【自主レポート】自治研活動部門奨励賞

第34回兵庫自治研集会
第3分科会 自然災害に強いまちづくり

 東日本大震災復興支援活動に参加した職員の貴重な体験談をもとに、報道では伝わらない自治体が直面する現場の実態を報告し、伊勢市の現状に照らし合わせることによって、伊勢市が災害に強い組織になるために必要な課題を整理することとした。



東日本大震災の復興支援活動から見えてきたもの


三重県本部/自治労伊勢市職員労働組合

1. はじめに

 2011年3月11日・午後2時46分、宮城県沖を震源としてマグニチュード9.0の東北地方太平洋沖地震が発生し、東北・関東地方は大きな揺れに見舞われた。この巨大地震に伴って発生した大津波は東北地方の沿岸一帯に押し寄せ、15,000人を超える尊い命を奪った。平穏な町並みは一瞬にして瓦礫の山と化し、想像を絶する甚大な被害となった。
 被害を受けた東北地方の復旧・復興に向けて、日本全国はもとより世界中から支援の手が差し伸べられる中で、伊勢市からも自治労からの支援要請に応えて宮城県名取市へ、また行政当局の支援要請に対して宮城県塩竃市へ、計16人の職員を派遣し復興支援の一助を担った。
 この復興支援活動に参加した職員の貴重な体験談をもとに、報道では伝わらない自治体が直面する現場の実態を報告し、伊勢市の現状に照らし合わせることによって、伊勢市が災害に強い組織になるために必要な課題を整理することとした。

2. 派遣職員が現場で見て聞いて感じたこと

(1) 宮城県名取市における自治労支援活動から
① 瓦礫の山を目の前に自問自答を繰り返す
  自治労復興支援の第2グループとして、伊勢市から2人の職員が参加し、2011年4月17日~23日の間、宮城県名取市にて各避難所への支援物資輸送を中心とした復興作業に取り組んだ。現地は、震災から1カ月余りが経過し、直後の混乱から抜け出しつつあるものの、依然として日々復旧に追われている状況であった。
  市街地は目立った被害もなく平穏な様子であったが、沿岸部へ移動する道中、海岸線と並行に走る高速道路の高架をくぐり抜けると、そこは見渡す限り一面の瓦礫の山で、そこにかつて人々の営みがあったことをみじんも感じさせないほどの悲惨なものであった。道路一本を隔てるだけで、同じ街の中に天国と地獄が存在する異様な状況がそこにはあった。
  実際、今回の震災での被害はほとんどが津波によるものであり、この状況からいかにして復興するのか、見当すらつかない状況をただ茫然と見つめるだけであった。そして、同じような事態がわが伊勢市で発生したとするならば、数え切れない問題にどのように対応するべきなのか、自問自答を繰り返した。
② 市民の心の隔たり
  同じ市内に、震災による影響で多少の不便はあるものの通常の生活を送っている市民と、全てを失いながらも絶望の底から立ち上がろうとしている市民が混在しており、彼らの被災に対する意識の隔たりになんともいえない違和感を覚えた。
  震災発生から1カ月が経過し、市はこの間、避難所生活を余儀なくされる市民のために職員総動員で災害対応を行ってきた。しかし一方では、家屋の被災を免れた市民の中には自宅で生活を送っている者もいる。行政の対応は、避難所で生活する被災者を優先するがために、自宅生活を送る人々の中には、必要な食料や日用生活品など救援物資が行き届かないこともあり、市の対応への不満がくすぶっている雰囲気があった。
  一方、避難所での生活を余儀なくされている被災者は、何もなかったかのように自宅生活を送る市民を横目に、「なぜ自分たちだけがこんな目に遭わなければならないのか」といったような、どこにもぶつけることのできない憤りを抱えている様子であった。
  この様子は、名取市長のブログにも「全国から、そして市民の中から多くの暖かい支援が届く中、残念なことですが、わが名取市の中にこの災害の痛み、被災された方々の痛みを共有できない方々がいることに愕然とする場面もありました。災害現場から一歩外に出ると、これまでの生活と何ら変わることのない平穏な日々の生活空間があります。すぐ隣で起きた悲惨な事態が、まるで別世界であるかのような日常があることも事実です。どうか市民の皆さん、同じ同胞の、同じ市民の痛みを、悲しみを理解して下さい。感じて下さい。そして、今あなたに出来ることを躊躇せずに行って下さい。」と触れられており、市長自らが直に感じるほどの心の隔たりがあることに改めて驚き、なんともいえない虚しさが再び去来した。
③ ストレスの中で働く職員
  震災を受け、名取市では災害対策の専門チームを編成し、組織体制の見直しを行った。しかし、職員の絶対数が不足しているため、実働する職員は通常業務と災害業務の両立に苦慮している様子であった。時間外業務が恒常化しているのはもちろんのこと、休日でもほとんどの職員がこの状況を切り抜けようと、休むことなく必死で働き続けていた。
  しかし職員は機械ではない。対応に追われる全職員は長期にわたり緊張した状態に置かれていることから、職員同士の衝突や誤解も頻繁に発生し、対外的なストレスに加え、組織の中でもストレスを抱える状況であった。そのような中で、「とにかく命令された仕事を淡々と日々こなしていくしかない。」といった、ある意味開き直った仕事の仕方をしている印象を強く持った。われわれが支援活動を行った短い時間の中でも、改善すればもっと効率的に作業ができる点はいくつも発見することはできたが、それを進言できるような雰囲気は全くと言っていいほどなかった。

