【自主レポート】

第34回兵庫自治研集会
第2分科会 地方財政を考える

 地方自治体の予算が削減され続ける中、真っ先に削られるのが住民生活とは直接関係のない文化予算である。バブル全盛時にあれほど造られた箱モノは、入れる展示物や専門の学芸員もいないまま、常設展と年1・2回開催される季節物の展示が行われるだけで、平日は閑古鳥さえ鳴いていない現状が見られる。そこで、魅力的な展示企画を持ち寄り、自治体を超えて「流通」させることにより、博物館等の活性化をはかるものである。



博物館等公共展示施設における展示企画の共有化
出前昆虫展繁盛記

栃木県本部/栃木県職員労働組合・日光支部 新部 公亮

1. はじめに「昆虫」ありき

(1) 出前昆虫展
 私は10歳の頃から昆虫を採集し、夏休みの自由研究課題として数々のコンクールにも出品し、それなりの成果を上げてきた。昆虫学者になる夢は中学3年の時に捨て、残った標本をどうしようかとあれこれ考えていたが、足利にお住まいだった勅使川原敏一氏との出会いが、その後の私のライフワークに繋がっていった。
 氏はロータリークラブに所属し、保護司も務めるという生粋の奉仕者であった。同じ昆虫蒐集の趣味を持っていることから年齢差を越えた関係が続き、彼がライフワークとしていた「昆虫の展示会」を幾度となく共同開催した。つまり、氏との出会いが自分のコレクションの活用法を教えてくれたわけである。『標本とは、自分で楽しむ「私益」に始まり、皆で研究し合う「共益」となり、最後はその成果を披露し「公益」とするものである』。

(2) マロニエ昆虫館
 栃木県県民の森に1982年の全国植樹祭の際に建てられた森林展示館があった。1996年の全国育樹祭の時に建てられた新しい展示施設に取って代わられ、その役目を終えて遊休施設となって5年。施設の有効利用を考えるプロジェクトチームが結成されては、1回切りの引き継ぎ事項の確認だけで終わっていた。「金がない、人がいない、再生案がない」お決まりの愚痴のこぼし合いで何も出来ずにいたようだ。
 しかし、できない理由を考えるよりは、どうすれば出来るのかを考えるのが我々職員の仕事である。当時、県民の森の所長をしていた人物が、私と同じく昆虫の蒐集を趣味としていたことで、所属外の私に声が掛かった。
 「自由にやらせてくれるのならやります」。私は前年に「蝶の美術館」を旧栗山村にオープンさせていた。
 当時の県民の森職員の献身的な手造り展示用具の提供もあり、計画も予算も何もないまま、たったの6カ月で「マロニエ昆虫館」は出来あがった。地元紙・地元TV局はもちろん、主要新聞の地方版にも載り、国営放送局からも2度取材があった。初年度の集客数は25,000人。県の公式HPや県民だより、県発行の子ども向けガイドブックの表紙にも掲載され人気スポットとなった。この年、行財政改革室から「ひとり一改善事業」の模範例として、県民の森管理事務所は個人賞ではない、初めての団体賞に輝いた。

(3) 展示品の無償貸出
 展示用の標本箱は約100箱近くもあり、また、自分の標本が管理しきれないからと、コレクションを寄贈してくれる人びとが数人現れ、マロニエ昆虫館の展示物は益々充実していった。年4回入れ替えるにしても、まだもったいない。私は県内の公共施設あてに、標本箱や写真パネル類を貸し出す事業を思いつき、管理事務所で貸し出し要領を作っていただいた。これはなかなか好評で、今も県内の四つの県民都市公園では、毎夏巡回昆虫展が行われている。通常、リース業者から借りれば1箱2万円が相場である。規模も相当大きく、時には100箱以上の標本箱が並び、公園の展示会運営予算は毎年100から150万円は浮く仕掛けである。これをここ10年ほど実施している。
 また、5年前の新潟中越沖地震の際には、花火大会等夏のイベントがすべて中止となった新潟県柏崎市へ120箱を出前し、たった5日間ではあったが、約600人の市民の皆さまに楽しんでいただくことができた。ちょうど新潟市では大規模の有料昆虫展をやっている最中であったが、こちらの方が面白いという観覧者が何人もおられた。それは私が考案した「自然科学的展示法」ではない、「人文的昆虫展示法」が歓迎されたからである。

2. 人文的展示法の確立

(1) どくとるマンボウ昆虫展
 北杜夫のマンボウシリーズの中でも、外の作品とは一線を画す『どくとるマンボウ昆虫記』を徹底的に具現化したもので、「一つの文学作品の素材が、これほど集められた例は未だかつてない」と、或る文学者に言わしめた昆虫展である。私が中学の時に心に決めたことが、40年の時を掛けて現実のものとなった時、25の標本箱の中には、北杜夫氏が実際に採集し、自分の文芸作品に登場させた「その時の正にそのもの」という歴史的な標本たちが並んだ。1都10県23会場で行われた展示会では、内4会場にて北杜夫氏本人のトークショーが行われ盛況であった。4年前の岩手・宮城内陸地震へも出前した。この時から、文庫本にオリジナルのブックカバーを付けて文庫本を販売し、原価も込みで各地震災害へ義援金を寄付するというキャンペーンが実施された。送り主を「どくとるマンボウ昆虫展」とした義援金は25万円を超えた。そのような面でも最も成功した出前昆虫展であった。新聞・テレビ等、各メディアに紹介された回数は、NHK-TV全国ネットで3回を含め、100回を軽く超えるだろう。そして、この昆虫展こそが、各公共機関への企画展示品の共有化を実践する絶好の展覧会となって行ったのである。


