【自主レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅲ統合分科会 地域社会の維持・発展をめざして

市町村合併問題への取り組みから自立へ


福島県本部/自治労飯舘村職員労働組合

 自治労飯舘村職員労働組合は1957年の結成大会から50年もの間、飯舘村とともに歩んできた。1997年に結成40周年の記念式典・祝賀会を開催し、早いもので10年が過ぎ、今ここに50周年を迎えようとしています。
 この10年間は、日本はもとより、飯舘村も飯舘村職労にとっても、まさに激動の10年であったと言えるでしょう。
 日本は、バブル経済崩壊後の厳しい経済情勢の中、国主導で行われた経済対策により、1998年度末で長期債務残高は約593兆円まで達し、国・地方とも極めて厳しい財政状況にありました。
 1998年の4月に、第25次地方制度調査会により「市町村の合併に関する答申」が示され、市町村の自主的な合併を支援するために、都道府県及び国による積極的な支援の方針が明らかにされました。
 また、同年5月には、「地方分権推進計画」が閣議決定され、合併推進に向け行財政措置を講じるため、必要な法改正を行うこととし、合併特例法が改正されました。合併に際しての特例措置として、合併特例債や特別交付税措置、公債費負担格差の解消のための財政措置など、合併推進のための財政特例措置が打ち出されました。
 2000年の4月には地方分権一括法が施行され、市町村は自らの判断と責任で地域の特性を十分に活かした主体的な地域づくりを進め、個性豊かで活力に満ちた地域社会を実現していくことの期待を一身に受けることとなりました。
 2002年6月、経済財政運営と構造改革に関する基本方針2002が閣議決定されました。国庫補助負担金、交付税、税源移譲を含む税源配分のあり方を検討するという三位一体改革の方針が出され、財政的にも自立ができるのか、問われる結果となり市町村合併が加速しました。
 1999年度末の自治体数は、市が670、町が1,994、村が568、合計3,232市町村数でした。
 このような時代背景の中、
 村職労では、2000年8月に自治労中央本部自治体財政講座へ参加し、財政分析シートを入手しました。自治体の財政を分析することが大変重要であるということを確認し、2000年11月に行われた第49回定期大会において、地方自治を守るための市町村合併に関する研究会の立ち上げを決議し、2001年に入るとすぐ3回にわたる学習会を開催してきました。自分たちの自治体の財政について実際に分析をしてみると、国が言う人件費の増大が財政硬直化の原因であるという事実はなく、いわゆる公共事業、建設事業のための起債償還が大きな原因であることが分かりました。また、総務省の指針や国内の動きをはじめ、合併におけるメリット、デメリットを具体的に学習してきました。
 時期を合わせて、村では2000年の7月に相馬市、原町市、新地町、鹿島町、小高町、飯舘村の6市町村で「相馬地方市町村合併勉強会」を発足させ、数回にわたり勉強会、情報交換が行われ、2001年1月に6市町村による任意合併協議会を設置しました。
 2001年10月に開催された、自治労福島県本部第69回定期大会において、執行委員長であった佐藤周一さんは、わたしたち自治労も住民と一緒になって、自分たちのまちや、村の自治を描くことの大切をうったえ、合併問題への取り組みの重要性を村職労の取り組みから発言をしてきました。
 村では、2001年6月から12月にかけて、4回の合併に関する講演会を開催し、合併に関する勉強を進めてきました。2001年7月には6市町村による合併を断念し任意協議会を解散しました。
 村職労では、合併問題について県本部主催の学習会に積極的に参加し、自らテーマを持ち学習会を開催し、常に新しい情報を得ることをしてきました。
 2002年度に入ると、村では市町村合併を考える村民集会を5回開催し、より具体的に合併問題に取り組みました。村は合併すべきか否かとディベートの実践により村民自ら考えました。更に地区懇談会を重ねてきました。
