【自主論文】

第32回北海道自治研集会
第Ⅲ-②分科会 地方再生とまちづくり

~「低迷する農業」から「まちづくりにつながる農業」へ~
"夢耕作人"大募集 「津久見トントンプラン」

大分県本部/津久見市職員労働組合 岩崎 幸弥

1. はじめに(低迷する柑橘生産・荒廃化する果樹園・追い討ちかける鳥獣被害)

 津久見市の農業は、平地の乏しい地域から、山地の傾斜地、いわゆる段々畑を利用したみかん主体の柑橘生産が中心である。
 そして、昭和30年代になると「津久見みかん」は名実ともに全国レベルとなり、価格もよくまさに隆盛期を迎えた。
 しかしながら、昭和40年代頃をピークに、市場価格の暴落以来続く生産の低迷に伴い、農家戸数、農業従事者の著しい減少、また高齢化が進み、樹園地については、耕作放棄地が増加、さらに生産量、生産額においても、年々落ち込んでいる。
 この厳しい状況に加え、いのししをはじめ、シカ、カラス等鳥獣による被害は、さらなる放棄園地の増大につながり、とくに半島部は顕著である。
 それが最近になって追い討ちをかけるように、サルによる被害も加わり、露地もののみかんや桃、野菜等だけでなくハウスの中までと、その被害は甚大。もちろん花火や多人数での追い払いや、さらに人的被害がでれば猟友会等への要請等々、対応を講じてはいるものの、これだという効果的な対策は見当たらないことから、耕作意欲が削がれ、園地を止む無く放棄してしまう。放棄園地はますます増える。増えた放棄園地が鳥獣の隠れ場となりさらに被害拡大、それがより放棄園地の増大につながる……と、悪循環……まさに深刻な状況と言わざるを得ない。


← 江ノ浦地区の被害状況
40~50匹のサルの群れが、防護用の網を破って侵入、果実のサンクィーンは収穫直前に全滅、枝も折られた。

 しかしながら、ただこのまま手をこまねいている訳にはいかない。農地はいったん遊休化すると数年たたないうちに農地性を失い、耕作可能な農地への復旧には多大な労力が必要となる。先祖から受け継がれた果樹園地等が、廃棄園に変わろうとしている中、農業委員会では、農林水産課及び関係機関と連携し、認定農業者等担い手に対する優良農地のあっせん(貸借)等諸施策を講じ、現況の耕作地の保持とあわせて放棄園地の解消を目指している。
 その一つの手立てが「津久見トントンプラン」である。

2. 津久見トントンプランとは


   
をキャッチフレーズにインターネット等を利用した「新規就農者」の勧誘活動で、  

 趣 旨 は、
定年退職者の方を中心に「生きがい」「楽しみ」など就農への呼びかけをし、担い手不足等で耕作できなくなった条件のいい優良な農地を「モデル農地」として紹介し、専門家による耕作指導を行っていく。

 いわゆる「団塊の世代」をターゲットに新規農業参入への本格的勧誘を図り、現況の耕作放棄園地の解消を目指すプランである。

(1) 実施期間
 2004年度から3年間を目途(現在も継続中)

(2) 具体的実施手順
① 「新規就農者」の掘り起こし
 ア 市内に耕作放棄されている「優良農地」の掘り起こし調査及び選定
  a 農業指導員による市内の「優良農地」の選定。
    2003年度末までに収集した優良遊休農地リストを基に、土地ごとの条件(園の状況、付随施設、貸し借り条件)を付した「モデル優良農地」カタログを作成。
 イ 意向調査の実施
  a 「農業始めませんか」の質問用紙を作成
  b 発送する個人及び企業のリストアップ
  c 配布後、回収して新規就農意向への集計を行う。
 ウ 退職者本人や企業等への正式な広報、勧誘活動
  a 実施決定後に選定された「モデル優良農地」カタログをもって「農業始めませんか」の呼びかけを個人、企業に行う。そのほか(広報誌、パンフレット、インターネット等で流す。)
  b 定年退職予定者のリストアップを行い、個別訪問。市外者へも呼びかけ、資料送付。
 エ 農業委員会内に「トントン農業支援」受付窓口を設置
  a 新規就農希望者の勧誘、農業関係資料の閲覧及び情報提供を迅速に行う。
  b 土地の貸し借りの契約受付を行う。
 オ 「新規農業」指導の実施
  a 農業委員会、県農業振興普及センター、農協等による「優良農地」のあっせん、耕作指導を行う。
  b 「農業講習会」及び「講演会」の実施
 カ 「新規農業」指導の実施
  a 農業委員会、県農業振興普及センター、農協等による「優良農地」のあっせん、耕作指導を行う。
  b 「農業講習会」及び「講演会」の実施
  c その他、全般的な農業への技術的なサポートを行う。
② 「放棄農地」への耕作指導
 ア 「耕作放棄農地」の存続について指導。
 イ 「耕作放棄農地」の所有者に対し新品種植栽等の耕作アドバイスを行う。
③ 「放棄農地」への耕作実践(花の植栽等)
 ア 農業委員会による実践的な耕作アピールを行う。「耕作放棄農地」の中でも、普段荒れ具合が特に目に付く農地には、花木等の植栽を行い、農地が荒廃することに、とりあえずストップをかける。
   (例)市役所周辺の山間農地及び高速道路周辺の農地等に、桜の木、菜の花、花桃、バラの花、ひまわりの花等の植栽を行う。