(2) ヘルマン・ヘッセ昆虫展 ~少年の日の思い出~
 マンボウ昆虫展が大成功したことを受け、中学1年の国語の教科書に64年間以上も掲載され続けているヘルマン・ヘッセ作『少年の日の思い出』を具現化した展示会を企画した。これは当初、国語の授業で使ってもらうことを目的として始められたものだが、この名作がヘッセの生地ドイツでは殆ど知られていないという事実を知るに至り、ドイツ本国への出前を企てたところ、通常2年はかかるとされている海外へのイベント輸出が、たったの3カ月で交渉成立となった。ドイツの公立機関であるシュツットガルト自然史博物館、在ミュンヘン日本総領事館、カルフ市役所の協力の賜物であった。2010年春にはヘッセの生まれ故郷・カルフ市での開催が決まり、私と監修の岡田朝雄東洋大学名誉教授がカルフ市役所から招待されるに至った。最初、県民公園への出前から始まった小さな昆虫展が、遂に海を渡ったのである。海外での評価も大変高く、昆虫展を核にした文化交流は日独交流150周年事業の一環として、日本でもドイツでも承認され、専用ロゴマークを冠することができた。2セット作成した標本箱群の1つはドイツへ寄贈、日本国内でも海外での展示と時期を同じくして、巡回展が始まった。大阪市立自然史博物館(左図は公式ポスター)から始まり、学芸員の方々の横の連携から徳島県立博物館・鹿児島県立博物館へと巡回し、文学とのコラボという切り口から、文学館・図書館でも展示できる画期的な展覧会として守備範囲がどんどん広がって行った。本年4月~7月には広島県福山市「ふくやま文学館」で開催され、ドイツからはヘッセ研究の世界的権威フォルカー・ミヒェルス氏から市民あてのメッセージが届けられ、1955年にヘッセがタイプを打った「日本の私の読者へ」と題するメッセージのサイン入り原文コピーが届けられた。


3. 虫であればこその多様性

(1) 語り部と絵画
 私の昆虫展では、きれいに並べられた虫たちを見て頂くだけでなく、出来るだけ多くの感覚器官で味わってもらいたいので、「語り部」に作品の「語り」を披露していただくことも行っている。77歳になられる伊藤しのぶ氏は語学に堪能であり、英語・ドイツ語・スペイン語を自由に操ることが出来る。物語の内容を記憶する能力はもはや天才の部類。『少年の日の思い出』やマンボウ昆虫記の中の「詩人の蝶」「神聖な糞虫」などを原稿・台本を全く見ずに、30分間でも1時間でも喋り通し、しかも一人芝居の如く感情を込めて演じる様は圧巻の一言。
 そして、日本画のような端正な昆虫画を描く永井佑樹君。彼の作品はマンボウ昆虫展でもヘッセ昆虫展でも関連付けして展示した。もちろんドイツへも持って行った。皆、年齢と描写技量のギャップに度肝を抜かれた。新訳の『少年の日の思い出』の表紙絵にも採用され、全国の書店で販売。彼の描いた昆虫画を絵はがきとし、義援金として1枚100円で販売したこともある。ふくやま文学館では124枚頒布できた。

(2) 講演会と音楽会
 マンボウ昆虫展では必ず私の拙い講演会と伊藤氏の語りを行っているが、ヘッセ展でも私か岡田朝雄氏の講演会とやはり伊藤氏の語りを行い、単に見るだけの展示会ではなくしている。展示方法もコラボならば、表現形態も多様性を持たせたコラボレーションなのである。
 また、語りの方はさらに発展し、矢代朝子氏ら、プロの劇団員により朗読劇となって3回の公演も行われた。ヘッセ展では、日本ヘルマン・ヘッセ協会の名誉会長である田中裕氏が、ヘッセ作詞のリートを披露してもくれた。たかが昆虫展が、多様性を以て発達して行ったのである。今後どのような展開になるのか、大変な楽しみではある。


