【自主論文】

第32回北海道自治研集会
第Ⅳ-①分科会 これでいいのか!? 日本の人権

医療通訳の制度化に向けて


兵庫県本部/医療通訳研究会(MEDINT)・代表・
(財)兵庫県国際交流協会・スペイン語相談員 村松 紀子

1. はじめに

 「医療通訳」をご存知だろうか。
 病院などの医療現場で、日本語でのコミュニケーションが難しい患者もしくは家族へ通訳する職業である。
 想像してみてほしい。医師の言葉がわからない、処方箋が読めない、病院システムがわからない中で治療を受ける患者とその家族の心細さを。自分が言葉のわからない場所で治療を受ける恐怖を。そして、いつもはうまく話せるはずの言葉が身体や心の不調によって話せなくなる切なさを。誰でも、心と身体が弱ったときには、一番ストレスのない状態でコミュニケーションをとりたいと願う。「医療通訳」は医療従事者ではないが、こうした医療者と患者のコミュニケーションの橋渡しをする役目を担うものである。
 移民先進国であるアメリカには、英語の会話に制限のある住民が母語の通訳をつけて受診できる人権を定めた法律(注1)があり、オーストラリアには資格を所持する通訳者を医療通訳として活用する取り組み(注2)がある。しかし、日本にはまだ「医療通訳」という確立した職業や制度はない。
 神奈川県(注3)や京都市(注4)といった先進的なNPOが活躍する地域では、行政からの助成を得て、システム運用を開始しているが、日本には、医療通訳者の医療従事者に準じた資格制度もなければ、病院の医療通訳を同席させる法的義務、公的保険で医療通訳費用をカバーする制度もない。まさに何もない状態なのである。
 医療通訳は、病院現場の資格を持った医師や看護師といった人々の中で、重要な役割を果たすにもかかわらず専門職として認められていない。つまり、通訳の質に関しての保障もなければ、通訳に起因する医療過誤が起きても責任をとる主体がないことになる。
 これが、現在の日本の医療通訳の現状である。

2. 増加する外国人医療通訳ケース

 外国人登録者約215万人(2007年12月末)。総人口に占める外国籍住民の割合は過去最高を更新している。その中には日常会話以上の日本語ができない外国人が存在する。
 また、定住化が進む中で、出産や子どもの医療、慢性疾患、高齢化など外国人が医療機関に行く機会も以前とは比較にならないほど増えているといえる。しかし、外国人にとって、日本の医療には、「言葉」と「文化」そして「制度」という3つの大きな壁が存在する。多文化共生は、こうした壁の一つ一つを乗り越えていくことで実現していくのだが、特にこの医療現場の「言葉の壁」を専門性の高い医療通訳者を活用することによって取り除くことが、医療アクセスへの権利保障の第1歩なのである。
 近年、海外滞在経験があり言葉にも精通した医療従事者が増えていることは確かであるが、正確なインフォームドコンセントと外国人患者の文化的なケアを行うには熟練した医療通訳者の存在が欠かせない。このレポートでは、こうした外国人医療の現場での医療通訳の現状について明らかにすることを目的とする。

3. 医療通訳の現状

 家族歴やアレルギーなどの個人情報、手術や輸血などの説明、同意書、ガンやHIVの告知や治療方針の立て方など、日常会話程度の語学力ではこなせない場面では、医療通訳者の存在は不可欠である。
 英語であれば堪能な医師や医療従事者を探すことは難しいことではないだろう。しかし、それ以外の言語となると、その言語に堪能な同国人もしくは日本人通訳者の助けを借りなければ難しい。
 では、医療通訳者はどこにいるのか。残念ながら、まだ日本には普遍的に制度化された医療通訳システムは存在しない。一部の病院が医療通訳を雇用したり、NPOや国際交流団体などが自治体と連携してボランティアを派遣している地域もあるが、圧倒的多数のケースは友人・知人などの患者に身近な人が通訳として同行している。
 今、医療現場において言葉の問題が深刻化しつつある。なぜなら、1970年代以降に増えたニューカマーと呼ばれる外国人(インドシナ難民、中国残留孤児とその家族、中南米日系人、国際結婚の配偶者など)がその後定住化し、家族を形成し、子どもが生まれ、現在徐々に高齢化しつつあるからである。
 では、誰が医療通訳を担っているのかを考えてみたい。

(1) 家族または同国人コミュニティの人
 定住外国人の場合は、患者家族もしくは同国人の地域コミュニティの中で日本語に堪能な人が病院に同行するケースが一番多いと予測される。コミュニティの中にはこうした支援を専門に行う通訳熟練者も存在するが、ほとんどは日本語会話ができるということで通訳として同行している。特に活用されるのが、学齢期の子どもである。小学校高学年~高校で日本語のできる子どもが学校を休んで病院などに同行しているケースが多く見られる。
 しかし、子どもの語彙力はその年齢に応じたものであり、身体の部位や病名については、いくら日本語の会話ができるからといって、通訳できるものではない。通訳するには専門辞書の使い方や専門用語に通じていなければ正しい通訳はできない。
 また、知人の通訳者を使う場合、病名などの個人情報がきちんと守られるかどうかを心配する患者も少なくない。

