1. はじめに
1996年秋以来、自治労愛知「アジア子どもの家プロジェクト」(以下「プロジェクト」と呼ぶ)は、組合員の自主的参加を基本に地域(愛知県)と国内・国外(ラオス)での活動により、自治体労働組合の可能性と広がりを求めてきた。その名の通り、中央本部による「アジア子どもの家」事業(1994年~2003年)に触発されて、愛知県本部内の独自の活動を模索し生まれたものである。
当初からの活動のひとつとして、国際協力NGOが呼びかけている、日本語の絵本にラオス語などの翻訳シールを貼付し、現地に届ける活動がある。これは、プロジェクトの活動内容<「具体性」「継続性」を持ち、身の丈に合ったものを目指す>を象徴するバックボーンとして、現在も毎月定例の活動にしている。
1998年、初めての「子どもの家」スタディツアー、国立図書館へ図書館車(名古屋市で使用したもの)寄贈、2000年、図書館現況調査ツアーなどを行っていくうちにラオスの社会・文化の状況が少しずつ見えてきた。そして各地で公共図書館が設置・運営されているが、資料や人材育成などの課題も多い。そのためプロジェクトとして、一方通行ではなく、双方向の交流による支援の必要性をいっそう感じた。しだいに自治労東海地連の4県本部(岐阜・静岡・愛知・三重)への運動の広がりとなり、ラオス中部・サワンナケート県立図書館(以下「県立図書館」と呼ぶ)の移転新築(2003年)への支援につながった。(サワンナケート県は、1997年、2階建の一階部分に40m2ほどの成人対象の図書室を開設していた。しかし、蔵書が古く、利用は極めて少なかった)
2. 東海地方におけるプロジェクトの活動の広がり
(1) 東海地連の4県本部と
県立図書館の建設資金の確保にあたっては、東海地連4県本部にカンパ活動をお願いし、快く受け入れていただいた。さらに「箱物支援」にとどまらず、開館後の運営支援(資料・職員研修・環境整備・交流)を2004年から3年間実施していただき(第1期)、現在は第2期目に入っている。
このことから4県の県本部や単組から組合員向けの学習会や集会のために、プロジェクトへ講師役として声のかかることが何回もあった。プロジェクトとしては招請を受ければできる限りお応えすることにして、当日は絵本の翻訳シールの貼付作業を中心に、あわせてプロジェクトの活動やサワンナケート県の状況を紹介している。組合員の手で翻訳シールを貼った絵本は、現地の図書館や小学校へ届けている。
2006年第2回図書館支援チャリティコンサートでは、会場となった名古屋市・常滑市職・豊山町職の各単組の組合員とうまく協力し合い、成功させることができた。またイベントの開催により、自治体労働組合の存在を市民の前に示すことにもなった。
(2) 市民と
チャリティコンサートを開催した際にプロジェクトの活動が新聞で紹介されたことがあり、市民の方が絵本の翻訳シール貼付の例会に参加することは何回もあった。絵本の寄贈やカンパをいただいたこともあり、労働組合への理解にもつながっている。
また活動を通してNGO関係者や愛知県在住の研究者から多くの助力を受けている。
中央本部と自治労名古屋市労働組合(自治労名古屋)のウェブサイトに紹介記事を掲載してもらっているので、自治労をまったく知らない人でも「ラオス」「図書館」「国際協力」などをキーワードに出会うことができる。これを見てプロジェクトの活動に参加した市民もいる。
その他メーデー・フェスティバルなど労働組合関係を含む多数の人が集まる会場にブースを出して、サワンナケート県産の天然塩やラオスのクラフト製品を販売し、来場者にラオスを実感してもらうと共に絵本の購入資金などに役立てている。
(3) ラオスと愛知-双方向の交流
① ラオスへ行く
県立図書館開館時の運営支援・職員研修のため自治労本部の協力を得て図書館組合員を派遣、「図書館まつり」(開館記念事業)開催のため(2003年)、開館から4年目の評価会議 (2006年)の他、組合員が年に1~2回サワンナケートを訪問し、職員の話を聞いたり活動の状況を見学している。
② 愛知へ招く
