【自主論文】

第32回北海道自治研集会
第Ⅲ統合分科会 地域社会の維持・発展をめざして

「地区計画」市民提案の連鎖
~札幌市中央区の3地域の場合~

北海道/まちづくり協議会南円山6条・代表 入江 明美

 札幌市における地区計画の市民提案は、2004年9月の私たち「南円山6条地区」を皮切りに、2006年5月に同じ中央区内の「宮の森緑地北地区」、2007年9月には南円山6条地区に隣接する「南円山第2地区」と続いた。いずれの提案もその後、ほぼ原案通りに決定され施行されている。都市計画法に基づく地区計画の市民提案については、当初からその連鎖が期待されていたようであるが、市民提案自体が少ないところから、既存の住宅街における連鎖の事例は稀と思われるので、ここに報告する。

1. 「南円山6条地区」について

 はじめに、市民提案の第1号となった南円山6条地区で地区計画提案がなされるに至った経緯と、その提案の概要を述べる。

(1) 地域の背景
 私たちの地域は、円山、藻岩山が間近に見える古くからの住宅街で、「藻岩村」としての歴史が長い。その後「円山町」の時期を経て、1941年に札幌市に合併された。そのため、中央区内ではあるが、札幌らしからぬ斜めの道路(鹿の通り道だった)や袋小路があったり、住民が山とかかわる生活文化を継承しているなど、独自性の残る地域と言えよう。
 1987年、この低層住宅街に降ってわいた13階建マンション建設計画をめぐって、私たちの街は大騒動になり、さまざまな辛い出来事が起こった。13階建を許容できない者たちは住民の会を結成し、反対運動を展開した。手探りでの審査請求、再審査請求を経て建築確認取消しを求める行政訴訟や、7階を超える部分の建築禁止を求める仮処分申立てなどを、本人訴訟で進めたが、建築工事とのスピード競争には勝てず、8階部分の工事に着手された時点で、全ての訴訟を取り下げて終結させた。この間の経緯については、1年後に「こんにちは裁判官」(入江明美・高橋佳代子、一光社、1989、絶版)として出版した。
 この住民運動のあとに残ったものは何か。振り返れば、およそ次のとおりである。
① 低層地域に初の13階建マンション+直接被害(景観被害、日照阻害、眺望阻害、風害等)
② マンション外壁の不自然なくり抜き6ヶ所(住民側が指摘した容積率違反を裁判官が認めた翌日、業者がオーバーした分の床を"出窓"に変身させて逃れたため)
③ 建築行政が市民の方を向いていないことへの失望
④ 地域力の低下(北側住民の直後転出4軒+価値観の顕在化による人間関係への後遺症)
⑤ 心の痛み(愛着ある風景の喪失感、挫折感、マンション入居者の後ろめたさ)
⑥ 地域における高層マンション計画への抑止力(ちなみに"有効期限"は18年間だった)
⑦ 経験から学んだ住民たちの市民としての成長

(2) 地区計画提案への契機
 私たちが地区計画提案に取り組む契機となったのは、2004年1月に私の自宅敷地の南東10mの位置に浮上した13階建マンションの建設計画だった。初めに計画地から道路を隔てて東側に住む人が「高層建物は地域に合わない」と駆け込んできた。私自身も過去の苦い体験から、高層マンションを歓迎するわけにはいかなかった。加えて私が生活道路(袋小路の私道)を共有する十軒の住民にとっては、既に南西に13階建マンションがある。更なる高層建物なら被害は複合的になり、受忍の限度を超える。しかし幸いなことに、この13階建マンション建設計画は話し合いの過程で中止となり、業者はその後の土地の活用法について、3階建テラスハウス、戸建用に分譲、転売の3つの可能性を示した。私たちは転売による再度の高層マンション建設計画を懸念した。私は住環境を維持する方策を求めて市役所に出向き、地区計画担当者から説明を受けた後、市民提案の可能性を探ることとなった。

