【自主レポート】

第32回北海道自治研集会
第Ⅳ-③分科会 男女平等:あなたにとってのワーク・ライフ・バランスとは?

女性労働者から見たワーク・ライフ・バランスの実現


岡山県本部/津山市職員労働組合 八木 住枝

1. 私がいつも思っていること

 私は一人の女性労働者として労働組合運動にかかわってきました。
 この間、自治労青年部、女性部、基本組織と運動のステージを転換しながら、情勢に合わせた運動課題に取り組んできましたが、組合にかかわり始めたときから現在も変わらず、運動の目標としていることは、性別によって区別されることなく自己の希望する働き方と生き方ができる社会、職場を作るということ=「ワーク・ライフ・バランス」の実現です。
 日本の社会では、多くの女性が人生の転換期において、仕事か家庭か二者択一を決断しなければならない中にあって、自治労女性部では「結婚しても出産しても年をとっても健康で差別なく安心して働き続けられる職場づくり」をスローガンに掲げ、その実現のため、全国で運動してきた先輩方のおかげで私自身も働き続けることができ、労働組合の役員として常に考え、行動する機会に恵まれていることを本当に幸運なことだと思っています。
 私にとって「労働」とは、地域社会を構成するメンバーの一員として社会参加し、労働の責務を果たし、その対価として賃金を得て、労働力の再生産費として自分と家族のために活用することだと思っています。
 具体的には私は現在、岡山県津山市役所出納室で会計事務の仕事をフルタイムでしています。
 「生活」は私が個としての私を取り戻すための必要な時間であり、空間であり、生きがいです。
 同じ津山市役所に勤務する夫と3人の子どもとの5人家族です。家事・育児は苦手な上に、いつも時間の余裕がないため、必要最小限ですが、夫と分担しながら、なんとかやってきました。子どもの成長につれて自分の時間を持つ余裕もでき、1年前からは子育てで中断していたテニスの練習を再開しました。時々、試合にも出て楽しんでいます。
 「労働組合」は私にとっては常に労働とセットで考えてきました。
 社会、職場の不条理を正し、権利を主張でき、改善させる力があることに魅力を感じています。
 近年、厳しい情勢の中で目に見える改善を勝ち取ることは難しくなっていますが、前進することだけでなく、守備防衛のたたかいも立派な運動であること、そして決して諦めない粘り強さを持つこと、違う角度から言えば、少々のことは気にしない図太い神経をもって前進するそんな役員になりたいと思っています。

2. 活動家は1日にしてならず

 私は、1965年 岡山県津山市に生まれました。
 私の家は一般的な兼業農家で、父は大工、母は農業の他、内職をしながら家計を支えていました。
 高度経済成長期の中にあって、父も母も「ワーク・ライフ・バランス」とは縁遠い、「ワーク、ワーク、ワーク」であり、年中無休で働き続けていました。
 今、振り返ると特に母の労働はきつかっただろうと思っています。
 子どもだった私は特に疑問を抱くこともありませんでしたが、母はいつも何かに不満を持っているようでした。
 昭和一桁生まれの夫婦にとって家事分担などは考えられないことで、母の嘆きは、仕事を持ちながら全ての家事をこなさなければならない不平等への抵抗であり、葛藤であったことに気づいたのは後に私自身が家庭を築き、日々の生活の中で仕事と子育ての苦労が身にしみて分かってからのことでした。
 人一倍快活で、あまのじゃくで、扱いにくい「女の子」だった私に対して、母は「男勝り」、「女のくせに」と嘆いていました。
 中学生の時、祖父の葬儀の後の食事会で、突然、父からお客さんに対して酌をしてまわるように言われたときは、驚きと疑問と悲しみの入り混じった複雑な思いをしたことを今も忘れることができません。
 自分が社会的に「女性」であることを初めて意識し、葛藤が始まった瞬間でした。
 農村部の典型的保守的考えを持った両親から、「常識的に振舞え」と見えないロープで締め付けられながら、「常識」に疑問を持った、一人の「女の子」は様々な場面で、なぜ、「女だから」という理由だけでしなくてはいけないことがあるのか、してはいけないことがあるのか、成長していくにつれ、出口の見えない暗いトンネルに入っていくようでした。
 やがて、進路を選択する時期が訪れ、「誰かに従属して生きるのではなく、自分をもって、生涯、自立した生活を得るための進路を切り開きたい」と考えるようになっていました。

3. 男女平等の職場はまぼろし!?