県立図書館館長の研修(自治労名古屋の職場である名古屋市図書館各館で)(2002年)、歌手でもあるNGO現地事務所スタッフを招いて図書館建設支援チャリティコンサート(2002年)、自らも子どもへの教育支援の活動を行っている歌手を招いて図書館支援チャリティコンサート(2006年)。
③ 愛知で学んでいる留学生と
学生だけでなく、現職の公務員も日本各地の大学に留学している。プロジェクトでは留学生にチャリティコンサートの準備の手助けや通訳をお願いした。またプロジェクトの活動についての意見や現地の状況を聞いたり、単組主催の「ラオス料理教室」や「ラオス語講座」の講師をしてもらうなど、交流を深めている。
3. 開館から5年
県立図書館は、新規開館から5年が経過しようとしている。
この間利用者は急増し、幼児から高齢者まですべての層に親しまれている。平日の午後や土曜日には常に子どもたちの姿を見ることができる。
これまでの間に、いくつかの村から子ども用テーブルやイス・現金・図書などの寄贈を受けるなど、図書館は地域社会に受け入れられてきた。また、利用者の中には、図書館の本で勉強してお菓子店を開業したり、農業の本で収穫を増やしたという例を聞き、生活の中に活かされていることを実感した。
この陰には図書館職員3人の活動があることは言うまでもない。また、東海地連の運営支援も大きな支えになっている。
新規開館時は館長以下2人の他に契約職員(法令上の根拠が無い低賃金の非正規職員)が配置されていたが、その後プロジェクトから要望して正規職員化が実現するなど、図書館の充実のため県行政当局(所管は情報文化局)も努力していることを感じさせた。
資料(図書)購入など運営のための予算も2005年以降、ある程度の額が配分されるようになったようだ。
4. 新たな展開……県内全域を視野に入れた活動へ
さらにこの5年間の後半になって、図書館から離れた地域の学校を訪問し、子どもたちへ読み聞かせやストーリーテリング・手遊びなどの活動を始めたことは注目される。
この新事業が始められた背景として、次のことが考えられる。
① サワンナケート県は面積が二番目に大きい県(長野県と広島県を合わせた面積に相当する)であるうえに、県立図書館はその西端に位置する。職員は、県立図書館へ到底行くことのできない多くの子どもたちに目を向けた。
② サワンナケート県に限らず、ラオスでは多くの学校の施設は依然として劣悪な条件であり、住民も含めて教科書以外の本とは無縁の環境にある。
③ 一部の学校や住民施設には、国際機関(ユニセフなど)やNGOから主に児童書が寄贈されている。新たに住民向けの図書室をつくろうとする郡行政の動きもある。県立図書館と情報文化局はこれらの動きに連動して、学校などで図書がより活用されるようにしたいと考えた。
④ 一方、学校を所管する県教育局でも子どもたちが本や「おはなし」に親しんだり、学校所有の図書が授業や読み聞かせに使われることを願っていた。このため教育局の指導主事も同行して現地で活動するとともに、自動車は情報文化局所有のものを使い、燃料・手当など出張費用は教育局が負担する提携の仕組みができた。
この活動をもとに県立図書館と情報文化局は、県立図書館を中心に学校図書室や住民施設と共に図書館ネットワークを形成することと移動図書館活動を構想した。
また、私たちプロジェクトは2006年3月、独自に図書館から遠い地域の読書環境調査を実施した。そして小学校に絵本など子どもの本が一冊もない、新しい本の補充がないなど、劣悪な状況を目の当たりにし、移動図書館の必要性を痛感していた。
5. できることを出し合い移動図書館の取り組みへ
2006年12月、新規開館から3年間の図書館活動についての評価会議が現地で開催された。この場で教育局との共同事業による学校訪問の実績も報告され、プロジェクトに対して移動図書館車支援の要請があった。会議では、移動図書館活動の必要性と重要性を双方が確認し、ラオス側、プロジェクト側、それぞれ何ができるか検討していくことになった。
県は、2007年5月の協議において「図書館ネットワーク構想」と「移動図書館車活動計画」を文書で示した。さらに、2007年12月の協議で移動図書館運営の大きな課題であった「運行に関わる維持経費と、運転士を含む担当職員については責任を持つ」との見解が示された。
