3. 考 察
(1) やはり組織化も大事
① 組織率が低くても防災意識は高い場合がある
旧田老町には自主防災組織はなかった。組織はなくとも防災意識は高く、防災資機材等を受け入れるためだけの自主防災組織は必要なかったのである。また、人口5千人のうち3千人が一堂に会する地区対抗の大運動会では全世代別・男女別に選手を出すルールがあり、地域内で検討するため無意識なコミュニティの場となっている。他の自主防災組織にみられるような「年配者しか集まらない」ということはない。数ヶ月前から地区ごとに検討や練習が行われ、そのことにより清掃活動や避難路の草刈り・花壇造り等にも活気がある。
しかし近年は、消防団員のサラリーマン化に伴い昼間の防災体制が手薄となってきており、各町内会が自主防災組織化に乗り出してきたところでもあった。これは、防災資機材の受け皿としての組織化ではなく、自主的に地域内の防災対策を行おうということなので本来の主旨に合致している。その他、自主的に防災士講座を受講する人がいたり、地域ごとの防災講座の自主開催を行うところもあったり、行政はそれらを技術的に支援してきた。
また、旧田老町以外の地区でも、NPOの技術的支援を受けて自らハザードマップを作成した町内会もある。行政が一方的に作成した防災マップは、住民側にはなかなか認知されない。しかし、住民自身が自主防災組織の活動として作成した場合の認知度は90%にまで上がる。そして、既にマップを見なくても無意識に避難できる状態になっている。独自に避難路も造り、役割分担のうえ避難訓練も行っているが、自主防災組織については「全会員が賛同してから」ということで、組織化はされていない。しかし、単なる「受け皿」よりもこちらの方がよっぽど自主防災組織的である。自主性を大切にしたいので一定の距離感をもってお付き合いしている。
そして、これらの町内会にはやはり熱意を持った誰かがいる。役員に限らず、それを支える技術やアイデアを持った人でありキーパーソンである。防災士講座もそうだが、このような核になる存在を見つけ、連携をとることが必要である。しかし、いわゆる「顔の見える」行政でなければそのような出会いもないだろう。
また、「隣の人が避難しなかったから自分も避難しなかった」という状況依存があるならば、「率先して避難する人がいればそれにつられる人もいる」ということになり、キーパーソン作りも必要になってくる。
② 震災疎開パッケージ
かつて、後藤新平は台湾を都市化することで現地ゲリラに仕事を与え平和的統治に成功した。また、「稲むらの火」の濱口梧陵(ヤマサ醤油社長)は津波被災農民に防潮堤を造らせた。これらは現代版の雇用対策とも言える。そして宮古市においても船と網を失った漁民等が防潮堤や港湾・道路等の建設に携わった。このように、復旧・復興工事を被災者自身が行うことは、下を向いていた被災者を復興者として立ち直らせるきっかけになる。しかし、避難所生活を見ていて気付くのは、肝心の働き手が介護等にとられて動けなくなっていることである。そこで、遠隔地の自主防災組織同士が震災疎開協定を結ぶ取り組みが考えられる。お互いに顔を知っていれば安心して家族を預けられ、復興活動すべき人がそれに専念できる。また、余震等によるPSTDの問題、避難所DV、性犯罪等の問題も回避できる。
(2) 無意識な伝承
① tradition and superstition
災害時にパニックにならないようにするためには、災害の様々な想定をイメージできなければならない。想像力、観察力等が求められる。これについては、個人で培うもののほか、地域のコミュニティの中で一生を通して自然に伝承されていくものと考えている。例えば、昔は「カエルが鳴くと雨が降る」、「鳥が高く飛ぶと晴れる」といった言い伝えがあった。第一次産業は自然が相手であり、それを観察し感覚を磨くことで対処してきたが、そのような言い伝え等が今でも普通に伝承されていれば、緊急放送や避難指示等に頼るような姿勢もなくなるのではないだろうか(もともと個人の問題、個人の責任である)。特に、津波が想定される場合は、自宅ではなく避難場所で放送を聞くくらいの心構えが重要である。小さな地震でも「訓練」と思い行動してもよい。訓練していないことは本番ではできないのである。
② 人間とは、人と人との距離感のことである
