1. 取り組みの目的
私たちの住む藤岡市はバブル経済の真っ只中の1980年代から1990年代半ばまで、多くのゴルフ場開発が計画・実施され、特に市の南部山岳地帯に位置する日野地区はゴルフ場銀座とも言える状況を呈していた。このため、ゴルフ場開発を中心に民間の資本投資が盛んとなり、これに呼応するように道路などの社会資本の整備が著しく進んだ。しかしこれらの大規模開発は、バブル経済の崩壊に伴いあるものは開発に着手できず、またあるものは開発途中で頓挫してしまっている。そして中にはゴルフ場開発のため地域住民のほとんどが移住し、事実上の廃村状態となってしまったにもかかわらず、開発工事が途中で放棄されてしまった悲惨な例も存在する。
こうしたバブル経済の爪あととも言える状況が残されている日野地区は、一方で今もなお多くの人々を受け入れてくれる豊な自然と、古くから営まれた人々の暮らしが心温まる民話や遺跡などとして残されている地域でもある。しかしながら、こうした日野地区の素晴らしさに多くの市民や一般の人々が気付いておらず、また、行政サイドがハード的な観光資源の開発や整備は行っているものの、四季を通じての安定した観光客の確保には至っていない。私たちは本取り組みで、一般市民の視点に立って日野地区にある自然環境や歴史的遺産などの観光資源を、分かりやすく且つ魅力的に紹介できるプレゼンを作成し、観光行政のあり方について考えてみたいと思う。
2. 日野地区の観光資源
今回取り上げる日野地区は、藤岡市の南部に位置し、東西御荷鉾山・オドケ山・赤久縄山など標高1,200mを超える山々が聳える関東山地へと続く山岳地帯である。地質的に三波川変成帯の一角を占め、源流を赤久縄山に発し、市の北端部で鏑川に合流する鮎川が、地域の中央を蛇行しながら流れ下り、日野谷十里と呼ばれている深いV字状の谷を形成している。そして、この鮎川沿いの平坦地や南向きの緩傾斜地を中心に、古くから養蚕や畑作、林業などを生業として多くの人々が生活を営み、いくつかの集落を形成してきた。しかし近年の社会構造や住環境の変化により、特に若年層を中心に人口流出が続き過疎化が進んでいる。
しかし前述のとおり日野地区には、多くの人々を温かく迎え入れる自然環境と、豊な文化資産が現存している。例えば自然環境で言えば、三波石が露呈する風光明媚な「蛇喰渓谷」があり、市の名勝に指定されており、近年県道の対岸に市が散策のための歩道を整備したことにより、夏場を中心に川遊びなどの際に利用されている。また、鮎川上流部の上平地区には、毎年厳冬期に山肌を流れる湧水が凍った氷漠が出現し、ここ数年多くの見物客が訪れる観光スポットとなっている。そして、春~初夏にかけては、藤岡市内は勿論、遠く関東平野も一望できる皇鳳山にある通称二千階段を利用してハイキングやトレッキングをする人々も多い。
また文化的資産としては、高山氏をはじめとする日野七党と呼ばれる中世の有力土着豪族が栄え、関東管領山内上杉氏の平井城進出の後もこれを支え、平井城の背後の守りとして、また土着豪族の根拠地としての山城が良好な状態で多く残されている。とりわけ平井城の詰城である金山城や、鮎川対岸の大平地区を中心に築かれている、土着豪族の高山氏の拠点であった「東日野金井城」などは、歴史愛好家や城郭研究家にとっては極めて興味深い城郭として注目されている。特に「金山城」は市の指定史跡となっており、平井城・金山城保存整備前事業で登山道や駐車場が整備されており、一般市民も気軽に利用できるよう整備されている。同様のことは前述の皇鳳山も例外ではなく、このハイキングコースそのものが土着豪族の柴崎氏が築き、天文二十二年の上杉謙信による平井城の奪還の際に利用されたといわれる、子王山城の遺構を辿るルートで造られている。特に山頂部の本丸や、その下の二の丸、堀切、竪堀などは極めて良好な状態で保存されており、歴史愛好家などには極めて魅力的な遺構である。また、本丸からの眺望は誠に素晴らしく、春から初夏には多くの一般市民がハイキングなどを楽しんでいる。
ところで日野地区には、体験型観光施設として「土と火の里」がある。これは1986年3月に、日野地区と同様の地勢的特徴を持つ高山地区を併せ、文化的発展や観光による地域の活性化など、住民の生活水準の高揚を図るため策定された、「日野高山振興基本計画」に基づき整備された施設で、現在は陶芸・ガラス工芸・染色工芸などが体験できるほか、休日・祝日には竹細工・瓦工芸などを体験することができ、年間を通じての利用も可能となっている。さらにここ20年来のゴルフ場開発に伴い、従来のゴルフ客の宿泊を見込んで営業されていた民宿に加え本格的な温泉施設を持ったホテルや、日帰り客をターゲットとした温泉(鉱泉)施設なども建設され、子供から老人まで様々な楽しみ方ができ、近年その利用が高まっている。
3. 観光資源と観光開発
行政サイドとして市の魅力をアピールし、多くの人々に観光として藤岡市を訪れてもらうためには、人々が魅力を感じる観光資源を創出することが不可欠であることは間違いない。しかしそのために多額の公費を支出し様々な施策を講じても、その労力や投資額に見合った成果をあげることは容易ではない。
藤岡市では2008年度以降の行政指針を、第4次藤岡市総合計画に示す予定となっている。これによれば藤岡市の観光行政の指針は、市内に点在する観光資源を活用し、周遊ルートを整備し、通年滞在型観光地を創出することにあるとしている。また、この素案の中で藤岡市の観光資源の活用をできるようにするため、観光資源としての体験施設の充実や観光ルートの整備などを挙げている。
ところで、昔から多くの人々が集まる有名観光地は、地域の自然環境・文化・歴史などの要素を無理なく観光資源として取り込んでいる。そして何よりこれらの観光資源に対し、地域の人々が深い愛着を持っており、地域行政に携わる自治体職員はもちろん、一般市民までも、地域の観光地のガイドと言えるほど当該の観光資源を理解している。
つまり、多くの人々を集める観光地は自ずとその資質があり、行政としてこれらの観光資源を活用しようとするには、アクセス道路の建設や、各種便益施設の設置などによるハードウェアの整備の前に、地域の生い立ちや自然環境、文化などの特色を深く理解し、それを市民や一般の人々に強く主張し発信することが不可欠であるといえるのではないだろうか? そしてそのためには先ず、地域の観光行政に携わる職員や地域住民に対し広く啓発するための、ソフトウェア的な事業が必要であると言えるのではないだろうか。
今回この自治研の取り組みを通して、私たちの住む藤岡市に、しかも山間僻村としてめったに足を踏み入れなかった日野地区に、このようにすばらしい自然・文化が残されており、新鮮な驚きを覚えるとともに、行政・民間の区別なく多くの人々にこの地域への関心をもってもらえるよう働きかけたいと思った。
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