1. はじめに
学校は地域の自治を担う市民が学び育つ場である。地域に根ざした学校、地域とともにある学校が、地方自治における公教育の求める姿である。だが、今進められている新自由主義的な教育政策の基では、市民自治という共同性の視点ではなく、排他的な自由競争が原理とされ、地域格差の拡大と地域社会の崩壊がはじまっている。先進地域米国の民営化の果てにある教育の実態は「ルポ貧困大国アメリカ」に描かれている。貧困の蔓延が進む中で、民営化された教育と民営化された戦争のドッキングは海の向こうの国の話ではなくなろうとしている。
安倍前首相が教育再生会議を立ち上げ、あるいは文科省が中央教育審議会で審議させている各種の教育改革政策は、英米国が先行した新自由主義的教育改革を手本としている。学校事務の領域にあっては学校事務の共同実施・学校事務センター化がこれに当たる。学校事務の共同実施・学校事務センターは学校事務職員を学校現場から引き剥がし、教育行政組織の出先である共同実施拠点校あるいは学校事務センターに集中させるものである。制度的には先行実施していた大阪市学校事務センターは教育委員会事務局の外部組織である。学校事務の共同実施・学校事務センターは教育委員会事務局の機能と学校現場での行政機能との地方教育行政での役割分担の新たな試みという側面をもつ。が、地方教育行政の任務の検討がないままに、合理化対象としてあげられている。このような中で、次のステップの形態として学校現場には学校事務職員が引き上げられるか、あるいは委託・派遣労働者が短時間勤務する形態となることは予想できる。すでに神奈川県立学校の学校事務の集中化計画(学校事務センター構想)の当初案では、事務長は職員室に配置、事務室は委託職員による窓口業務等とされていた。今後、都道府県立学校の事務職員は定数法による配置基準が守られるかどうかは別にして(定数は短時間再雇用職員の配置でも可能)、学校事務センター化により廃職の危機に陥ると考えられる。また、義務教育費国庫負担金が1/3に削減されても負担金が残っているため、義務制小中特別支援学校では学校事務職員を学校に配置しなくてはならない。このことから臨時職員化までの合理化は進んでも、次の段階の合理化としての委託・派遣化は、都道府県立学校事務職員に比べると困難性があると考えられる。これまで義務制小中特別支援学校の学校事務職員は1人、2人の配置のため学校事務の組織化のモデルケースを高校事務室組織に見てきた。したがって制度改正や解釈の大幅な変更により高校事務の合理化の後追いをさせられることも充分考えられる。学校や教育委員会機能の公設民営化は日本でも進められており、その1つの準備作業として学校事務の共同実施・学校事務センターの本質があることは英米国の事例からも明らかにしたい。
2. 新人確法体制化の学校職員間の格差拡大
教育基本法およびそれを補完する学校教育法等の三法の改悪が順次行われた。文科省はこれを推進するために、省令等による地方教育委員会や学校現場への強制、そして2008年度文教予算による管理的業務を担う教職員の新規配置などの財政的な裏づけを行おうとした。新中間層や富裕層では新自由主義教育政策による教育選択で自由化を享受する一方、旧中間層や貧困層では、公立学校による公教育の提供や給食の提供が命綱となっている現状もある。しかも公的な教育予算は全体として削減される傾向にある。階層間および地域間格差の拡大を容認する教育政策の誘導によって公立学校も私立学校に対抗するような政策の導入を余儀なくされた。「小中一貫校」「中高一貫校」そして少人数学級、外国語教育の重点化、あるいは図書館司書の配置等が財力のある自治体の教育委員会レベルの政策として実施された。この多様な教育政策を担う学校職員は、臨時・非常勤職員への依存、さらには委託会社からの派遣によって成り立っている。学校の公設民営は教育特区で部分的に進められている。例えば、岡山市にある株式会社立の朝日塾中学高等学校である。