(3) まちづくり協議会南円山6条の発足とその活動
 ゴミステーションでの立ち話が発展して、同年2月、住環境の問題を考える集まりを持った。参加した二十数軒の住民たちは、「高い建物は困る。うちは谷間になってずっと日陰だ」「13階建に追い出されるのは嫌。ずっとここにいたい」「私はどこへも行けない。これからどうなるのか」などと懸念を述べた。全員が高層マンションによる影響を実際に見て知っていたし、20年前に住民の会の一員として訴訟に加わった人は理解も深かった。全員が「終生この街に住み続けたい」という強い思いを共有していることを知ったので、翌3月、「まちづくり協議会南円山6条」を立ち上げた。自宅の位置など条件の異なる4人に世話人をお願いして、まちづくり協議会通信の発行、仮設掲示板の設置、市の担当職員を迎えての地区計画学習会開催、住環境に関する住民意向調査、資金集めのバザーなどの活動を行った。集会に参加できない高齢者には訪問して分かりやすい言葉での説明を心掛けた。遠隔地の地権者とは、通信の送付や電話などで連絡を保った。意向確認、書類作成を経て同年9月、「南円山6条地区」地区計画提案書(素案)を提出した。
 この間、初めてのケースとあって、行政と市民の双方に先の見えない戸惑いのようなものがあったように思うが、市担当者は毎回の集会に出席して私たちをサポートしてくれた。

(4) 提案にいたる活動こそが"まちづくり"
 活動資金については、市の助成金で一部賄える見通しがあったが、残りは住民が持ち寄った品物で「山並みバザー」を開催して得ることとした。さまざまな住民がいる私たちの地域には、一律の会費負担も有志寄付を募ることも馴染まないと判断したためである。結果的に、バザーは地域力の回復にも大いに役立った。カタイ集会には出てこない住民たちが、バザーには気軽に参加した。ポスターを作ってお店に張って歩く人、売り子なら得意だからと勝手に加わってくれた人、お月見に合わせて仕事の休みの日に野生のリンドウを取りに行って提供してくれた人、自宅の庭からホオズキを刈り取って出した人、ここなら近いからこられる、と杖を頼りにきてくれた人、介護の合間に何度も買いに来た人、遠隔地からやってきた地権者は小学校時代の同級生だった。地区計画の話を聞きたがった近隣の住民もいた。顔見知りの人の名前や家族・親戚関係も分かるなど、交流の輪が広がり深まって、地域力の回復と向上につながったと思う。

(5) 合意形成の過程
 地権者66人の合意がわずか半年でできた理由については、日本弁護士会の大気環境部会の委員会が聞き取り調査に来たこともあるが、およそ次のようなことであろうか。
① 地域に根付いて暮らす住民が「ここにずっと住み続けたい」という思いを共有していた。
② 住民が昔の体験から学んでおり、住環境をめぐる本質的な問題への理解が早かった。
③ 契機となったマンション用地の所有者に配慮して早く進むように、また、敷地条件の多様な住民が合意しやすいように、高さのみのシンプルな案とした。
④ 「多数決方式を取らない」「説得しない」方針で進めた。
  「多数決」と「説得」について、私見を加える。二者択一を迫られて意思表示した後で、結果が自分の選択とは異なるものだったら敗者になった気分であろう。元々よく考えたうえでの、あるいは明確な意志のある「賛成/反対」ではなかったとしてもである。説得された時は、その場はその気になっても、後で落ち着いて考えた時に、「やはり違うよな」と釈然としない思いが残りやすい。説得した人を恨む場合も起こる。多数決で色分けが明らかにされることも、訴訟などで旗色が鮮明になるのと同様に、後々まで人間関係にわだかまりを残す場合がある。

