【自主レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅲ統合分科会 地域社会の維持・発展をめざして

合併から2年余り(旧熊石町からの視点で……)


北海道本部/八雲町職員労働組合

1. 合併までの経緯

 旧熊石町では2002年12月に、旧八雲町では2003年11月に任意協議会が設立され、合併に向けた対応が始まり、その後、協議会の構成町が幾度か入れ替わるなどし、2005年10月に旧熊石町・旧八雲町の2町による合併で、新「八雲町」が誕生した。
 旧熊石町は檜山支庁に、旧八雲町は渡島支庁に属し、組合組織としてもそれぞれ檜山地本、渡島地本に属していたため、職員の交流はなかった。
 また、地勢的にも本庁間の距離は36㎞あり渡島半島を横断するかたちで、いわゆる峠越えをし、車で1時間弱かかることから、合併後は旧八雲町役場庁舎を本庁に、旧熊石町役場庁舎が総合支所として設置され地域住民に便宜を図ることで急激な変化をきたさないよう配慮された。
 行政サービスについては、一部事業を除き、基本的には2006年度から八雲地域に統一することで調整され、さらに事務処理方法なども、住基システムや税システム(旧八雲町は集合主税方式)の関係で、合併による混乱をさけるため職員数の多い旧八雲町の例を引き継いでいくことで調整された。

2. 合併後の経緯

 合併直後は、行政サービスの大部分を八雲地域に合わせたことや、本格的な事業の統合が2006年4月からなので両地域の住民にとっては、郡名や町名が変わったくらいでさほど合併した変化を感じていなかったと思われる。
 しかし、熊石地域では事務処理を本庁に集約して支所機能を見直した結果等を考えると仕方がない部分もあるが、総合支所の人員配置をみると、合併前の2005年4月には93人(病院・消防職員は除く)いた職員が、本庁勤務への異動や退職者不補充などにより、2005年10月の合併時には80人、2008年4月には57人と合併前に比べると36人減少し、さらに、本庁勤務へ異動した職員の内、若い職員の殆どが、本庁地区へ転居したためか、地域住民からは「合併して不便になった」等の声はあまり聞かれないが、総合支所を訪れる住民からは「職員の数が減って寂しくなった」「このままでは熊石地域が廃れていくのでは」等の声が聞かれるようになり、合併による変化を肌で感じてきていると思われる。

○熊石総合支所職員数の推移
 

2005年4月

2005年10月

2006年4月

2007年4月

2008年4月

部 署 数

9課

6課

6課

6課

5課

職 員 数

93人

80人

71人

61人

57人

 一方、職員については、冒頭でも記載しているとおり協議会の構成町が幾度か入れ替わるなどし、通常の職務に加え事務事業の調整が何回もやり直され、時間外勤務の増大により今までにない負担を全ての職員が感じていたと思われる。
 合併後の人事異動にともない、総合支所から本庁へ、本庁から総合支所勤務に異動した職員は職場環境の変化や人間関係等により、今までとは違う精神的・肉体的な負担があったものと考えられ、加えて本庁職員は事務処理を本庁に集約したため事務量が増加し、また旧熊石町の職員にとっては、事務処理方法等が旧八雲町の例を引き継いでいることや、合併直後の2006年12月から始まった行財政改革の協議においても、ゼロからの協議ではなく旧八雲町の事例ありきで協議が進められたこと等で多数の職員が相当のストレスを感じていたと思われる。
 また、合併することにより財政状況が多少なりとも好転すると思っていたようだが、何ら変わらない状況をうけ、当局は行財政改革を断行し2007年1月より職員人件費の7%の独自削減が行われ、職員にとっては合併前後の過重な労働と人件費削減で肉体的・精神的に、また更に経済的な負担を強いられた職員は少なくないと考える。

3. 今後の課題

 「平成の大合併」は、多くの市町村に転機をもたらし、合併した市町村、合併しなかった市町村、それぞれに自立の方向を模索する意識を持たせた一方、地方の財政負担の増加や財源不足、借入金残高の多さなどから合併を選択せざるを得なかった市町村は多かったと思われ、新「八雲町」においても例外ではなかった。
 はたして、この合併は住民に安心と幸せをもたらしたのだろうか、大きくなったまちは豊かになるのか、少なくとも熊石地域では「本庁舎を中心とした一部だけが栄えて熊石地域は廃れてしまうのでは?」と考える住民が増えてきている。まちづくりの主役は地域住民であり、合併によってこれまでの取り組みが後退しないことを前提に考えるべきであり、この先10年後も20年後も「合併してよかった」「安心して暮らせるようになった」と言われるまちを創るためにはどうしたら良いのか、本気で「両地域の均衡ある発展と一日も早い一体化」を進めるのであれば、時間のない中、進められた合併時の事務事業の調整の様な事務的な作業ではなく、まずは、旧八雲町職員と旧熊石町職員の双方が意識変革を行い、ともに手を取り合い、未来に向け自分たちのまちをどう創るのかを、いま真剣に考えていく必要があると思われる。

4. まとめ

 「お金がない」という状況の中で、行政が住民ニーズに応えた独自の自治体運営を行うために、巷では行政と住民が互いに協力し合う「新しい仕組みづくり」いわゆる「協働」がテーマのまちづくりを進めているようだが、八雲町に於いても、2008年度から始まった合併後の新八雲町総合計画で「町民と行政が支え合う協働のまちづくり」をテーマに掲げている。
 合併後のこの2年あまりは、対等合併と言いながらも、ともすると人口が多い八雲地域に全ての面で合わせ、互いの地域の問題はそれぞれで解決する様な雰囲気がある。
 総合計画でいう「協働のまちづくり」を真に目指すのであれば、今こそ両地域の職員も住民も互いの地域の状況を深く理解し、誰もが安心して暮らせる夢のまちづくりを実現するために、その努力を惜しまず進めることが、「両地域の均衡ある発展と一日も早い一体化」がなされ、「合併してよかった」「安心して暮らせるようになった」と、10年後、20年後に評価されるのではないだろうか。