既に教育現場では1974年の人材確保法によって適用される教員と非適用の他の学校職員との差別的な人事管理を行ってきた。さらに新教育基本法を支える新人確法体制(学校職員間の格差の拡大と管理強化)が始まっている。公教育を担う学校職員の間にも格差社会の影響が明らかとなっている。教育は学校職員による労働集約的な業態である。教育サービスの質は、学校職員の量に還元できる。したがって子どもに接する学校職員が多ければ多いほど教育サービスは充実する。だが、臨時非常勤職員の割合が河内長野市、島本町では50%を超え、その多くが学校・教育、福祉・保育など市民生活部門で働いている。学校職員間における格差は驚くほどに拡大している。多くの学校現場で生活保護水準の学校職員が次世代を担う子どもたちの教育を支えているのが実態なのである。さらに、私企業の市場として公教育が開発されようとしている。その一つは学校職員の派遣である。塾などを含めた教育産業は全体で見ると非正規労働者の割合が高い産業である。
地域社会における格差拡大による亀裂を放置したまま、学習活動のみの効率化(学力の向上)が図られている。一般教員は、子どもの家庭環境や地域における友人関係から、切り離されたところで授業活動に専念する方向に追いやられている。そして、学校組織が一般職員の多いネットワーク型組織モデルである鍋蓋型(一部のつまみである管理職と多数の一般教職員)から、校長、副校長、主幹教諭、指導教諭、教職員そして多数の臨時・非常勤職員や委託職員というピラミッド型への転換の構図が描かれている。これが教育三法の改悪による体制であり、文科省が2008年度概算要求において教員の多忙化解消の名目で2万1千人の定数増要求を行った真の理由である。これを「新人確法体制」と呼ぶこととする。
3. 英米流の教育政策
最初に述べたように地方教育行政・学校も英米国流の政策の影響を強く受けている。日本の地方教育委員会に当たる地方教育当局(LEA;Local Education Authority)はイングランドに150あり、これを監査する教育水準局(国の独立監査機関 OFSTED)が1998年に設立された。国家の教育目標に至らない現在7つの地方教育当局(LEA)が民間委託されている。米国ペンシルベニア州では知事は2001年フィラデルフィア市学区教育委員会を解散し、学校改革委員会を設置し、学区の運営を委託した。このとき教育委員会幹部職員325人が解雇されたという。(ニューヨークタイムズ2002/3/17)
学校運営に地域住民らが学校運営に参画するコミュニティースクールも英国の学校理事会制度の影響を強く受けている。地方教育行政の自主性は教育の自治にとって不可分の問題である。だが、自治は教育の国家目標を実現するための手段となっている。そして学校も国家の教育目標に至らない場合には、民間委託による教育再生が待ち受けている。
教育における私企業の活性化も英米流の新たな教育政策を見習ったものである。佐々木賢は次のような記事を紹介している。(「教育『民営化』の意味」、英国の「ブレア政権はテスト成績の悪い公立高校を廃し、『City Academy』という民間委託校を2010年までに50億ポンドをかけて2,000校作ると宣言している。政府は各学校に2,500万ポンドをかけて、校舎を建築し、運営費もだすが、請負民間企業は200万ポンドをだすだけで、しかも民間理事会は学校の統制権とカリキュラム権を与えられるという。政府はこれを『国家資金による私立学校』と称している。地方教育委員会の監督を受けずに学校経営ができる仕組みだ。」(ロンドンタイムズ2005/3/29)
文科省は、研究指定方式を改め公募方式による「新教育システム開発プログラム」52プロジェクトを2007年6月に発足させた(約15億円の経費)。目に付くのは「企業・NPOの知見を活かし、学校の外からの提案を試行研究」という企てである。1/3のプロジェクトが私企業等からの提案である事を文科省初等中等局財務課はポイントの一つに掲げている。株式会社キャリアリンクは地域志立学校を模索し、具体的には杉並区立和田中学校をモデルとした研究を行っている(採択番号11)。和田中学校はリクルート出身の藤原和博校長(当時)のもとに、地域や知り合いの企業を動員した学校経営を行い、2008年度予算における文科省概算要求の柱の一つである事務の外部化のモデル学校となっている。