(6) 地区計画の概要
 私たちの地区計画の目標は「円山、藻岩山が見える風景遺産を継承し、住民が地域への愛着を持ちながら住み続けることができるよう、現在の住環境の維持・保全を図ること」であり、そのために「建築物の高さの最高限度」(15m)を定めるものである。提出した素案は、市の担当者による地権者の意向確認の過程で一部区域が拡大され、翌2005年2月に札幌市都市計画審議会の同意を得て、3月に決定告示、6月の市議会で条例となった。

(7) 13階建てマンション計画のその後
 契機となったマンションの業者には、計画中止後も、まちづくり通信を送付するなど連絡を取り、私たちの地区計画提案への取り組みについても一定の理解を得ることができた。結局、用地は転売されたが、隣接住民らは業者と話し合って計画を微調整したうえで工事協定書を交わし、2006年3月、軒高13m、最高高さ14.08mで5階建マンションが完成した。

(8) 絶対高さ制限
 NHKテレビ「難問解決、ご近所の底力」の担当ディレクターによると、都市計画法に基づく地区計画の市民提案は私たちが全国で初だったという。そこで同番組に住民3人が出演することになり上京する日の朝刊で、札幌市の絶対高さ制限案が発表され、私たちの高さ15m区域は、高さ45m制限と33m制限の地域に囲まれることになった。私の家があるブロックで言えば、南側と西側が45m、北側と東側が33mまで建てられる。15mと45mの差で、家によってはそれを隔てる道路さえない。33m制限でも私たちの15mの2倍以上という落差に、住民の落胆は大きく、「バッファーゾーンの要望を出したのに。市民意見の聴取なんて形ばかり」「隣接地で高層マンション計画なら紛争は熾烈になる」「地区全体が高層建物に囲まれた谷間になる」等、憤りと不安を述べた。実際、私たちの地区計画施行の1年後には、地区の南側に道路を隔てて隣接する場所に15階建マンションが完成し、東西に横たわる壁が大勢の市民から藻岩山の眺めを奪った。私たちが「円山・藻岩山の見える風景遺産を継承し…」と掲げた地区計画の目標は、殆ど意味を失った。

2. 「宮の森緑地北地区」(宮の森の環境を考える会)への連鎖

 2004年9月、私たちの地区計画提案が新聞で報道されると、宮の森(私たちの地域の北西約2km)に住むAさんが連絡してきた。自宅隣地に高層マンション建設計画があり対応に苦慮していた。私たちが高層マンション建設問題から地区計画提案に至った体験を、集会で講師として話して欲しいとの依頼であった。会場では40数人の住民が熱心に話を聞いてくれた。
 以後、Aさんからは毎号の通信が届くようになり、意向調査や提案手続き書類のことなどで助言を求められる中で、私の側も学ぶことが多くあった。近隣商業地域でもあり、中層マンションや商業者を含むなどの難しい条件を抱えながら、諦めることなく丹念に地道に活動を継続し、2006年5月、「宮の森緑地北地区」地区計画提案書を提出するに至った。かけた時間の長さを思うと、宮の森の方々の粘り強さには感服である。