 村職労では、県本部主催の学習会へ参加し、2003年3月に市町村合併に関する要求書を当局に提出し、地域住民の十分な議論と自主的な判断によって決定すべき課題であることを確認してきました。
 2002年度末の自治体数は、市が672、町が1,985、村が566、合計3,223市町村数でありました。1999年度と比較すると9自治体数が減りました。わずか0.3%の減でありました。
 2003年の9月には原町市、鹿島町、飯舘村の3市町村による任意合併協議会が発足しました。ここでは、担当者レベルでの会議により、より具体的な協議をしてきました。11月には臨時議会を開催し、合併することの賛否を問う住民投票条例が可決され、合併に向けた大きな流れとなりました。12月に住民投票が行われ、結果、反対52.67%、賛成47.33%といずれも目安の6割に達成せず、最終判断は村と村議会の協議に委ねられることとなりました。
 2003年11月に、合併する3市町村の職員労働組合は、連携を図り、市町村合併対策合同会議を開催し、合併に向けた諸問題への取り組みについて協議をしてきました。
 2004年1月、村は村議会に対し合併の方向で法定合併協議会へ移行する執行部方針を示し、法定協議会関連予算を臨時村議会において可決されました。1月下旬に開催された任意合併協議会で小高町の加入を承認し、2月に開催された4市町村の任意合併協議会において、法定協議会の設置を確認してきました。
 それを受け、4市町村職員労働組合で立ち上げた南相馬市合併対策委員会から南相馬合併協議会へ、職員の身分に関すること。労働条件に関すること。情報提供。労働基準法遵守。協議の場の設定について要求書を提出してきました。
 村職労では、組合員へのアンケートを実施し南相馬合併協議会への要望を取りまとめ、職員の身分の保障や、労働条件、著しい不均衡の発生防止、交渉窓口の設置などを要望書として提出し、更に組合員へのオルグを実施してきました。
 2003年度末の自治体数は、市が675、町が1,976、村が561、合計3,212市町村数でありました。1999年度と比較すると20自治体数が減りました。0.6%の減でありました。
 南相馬合併協議会では、4市町村とも合併に向けて精力的に取り組みました。8月下旬には50項目ある協定項目の内35項目を確認し決定してきました。
 村当局は、2004年の9月に入るとまもなく法定合併協議会からの離脱を庁内に周知し、定例議会において合併からの離脱を表明しました。分権分散型合併の2本の柱のうち、一方の地域自治組織については、ほぼ、希望の姿となったが、一方の予算配分については合意に至っていないこと。他市町との環境が違う飯舘村にとっては、分権分散型に対する思いの違いがあり、また住民の地域づくりに取り組む活力が失われていくのを痛切に感じることを離脱の理由とするものでありました。離脱することにつき、同意を求める議案は採決の結果、否決されました。
 2004年10月、任期満了に伴う村長選が告示され、自立を訴えた菅野典雄氏が3選を果たしました。
 11月に行われた臨時村議会において、事実上合併離脱が正式のものとなりました。同日、自立対策係を設置し自立に向け、後の自立計画となる計画づくりに着手しました。
 その間、村職労は合理化計画に対し、当局との話し合いや、拡大執行委員会、職場集会を重ね、住民サービスの低下の恐れもある、村長私案の財政合理化計画に対し、白紙撤回の要求書を直ちに提出してきました。
 村職労では、合理化計画である自立大綱に労使合意を求め運動をしてきましたが、労使合意のないまま、村は12月の定例村議会に自立計画大綱(案)を提出し可決しました。
 村職労は、自立計画大綱に対し、当局と話し合い、職場オルグ、学習会などを開催し、2005年2月には労使間の最も基本である信頼関係の構築をすることを要求書として提出してきました。
 2005年1月に村では、職員で構成された事務改善・行政機構検討委員会を立ち上げ、事務の効率化に向けた取り組みが始まりました。また、村民代表からなる行政改革懇談会・自立推進懇談会も立ち上げ、村民の立場での自立に向けた具体的な計画づくりに着手しました。