プロジェクトは、県側の熱意を受け移動図書館車の支援を進めることとした。
といってもプロジェクトに車両購入に必要な独自の財源がある訳ではなく、現在、周辺へのカンパの呼びかけを計画しているところである。それは県立図書館の移転新築時から約5年間のプロジェクトの活動の広がりを反映させたものにしたい、と考えている。
また、移動図書館支援については、今までとは異なり県とプロジェクトの2者で進めることになった。プロジェクトには現地駐在員もなく、言葉の問題などさまざまな困難に直面することも予想される。そのため、今までの活動を通して交流のあったラオス人留学生やラオス留学経験のある日本人などの協力を得て2009年の事業開始を目指している。
6. おわりに
県立図書館のあるサワンナケート県の東側は、ベトナムとの国境に接する。ベトナム戦争ではアメリカ軍による大量爆撃を受け、今なお不発弾-その多くがクラスター爆弾だという-が人々の身近なところに残されたままだ。そして、30年以上たった今も、人を傷つけ、命を奪い続けている。
都市にある県立図書館が、県域の大部分を占める農村部・山村部に目を向けたことにより、職員たちは各地域の抱える問題に向かい合うことになるだろう。
それは5年前、私たちプロジェクトの組合員が首都と地方の格差を強く感じ、地方都市の図書館を支援することにしたことと共通する問題認識だ。
今後、県立図書館の新たな取り組みを通して、村の人たち、子どもたちとも双方向の交流が広がることを期待している。
プロジェクトとしては、ラオスにおいて初めての試みとなる移動図書館活動の成功のため、現地と協力を進めて行きたい。
その後の経過(2008年6月~)
(1) 独自の力で取り組む
2008年6月、移動図書館事業実施に向けての協議で、プロジェクトが移動図書館車を贈る、県は「運行に関わる維持経費と、運転士を含む担当職員については責任を持つ」ことを再確認し、2009年1月から事業を開始することを決め、準備を進めることとなった。
車は、現地の状況を考慮し、トヨタのハイエース。座席6人分、後部に図書箱を積めるスペースを確保。車体横に子どもたちが楽しめるように、恐竜の背中で絵本を読む子ども、水牛と一緒に絵本を読む子どもたちの絵を描く。(サワンナケートは草食恐竜の化石が出ることで有名。恐竜は県のシンボルのひとつ)
今回は県とプロジェクトの2者で進めることとなった。現地駐在員もなく、言葉の問題などを独自の力でクリアするため、これまでお世話になってきたラオス人通訳・ガイドに連絡・調整をお願いすることにした。この人は単に通訳としてだけではなく、図書館事業の運営支援についてこれまでもアドバイスもいただいてきた。2008年7月には長女をプロジェクトスタッフの家でホームステイさせるなど個人的な信頼関係も築いてきた。
また、協定書の内容確認や翻訳にあたってはラオスで留学経験のある日本人の援助を受けることができた。これらは、プロジェクトの長い活動による人間関係の広がりの賜物であると自負している。
2008年9月東海地連のカンパを呼びかけに250万円を超えるカンパが寄せられ、車の購入の目途がついた。プロジェクトの活動が組合員に認知されてきた結果と感謝している。
(2) 移動図書館事業始まる(地方の村に本を届ける)
2009年1月、東海地連の役員などが参加して移動図書館車を贈呈した。翌日、80キロ程離れた村の小学校を訪れ、移動図書館活動が開始された。
また、2月にはベトナム国境近くの小学校などを訪問した。国道を250キロ、国道を外れるとでこぼこ道、砂ぼこりの中を走っての訪問。絵本を待ち望んでいた子どもたちの笑顔が迎えてくれた。絵本の読み聞かせやゲーム、子どもたちの絵本朗読などが行われた。図書館スタッフの張り切る姿、絵本に見入る子どもたちの顔が印象的であった。
今後、事業の運営にあたっては県の予算もすくなく、資金の問題や人材育成など多くの課題があるが、ラオスにおいて初めてとなる移動図書館活動の成功のため、現地と協力を進めて行きたい。 |