【要請レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅲ統合分科会 地域社会の維持・発展をめざして

奥州市誕生までの合併協議とその後
~たった2ヶ月で決められた合併~

岩手県本部/自治労奥州市職員労働組合

1. はじめに

 「平成の大合併」と全国各地で叫ばれてから早5年が経過しました。
 国の財政難等を要因として推進した地方分権、事務委譲、財源委譲は、ある一定規模以上の自治体規模が必要であるというもので、受け皿となる自治体の削減を目的に市町村合併を推進してきました。
 合併特例債の充当と国庫補助金、地方交付税の削減という「アメとムチ」による半ば強制的な合併の推進であり、小規模自治体は、引き続き自治体運営を継続していくためには他の自治体と合併せざるを得ない状況に追い込まれたといっても過言ではありません。
 さらに2005年3月末までに特例法の期限が終了した後の市町村合併をしなかった小規模町村への扱いや、強制合併議論など、地方自治を軽視する動向もあり、結果、自治体主導というよりは、国主導の合併という色合いの濃い「平成の大合併」となりました。
 当奥州市は岩手県の県南部に位置し、水沢市、江刺市、前沢町、胆沢町、衣川村の2市2町1村、計5市町村の合併により、2006年2月20日に誕生しました。
 江刺市も地方分権の推進、交付税の圧縮等による財政状況の逼迫、少子高齢化の進行と人口減少、生活圏・経済圏の広域化と行政ニーズへの対応を理由に市町村合併を行いました。
 他の市町村においても、余裕のある財政運営をしている自治体はなく、引き続き自治体運営を継続していくためには、市町村合併を選択するか、財政等に大鉈を入れるしかない状況にあり、中には再建団体の手前にある自治体もありました。
 組合の構成としては、江刺市が自治労加盟、その他4市町村は自治労連加盟であり、組織競合となっています。現在の組織人員比率は約1:3となっており、自治労奥州市職労として組織の維持・拡大強化の取り組みが急務となっています。

2. 市町村合併の歴史的背景

 江刺市は、1955年江刺郡一町九カ村が合併し江刺町が誕生し、1958年市制が施行され誕生しました。
 いわゆる昭和の大合併であり、戦後、新制中学校の設置管理、市町村消防や自治体警察の創設の事務、社会福祉、保健衛生関係の新しい事務が市町村の事務とされ、行政事務の能率的処理のためには、規模の合理化が必要とされたことによるものです。
 1953年の町村合併促進法(全国一律に人口8,000人を標準として町村の合併を進めるもの)及びこれに続く1956年の新市町村建設促進法により合併が進められ、1953年から1961年までに、全国で市町村数はほぼ3分の1の3,500弱になりました。
 昭和の大合併の後、1965年に10年間の期限付きの「市町村の合併の特例に関する法律」(合併特例法)が施行されました。この法律は、市町村が自主的に合併する場合の、合併をめぐる障害を除去するための特別措置や支援策を盛り込んだものとなっています。
 合併特例法は、その後10年間ずつ延長されており、2005年3月末で失効。2005年4月「市町村の合併の特例等に関する法律」(合併新法)が施行され、合併が推進された結果、1999年3月31日時点で3,232あった市町村が2008年11月1日時点で1,784まで減少しました。
 さらに、現在は、合併旧法の後継法である「市町村の合併の特例等に関する法律」(合併新法)の下で市町村合併が引き続き進められています。