 自立に向けた計画策定の中、2005年1月から3月にかけて村職労では、労働条件の変更に関わる事項についての労使合意を求め、当局との話し合い、職場オルグ、学習会、独自要求書の提出、団体交渉と行ってきました。
 2004年度末の自治体数は、市が689、町が1,903、村が540、合計3,132市町村数でありました。1999年度と比較すると100自治体数が減りました。3%の減でありました。
 2005年3月から、村では自立セミナーを開催しながら、職員で構成された事務改善・行政機構検討委員会と村民代表からなる行政改革懇談会・自立推進懇談会をそれぞれ開催しながら自立計画策定に向けて取り組みました。
 2005年の6月に国では、小さな政府、環境変化を乗り切るための基盤づくり、デフレ脱却を重点課題とした骨太方針2005が閣議決定され、この中に公務員総人件費改革も盛り込まれました。
 村職労では、2005年7月に、地域給与制度・骨太方針2005と題した学習会を開催し今後の取り組みに向けて、その内容の理解に努めました。
 2005年8月に出された人事院勧告では骨太方針2005を受けてと思われる、地域給与制度の考え方が出されました。
 村職労では、自立計画(案)に対しての協議として、2005年10月に再度団体交渉を行い、一定程度の確認事項を得ることができました。しかし、自立計画の意義など組合側と当局側の認識に大きな相違があることも浮き彫りとなりました。
 村では、2005年12月の定例村議会において、自立計画(案)の了承を得ました。
 村職労では、12月に飯舘村を事例とした県本部主催の自治体財政分析講座を開催し、改めて分析結果を得ることができました。2006年1月には、自治総合研究所の飛田博史さんを講師に飯舘村までおいでいただいて、自治体財政分析講座を開催し村の財政状況を分析、解説をいただくとともに、自立計画の目指す方向と示された政策の矛盾点などを指摘していただきました。
 また、地域給与制度導入と機構改革が同時に進められることから、地域給与制度の理解と自立への組織体制が重要であるとの認識から、2006年3月に拡大給対部を立ち上げました。
 村では、職員で構成された事務改善・行政機構検討委員会では、精力的に取り組み事務の整理はしたものの意思統一がままならず、具体的な整理・統合がされるまでは至りませんでした。
 2005年度末の自治体数は、市が732、町が1,423、村が366、合計2,521市町村数でありました。1999年度と比較すると711自治体数が減りました。22%の減でありました。
 2006年度を迎え、村では職員で構成される委員会名を行政機構改革検討委員会・事務改善委員会と名称を替え、1年をかけ取り組みました。2007年4月から新たな機構が導入されたものの、結果、課及び係の整理統合に留まってしまい、事務改善については今後の大きな課題となってしまいました。
 村職労では、拡大給対部により、勉強・学習会を進め、9月に地域給与と機構改革と題し学習会を開催してきました。学習会では、どのような給与体系となるのか、各個人の給与はどうなるのかと給与班からの説明、行政の役割を果たせる機構改革のあり方や現状の問題点を機構班から説明、条例・規則の中身や課題点を規則班からそれぞれ説明し学習会を開催してきました。
 その後、事務レベルの交渉、村長との話し合い、団体交渉を重ね2007年4月に新給与制度が導入されました。
 2006年度末の自治体数は、市が777、町が846、村が198、合計1,821市町村数でありました。2000年度と比較すると1,411自治体数が減りました。43.6%の減でありました。2007年度末見込みでは、合計1,804市町村数であり、44.1%の減となります。
 村職労にとっても村にとっても、まさに激動の10年であったと言えるでしょう。激動の中での取り組みを、それぞれ時系列で追いかけてきました。それぞれ反省すべきは反省し、これらの取り組みをひとつでも無駄にすることなく、ステップアップし、地方自治を守るため飯舘村職労一致団結してがんばりましょう。