な恐竜化石の宝庫としてクローズアップされ、その後も発掘は続き、2000年に福井県立恐竜博物館が開館、2006年6月には入館200万人を達成、2007年には日本初の恐竜の皮膚痕化石が発見され話題となったことなどを根底にしている。
この福井県立恐竜博物館の周辺には、「かつやま恐竜の森」という総称で公園やバーベキュー施設等が整備され、保育園や地域の子供会などにも多く利用されているほか、終日親子連れや観光客で賑わいをみせている。また、当市特有の「恐竜クロカンマラソン」のコースにもなっており、毎年多くの参加者を迎えている。イベントとしては、化石発掘体験が人気で、2003年10月に全線開業した「えちぜん鉄道」でも人気のツアーの一つであり、毎回定員以上の申し込みがあると聞いている。(図1)
上田さんは、教育委員会在職中に前述の「自然体験学習課」の初代課長を務められ、自然との共生をまちづくりに活かしたい、体験することで子供たちに学び取ってもらいたいと強く思われたそうである。退職前からの夢であった「かつやま恐竜の森」の充実と活用をはかり、それによってまちづくりを推進し、更には「恐竜王国勝山」をアピールできる事業を展開するため、このたび、上田さんのその意欲に賛同し、その実直な人と為りに参集した13人の正会員と「特定非営利活動法人 恐竜のまち勝山応援隊」を旗揚げし、出航に至った。現在は、6月6日付け県報にて登載され、縦覧期間中である。
さて、その旗揚げまもなく、今年のGWには、4月26日から5月6日までの間に42,039人が恐竜博物館を訪れ、かつやま恐竜の森で楽しいひとときを過ごした。が、うれしい悲鳴と表裏一体にして、祝日の交通渋滞が問題となっている。「活用」とは総合的に有効であることを目標としているため、更なる地方自治発展のためにも、今後抱える問題も少なくはなさそうだ。
私も実際、5歳と2歳の子の親として、また、このわがまちの一員として、豊かな未来を子供たちに与えたいと常々思う。これから上田さん達が、どんなワクワクするマジックを披露してくれるのか、とても楽しみである。そして子供たちが大人になったとき、そのマジックの種が、暖かく心の中で明かされるといいな、と期待してやまない。
(図1)※この広告の掲載については、えちぜん鉄道㈱に了解を得ています。 |
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