【自主論文】

第32回北海道自治研集会
第Ⅳ-②分科会 地域で教育を支える~教育行政・生涯学習・スポーツ・文化~

「ひきこもり」は人格ではなく状況、
労働疎外から人間疎外の視点

福岡県本部/福岡市職員労働組合 宗 比呂志

1. 福岡市立青年センター

 福岡市立青年センターに、事業担当として5年間勤務した。
 全国で、若者の自主活動を支援する取り組みはなされている。青年センターの前は、東区市民センターで勤務していた。青年の組織化はもっとも困難、いや困難というより企画・構想があっても、それでセンターや公民館に若者が集まり、活発な活動をすることなど想像もできなかった。
 福岡市にも、「若者のたまり場構想」というのがあったが、若者が集まるのもありえないし、集まって何をするのかもわからない。丸2年間検討されたが具体化できず、市長が変わっていつの間にか消えてしまった。
 中学生・高校生でも、それぞれ仲間を作り、その様々なグループが、特定の場所に集まって活動することはありえない。まして、行政が設定した場所で、仕事をしながら、社会人の青年が集まって、それぞれが何かを始めて仲間を形成し、活動を継続していくことなどありえない。
 ところが、福岡市立青年センター(2002年当時は勤労青年30歳未満、今は勤労が外れて35歳迄)には、120のサークルがある。
 まさにありえないことが、今の福岡市立青年センターで、実現している。スポーツ、華道、茶道、書道、料理などは講座の名残だが、ボランティア、自主映画、演劇、音楽、異業種交流、勉強会と多種多様のサークルが活動している。そのほとんどが仕事をしながら活動し、1,000人を超える青年が出入りしている。サークル支援も業務であったが、自画自賛しているのではない。私が異動してきた時には、すでにサークルは活動していた。私は何もしていないようなもの。
 事業・サークル支援担当としては、サークルの代表者を中心とするアート系のサークルの自主運営事業「くうきプロジェクト」と、講座やキャンプ等の自主企画の運営事業「ピース(かけら)プロジェクト」というものをスタートさせた。
 スタートさせたと言っても、「自主運営」であるから、具体的なことは市政だよりや市の施設へポスターを配布するぐらいで、それぞれの会議には参加していない。つまり、事業担当として私が何かをしたわけではない。
 くうきプロジェクトは、2003年4月にライブRISINGがスタート。翌月から演劇ワンコインシアターが加わった。映画ワンコインシネマ、アート展示、フリーマーケットなど次第にアーティスト達が集い、6年目に入っている。
 踊りや絵画、造形、デザイン、ファッション……今や数多くのアーティストが関わっている。ライブ、映画は無料で、演劇・パフォーマンスのワンコイン実験シアターは、500円。第3土曜日に、毎月開催で丸5年間が過ぎた。
 ミュージシャンや役者や映画監督などで、福岡のアーティストの個人レベルの高さは知れ渡っている。しかし、すそ野の広さはあまり知られていない。演劇は劇団数が90を超え、毎年のように自主映画は外国の映画祭で受賞している。現代芸術でも多くのアーティストがいて、こちらも知る人ぞ知るレベルの高さである。それは、第三土曜日に、青年センターに来ればわかる。アートに親しんでなくとも、その場の「空気」を共有してみればわかる。ちなみに、青年センターに異動した頃の私は、青年の青さが嫌いで、現代アートや演劇は理解の範囲を超えているものだった。
 そんなこともあって、私は事業担当者ではあるが、実際の運営・企画には全く関与していない。それは、考えようによっては、行政の最も難しい対応が、「関与しない」ということであるから、そういう意味で、最大の貢献ともいえるのかもしれない。事実、「くうき・ピース」のスタッフたちからはそういう意味の感謝をされていた。
 それでも、担当者であるときにはスタッフの視線になっていて、観客側の感覚が無かったのだろう。異動して、観客になって、やっと改めて「凄い」と実感し、感動している。
 始めたころは、次で終わりだろうと思っていた。こんなに続くとは、彼らも思ってなかったようだ。毎回片付けが終った後に話し合いがあって、そこで全てをリセットしてしまう。5年続いた今でこそ、彼らも私も「継続は力」を実感している。