隣近所との付き合いは日常から大切だが、近年は「連帯意識の低下による町内会離れ」等も聞く。一方で、人間は「知らない」ことから「不安」の悪循環に陥ることが多く、自ら精神衛生の悪い循環に向いてしまうが、様々な犯罪の遠因ともなっているので、隣近所の人を「知る」ことにより「安心」の循環に好転するようにしたいものである。「安心安全」を掘り下げていくと「無意識な癒し」や「ホスピタリティ」に通じていくと感じている。
また、「人間」とは「人との間」と書くが、私は「人と人との距離感」だと思っている。そして、周囲との距離感を調整し保ちながら自分の位相や位置を把握し、時には様々な選択を行うことが人生そのものだと思っている。つまり、(日常の他人との)距離が離れれば不安になり、逆に離れ過ぎなければ安心する。不安の状態では誰か(何か)に依存したいし、他人のせいにしたい。距離感が正しければ自分のことを他人に決めさせることもなく、自分の判断で行動できる。「心を亡くす」を縦に並べれば「忘」、横に並べれば「忙」である。
(3) 忘れないようにするための取り組みと忘れてもいいようにしておく取り組み
一例だけハードの話をしたい。旧田老町では大防潮堤ばかりが目立つ存在だが、実は忘れがちな「隅切り」の方が、津波防災には効果があると私は考えている。これは、1933年の三陸大津波からの復興のため市街地を区画整理した際、交差点の四つ角を切って見通しを良くしたもので、まだ自動車が走っていない頃の整備であった。これは、気付かないほど無意識に安全に避難できるという効果が発揮されるものであり、このような都市計画技術を(関東大震災後の)帝都復興院から導入しようとした当時の知事・村長の先見性には驚かされる。
災害の教訓等を忘れないよう伝承していく取り組みも大事だが、一方で「人は自ずと忘れる生きもの」でもあることから、このように、忘れてもいいように取り組む(日常化)視点も求められる。
(4) 職員の意識
① 危機管理
「危機管理」の名が付く部署がそれぞれの自治体に増えている。この名が付くと「危機管理」的な業務はすべてその部署に集中させるべきではないかとの議論が起こる。しかし、災害時にそれぞれの業務をなるべく早く平時の状態に戻せるかどうかも危機管理であるから、すべての部署に共通して内在する業務である。また、平時の事務分担や権限が有事にだけ危機管理部署に集中することは考えにくいし、平時にない業務や急激に増える業務量を危機管理部署だけで行うことも不可能である。したがって、危機管理部署の役目は有事には全体のコントロール、平時にはコーディネーターとなり、危機管理は全庁的な日常業務である旨を認識して取り組まなければならない。
② 飲食店のノウハウ
今回もそうだが、災害時に業務量の調整等がうまくいかず、縦割りの弊害や権限の問題が言われることがある。これには、飲食店等のサービス業のノウハウが参考になるのかもしれない。飲食店では出勤した順序で仕事に就く。一番に来た人はこれ、二番に来た人はこれ、といった具合に暗黙の了解で自動的に動き、開店後も阿吽の呼吸で接客は行われる。平常時に業務内容を打ち合わせるときに権限が発揮されていれば、その場で上司に伺うまでもなく、打ち合わせになく想像していなかったハイレベルなことだけを伺うことになる。そして、情報は一元化、共有化され、お勘定の際に担当が違っていたとしてもきちんと請求される。こういう仕事の流れは、情報の錯綜と瞬時に求められる判断に事前に備えている点において、実は災害対策本部の業務に似ていると思う。また、民間では事業継続計画(BCP)を策定しているところもあるし、企業評価にも防災会計を導入するところも出始めた。行政においても参考になりそうである。特にBCPは、危機管理意識の全庁化に効果がありそうである。
③ 地域活動への参加
行政マンは、それ以前に地域の一員でもある。自主防災組織との連携や顔の見える行政において、一番自然に取り組めて、無意識に効果的なのが「自治体職員の地域活動への参加」である。それに、平時から地域で活動していれば地域のこともわかるし、有事の行政の役割や限界等について、地域の理解も得やすいのではないだろうか。
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