1. 「厳しい」「危機」などの枕詞はもう沢山だ!
「二十一世紀は食糧の時代になる。そして農業は二十一世紀の花形産業になりうる。農業ほど生産から加工、販売に至るまで創意と工夫を活かせる仕事はない。自身、サラリーマンとしてライフ・ワークを誇れるものはほとんどないが、農業はライフ・ワークを誇れる数少ない職業のひとつである。
市町村長や農協組合長など農村の指導者の多くは、口を開けば「農業を取り巻く内外の環境はますます厳しく、まさに危機的状況にある」というような枕詞を述べる方が多いが、それでは、農業を目指そうという青年たちでも「そんなら俺はやめた」ということになりかねない。意欲ある若者を農業の分野から追い出すという逆効果さえもたらしているのである。
指導者を任じる者、指導者の立場にある者は、すべからく「厳しい」とか「危機」という言葉を胸の中、腹の中に納め、明日はどうするか、来年はどうするか、二十一世紀はどうするか、その戦略、戦術を構想し、地域農民、とりわけ将来を担う若者に、希望と自信と誇りを与えるために、何をなすべきか指し示すことにある。
2. 農業は多彩な能力を必要とする総合産業である
いまこそ「農業ほど人材を必要とする産業はない」。
では、人材とは何か。人材とは、①情報力、②技術力、③企画力(または販売力)、④経営管理力、⑤組織力-のそれぞれに優れているだけでなく、それらすべてを総合力としてしっかり身につけている人物のことである。
ごく簡単にそれぞれの要素を説明していきたい。
情報力の基本は情報発信力である。発信力を高めるには受信力も強くないとだめである。
技術力は先端技術と伝統技術の両方を身につけることである。
企画力は販売力と言いかえてもよい。作り上手の売り下手ではこれからはやっていけない。
農業生産現場においては経営管理能力はこれまでは一般的に低かった。あらゆる面でこれを高めなくてはならない。責任産地として組織力はますます必要で、農業は一人だけでは大きな成果は望めないものである。
3. 「世襲」から「選択」へ
農業に従事しようという若者が、長期にわたる減少傾向を脱し、少数ながらもここ数年増加傾向にある。しかも、重要な点は単に量的変化にとどまらず、「世襲から選択へ」という質的変化を示しつつあるという点に注目すべきである。
また、農林水産省は、二十一世紀の日本農業をその中核となって担う経営体を四十万程度と構想しているが、それを確保するためには、Uターン組なども含めて年間一万人を上回る新規就農者が欲しいことになるが、現状では、まだ量的にはその半分にも充たない。
しかしながら、就農する若者たちが、自らの意思でいろいろと選択の余地のある職業の中から、農業という職業を選ぶようになったことに注目する必要がある。
『農業白書』は農業に就いた理由について、Uターン青年たちが、「やり方次第でもうかる」「時間が自由に使える」「自分でさい配がふるえる」ことなどを挙げている。こういう自発的意思に基づく理由が「家の事情」や「財産を守る」という消極的理由を上回っており、価値観が多様化していることは第一次産業の構造的変化が表れてきたと見て取れる。
4. 「I・Uターン就農」が主流に
また、かつては農業に無縁であった都会出身の新規就農者の就農理由には、「自然や動物が好き」「有機農業をやりたい」などという、農業へのあこがれが強い。
さらに、『農業白書』の興味深い指摘は、「若い担い手の就農経路の変化」に注目していることである。その要点は、高校などを卒業してすぐ農業に就業する「新卒型就農」よりも、農業以外の他の産業に一度就職した後に、農業に自らの意思で本格的に従事する「転職型就農」が主流になってきたという分析である。いわゆるI・Uターン就農がその典型である。
「やり方次第でもうかる」「さい配がふるえる」という就農理由は、農業と他産業のサラリーマンを比較して選んだことをうかがわせるし、農業の優れた点を客観的に見直したうえでの職業選択を行っていると言えるであろう。
数ある職業選択肢のひとつとして農業を位置づける若者たちが増え、「世襲としての農業」から「職業としての農業」に変わりつつあるとすれば、まさに心強い限りである。
かつて、アメリカ農業の底力と活力はどこにあるのか?と某放送局の報道番組でアメリカで農村調査、農場調査を放映していた。
その結論を簡潔に述べれば、長男でなくても次男でも三男でもよい、親から農場と経営権を買ってでも農業経営者になりたいという息子(娘でもよい)に農場は継承されていくというところに、アメリカ農業の底力と活力があると考える。
別の表現で言えば、自己選択の論理、自己責任の原則が貫かれているところに、その底力や活力があると痛感した。
アメリカにおける調査や、近年本市におけるIターンの優れた農業青年たちと交わる中から「農業ほど人材を必要とする産業はない」という信念を持つにいたった。
5. 一、二、三次産業を足したもの
農業経済学者の今村奈良臣氏は「六次産業」という言葉を提唱している。多分まだ多くの方々が耳にしたり、目にしたりしたことはないのではないかと思う。
では、「六次産業」とは何か。「一次産業」と「二次産業」と「三次産業」を足し算すると「六次産業」ということになる。
周知のように、産業分類では、一次産業は農林水産業、二次産業は鉱業、建設業、製造業など、三次産業は卸売・小売業、金融業、運輸通信業、サービス業などを指しているのであるが、この三つを足すとはどういうことか、疑問に思われる方が多いと思う。