(2) 派遣された職員の見聞録から
 派遣期間中、現地の職員の方から被災当初の状況などについてうかがった。
① 発生直後は職員の状況把握も困難、初動体制に影響
  震災直後の混乱の中、地震の影響で通信手段が断たれたため、情報の収集には困難を極め、市内の被害状況はもちろんのこと、職員の安否さえも把握できない状況であり、初動体制の構築に苦慮した。特に、出先の施設の様子やそこで働く職員、また現場へ出向いている職員の情報は、全くといっていいほど入ってこなかったので、勤務時間中であるにもかかわらず職員の状況を把握することができなかった。
  ようやく携帯電話が利用できるようになったのは、震災から1週間ほど後で、職員の安否を含め被害の全体像をつかむまでに2週間ほどを要した。
② 姉妹都市の現業直営班がライフラインの復旧に活躍
  名取市では、上水道の日常的な維持管理業務を民間企業に委託していたが、今回の震災により委託業者が十分に機能しなくなってしまったため、損壊を受けた上水道の復旧が急がれる中、水道管修繕の手を打つことができなかった。
  そこへ姉妹都市の現業直営班が応援に駆け付け、通常業務の中で培ってきたノウハウを被災現場で十二分に発揮し、復旧の遅れは一気に解消した。
  震災から1カ月を経過したこの時点でも、民間企業は十分に機能しておらず、あらためて災害時における直営班の想像以上の機動力に驚いたと同時に、その必要性を再認識することとなった。
③ 避難所の運営における職員の役割
  避難所に指定される施設の多くは、学校の校舎や体育館、公民館や集会所など、公共施設である。そこへ、すべてを失い、着の身着のまま避難してきた住民が大挙してやってきた。しかし、見ず知らずの人間同士が長期にわたって集団生活をする状況であることから、ある程度の落ち着きを取り戻せば、それぞれが日常生活に近づこうと、多種多様な要求や行動をするようになり、それが原因となって避難者同士のいざこざや軋轢が発生した。
  その要求や怒りの矛先は避難所担当の自治体職員に向けられた。避難所担当職員は、市の災害対策本部と避難者との間に立たされ、その対応に随分苦慮していた。
  避難所になっている学校施設では、目途が立たないまま体育館や運動場を占拠した状況となることから、授業を再開しようとする学校側と避難所側との調整が大きな課題となった。そこで大きな役割を果たしたのが、日常業務の中で学校施設を熟知し、学校関係者ともつながりのある学校業務員や給食調理員であった。
  学校業務員は、避難所担当職員と協力しながら学校側との調整を図ったり、施設の維持管理に尽力した。また給食調理員は、普段から大人数の調理をしている経験を生かし、炊事施設や用具の管理を含め、炊き出し作業において中心的な役割を果たしていた。
④ 保育園の独自判断が園児を救う
  津波の被害で壊滅的な被害を受けた地域の中に市立保育園があった。
  地震発生直後、保育士たちは津波の危険を察知し、園独自の判断で50人以上の園児を自分たちの自家用車に分乗させ、一目散に避難所へ向かい、一番乗りで避難所へ到着した。
  避難を指示するために本庁職員が駆け付けた時には、すでに園はもぬけの殻であった。保育士の臨機の対応が園児の命を救った素晴らしい行動であった。
⑤ 全国の自治体からの応援体制
  われわれと同じように、全国各地の自治体から多くの職員が派遣されていた。
  市庁舎での事務作業の補助はもちろんのこと、避難所の運営、救援物資の輸送、消毒用石灰の配布や、瓦礫撤去作業中の重機への給油作業、遺体安置所での作業と、支援可能な現場のほとんどで作業を行っており、地元職員の負担軽減の一翼を担っていた。
  懸命に作業する姿に敬服するとともに、全国の自治体を挙げてこの復旧復興に取り組んでいることを再認識した。

