【自主レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅲ-②分科会 地方再生とまちづくり

新たな時代に対応した、京の地場産業の活性化


京都府本部/京都府中小企業団体中央会職員組合・執行委員長 佐々木克己

1. はじめに

 中小企業協同組合は、中小企業が苦手とする人・もの・資金・情報などの経営資源を相互補完する経営者の組織です。
 形態別に事業協同組合、商店街振興組合、生活衛生同業組合、企業組合、商工組合などがあります。これらの協同組合を支援するために各都道府県に設置されているのが、私たちが勤務する中小企業団体中央会です。
 京都には、丹後ちりめんの産地にある丹後織物工業組合や西陣織産地の西陣織工業組合などをはじめ数多くの産地組合があります。
 地場産業は、特定の地域に集中し、その地域の文化や自然と深く係わり形成された産業です。地場産業をまとめる組合を中心に工程や技術別に協同組合があります。西陣織は、大産地であり、様々な製造工程や技があるため、分業化が進み、工程ごとに専門化されています。それぞれに協同組合があり、関連組合を併せると数十組合にもなります。
 京友禅もその工程は専門化され、下絵から染色整理まで少なくとも20工程以上あり、それぞれに協同組合があります。それに手描き染や型染めなどを加えると30以上の協同組合があります。
 この西陣織、京友禅などの産地が、1973年のオイルショック以降、生産量は大幅に落ちこみ、西陣織の主用品である帯は最盛期には、780万本あったものが、最近では92万本と8分の1にまで落ちこんでいます。同様に京友禅は最盛期の20分の1以下まで落ち込み、地場産業としての危機的状況となっています。永い歴史を持つ西陣織は4世紀から5世紀ころにはあったと言われる古い歴史をもっています。名前の由来ともなっている室町時代の応仁の乱には西陣織があったのです。西陣織・京友禅も京都を代表する文化の象徴であります。

2. 地場産業を支える職人の高齢化と原材料の枯渇

 オイルショック以降からの生産量の落ち込みは、職人や従業員の減少と職人の高齢化にも影響を与えており、西陣織地域をまわり、織機の修理をする方からは、「西陣織の職人さんの平均年齢はおよそ65歳と考えると、5年後には気力、体力ともに落ち、機(はた)を織る人たちは確実に減少する」、職人さんからは「仕事がなく、生活するのがやっと、健康保険の掛金も払えない、病気にもなれない」「子どものときから機織りをしてきたので、ほかの仕事ができない、つぶしがきかない」という声を聞きます。零細・家内工業者である職人の生活が成り立たなくなってきています。職人の高齢化は確実に進んでおり、業界の将来を考えるとますます心配になります。
 また、地場産業の青年部の加入年齢が45歳、毎年のように年齢を引き上げなければ維持できない状況にあります。産地にとって後継者がいないということは致命傷となり、伝統的な技の伝承ができなくなります。
 道具類も厳しい状況です。西陣織の織機の台数は1975年に32,923台ありましたが、2002年には7,676台と4分の1に減少しています。織機を扱う機械屋さんは、「ここ10年近くは、新しい機械は入っていない」と言います。また、手織りに必要な「竹筬(たけおさ)」「竹べラ」「ひ」などの道具類が枯渇し、その道具を作る職人もわずかになったり、いないという状況です。何百年と続いてきた技が、なくなりつつあります。
 最近では、「愛染蔵」や「たけうち」などの和装流通大手企業が相次いで倒産したことによって、和装関係の流通のあり方を大幅に見直さなければならない時期を迎えています。