 1988年4月、津山市役所へ就職し、税務課へ配属されました。
 公務職場は、男女平等と信じていましたが、職場では露骨な男女差別はないものの、女性管理職0人、窓口、庶務は女性のしごととされ、臨時職員(全員女性)にお茶くみ、掃除を依存している実態を目の当たりにし、また、市民税賦課の繁忙期であったため、訳もわからないまま、いきなり時間外勤務の毎日でした。
 自分が長時間労働を強いられているという意識もなく、初めての職場だったため、何の疑問も持つこともなく仕事を覚えることだけで精一杯でした。
 私は、新採用の女性職員として税務課に配置された第1号でした。
 税務課だけでなく長時間労働を強いられる職場が、家族的責任、家事労働を抱える女性職員には体力的にも精神的にも辛い職場であることは、後に自らが経験することによって理解することとなりました。
 労働組合役員になり、学習する機会を得たことで、これまで自分が抱えてきた女性差別への疑問、「消化できなかった気持ちの悪いもの」への抵抗手段を得たことで労働運動に没頭していきました。
 しかし、自分が経験してきた狭い範囲内での差別に対しての認識しかなく、社会全体における女性差別の実態、女性労働者の課題を認識するにはさらに長い年月が必要でした。

4. 長時間労働

 日本の長時間労働は、世界的にも飛びぬけていて、週60時間以上働く人は1995年の559万人から2005年には617万人に増加しています。正社員数は1997年の3,812万人から2005年には3,333万人に減少しています。
 これは企業がリストラを進めて正社員を削減してきたことの結果であり、これで「所定内で仕事が終わらない」のは当たり前であり、仕事の責任と負担が重くのしかかる上に成果主義が追い討ちをかけて、過度のストレスにより私生活にも悪影響を及ぼし、心の葛藤の末、「過労死・過労自殺」につながる実態が見えてきます。長期雇用と年功賃金を基軸に組み立てられた、日本型雇用によって、企業への従属により日本経済の発展と繁栄があることは認めるところです。
 しかし、一方で、経済のグローバル化と新自由主義に基づく規制緩和がもたらした競争の激化によって雇用が二極化し、正規労働者は生きるために働いているはずなのに働きすぎて命を落としてしまう、「名ばかり店長」に代表されるように、時間外割増賃金を支払わない違法労働、長時間労働になじめない家族的責任を負った女性を中心とする人たちを非正規労働者として安く買い叩く労働力ダンピングによって労働条件が低位平準化されることで双方に益々の労働強化をもたらしているのです。
 1999年4月、改正男女雇用機会均等法施行にともなう労働基準法改正により女性の時間外・休日労働・深夜労働などの労働時間規制が解消されました。しかし、時間外・休日労働・深夜労働に関する一般的な男女共通規制が極めて不十分であるため、2002年4月、改正育児介護休業法が施行され、育児・介護等の家族的責任を有する労働者について、男女共通して時間外労働を規制することとなりました。
 深夜業は、本来健康に有害な労働ですが、その上子どもを育てたり、家族の介護を行う女性労働者にとっては、多くの場合、働き続けられるかどうかという深刻な問題になります。この家族的責任は、最近まで女性だけが担うものとされてきましたが、育児・介護休業法によって男女共同の責任とされ、家族的責任を有する男女労働者が仕事と生活を両立させるための措置として、深夜業の規制が設けられた意義は大きいのですが、実行されているかは疑問です。
 総務省の「社会生活基本調査(2006年)」によれば、1日の生活時間のうち、仕事の時間は男性平均8時間、女性平均6時間、家事や育児に関する時間は、男性平均26分、女性平均3時間40分となっています。仕事と家事、育児の合計時間は男性平均8時間26分、女性平均9時間40分となりますが、フルタイムで働く女性労働者は、男性労働者より、1日のうちで3時間も余計に働いていることになります。
 こうした「有償労働と無償労働のバランス」の問題を含めて、労働時間を男女間で公平に配分するということ、「労働時間の民主主義」「時間の男女平等」は、男女ともに人間らしい暮らしにつながりますし、各自が持っている能力の発揮により、生きがいにつながります。その結果、社会全体に利益をもたらすことになるはずです。