2. くうきプロジェクト

 「くうきプロジェクト」って、福岡市立青年センターの第三土曜日、音楽・演劇・映画・パフォーマンス、その他アート満載のイベントなんだけど、こっそりじんわりアーティストが交わって、一風変わった面白いイベントになってんだけど、始まりの頃って色々言われたなぁー。
 始める前に、シティ情報ふくおか編集長に会いに行き、青年センターの活性化のためのくうきプロジェクト開始を話していたら、編集長はうつらうつらと寝てしまった。ところが、代表の菊澤君が構想を話し始めると、目を覚まし熱心に聴いてくれた。その日以来、私はこの事業に関与しないことにした。
 マスコミ回りやスポンサー探しに彼らは消耗したが、言われることは「それってどこもやってんだよ」ってのが多かったみたい。確かに、他にライブや演劇や映画やアートのイベントって、福岡は半端じゃなく多い。でも、二年も経たずに終わってる。それに、様々なアートがじんわり交わるってそんなにはない。
 ミュージシャン、演劇、映画、写真、絵、書、華道、茶道etcなんてのが、交わるなんてあるわけないだろう。しかし、じんわり「くうき」のように、コラボレートしちゃってるからビックリ。
 スペースが、80人で限界の場所だから、あんまし知られて、立見なんかになると、違った意味でジ・エンドかも。ホント、次で終わり、毎回「これでいいじゃん」で来た5年だからね。じんわりで後一年は続けたいね。悪いけど、観客側で楽しみたいから。
 この5年間の「くうき・ライブRISING」での俺の№1バンドは Source of Soul だね。しかし,今日の榊君はまるでS.O.S.ボーカルの彦坂だったね。ジーンと響くものがあった。新S.O.S.できるんじゃないの。S.O.S.の心の奥に響く曲、多かったよな。彼らは、自分達をロックンローラーって言ってたけど、ありゃブルースだ。
 くうき代表の菊ちゃんの「雪」、名曲ですよ。詩の中身がないのに、なぜかジーンとくるんだな。多分菊ちゃん以外が歌ってもダメだろな。さすが伝説の「照和」での8年間の実績。

(1) くうきプロジェクト、クリスマスパーティー
 離れて、客になって、分かることが有る。先月頃から、やっと観客になれたみたい。
 くうきプロジェクトに、「感動」はあって、それは言葉にできない。そして「関係」、くうきプロジェクトでの人々の繋がりも、感じることはできるが言葉にはできない。観客が観る・聴く側ではなく、アーティストと繋がり、そこに何かが生まれている。
 くうきプロジェクト、クリスマスパーティーの後片付け、祭りの後……関係者だけになっていたロビーに、まだ濃厚な空気が詰まっていた。余韻というのではなく実体として。
 最後のアフリカンダンス・ジャンベとコリアンダンス・チャングの共演で会場は最高の盛り上がり。松っちゃん(ライブRISING責任者松尾太介)って、あんなにカッコ良かったっけ。目が釘付けになってしまった。
 これからの文化は、表現し発するアート側と、受け止め、感動する観客との関係の中で、それを生み出す状況や場で、そこにいる人々の新たな表現として、創造されるなにかというものでは。それはまさに、四次元表現というものになるのでは。
 ウッドストック、中津川などで、それは「創造」されたようなものかも。それが、ありふれた場所で、ありふれた人々で、創造されるということ。芸術が文化ではなくなるポストモダン文化。
 くうきの連中は只者では無いが、彼らは創造する主体ではない。状況を用意し、人々を繋ぐ場を作り出すだけ。観客が観客では無くなり、アーティストが「自分」の表現者では無くなっていた。

(2) くうきプロジェクト演劇祭
 なんとも歯痒い紹介しかできないが、くうきプロジェクトは、参加しないとわからないのだから、しかたがないということだろう。演劇祭は、9つの劇団が一年をかけて練り上げたもの。4階まで登りながらのツアーで、「チョモランマ」が演劇祭の名称になった。
 劇団というのは閉鎖的で、主宰や演出家は絶対君主みたいなもの。劇団が、劇団の枠を超えて一つになることなどありえなかった。年に2回の公演でさえ、仕事の傍ら稽古して、広報活動はチラシ・ポスター・チケット作りやマスコミ情宣と多岐に渡り、舞台の大道具・小道具、衣装、照明や音楽まで多くの人間が一つになって関わってできること。他の複数の劇団との交流などありえない。
 ところが一年間、何度も協議し練り上げて、ツアー形式の演劇祭となった。話し合いに一度だけ参加して、その熱さに身が引けた。ありえないことが、ここでも実現している。
 15分程度の劇なのに、劇団の個性が凝縮されている。ツアー案内人が、劇団員で3組編成され、見事に劇の合い間を繋ぐ。30分間置きに出発するツアーは、案内人で雰囲気もまるで違う。
 一つ一つのパフォーマンスに笑い、驚き、感動する。終わって階段を降りながら、色んなものが混ざり合ってじんわりとした充実感、一味違う感動が体内に広がる。