この学校が私塾に校舎を無償提供していることは新聞報道されている。また、大手学習塾を経営する(株)栄光は教員の派遣について研究を深めようとしている(採択番号39)。ボランティア教員のあり方とともに、「民間企業で既に成功実績のある「『教員派遣システム』の適用について」を実施協力機関(株)エデュケーションナショナルネットワーク、(株)創造開発研究所等と文部科学省の予算で検証を行うのである。栄光の北山雅史社長は「学校を公設民営化すべきです。民営化すれば40万円浮きます。」と公言している。教育の質ではなく、生活を維持できない低賃金体系を売り物にしている。2007年4月24日、第1回全国学力テストが実施され、愛知県犬山市以外は参加した。小学校6年生と中学校3年生の計240万人が文科省の意向によって国語と算数・数学の2教科の学力・学習状況調査を強制的(保護者の同意がないという点で)に受けさせられたのである。66億円で、公募方式で委託された。委託業者(取りまとめ代表)は小学校がベネッセと中学校がNTTデータである。NTTデータは旺文社グループの教育測定研究所と組んでいる。全国学力テストという英米流の教育目標の設定と数値化による達成度の計測というシステムの新規導入である。これを担うのは私企業である。全国テストのノウハウが私企業にのみ蓄積される点が大きな問題である。全国調査は特定の私企業なしには実施できなくなりつつある。この全国学力テストのモデルは、英国のサッチャー政権下で行われた教育改革の中で実施されるようになったナショナル・テストや米国のブッシュ政権下の「落ちこぼれゼロ法案」による全国一斉テストの実施である。
4. 2008年度概算要求に見られた現象
2008年度概算要求において教員の多忙化の基礎となった調査を見てみよう。それは人確法案廃止など給与見直しに対する中教審のワーキンググループによる調査である。委託研究調査として小川正人を代表とし、業務をベネッセコーポレーション・ベネッセ教育研究開発センターが担う「教員勤務実態調査」である。ここでも私企業が政策実施過程で重要な位置を占めている。教員給与が高い(特に教職調整額4%)との批判への反論として、教員の多忙化を演出する意図で行われていた。この調査では職務命令の有無や部活動が公務であるかどうかや持ち帰り業務(風呂敷残業)も個人の判断とし、30分ごとの区分で記入する任意性の高い調査であった。この調査は、教員の多忙化を強調することの狙いを持ち、それは学校事務職員への教務事務の下請けに当然の如く連動した。調査結果は34時間平均の超過勤務実態があるとされた。これを受けて文科省は教職調整額方式を改め、超過勤務手当(時間外手当)を実質支給するべきところを、半分の17時間を調整額の増額(重要ポストの教員には傾斜をかけるメリハリという名のお手盛り)と、残り半分の17時間を3施策によって多忙化解消をする案文を作り上げた。2008年度文科省の概算要求の3施策は以下のようであった。①教員の事務負担の軽減。②外部人材の活用。③事務の外部化である。学校事務職員に関しては複数校の事務を共同実施する体制の整備促進(事務職員の配置)として485人の増員がカウントされた。学校事務の共同実施は、当初では内部事務の集中化、アウトソーシングという行政全体の合理化の流れからであったが、学校現場特有の教務事務の外部化に重点が移り、変質しようとしている。それは、学校事務の共同実施・学校事務センターの設立は、このような下地作りの後に来る地方教育行政全体の公設民営の必須過程であるからだ。
5. 危機的な地方教育行政の現状
多くの都道府県教育委員会は、過疎化や少子化を理由に統廃合とともに高等学校の学区の広域化(全県一区)を進めている。過疎化と地方自治体の財政力の低下により地域から通える高等学校(後期中等教育)を維持するのが危うくなっている。だが、地場産業と結びつき独自の教育を行っている高等学校も各地に生まれてきている。それだけではなく、今後は高校生への学習活動のみならず、地域の教育施設として大人向けのリカレント教育にも高校は積極的に力を発揮する必要があると考える。