3. 事業の成果

(1) 電話や窓口での受付は、50件超(2005年~)
・市内については、「条件の良い、農地を借りてミカン・野菜・花木等の栽培に挑戦してみませんか」のキャッチフレーズに、農地を借りたい、貸したいで37件あり、主に団塊世代のみかん、また野菜づくりを希望する新規就農者の3人に農地の利用集積(貸借)が出来た。また、担い手である認定農業者に対しても、経営拡大につながった。
・県外また県内については、主にインターネットによるもので、ホームページを見て、遠くから、北海道1、埼玉1、東京2、神奈川2、岐阜1、奈良1、大阪1、福岡5、の14件、県内では、豊後高田市1、大分市1、の2件の問い合わせがあり、そのほとんどが移住を希望している。

(2) 「津久見トントンプラン」による農業移住者"第1号"
・奈良からの新規就農希望者については、電話で問い合わせがあった時に、たまたま条件に合った空き農家住宅及び農地があり、その話をしたところ、すぐ車で来津。すごく気に入ってもらい、所有者との使用貸借契約後、自分で、7年間空き家で廃屋に近い状態だった住宅を、住めるようにリフォームし、昨年(2007年)の11月8日に津久見市に住所を移した。
 「津久見トントンプラン」による農業移住者第1号である。今年4月には認定農業者となり、今は荒廃園だった借用農地を再開拓し、自給自足のための野菜づくりをしながら、自らの夢という「実さんしょう栽培」の準備に勤しんでいる。
(佐藤寛次さん・59歳・下の写真のどちらも左端)


 
農地パトロールの途中に立ち寄り、激励
 
正月に奈良から息子さんが訪れ、お父さん手作りのおせち料理を肴に、まずは乾杯

4. 今後の課題

(1) 空き農家住宅の情報
 移住希望者にとって、農地はもちろんのことであるが、まず衣食住の拠点となる空き住宅があるかどうかである。「アパートでもOK」というケースもあるが、奈良からの移住者のように、ほとんどは住宅の周りに農地があるいわゆる農家住宅を望んでいる。
 本市でも、今年3月に市報で、「売りたい」「貸したい」空き家はありませんか? という呼びかけで、「空き家情報バンク制度」の募集を始めたが、未だ機能するまでに至っていないこともあり、空き農家住宅の情報は全くないに等しい状況。これが一番のネックとなっている。

(2) 農業収入の増加と安定化を図りつつ、地道に農業をやりたい人を求める。
 低迷する農業に一番の特効薬は、何よりも農業収入の増加と安定化である。しかしながら、最近の驚異的な原油価格の高騰は、歯止めのかからない燃料費をはじめとし農家にさらに打撃をあたえている。中でもミカン、イチゴ、花木等のハウス栽培農家への影響は「やりくりも限界、もうやめた」という声を聞いた。まさにさらなる逆風である。
 まずは、農業をやりたいという人は多いはず。地道に声を掛け、ひとつでも耕作地を守りつつ、放棄園地の解消に努めていくしかない。

5. おわりに

 2006年4月に農業委員会に配属され今年で3年目になる。異動辞令をもらい、「さてこの仕事、自分に務まるのかな? 何ができるのかな?」半分不安・半分期待の思いで、とにかく自分なりに早く習得しようと職務に励んできたつもり。
 それが2ヵ月経ってから、職務に励めば励むほど気分が落ち込んでいった。普通なら「まあやっと慣れてきたかな、やれやれ。」と安堵し、「よし頑張ろう」と再び気合を入れるのに、なぜだろう?
 すると、その答えは農業委員会の前会長が教えてくれた。実は自分が小さいときから可愛がってくれた人で、ある日、顔を見せて、「農業委員会の仕事、やってみて、どう?」と聞かれたので、「農業委員会の事務局として、低迷する柑橘生産・荒廃化する果樹園・追い討ちかける鳥獣被害・この現状に、何を、何から、どうすればいいのかほとほと……」と愚痴をもらすと、自分の心を見透かしたかのように「確かにどうやっても光が見えてこない。でもこの農業委員会や行政が今あきらめたら、見捨てたら終わりだ。自分もそう思ってやれるだけのことはやってきたつもり。」と話してくれた。
福岡からの農業体験
 少し気が軽くなった。これからどうするか? とにかく地道に職務に遂行しよう。何か開けてくるだろうと。
 以後、日常の用務に勤しみつつ、トントンプランの問い合わせに対応、資料を送っただけのものが多い中、東京から若夫婦が窓口に訪ねてくれたこともあった。
 また、福岡からは実際に農業体験をしたいとのことで、農業委員さんから、農園や家庭で相談、実地体験等のお世話をしていただいたこともあった。
 でも、移住までに至ることはなかった。出来なかった。
 それが昨年の6月、奈良からあった1通の電話が、移住第1号につながった。



 キラキラした夢一杯の目で話す佐藤さんから、「まちづくりにつながる農業」を目指すための夢と勇気をもらった気がする。