3. しゃべり場開設

 有名になって商品化しても、客が満員になっても、くうきプロジェクトではなくなる。満員で、ぎゅうぎゅう詰めになったことは、何度も有るが、その時空気は澱んでいた。
 あまり知られていないが、ミュージシャンと劇団というのはとっても相性が悪い。アーティスト自身が、引き篭もり体質の若者が多いということもある。表現は受け取る者がいて、相互に関係が保たれて状況を創り出す。それだから、くうきプロジェクトは凄いという一面もある。
 「引き篭もり」は人格ではなく、状況・環境であり、ポストモダン時代の象徴的な孤立と言っていい。言葉は、関係の中で意味を持つ。関係の中でしか、「自分」を自覚できない。他者とは関係無い状態が、「引き篭もり」。
 人類という「関係」は、個人の意志に関係なく既に「在る」。拒絶したい関係は、「拒絶したい関係」として在る。「自分」の中には色んな要素がある。自分を関係の中で自覚すると、関係の数だけの全く違う自分がある。関係が混乱している脳の「現実」が、「統合失調症」を発症する。多くの若者たちに接してきてそう思う。混乱し、関係を拒絶して、「鬱」になる。関係を受け入れ「言葉」を創りださないと心の病気になってしまう。
 自分を決めつけると、関係の数ある自分と矛盾する。多重人格の統合人格なんてことになる。関係を拒絶し引き篭もる。思い通りにならない他者に苛立つ。結局は、自分の混乱にしかならない。自分を決めつけて、安定ではなく、混乱というシュールな現実。
 統合人格なんてあるわけが無い。自分が神になってしまう。関係の数だけある自分だから、自分の脳で考える前に、関係の中で考えればいい。前頭葉は、それを整理する時に使えばいい。頭の整理は、しゃべるか書くか。関係の中で考えたことは、外に出して整理するしかない。整理するための知識が、必要なことは言うまでも無いが。
 脳の中では、関係の数ある違う自分ではあるが、身体は一つ。脳の整理より、身体思考が優れている。くうきプロジェクトに浸るとそう思う。くうきプロジェクト演劇祭で特にそれを感じた。でも、「身体思考」がなにか、どんなことかは、言葉にはできない。
 離れて見えてくるものがある。石橋美術館で体験できた。ガラガラだったから。青木繁の絵は、距離で、色も形も表現も変わる。優れた油絵の多くは、見る距離、形が浮き出る焦点距離というものがある。
 離れて、客になって、分かるものが有る。先月頃から、やっと観客になれたみたい。くうきプロジェクト.に「感動」はあって、それは言葉にできない。そして「関係」、くうきプロジェクトでの人々の繋がりも、感じることはできるが、言葉にはできない。観客が観る、聴く側ではなくアーティストと繋がり、そこに何かが生まれている。その繋がりの延長で、「しゃべり場」が生まれた。
 「しゃべり場」を企画して、NHKに了解を頂き、様々に試行錯誤して一年半。見切り発車で公開して、4回目に菊澤君を司会者にして、やっと「しゃべり場」になった。くうきプロジェクトの人の繋がりが、しゃべり場で現出する。
 人の思いや考えは、通常言葉にできない。「むかつく」や「気になる」、ほとんどは「あのぉー」で始まったりする自分の言葉を、彼は引き出してしまう。人と話せないと参加した若者が、次からはしゃべりまくったり、思いもかけず涙が流れ、行き詰っていた自分の思いに気づいた若者もいた。
 くうきプロジェクト代表としての菊澤君は、劇団の主宰、主役であり、脚本を書き演出もする。ミュージシャンが、彼のアーティストの出発点であるし、写真、エッセイで賞をとり、最近ではダンスで黒田、黒沢さんの目に留まった。多才であるが器用ではないし、雄弁でもない。
 司会というより、参加者との繋がりを浮き上がらせ、車座になったその場に、しゃべり場という舞台を作り出す感じ。車座になったその中に居るのと、外に居るのでは全く世界が違う。そこには異次元が現出している。
 静かになって時間が流れている時、参加者は考えている。人が話したことや自分の思いや経験について。一言もしゃべっていなかったのに、終わった後、「今日はしゃべり疲れた」という感想を何度か耳にしている。
 しゃべり場も3年半続いて、「付かず離れず」がポストモダンの人間関係だと気づいた。60年代までの濃い関係は、今はありえない。「関係」の中に「自分」が在る。仲良くしたいとくっ付きたいのを「付かず」、嫌いだと切り離したいのを「離れず」。
 近すぎず、離れすぎずのその範囲の中に「自分」は在る。近づきすぎて「自分」を見失い、嫌いと拒絶して自分を見失う。受け入れても、拒絶しても「自分」がわからなくなる。求めれば相手が自分の中で拡大し、拒絶して自分も一緒に放り出す。「自分」はなんだかわからないが、「付かず離れず」の範囲で「自分」は在る。
 しゃべり場の正式名称は「大名 20代しゃべり場!!」。20代なのに30代が多い。20代としたのは、NHKが「10代しゃべり場」だったことと、20代と限定することで、年代ギャップを防ぐ狙いがあった。結局、「下流社会」などと脚光を浴びた、第二次ベビーブームの世代である、30代前後の問題が深刻で、そこに若者の問題が集約されていたということだろう。
 くうきプロジェクトも、しゃべり場も、ささやかな人の繋がりかもしれない。しかし、大きければ良いということもない。文化は周辺から生まれるもの。ささやかなものにも本質はある。
 ポストモダンは形になりにくいし、言語で表現することは不可能。相対性理論の時空間だって同じようなもの。だからこそ、その未来は、ささやかでじんわりとした人の繋がりの中で、開かれていくものではないだろうか。