5. 政府の言う「WLB」

 「5年連続して自殺者3万人超え」、「少子高齢社会」、「格差社会」このいびつな社会のあり方に日本の社会の将来を憂い、2007年12月政府、労働側、使用者側の3者合意により、「ワーク・ライフ・バランス憲章」「行動指針」が策定されました。
 憲章の中に明記されている3つの社会「就業による経済的自立が可能な社会」「健康で豊かな生活のための時間が確保できる社会」「多様な働き方、生き方が選択できる社会」の実現に向けて、政労使がそれぞれの役割と責任を担うことに合意したことの意義は大きいと考えます。
 今後、どのように具体化されていくのか期待をもって見守っていきます。
 政府は、1年前まで「ホワイトカラーエグゼンプション」(残業代0円制度)という、「怪しい人件費削減制度」を押し進めようとしていたことを忘れてはいけません。
 当時の首相は、「ホワイトカラーエグゼンプションの導入によって少子化に効果がある」とまで、発言していました。
 労働時間規制は、働き手の生活の自由を保障するための最も重要な労働法の柱であって、それを適用しないという究極の規制緩和によって仕事と生活を調和させるのだそうです。
 現在、まだまだ「男は仕事、女は家庭」という固定的役割分業意識が解消されていない社会の中で、多くの女性たちの人生の転換期において「仕事」か「出産」かの二者選択しかない労働環境の中で、この「いんちきな制度」の導入によって帰宅時間が早まり、日本社会に第3次ベビーブームが来るとは到底思えません。
 労働時間の短縮につながるかのような宣伝をしていましたが、目的は、時間外労働をさせるための経済的制裁、「割り増し賃金」支払いからの免除以外にないと思います。
 また、現在進められている「再チャレンジ支援策」(多用な機会のある社会)の焦点は若者(男性)支援にあり、結婚して家計を支えていくべきと考えている扶養者である男性に対する支援が前面に出ています。一方、女性は何十年も前から結婚、出産によって一度職場を離れたら最後、再チャレンジの機会はなく、現在も支援の対象ではありません。
 これらの背景から、政府が提唱する「ワーク・ライフ・バランス」の主眼が男性正社員の育児参加、最終目標が出生率の向上におかれているように思います。
 女性労働者は元々、仕事と家事・育児の両立をしてきたのだから支援はいらないだろう、ましてや出産年齢を超えた女性労働者については勝手にしろとばかりに、全く問題視されていません。冷ややかなものです。
 若者にも女性にも高齢者にも再チャレンジの機会が均等に与えられ、それぞれのライフスタイルに合わせた働き方を選択できる社会が、目指すべき「ワーク・ライフ・バランス社会」ではないでしょうか。