3. 復興支援活動の経験から自分のまちを考える ―― 伊勢市における大規模災害発生時の課題 ――

(1) 復旧・復興活動における職員対応のあり方の再構築
 伊勢市では、災害が起きたときには災害対策本部が設置され、災害の発生状況により職員配備が決定される。現状の配備計画は、限られた職員数の中で「全員配備」を前提に編成されているものであり、職員の安否状況を考慮したレベルにすることは難しい。
 また、指示系統が断絶された場合に、出先機関や現場職員が自らの判断で災害対応を行える訓練も行っていない。実際に、今回のような大災害が起こった場合を想定し、本部の体制のみでなく出先機関や現場職員の対応も含め、指揮系統が断絶した中でも全職員が意思統一して行動できる体制づくりが必要となるだろう。
 そして、災害時において職員は倒れることはできない。一刻も早い復興をめざして災害対応に取り組まなければならない使命があり、代わりとなる人員がいないからだ。その意味においても、災害時とは言え、労働安全衛生の視点を忘れることなく、過重労働による体調不良やメンタル疾患に陥ることを避けることが必要となる。
 今回の復興支援活動の中でどの被災自治体においても共通していたことは、職員が休日返上で災害対応に追われていたということである。実際に塩竃市では、震災から2カ月後になってようやく休みを取ることができたということであった。大災害の対応においては、長期的な復旧・復興作業を念頭に置き、持続可能な組織体制を整える必要がある。

(2) 職員が最大のセーフティネットであることの認識
 伊勢市では、ここ数年間、市当局の集中改革プランに基づく定員管理計画により、急激な人員削減が図られ、特に現業職場においては、ごみ収集業務が合特法の代替業務に充てられ、病院の給食業務が一部民間委託化されるなど、現業職場のあり方が示されぬまま、なし崩し的に年々職場が縮小されており、削減ありきの人事政策が強行されている。
 前述したように、震災発生時に自治体職員は、職務上の使命として誇りと志を持って復旧・復興作業に全力で取り組まなければならない。直営業務の民間委託が進められる今、委託先の民間事業者に対し、職員と同じ使命感と非常時の体制確保が求められるだろうか。
 「公」としての自治体の使命は、第一に住民の生命と財産を守ることであり、来るべきその時に備えることは「公」にとって重要な課題である。例え財政状況が逼迫した中でも、真のセーフティネットとしての機能を十分に発揮できるよう、体制を整備しておかなければならない。今回の名取市での上水道復旧の事例からも分かるように、そのセーフティネットを担うのは、民間事業者ではなく自治体職員であるということを当局に対してしっかり主張していかなければならない。
 また、被災した自治体を支援するために全国各地の自治体から派遣された職員の役割も大きい。平素、不測の事象を想定した組織体制を構築しておくことで、全国の同じ自治体で働く仲間の支援活動に応じることができるはずである。