3. 市町村合併決定までの経緯

 以前から、広域行政組合の設立や電算事務の一括化など胆江6市町村(水沢市、江刺市、金ケ崎町、胆沢町、前沢町、衣川村)として合同で事務を行ってきた経過から、2004年4月以降、胆江6市町村の合併論議が首長をはじめ構成市町村間で行われてきましたが、金ケ崎町が早々に離脱、残る5市町村で枠組みを模索する形となりました。
 前沢町、胆沢町、衣川村の結束は固く、水沢市は3町村に同調するか、江刺市と2市先行合併に踏み切るかの状況となり、2市合併には、江刺市長が難色を示し、5月に江刺市を除く4市町村(水沢市、前沢町、胆沢町、衣川村)の合併の枠組みが決まり、4市町村は7月に任意協議会を設置し法定協議会設置に向け準備を進めてきましたが、9月に水沢市議会が法定協議会設置議案を否決し、任意協議会は解散となりました。
 一方、江刺市は4市町村の枠組み決定を受け、隣接する金ケ崎町、北上市と6月に3市町の合併推進を公表し、3市町合併課題研究会を設置し検討に入りました。
 しかし、2004年12月に水沢市長が合併特例法期限内の胆江6市町村合併を目指すとして、合併協議を行うための首長会議を招請し、金ケ崎町を除く5市町村(水沢市、江刺市、胆沢町、前沢町、衣川村)が合意し、2005年1月上旬に法定合併協議会を設置しました。
 二転三転する合併の枠組みに住民は困惑し、十分な説明がない住民説明会は、市長の考えを事後報告するだけの集会となりました。江刺市職労は十分な住民説明を行い民意の反映した協議となるよう申入書を提出、また、2月には自治労岩手県本部よりも申入書を提出しました。
 総務省によると22ヶ月かかるとする合併協議がわずか2ヶ月余りで進められ、臨時を含めた通算15回の合併協議会により、奥州市の47協定項目を承認しましたが、あまりに短期間での協議調整であったため細部までの調整が不可能であった事は言うまでもなく、協議事項のほとんどは「合併後調整する」とし、課題を先送りしたままでの市町村合併となりました。
 江刺市職労ではこの間、合併協議会の傍聴をし、機関紙により合併論議の状況と問題点について組合員への周知を図り、住民へは、今回の合併協議の問題点等を浮き彫りにし、今回の合併論議が住民不在で進められていることを喚起するために新聞への「織り込みチラシ」を行いましたし、今回の合併に反対する議員等との意見交換も行ってきました。
 しかし、今回の市町村合併論議があまりにも拙速であり、住民自治が本当はどうあるべきなのかというような住民(市民)行動を起こすまでにはいたりませんでした。
 3月28日、5市町村は合併協定書に調印、30日同時議会で合併関連議案を可決し、合併特例法期限最終日の31日に知事に合併を申請しました。
 住民への説明はもちろん、協定項目の十分な議論も調整も行われないまま、自治体の財政事情だけを理由とした拙速な合併がここに成立してしまいました。
 また、期限内に合併するというゴールを決めて協議を進めたため、あえて詳細まで協議を詰めず、うやむやにした感もあります。
 特にも、旧水沢市において、自治体病院、土地開発公社、競馬事業と多額の負債と不安要素を抱える問題があり、「負の財産」としてその取扱いについて合併協議でも大きく取りざたされ、2ヶ月の合併協議でその不安や課題が解決できるはずなどありませんでした。
 しかし、市町村ごとの合併時の持込基金や負債額のバランスによって、合併後の旧市町村の事業量や事業費を決めるという約束をしたことから、水沢市以外の市町村では自分たちにその弊害はないだろうという考えとなり、合併への妥協点となりました。

 結果的に、旧市町村のツケを新市に持ち込んだだけで、現在もなおその多額の負債と不安が残っている状況です。
 しかも、病院、土地開発公社、競馬事業の負債は市の財政を圧迫しており(一般会計からの繰入れ、基金の取崩し)、合併時の約束事項ですら反故にされかねない状況となっています。
 その他にも旧市町村が抱えていた問題や課題が山積しており、その整理・清算をし、住民や構成市町村同士がしっかりとお互いの問題を理解し、解決策を見出す前に合併したため、いまだに旧市町村間の融和や交流も少ない状況にあります。
 この合併協議の間、単組としては、自治体の財政状況悪化に伴う合併であり、合併について住民理解の得られていない拙速な合併であることから、合併に対して反対の立場を確認し、要望書の提出、合併協議会の傍聴、地区労センター等との連携による意見交換会・学習会の開催、合併後の財政推移等の検証など、合併に対する取り組みを進めてきました。