4. 福岡市職員労働組合

 組織率は五割を超えているが、組合員は4千人を割っている。団塊の世代の退職と若い人の組合離れで、3千人を割ってしまうのは時代の流れなのか? 労働組合は、時代遅れなのだろうか?
 コンピューターが一人一台の時代になって、仕事は個々人で処理され、連携は無く、係でさえその総体がよくわからないという、団結・連帯する労働組合という、従来の存在感がなくなっている職場。問題は、個人で解決するか、上司と対応するかの二者選択。悩みや問題は、解決がつかないから悩み・問題であるはずなのに、「ああすればこうなる」でしか考えられない閉塞感。
 「しゃべり場」では、思いや考えは言葉にできないから、「むかつく」や「気になる」、ほとんどは「あのぉー」で始まる。ディベート式に語れる人は物語になっている。カウンセリングの相談者も、物語になっているから、答えは用意されている。相談者の実際の悩みや問題は、別の次元や全く違う質で抱えている。
 若者に共通の問題は、人間関係にある。「自分」にこだわれば、「関係」が切れる。前時代の濃い関係はありえない。「付かず離れず」がポストモダンの人間関係。そんな、ささやかで、じんわりとした人の繋がりを提供するとしたら、労働組合しかないのではないか?
 階級闘争の時代ではないのだから、共有するのは問題意識。個々人の閉塞感を言葉に出せる状況や場がなければ、問題さえも見えてこないのだから、共有なんてこともできない。いじめの悪者探しみたいに、他者を批判していれば、批判される立場を回避できるという状況は、人間不信しか生み出さない。
 素直に言葉にできる状況や場を想像すればすぐにわかる。周囲を見渡して、なかなか見つかるものではないことを。くうきプロジェクトや大名 20代しゃべり場!! では、全く質は違うのだろうが、ささやかで、じんわりとした人の繋がりが生まれている。
 人が集まっていれば、必ず菊澤君や松尾君みたいな若者はいるわけで、そんな彼らが、状況・場を創り出すお膳立てをいかにするかだろう。ポストモダンはヒーロー不在の時代。時代にあった労働組合の組織、活動というものがあるはず。30代の問題意識は、孤立したままのように見える。