マンボウ昆虫展
ヘッセ昆虫展
備考
2008
栃木県日光だいや川公園    
栃木県マロニエ昆虫館    
仙台市仙台文学館    
結城市立図書館    
川口市平和祭 スキップシティ    
千代田区サンケイ会館    
10
松本市 旧制高等学校記念館    
10
松本市 山と自然博物館   北杜夫氏来展
2009
  栃木県日光だいや川公園  
  栃木県マロニエ昆虫館  
  日光自然博物館  
軽井沢高原文庫   天皇陛下御覧
  青木村 信州昆虫資料館  
12
  大阪市立自然史博物館  
2010
北杜市立オオムラサキセンター   北杜夫氏来展
  徳島県立博物館  
  カルフ市 ヘッセ博物館  
青木村 信州昆虫資料館 鹿児島県立博物館  
上山市 上山城ホール   北杜夫氏来展
  軽井沢高原文庫 堀辰雄山荘  
日光市 田母沢御用邸公園    
11-12
  下野市 グリムの館  
2011
3-7
  ガイエンホーフェン市  
4-6
十日町市キョロロの森    
7-8
福山市立中央図書館    
  川口市立図書館  
信州大学理学部    
10
軽井沢高原文庫本館 軽井沢高原文庫本館 北杜夫氏死去
11
  カルフ市 東日本復興祈念フェス  
12
栃木県立足利図書館    
2012
1-3
北杜市オオムラサキセンター    
4-6
東北大学総合学術博物館 福山市 ふくやま文学館  
7-10
軽井沢高原文庫    
7-9
群馬県立土屋文明記念文学館    
  栃木県那須野が原公園  
7-8
  栃木県日光だいや川公園  
10-12
世田谷文学館   茂吉130年展
10-11
大石田町立歴史民俗資料館    
2013
(予定)
  宇都宮市立南図書館  
  スイス国・モンタニョーラ  
  長岡市 川口きずな館  
  金沢市 石川県立自然史資料館  
松本市 山と自然博物館    

(3) これからの人文的昆虫展
・東北大学での斎藤茂吉と宗吉の親子昆虫展
 今後の人文的昆虫展のアイデアとしては、①絵画や切り絵、生息地の写真を背景とした展示 ②短歌や俳句を素材とした具現化展示(例えば斎藤茂吉の短歌17,907首の中には、何と560首も虫の歌があるという)③漢字の成因から「虫の漢字」を本物の虫を使用して表現する展示 ④ファーブル昆虫記を物語に沿って現物で表現する展示など、昆虫なればこその「多様性」を活用したいろいろな表現方法が考えられている。
 さらに、現在、中1国語『少年の日の思い出』の授業で使用できる教材として、展翅板の配布を全国規模で行うプロジェクトを進行中であり、8月1日時点で105の中学校への配布が終了している。
 これらの展示アイデアが、全国の博物施設の学芸員が考え出したならば、さぞやスゴイ事になるのではないだろうか。そして、これらの展示会企画が、博物館・文学館・美術館・資料館等、全国すべての展示施設を巡ることこそ、博物館等公共展示施設の財政を助け、活性化をはかる決め手に成るものと確信する次第である。

4. 今後の展開

(1) 共有企画展の確保
 どこの博物館・美術館・資料館でも目玉となる企画展・常設展があるはずである。それらをその県民だけのものにする手はない。いつでも、企画展を丸ごと他県へ貸し出せる蓄えをしておきたい。優れた展示会はどんどん全国を巡回させるべきであると考える。中には世界に誇れる企画もあるだろう。浮世絵やアニメだけが世界に通用するものではないはずだ。郷土ゆかりの展示物こそ、他の地域で紹介するべきだ。待っているだけでなく、外へもどんどんPRし、自分の故郷を知ってもらおう。そうすれば関東に居ても中国地方の景色が見えてくる。九州に居ても東北地方の自然風景・人びとの暮らしぶりが見えてくる。もっと真剣に他県のことを考えるようになるだろう。「御当地」も結構だが、日本人としてすべてを見ておきたいし、また見せたいとも思う。

(2) 企画展示会の登録
 全国の公共展示施設にある企画展示物を博物館協議会等に登録をしておく。その中から自分の展示施設・地域にふさわしい企画展をチョイスし、運搬費を予算建てする。もちろんリース料金は無料。世界に名立たる「モナリザ」でさえ、ルーブルから借用する時は無料だそうである。莫大な保険料や警備費を考えたらとても請求はできないだろう。学芸員にとっては自分の研究成果を全国の人びとに見て頂く絶好の機会ともなる。
 第一に、新しく企画展を構築する必要がないため、年間平均4回行う企画展の予算を一極集中させることができ、より充実した新作の企画展示会が開催できるようになる。

5. まとめにも「昆虫」ありき

・ドイツ国カルフ市でのヘッセ昆虫展の様子

 これまでは、自分が企画した昆虫展の会場を求め、全国の博物館や文学館と交渉し、展示会を開催していただくというスタンスで活動していたが、振り返ると、それらがすべて各公共機関の財政にも深く関与していたことが分かった。すべてが偶然でなく、必然で繋がっていたのだ。
 最後に、自治労岡山県本部において、私の昆虫展の活動を綿密に調べ上げ、図書館司書の地位保全のための講演会を数度に亘って集会等で発表している倉敷市職労の仲間の存在を紹介して、この報告を終えたい。吉賀静江さん。彼女もまた、ヘッセが描くクジャクヤママユの世界に魅了され、生徒や教師、そして地域の人びとのために奉仕する真の公務員であり自治労の仲間である。