(2) 会社の通訳者
 外国人労働者は派遣会社(ブローカー)を通じて働いている人が多い。そうした会社は大抵の場合同国人通訳者を配置していて、その人が病院に連れて行ったり、診察に同行する場合もある。しかし、これも問題がないわけでなく、患者の訴えをきちんと訳さず労災隠しをすることもあるし、患者の病名を会社に伝えてそのまま解雇になってしまうような事例も報告されている。

(3) ボランティア通訳者
 言葉のできるボランティアが、外国人の日常生活を通訳支援していることも多い。ただし、医療現場は専門用語が多く、通訳ミスがあると患者に正しいインフォームドコンセントが行えないという事態も出てくる。また、ボランティア通訳者は無防備である。インフルエンザや結核などの感染症の患者に対して防護をすることなく接したり、付き添ったりする可能性もなくはない。その上、もし通訳ミスによる医療過誤が起きたとしたら、個人で責任を取らなければいけないことにもなるであろう。また長い待ち時間や交通費などの経費をボランティア個人で負担しなければならなくなり、ボランティアである限りは、情熱を持っていても通訳者は長くは続かない。

(4) 本人の日本語
 長期間にわたって定住している外国人の中には日本語を問題なく話す外国人も少なくない。学校や仕事場などでは日常生活に問題のない日本語を話す人も、身体や心が弱ったときに、辞書を引きながら会話をしたり、専門用語を理解するのは非常に困難である。また、外国人でも少し日本語が話せると思うと、早口で、方言や専門用語の混じった「容赦ない」日本語になる人もいる。医療現場は一般の人には厳粛であり、敷居が高い。わからないとかちゃんと説明してというには勇気が必要である。患者がうなずいているからといって、100%理解しているのではないと疑ってかかるべきかもしれない。

 外国人が安心して医療を受けるアクセスを確保するためには、母国語でのサポートは欠かせない。医療通訳には高度な守秘義務を含む倫理規定の遵守とともに熟練を要する。特に、終末医療や告知、手術の説明や精神医療の領域、家族のケアなどでは重要な役割を果たす。しかし現状では、医療通訳者は日本では「資格認定」どころか、それが専門的な技能が必要な仕事であることすら認識されていない。

4. 医療通訳者の報酬問題

 日本においては、通訳は目に見えず成果物もないことから、費用が発生すると考える人が非常に少ない。通訳者から見れば、冷蔵庫を買ってお金を払わない人はいないのに、通訳を使ってお金を払わないで平気な人はたくさんいるのはなぜだろうと思う。逆に通訳を介してコミュニケーションすることに不慣れでもあり、それが外国人患者を敬遠する医療現場の空気に繋がる。
 日本にはすでにたくさんの外国人が定住し、「お客さん」ではなく、「ともに生きる隣人」として、日本社会も多くの恩恵を受け、定住外国人も日本人と同じように税金も支払っているし健康保険にも加入しているのである。言葉の問題で医療に対しての対等なアクセスができないというのは、社会的にも「フェア」ではないといえる。

5. 医療通訳者の資質及び技術問題

 現在、助け合いや善意の上で成り立っている医療通訳であるが、その職業的資質から考えると厳密な質の管理が必要になって当然であると考える。医療通訳の原則は、医療者と患者の言葉を感情や私見を交えず100%正確に伝えることである。当たり前のことができて、初めて医療者の言葉がすべて患者に伝わるのである。それはつまり、通訳者が技術的に未熟で誤訳をしたり、わからない言葉を飛ばしたり、自分の意見を加えたりすると、医師からの説明は100%患者に伝わっていない、また患者も100%医師の言葉を理解できていないという状況になる。
 医療通訳の問題は、報酬やシステムの問題と共にこの医療通訳者の資質と技術の問題が非常に大きい。診察の現場にいる医療従事者はすべてプロである。そこにアマチュアの医療通訳者が入る危険性についてあまり言及されないのは、ボランティアだからという甘えと遠慮があるのかもしれない。
 医療通訳者にはOJT(On the Job Training)はありえないのである。すべてのケースが命に関わるかもしれないものであり、だからこそ、医療通訳者はどのケースにもベストを尽くし言い訳をしてはならないと考える。

6. おわりに

 言葉の問題さえなければ日本で医療を受けたいという声は少なくない。日本の医療は、世界的にも高いレベルにあり、社会保険制度も非常に充実している。日本では治療を受けられないとあきらめて、健康保険に入ることをためらっている外国人も言葉の問題が解決されれば、保険料を払うことをいとわなくなり保険料収入の増加が期待されるのではないだろうか。人権の視点で考えると、外国人患者に対する様々なコミュニケーションにおける配慮は、実は同時に私たち日本人患者への配慮ともなるだろう。
 是非、多くの皆さんに医療通訳について関心を持っていただきたい。





1 1964年 Civil Rights Acts(公民権法)「米国に住む人は、人種、肌の色、国籍(出生地)等を理由に、排斥・拒否・差別の対象にされることはない」と明記。さらにTitle 6では、連邦からの補助を得たプログラムの中では、人種、肌の色、国籍等を理由に差別の対象にされることはないことが定められている。
2 NAATI The National Accreditation Authority for Translators and Interpreters Ltd http://www.naati.com.au/
3 MICかながわ http://mickanagawa.web.fc2.com/
4 多文化共生センターきょうと http://www.tabunka.jp/kyoto/