3. 地場産業を支える職人の芽生えと産地活性化

 地域経済の重要な担い手である地場産業の衰退を食い止めるためには、現状を知り、生産現場の置かれている実態を肌で感じ、対応する必要があります。統計の数字や会議には表れないことが多く、現場に入り、地場産業に携わる人達と共に悩み、考えていくことが求められています。
 そのような中で、実際に支援をした2つの事例を紹介します。
 西陣地域に隣接する商店街であるH商店街は、観光商店街、地元の人達との連携など多くの行事を通じて、地域に親しまれている商店街ですが、消費者ニーズの多様化や大型店の影響によって、空店舗が多く生まれてきています。この空店舗を活用し、西陣織などの職人と商店街が連携したショップを京都府の補助金を得て、昨年5月から今年の2月まで手作りの店としてオープンしました。
 店舗改装では、大掃除から始まり、すす払い、壁はり、ペンキ塗り、トイレの改修などを西陣織や京友禅の職人が週末を利用して行いました。手作りの職人が店も手作りで行いました。
 職人が作った西陣織のバックや手描きの風呂敷、小物類が並べられ、職人がその場で作る実演による地場商品も販売。商店街の商人と職人の連携による、「作り手」と「売り手」の協働が始まりました。最初は、職人たちが店の奥の方で、商品も小さくまとまっていましたが、徐々に前に、職人自らが消費者とじかにコミュニケーションを行ったことにより、商品開発への意欲が更に高まりました。お客として入ってきたおばあちゃんから「孫3人へのプレゼントとして、3人お孫さんの好きな絵入のハンカチを作ってほしい」との商品依頼があるなど、職人の技を生かしたオリジナルの商品がその場で注文され、少額ではありますが、お互いの顔が見える交流ができました。商店街からは、春の売り出し用の垂れ幕の依頼があるなど、わずかですが商品販売について学ぶこともできました。同じチャレンジショップに挑戦した友禅職人から、自ら店舗を開店するなどの事例も生まれてきています。
 職人が、工房にこもって仕事をすることから「街」に出てきたことにより、多くのことを学びとりました。消費者とのコミュニケーションによって変わってきました。目の前で自分のつくった商品が売れることによって、眼が輝き技にも磨きがかかったようです。新しい発想や商品企画や販売にも積極的になってきました。技を残すため、なによりも、疲弊した、モノづくりの原点である作り手を元気にさせる必要があります。
 その後も、商品の依頼があり、販売や体験の依頼に積極的に参加するなどの成果が生まれてきており、今回の商品販売の経験によって、目には見えない大きなものを職人も得たようです。同時に商店街に活気がみなぎり、賑わいの創出や地域住民との新たな連携事業が生まれています。
 もうひとつは、昨年10月頃から、京の型染めの技術をもつ83歳の現役職人を核にした京友禅の技を残すための関連事業や、若者がグループを作り事業展開をしています。
 地場産業は、地域の伝統や自然風土によって、その地方に生まれた古くから伝わる技が数多くありますが、職人の減少によって個人技になりつつあります。若い時からの永年の職業生活によって会得したその技を伝承し、ブランド化する取り組みです。職人の工房見学や職人の仕事感・人生観を知り、商品企画に生かす取り組みです。
 グループでは、趣旨や目的を共通にするため徹底した検討を行った後、デザイン、素材の選定などを行い、素材は絹ではなく木綿を使用することを決め、木綿工房との意見交換で、「どの店に何を売るかを明らかにしなければ木綿は売れない」との頑固な経営者を前に悩み、販売店を探すことから始まった。東京のテキスタイルデザイナーに頼み、5人が東京に行き、流行の最先端である渋谷、代官山などの店の売れている専門店を見学しました。その時、テキスタイルデザイナーから「あなた達は何を目指しているか、コンセプトが理解できない」と言われ、また振り出しに戻った感をもって東京から帰ってきました。資金も不足しており、事業資金をどこから捻出するのか。また、議論を進めると「コトお越し」への理解が様々であることに気付きました。
 そのような時、祇園祭りに職人が作った商品を売るお店として「京都マイスターショップ」をオープンしました。墨流しをテーマに墨流しのうちわ、ハンカチの体験を行い、商品に「てぬぐい、シャツ、座布団」など、色だしや技術の一部を披露することによって、商品が売れました。また、作った商品を売ることの難しさを知ることができ、商品に対する考え方も変わってきました。そしてこの事業がキッカケで知り合った若い女性の映画監督が、京都二寧坂に京都文化を伝える新しいスタイルの店舗へ、職人の商品を提供してほしいとの依頼がきています。その他にも記念品などの依頼があり、技を生かした商品企画をいかに進めるか忙しい日々を迎えています。

4. まとめ

 地場産業は、その地域で生まれたものであり、それぞれの産業が、歴史を刻んできています。永い歴史においては、産業の存亡の危機に何度も直面したことでしょう。むしろ、地場産業は時代の変化に対応した革新の連続でした。零細・家内工業の集合体である地場産業は、地域経済の中核を担っており、その活性化のためにある私たち中央会の役割は、地場産業などの地域内のものづくりから、商業・サービス業等幅広く業種別の動向を把握し、コーディネイターとしての役割を果たすことができます
 地場産業が抱えている"技術"や"人づくり"等については、地域内の関係企業全体が取り組まなければならない課題であり、業界の状況や専門的な知識も必要となります。そのための私たちの努力は必要ですが、机上プランや電話対応だけでは限界があります。現場力が今こそ求められます。中小企業は地域に根ざしています。その中小企業が地域の経済を支えており、その代表が地場産業です。地域の活性化は地元の中小企業から始まります。地場産業は古く長い歴史があり、地域の人たちの生活を支えてきました。しかし、時代の変化と共に生き残るために、商品や職人は変化を求められてきました。技を熟知した職人達は、商品販売の勉強はしていない。いや必要がなかったのです。
 販路開拓、商品企画力、デザイン力などを高め、地場産業の携わる職人にも販売の勉強が必要です。また直接、商品販売することによって、商品に対する厳しい意見を聞くことで、商品が時代の流れに添ったものとなります。特に地場産業は、単なる商品ではなく地域の文化も伝える役割をも担っています。
 この取り組みは、ものづくりの現場から街に、新しい事業を起こす「コトお越し」と、ものづくりの現場と売り手が一体となった商品企画をはじめていこうとする取り組みです。
 最後に、厳しい経済状況においては、地場産業などをはじめとした中小企業を支援する私たちの役割は、「単なる事務屋さんから、現場から学び地元に出かけること」が、地域経済に活力を与え、変えることに結びつくものと考えています。