4. 合併後の状況

 前述のように、合併協定項目の多くが「合併時に統合する」、「合併後に調整する」、「平成○年を目途に調整する」などとされ、調整を先送りにしました。
 すでにほとんどの協定項目の調整が完了していますが、現在調整している項目もあります。
 また、水道料金は改定によりすでに増額となっているほか、固定資産税や国保税などは2009年度に統一することとしており、現在の財政状況からすると合併前よりも負担増となるのはほぼ確実であり、税金等の統一に向けて住民理解を得ることは非常に難しいと予想されます。
 さらに、旧江刺市は過疎地域に指定され、行政運営上有利な起債である過疎債(充当率100%、交付税算入70%)を有効に活用し事業を実施してきましたが、合併によりみなし過疎地域指定となったため、現行の法律では2009年度限りで過疎指定が解除となることから、過疎債の充当が不可能となり、事業の圧縮をせざるを得ない状況となります。
 合併協議時は、合併すれば今よりも財政状況は良くなると説明をしており、将来へ向けてある程度の希望も持っていましたが、交付税は削減され多額の負債を抱えている現状では財政状況の良化は全く見えず、市民には「財政状況や各種手数料など合併して悪くなることはない」と説明してきましたが、住民の負担増につながる内容が多くなっている状況です。
 また、職員給与についても、当初合併協議においては合併前の旧市町村給与の加重平均をモデルとして調整することとしていたものの、財政状況の悪化等から、その加重平均モデルに地域級を導入したラインをモデルとするとの提案がされ、実質大幅に値切られた結果となりました。特に給与の高かった市部職員においては、退職まで昇給しない職員も多く発生しています。
 これらさまざまな要素から、旧江刺市の立場(他の町村部も)からすると逆に合併しなかったほうがいいと思うくらい住民も職員もデメリットの方が多く感じられます。
 合併のメリットとして挙げられる事項はほとんどありませんが、強いてあげるとすると、合併に伴う自治体の大規模化というスケールメリットになるかと思われます。
 先日の岩手・宮城内陸地震の際、地震直後は、災害対応体制がしっかり整っておらず、緊急時ということで担当職員が昼夜を問わず災害復旧作業に従事しており、特に水道部の技術系職員は仮眠を取りながらの長時間作業を余儀なくされ、いつまた余震が起こるかわからない状況の中で、震源地付近での復旧作業に従事し、心身ともに疲労が蓄積されていました。
 合併前であれば、代わりの職員がなく担当職員がそのまま作業従事することになったはずですが、合併で職員数も多くなり、その後交替制による作業従事に切替え復旧作業にあたりました。
 このことは、震源地に近く元々職員数の少なかった旧町村部においては特にその効果が大きく、その後発生したかもしれない職員の健康被害という二次災害を未然に防ぐ効果となりました。
 しかし、これを合併効果と言っていいものなのかはわかりませんし、天災はいつ発生するかわからず、その備えのために合併をするわけではありません。合併しない小規模自治体でも組織体制の確立などしっかりした準備をしていれば済む話なのかもしれません。

5. 今後の課題

 合併効果が全く見えず、現状の枠組みへの不満が高まり、旧市町村間での摩擦や軋轢が生じたりするなど、よほど情勢が激変しない限りは、合併を解消するような住民運動が展開されるということは考えにくく、いかに新市における旧市町村間の相互理解を深め、一体感を醸成していくかが課題となります。
 また、昨今の経済情勢により、地域経済も停滞しており、それらさまざまな課題を打開していくためには、行政が主導だけではなく、地域や住民が主体となった活性化が必要不可欠です。
 現在、自治体や公務員が置かれている立場は非常に厳しく、行政は何を求められ、これからどういった役割を担わなければならないのかをしっかりと整理していくことが重要と考えます。
 そのためには、住民理解を得ながら透明性の高い行政を展開していくため、懇談会等の意見を交える場の設定やアンケートの実施など住民の声をしっかりと集約し、自治体自らも業務体系や内容の見直しを進め、さらに他地域との比較をしながら優位性や劣等性などその地域を見つめなおすなど、差別化を図る工夫が必要です。
 自治研活動もその一翼を担うべきものであり、さまざまな研究や検証活動を行いながら、自治体に対し提案し、自治体と組合とが共に切磋琢磨していかなければなりません。
 合併後の旧地域の融合や一体感の醸成にはかなりの年月がかかるものであり、今後生活やさまざまな行事等の中で少しずつ培われていくものだと思います。
 民意をしっかり捉え、反映していく官民一体となった行政運営、そして開かれた行政の構築を進めながら、地域を主導し、フォローしていくことが合併を行った自治体としての責任ではないかと思います。

○奥州市合併までの流れ
2004年12月10日
水沢市長が特例法期限内の胆江6市町村合併の協議を胆江5市町村に申し入れ
   12月15日
特例法期限内の胆江6市町村合併に係る市町村長会議開催(金ケ崎町長欠席)
   12月21日
特例法期限内の胆江6市町村合併に係る市町村長会議開催
   12月23日
特例法期限内の胆江6市町村合併に係る市町村長会議開催(金ケ崎町長欠席)
   12月30日
特例法期限内の胆江地区5市町村合併に係る市町村長会議を開催
2005年1月4日
5市町村長会議を開催、1月中旬までに法定合併協議会を設置することとし、準備会を設立
   1月8日
第1回準備会を開催、臨時議会を5市町村同時に召集することを再確認
   1月12日
5市町村議会において臨時議会を開催、法定協議会設置議案が賛成多数で可決
   1月13日
水沢市・江刺市・前沢町・胆沢町・衣川村合併協議会設立
   1月15日
第1回合併協議会開催
   1月17日
岩手県から合併重点支援地域指定を受けました。
   1月20日
第2回合併協議会開催
   1月27日
第3回合併協議会開催
   2月3日
第4回合併協議会開催
   2月5日
第4回(2日目)合併協議会開催
   2月10日
第5回合併協議会開催
   2月16日
第6回合併協議会開催
   2月20日
第6回合併協議会(2日目)開催
   2月22日
第6回合併協議会(3日目)開催
   2月25日
第7回合併協議会開催
   3月1日
第7回合併協議会(2日目)開催
   3月3日
第8回合併協議会開催
   3月10日
第9回合併協議会開催
   3月13日
第9回合併協議会(2日目)開催
   3月28日
第10回合併協議会開催
   3月28日
合併協定調印式開催
   3月30日
合併関連議案が各市町村議会で可決
   3月31日
岩手県に廃置分合申請
   4月26日
2005年度第1回合併協議会開催
   7月4日
奥州市設置に関する議案が岩手県議会で可決
   7月7日
2005年度第2回合併協議会開催
   7月21日
奥州市設置について総務大臣により告示
   8月23日
2005年度第3回合併協議会開催
   10月12日
2005年度第4回合併協議会開催
   11月26日
2005年度第5回合併協議会開催
2006年1月27日
2005年度第6回合併協議会開催