義務制小中特別支援学校の維持は基礎自治体の運営の根幹部分にある。義務制小中特別支援学校の設置者は市区町村である。設置者は、都道府県費教職員給与以外は財政負担を行う。既に述べたように財務省は財政効率化の視点から小中学校の統廃合の推進を迫り、文科省も検討を始めている。すでに小規模自治体では自治体独自で中学校を維持できない事例も生まれてきている。長野県平谷村と清内路村とは阿智村にある村立阿智中学校にそれぞれの中学校を統合する決定を2007年9月末に行った。改めて自治機能とは何か、を問われる事態となっている。中教審会長山崎正和は、この流れを肯定し「義務教育の学校も例に漏れず、山村では学校統合は避けられない」と地域による教育格差を追認している。町衆の力の強かった京都では学制がはじまる以前に自力で学校を作り、それは子どもの学習の場であるばかりではなく地域のコミュニティ拠点であり、役場や警察を兼ねた複合機能を持った「番組小学校」であった。このような側面は各地の学校でも多かれ少なかれもたれていた。21世紀になっても地域のあり方とともにある学校の将来を改めて考える試みは、わずかながらも既に始められている。
6. まとめ
学校事務領域の取り組みにもどろう。学校の運営は、自治事務である。持続可能な地域社会を求める学校の長期構想と直近の学校事務の再編成案である学校事務の共同実施・学校事務センターへの対処とをつなぐ論点として以下の問題提起を行いたい。新自由主義的な教育政策により日本でも英米国に見られる教育行政・学校の公設民営の試みが各分野で始まっている。これは地方教育行政のみならず、地方自治体全体の公設民営化の一環としてもある。
学校の管理部門の拡充として管理職員の権限強化・管理スタッフの増強と並んで教務事務の学校事務職員への転嫁が意図されている。しかも、学校事務部門は学校の外に外部化される形が鮮明である。このような政策に対して、学校事務職員は、合理化とバーターの学校事務のみの権限拡大とか地位の向上とか、給与上の位置づけの改善という誘導策に乗ってはならない。地方自治体の活性化、教育内容の自主編成を含む教育行政の民主化、学校の機能改善という格差社会の亀裂を縮小する具体的な積み重ねから、将来展望を拓いて行くことに学校事務職員としての活路を見出すことを志向したい。教育再生に発する「教員の多忙化」ではなく、格差是正のための教育政策と定数・配置計画こそが求められるものである。具体的には就学前教育、補習学習と少人数学級の拡充・制度化である。これに沿った学校財務の執行と情報公開との徹底が担うべき事柄である。そして、学校事務の共同実施・学校事務センター構想に対して、学校の複合化・多機能化の推進と地方教育行政の連携強化を対案として掲げる。
学校事務職員が教育委員会事務局と学校とをつなぐ行政職員として配置されているのは日本のみと思われる。したがって、現在、文科省によって強力に進められている学校事務の共同実施・学校事務センターという過度的なスタイルは、学校事務職員制度の廃止に至る英米流のグローバルスタンダード化であるともいえる。義務制小中特別支援学校の事務職員の共同実施は、当面、弱体な小規模自治体の教育委員会事務局への代行、あるいは融合が、実態として進んで行くと考えられる。大規模自治体の教育委員会事務局は、組織性が整っているので、その出先組織として大阪市の学校事務センター方式のような位置づけが考えられる。横浜市ではこれが構想されている。高校の事務職員は学校事務センターによって、東京都の学校経営支援センターに見られるように人員削減のターゲットにされていることは明らかである。
「"国家"の学校と"むら"の学校といういわば二つの顔がある。」といわれている。この「村の学校」という側面を強化拡大していくことが、教育における地方自治では重要であると思われる。実質的な教育機会の均等を、この進行する格差社会のなかにあって、緊急の課題として設定することが、地方教育行政の任務であり、学校事務職員の任務であると考える。
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