3. 南円山の未来を考える会「南円山第2地区」への連鎖

 この地域は私たちの地区計画区域から南6条通りを挟んで北側に隣接している。私たちの20年前の騒動も13階建マンション完成後の影響も見聞きしている。私たちの「仮設掲示板」は、郵便局の向かいで食品スーパーへの通り道にあたる南6条通りに面して設置されていたので、目についていたはずだ。また、私たちが地区の南側に隣接して計画された15階建マンションの高さ削減を求めて「藻岩の緑」と称する黄緑色の布を軒先に掲げる様子も見えていただろう。「山並みバザー」の案内チラシは、「南円山第2地区」の約半分まで届いており、少なからぬ住民がバザーに出向いてくれた。
 地区計画の件で、南5条に住むO夫妻が私の家に来たのは2007年7月である。自宅10階建マンションの隣地に11階建マンション建設計画が持ち上がったが、地区計画提案はできないかとの相談であった。O夫妻は次に宮の森のAさん宅を訪れたので、Aさんが電話をしてきて「南側(藻岩山を隠した15階建の壁)ばかり見て嘆いていないで北側に目を向けたら」と言う。Aさんに促されて、私は一緒に南5条の住民の集まりに出かけ、その場で「南円山の未来を考える会」(名称はAさん案)が発足した。翌日にはAさんのご主人がステンレスの掲示板を運び込んで貸し出した。前日の集まりの時点で、既に多くの住民から地区計画提案への同意を取り付けていた素早さには驚いたが、「6条の人たちが決めたのと同じように、私たちも高さ15m制限を条例にしよう」と言うだけで、大概は分ってくれたそうだ。すぐ近くまで押し寄せる高層マンション群に辟易し、隣接地域の活動に触発されて心の"準備"ができていたところに、高層マンション建設計画が浮上して行動を起こす契機となったのである。まもなく、「景観を守ろう」と書かれた緑の幕や、太陽が泣いている図柄の赤旗などが近隣に掲げられた。南円山の未来を考える会は、業者に対し階数削減を求める一方で、戸建て住民を中心に地区計画提案への取り組みを進めた。この間、序盤はAさんと私が、中盤からはAさんが精力的に活動をサポートし、わずか3か月後の2007年9月に提案書を提出、2008年6月、「南円山第2地区」地区計画が決定、告示された。契機となったマンション建設計画は既に中止されていた。
 地区計画市民提案に至った札幌の3例には、ベースとして、「自分たちの街への愛着と、良好な住環境を維持したいという思いの共有」があり、契機として「自分たちの暮らしの根幹を揺るがす重大な出来事の発生」があった。1例目を可能にさせたのは「過去の類似体験からの学び」であり、「先行地域からの触発と直接サポート」が後続地域への連鎖を実現させたと考えてよいだろう。また、この3地域では、共にリーダーが女性であったという偶然が、連携を取りやすくした面があることを付け加えておきたい。


資料:南円山6条地区地区計画市民提案の経過、関連事項および連鎖地域の主な動き

*市民提案第2号となった宮の森緑地北地区の動き
**市民提案第3号となった南円山第2地区の動き

事項

2003

 都市計画法に基づく市民提案制度ができる

2004

 地域に13階建マンション建設計画が浮上、業者と話し合い中止となる

 地区計画提案制度を知り、近隣の十数軒で「考える会」を持ち話し合う

 「まちづくり協議会南円山6条」発足、通信発行を開始

4~

 地区計画学習会、意向調査、住民集会、バザー、素案作成、訪問説明など

 「南円山6条地区」地区計画提案書を提出

10

高層マンション建設予定地の隣地に住む宮の森在住Aさんより講師依頼

11

「宮の森の環境を守る会」発足、講演会開催(講師:入江)

11

 「南円山6条地区」地区計画提案を都市計画審議会で事前説明

2005

 「南円山6条地区」地区計画提案に都市計画審議会が同意

 「南円山6条地区」 地区計画が決定、告示される

 市議会で採択され条例となる

 地区計画周辺地域に緩衝帯の設定を求める要望書を提出

2006

 札幌市が市内ほぼ全域を対象に絶対高さ制限を施行

 地区の南外側に15階建マンションが完成

「宮の森緑地北地区」地区計画提案書を提出(宮の森の環境を守る会)

11

「宮の森緑地北地区」地区計画が都市計画審議会で決定、告示される

2007

**高層マンション建設予定地の隣地に住む南5条のO夫妻が来訪、相談

**南5条有志にAさんと入江が体験談、「南円山の未来を考える会」発足

**「南円山第2地区」地区計画提案書を提出

10

「宮の森緑地北地区」地区計画が市議会で採択され条例となる

2008

**「南円山第2地区」地区計画が都市計画審議会で決定、告示される