奥州市の概要

(1) 行政形態
  地域自治区制を採用し、旧市町村を地域自治区とし、地域自治区長及び地域協議会を設置しながら、市全体及び各自治区の行政運営を行っています。
 また、総合支所方式により、各自地区に総合支所を設置し、従来の行政窓口と住民サービスの維持を図りました。(水沢区には、本庁と総合支所が同じ建物内に設置しています。)
 市議会は、旧市町村間の人口や行政、事業のバランス等に配慮する形で、最初の選挙のみ定数特例と選挙区制を採用しました。
 本来法律上34人の議員数に対し、定数特例により41人(選挙区:水沢区17人、江刺区10人、前沢区5人、胆沢区5人、衣川区3人)となっています。(任期2010年3月18日)

奥州市各区人口
(単位:人)
 

水沢区

28,631

31,608

60,239

江刺区

15,768

16,776

32,544

前沢区

7,224

7,907

15,131

胆沢区

8,470

8,832

17,302

衣川区

2,374

2,581

4,955

62,467

67,704

130,171

(2) 人口(2005年国勢調査)
 奥州市の人口は、130,171人で、岩手県全体の9.4%を占め、県内では盛岡市についで第2位の人口規模となります。
 合計特殊出生率(2006年数値)は、1.64となっており、岩手県の平均値1.39を大きく上回っています。
 一般世帯数は41,498世帯で、増加傾向にあるものの、1世帯人口は3.14人で減少傾向にあり、核家族化が進んでいます。

(3) 位置・地勢
 奥州市は、岩手県の内陸南部に位置し、北は北上市・西和賀町・金ケ崎町・花巻市、南は一関市・平泉町、東は遠野市・住田町、西は秋田県に接しています。
 総面積は、993.35km2と広大で、東西に約57km、南北に約37kmの広がりがあります。
 地域の中央を北上川が流れており、北上川西側には胆沢川によって開かれた胆沢扇状地が広がり、水と緑に囲まれた散居のたたずまいが広がっています。
 奥州市最高峰の焼石岳(1,548m)を主峰とする西部地域の焼石連峰は、ブナの原生林が多く残されています。また、北上川東側には、北上山地につながる田園地帯が広がり、東端部には、種山高原、阿原山高原が連なっており、地域全域が緑のあふれる豊かな自然に恵まれています。
 土地の利用状況は、総面積のうち、田が17.7%、畑が4.8%、宅地が3.5%、山林が44.1%で、農地の割合が高く、稲作を中心とした複合型農業により、県内屈指の農業地帯となっています。また、交通の利便性の良さを背景に、県内でも屈指の商業集積が進み、工業団地等が整備され、伝統産業や基幹産業の事業展開が図られています。

(4) 名産品・特産品
 前沢牛、奥州牛、江刺りんご、江刺金札米、亀の子煎餅、胆沢ピーマン、卵めん、岩谷堂羊羹、地酒、南部鉄器、岩谷堂箪笥

(5) 主な祭り・イベント
 日高火防祭、江刺甚句まつり、前沢牛まつり、黒石寺蘇民祭、奥州ころもかわ祭り、奥州いさわ焼石マラソン、スポニチ奥州前沢マラソン、江刺蔵まち市、全日本農はだてのつどい

(6) 名所・観光地
 黒石寺、正法寺、えさし藤原の郷、江刺蔵まち、東北ニュージーランド村、牛の博物館、栗駒国定公園焼石連峰、国立天文台・水沢VERA観測所、奥州宇宙遊学館、斎藤實・後藤新平・高野長英記念館

(添付参考資料) 「あまりにも早すぎない? たった2ヶ月半で合併?」