(3) 行政財産の防災施設としての役割
 三位一体の改革により地方財政を取り巻く環境は大きく変化し、一方で、ここ数年の景気低迷により税収は大きく減退し、財政危機に陥った全国の自治体は強硬に行財政改革を進め、行政運営に必要な財源の確保に奔走している。自治体によっては、公共用地の払い下げや施設の廃止・統合、指定管理制度の導入などを次々と行ってきた。
 言うまでもなく、災害時には学校・公民館・体育館等の公共施設は復旧・復興において地域の重要な拠点となる。これらは、避難生活を支えるキャンプとしての機能はもちろんのこと、ボランティアセンター・物資保管庫・遺体安置所、さらに今回の震災では市役所庁舎の代替施設としても使用されるなど、災害時にはなくてはならない施設に置き換えられる。
 公共施設の安易な廃止、整理・統合や、財政再建を主眼においた過度な売却は、災害対策の重要な一躍を担うインフラを失い、その後の復興の妨げになる可能性があるのではないだろうか。また、すでに統廃合によって閉鎖された遊休施設があったとしても、災害対策としての利用を視野に入れながら、有効活用する方法を探るべきである。
 現在、伊勢市においては、児童生徒数の大幅な減少を理由に、市内小・中学校の適正規模・適正配置の検討がなされている。財政面、教育環境からは統廃合の理論も必要となるが、災害拠点としての視点も忘れてはならないと考える。
 一方、公共施設においては、指定管理制度の導入が、第一義的にコスト削減を目的として進められる傾向が強く、導入後の検証が十分になされていない。避難所に指定されていることを念頭に、サービスの質の維持とともに、災害時を考慮した契約、実際の対応がされているのか、再度確認する必要がある。

4. 強い自治体・強い組織づくりのために

 現在、伊勢市においては厳しい財政状況を打開するべく、行財政改革が推し進められる中で、集中改革プランによる人員削減が行われている。市当局は、市民サービスの質を低下させることなく人員削減を図ると明言しているが、業務と職種のバランスを無視し、定員管理計画による「数」の管理だけで職員が削減されている現状では、行政として多種多様化する市民ニーズに応えていくことは年々難しくなっている。このままでは、市民サービスの質が低下することが懸念されるところであり、特に市民生活に直結する直営部門を縮小していくことは、公の果たすべき役割を失っていくことにつながりかねない。
 そして、この人員削減は、「民間でできることは民間で」「小さな自治体」を合言葉に、目標数値ありきで進められていることからして、災害時のあり様を度外視したものである。
 近年、伊勢市で発生した災害は、台風・洪水によるものがほとんどであり、復興に長時間を要するほどの災害ではなかったことから、短期の災害であるが故、現状の職員体制であっても対応できたに過ぎないのである。
 今回の被災地での様子でも証明されたように、いざというときに被災者の生活を支えたのは自治体職員の献身的な働きである。ライフラインの復旧経過を見ても、現業直営部門に蓄積された経験や技術は、自治体にとって、市民にとって“なくてはならない財産”である。
 大災害はいつ起こるか分からない。災害が起こった場合のことを考えたとき、組織の自助力を高めておくことが必要であると、今回の被災地が身をもって教えてくれたことを認識しなければならない。震災を目の当たりにした今こそ、伊勢市として、「強い自治体」のあるべき姿を示し、「強い組織」を構築する考えを行政に組み入れる必要があると考える。
 今後、労働組合として、働く者の立場から、不測の事象を想定した、自治体としてのあるべき姿の構築をめざし、当局との意見交換を行う中で、「災害に強い伊勢市」を組織全体として作り上げる運動を進めていくこととしたい。

5. おわりに

 今回のレポートは、復興支援活動から間もない時点でまとめたことから、被災地に派遣された職員の体験によって明らかとなった課題について、組織全体で共有し、具体的な取り組みにつなげるまでには至らなかった。この先、被災地単組からの労働者視点での情報提供も多数あるものと思われるが、それらの情報を基にしたさらなる考察も必要であると考える。
 また、今回は震災復興支援の体験から「災害に強いまち」というテーマに焦点を当てて「強い自治体」のあり方を考察したが、今後は単組として抱える「現業業務の将来展望」、「保育所・幼稚園の配置」、「市立伊勢総合病院の存続」といった、市民生活を支える職場における「将来にわたって安全なまちづくりに資する公務労働のあり方」という課題に対し、組合員とともに議論を深めていきたいと考える。