6. 女性の働き方モデルから見えてきたWLB

 男女共同参画政策の下、男女雇用機会均等法等の整備により女性の働きやすさが追求されてきましたが、出産した女性の7割が職場を離れているという数値に表れているように、女性の雇用継続等の「男女差別是正」より、女性労働の活用に重点が置かれてきました。
 その結果、少数の女性労働者には、職域拡大と管理職への道が開かれたものの、規制緩和の中で、過半数の女性たちが非正規労働者となることをもたらしました。
 「結婚する・しない」、「出産をする・しない」、「就業を継続する・しない」、「フルタイムで働く・パートで働く」などの人生における選択は、個人の事情にあわせて、個人が選択できることであるべきだと考えますが、社会的に子育ては母親がするものという意識と企業の利潤追求のため出産を機に職場を離れざるを得ない状況で、一度正社員を離れた女性は、パート、アルバイトといった、非正規労働者にしかなれないのが現状です。
 では、なぜこのような不利な状況になることが分かっていながら、多くの女性はキャリアを中断して家庭に入るのでしょうか。
 最近の意識調査によると、「夫は外で働き、妻は主婦業に専念すべきだ」と考える人は全体の40%にすぎませんが、「子どもは3歳までは母親が育児に専念すべき」と考える人は80%を超えています。
 男女共同参画の推進や雇用の多様化により、様々な働き方が可能になった一方で、家族や子どもにかけがえなさを求める価値観は全く変化していないといえます。
 働き方の選択肢が多様になる一方で、家族に対する価値観が固定化されているとしたら、両者の間にミスマッチがあるのは当然です。
 結婚や出産を機に、女性だけがそのギャップに直面し、女性の積み上げてきたキャリアが犠牲になっているのです。
 このことは、日本の社会においても、労働市場において大きな損失であると考えます。女性だけではなく、男性正社員にも共通することとして、自分自身の怪我や病気、家族のトラブル等でフルタイム就業に影響を与える事態は、いつでも、誰にでも起きることです。
 働き方・生き方の多様性を認める懐の大きい社会、企業、職場が求められています。
 そして、もう1点指摘しておきたいことは、「恋愛感情の落とし穴」について。
 結婚前後の初期段階で男女の関係において、男性に尽くすことを喜びとする女性たち、女性に世話してもらうことで喜びを感じる男性たち、この独特の愛情表現と行動によって、その後の長い家庭生活が決定されていくことです。
 多くの先輩方から「初めが肝心」「初めに失敗した」などの体験談をきくことがよくあります。
 42歳になった私が、これまでの運動や経験で数少ない胸を張って言えることの一つに、自分自身の結婚の条件に付した「夫婦で家事を分担する」があります。最近、少々怪しい雰囲気になってきましたが、家事・育児は分業ではなく分担することによってお互いの仕事・生活・趣味の時間が確保されてきたといえます。
 この条件設定について、もう15年以上の時間が経過しているにもかかわらず、未だ驚かれるばかりです。確実に男女共同参画意識は進んでいるにもかかわらず、冠婚葬祭に関しては保守的意識が強く残っているようです。
 学校の教科書にも労働関係書籍にも記載がないため、意識改革には学習や交流による地道な活動しかありませんが、人生における総労働時間を決定するこの大事なポイントについて述べなければなりません。
 私たちは生活の中で気づかない間にジェンダー意識を刷り込まれています。
 極めて個人的な生活単位である家庭内でこのジェンダーが再生産され、地域、職場、社会を形成している人々の意識の核になっていることを認識すれば、結婚や新しい生活の始まりにおける男女の意識がいかに後々まで影響し続けるか、先に述べた先輩方からの証言でも明らかです。
 人を愛することはすばらしいことですから、恋愛や結婚制度を否定するものではありませんし、家庭内の決まり事に口出しすることもできませんが、夫婦間、恋人間、親子間における男女役割分業意識からの解放により、男女双方の潜在能力の発揮によって、精神的、時間的余裕が生まれ、社会全体がより豊かになるのではないかと考えます。

7. ワーク・ライフ・バランス実現のために

 私たちは労働に様々な価値を見出して働くことの喜びを糧に「また、明日もがんばって働こう」と思っているはずです。
 その価値とは、社会のためになる、生活費のため、趣味のため、貯蓄するためなど、様々ですが、前項で述べたとおり、家族を大切にする価値観は、かなり固定化されていて、家族のために働きたいと考える意識は男女ともに共通しています。
 しかし、現実には、男性たちは長時間労働により家族とふれあう時間、当たり前の日常生活を楽しむ時間が持てません。女性たちはキャリアの喪失により、その後の収入を配偶者に依存していくことになります。それだけの収入を見込めない男性は、「家族を大切にする」ことができないために、結婚そのものができないというのが現状です。
 そして、様々な理由から男性に依存することを止めたいと考えても、貧困を覚悟の上で非正規労働者として再スタートするか、納得できないまま現状を受け入れ続けるか、女性は経済力によって人生の選択肢の幅が変わるといえます。
 だれにとっても、何ひとつ障壁なく、働くことのできる期間はわずかであるという前提のもと、正規労働者、非正規労働者の現実を直視すれば、「ワーク・ライフ・バランス」実現のためのヒントは自然と出てくるのではないでしょうか。
 時間外労働規制、ワークシェアリング、女性労働者の継続雇用、育児休業取得による不利益是正、保育等の社会保障制度の充実、女性の労働意欲を阻害するような税制度の見直し等、どれも労働組合として訴えてきたことばかりです。
 以上、一人の女性労働者が結婚、出産、育児を経験し、年を重ねながら労働組合役員として運動してきた中で数々の壁や障害に向き合うことで、「働くこと」「生活すること」「生きること」を考え続けてきた一端を述べました。
 この論文を作成する中で、激変する社会情勢の中で、時間の経過とともにゆっくりと人々の意識は確実に変化していることを再認識しました。
 「仕事と生活の調和」がとれた社会、「男女平等参画社会」の実現に向け、一人の労働者としての力は弱いものですが、社会を変えていくために労働組合が必要であり、その中にあり、進むべき方向性を常に確認するため学習を続けていこう、そして、女性たちの代弁者として、役員として「ワーク・ライフ・バランス」の実現を焦ることなく、あきらめず、行動していこうと改めて考えを整理することができました。
 この機会を与えてくださった「自治研集会」に感謝します。