そこで提唱したいことは、「農業における六次産業の創造」、あるいは「農業の六次産業化」というところにある。
分かりやすく言えば、これまで農業は農業生産過程のみを担当するようにされてきて、二次産業的な部分である農産物加工や食品加工、あるいは肥料生産などは食料品製造企業や肥料メーカーに取り込まれ、さらに三次産業的部分である農産物の流通や農業にかかわる情報やサービスなども、卸売・小売業や情報サービス企業に取り込まれていたのであるが、それらを農業の分野に可能なかぎり取り戻そうではないかという提案である。
6. 流通、サービスのシェアが拡大
具体的にその一端を示してみよう。2006年は、国民の食料消費支出総額は、62兆1,000億円であったが、そのうち国内農業生産(水産を含む)に帰属した分はわずかに20.7%、流通部門に27.6%、食品加工部門に26.0%、飲食店サービス部門に18.5%となっている(残りの7.2%は輸入)。
国内農水産業のシェアは1960年の41%から2006年の19%に低下し、逆に流通部門は19%から29%へ、外食サービスは6%から20%へと拡大してきている。
すなわち、国民の消費内容が多様化し、加工食品や外食への支出を増大させることによって、消費者は原料である農水産物以外の財・サービスおよび各部門の付加価値部分に対する支出を増大させているのである。こうしたこれまでの動向は、これからさらに一段と強まっていく可能性がある。
しかし、そういう動きを単に座して見ているだけでは、農業の展望は切り拓(ひら)かれないのではなかろうか。農業を農産物原料の生産のみに閉じ込めて、付加価値を農業外の分野にさらわれるにゆだねておいてよいのであろうか。
農業がその主体性をもちながら、二次産業、三次産業に吸いとられていた付加価値を、せめて幾分なりとも確保しつつ、総合産業としての体質に変わらなければならないのではないか、というのが今回の自治研における私の提案の趣旨である。そうなれば、さらに若者たちが目を輝かして総合産業としての農業の担い手に意気高らかに参入してくるようになるのではなかろうか。
確かに、農産物加工、食品製造あるいは流通・販売、情報サービスなどについて、これまで農協がその一部を担ってきた。しかし、近年、全国的に見るならば、その活動は前進しているというよりも後退傾向にある。特に本件の農協においては組合員との意識の乖離が甚だしいが、そういう状況の中でも、全国区では農協を中心に六次産業の創造を目指して頑張っている農協がある。
7. 六次産業の創造の事例
たとえば、大分県の一村一品運動の旗手となった大山町農協である。今から三十数年前、「梅栗植えてハワイへ行こう」をスローガンに山村農業の改革に着手し、梅の多様な産品やキノコ、花などを中心に着実に成果を上げ、担い手を確保し増やし、山村農業の全国的モデルとなっている。
あるいは群馬県の沢田農協も目を見張る活動を進め、六次産業の創造に着実に取り組んできた。管内組合員の作る野菜のほとんどを買い取り、直営工場で漬物加工し、七十種類にも及ぶ商品を作り、「沢田の味」のブランドは関東、東日本ではゆるぎのないものになっている。
そして加工するだけではなく、直売方式で販路を広げ、文字通り六次産業化を図ってきた。そのうえ、今年春に「薬王園」を開設し、薬草の生産、加工、漢方薬の調剤、薬膳料理のレストラン、各種健康ドリンク剤の製造、販売まで行うようになり、訪園者はあとをたたない盛況である。
それはコメとても例外ではない。たとえば、全国的にその草分けとして著名になった山形県の庄内みどり農協と東京の生活クラブ生協との産直提携である。安全な有機米を生産地でブレンドし、搗精し供給するのみではなく、消費者を生産者が呼び寄せ、さまざまな交流を行っている。二次産業にあたる部分を取り込み、情報、交流、サービスなどの三次産業の分野も開拓しようとしている。
8. 雇用の場など拡大へ
もちろん、本市においても多くの事例が、六次産業の創造を目指している。企業的青年経営者や女性グループを中心に、農産物加工や産直、宅配便など多種多様な手段、方法で、独自に農業の総合産業化=六次産業化を目指している。これにより地域に雇用の場の拡大と所得の増大が確保できる。
それは必然的に、広義の農業の担い手の増大、つまり、農業への参入の道が開かれることを意味する。第三セクターや法人化の推進にあたっても、農業の六次産業の創造という視点で取り組んでもらいたいと思う。以下は本市における六次産業に取り組む農業者の事例である。
9. 完熟マンゴーを収穫後3日以内に宅配 石垣市平得 金城さん
金城さんはパイプハウスを自分で設計・施工し1987年からマンゴーを栽培している。収穫は6月末から8月にかけてだが、果実の肥大後期の5月下旬から午後だけ遮光し、日焼けや高温障害による早期落果を防止している。このため、シルバーのネットを施設の軒高に張って水平に開閉できるようにしている。
果実は完熟すると果実袋の中に落果するものだけを収穫し、収穫して3日以内には顧客に届くよう宅配している。ちなみに販売価格は5,500円/2kgであり、これは沖縄県の一般の価格より安価である。
良品を市場を介さず直接消費者に完熟果として届け、消費者と顔の見えるお付き合いをすることで、地域をアピールし商品に付加価値を付け、地域情報を発信し島をアピールしている。
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